2015-05-02

なぜ革新勢力が「8.6秒バズーカー」を叩かないのか

8.6秒バズーカーというお笑いコンビ反日思想をもとに結成されている、という都市伝説は今や多くの人が知っているものだろう。

知らない人は下記リンク先を参照して欲しい。

http://akipy.sakura.ne.jp/wp/archives/100

で、ここからが私の言いたいこと。


8.6秒バズーカーというグループが、反日思想を根っこに抱えているのかどうか、正直わからない。

彼らがすべてキャラ設定し、ネタを作り、それをテレビが偶然持ち上げた……というのは考えにくい。


しかし、たとえばこういうことは考えられる。

大手広告代理店が裏にいて、意識的しかけた、とか。

今、日本ではナショナリズムが大きな「トレンド」になっているから、

それをいくつも刺激するキャラ設定をそなえたコンセプトのお笑いコンビを作り上げる。

テレビで持ち上げると同時に、裏で「彼らにはこんな都市伝説がある」という噂を流せば、「話題」になるに違いない、

といったような……。


もちろん、それが事実かどうか、誰もわからない。


ただし、私が問題とするのは以下のことだ。

国家には、国民が共有するメモリアルデーというものがあり、独特の意味を持つ数字の組み合わせがある。


数字自体意味はもちろん無いが、ある日付が国民にとって特別意味があるために、

さまざまな感情が想起される特別数字の組み合わせだ。


日本だと、最近では311がそうだし、226という数字も有名だ。

アメリカだと911だとか76や74(独立記念日)という数字がそれに当たるだろうし、

韓国だと31(独立運動)などの数字になるのだろう。


そして「8.6」

これも私達日本人絶対に忘れてはいけない日付のはずだ。

加害者被害者立場の間で揺れながらも、

唯一の被爆国として、二度と紛争解決の手段として、核兵器を使わせてはならないという決意を、

世界中に発信する義務が私達日本人にはあるのではなかったか

私が小中学校の頃には、教師からかなり熱心に、核兵器非人道性について教えられた……。


たとえば「8.6秒バズーカー」に取材をした文春記者とか、よしもとに電凸した人などは、なぜこう諭さなかったのか。

「君たちがそれを意識してコンビ名を考えたのかどうかは、わからないよ。

 でもさ、日本人だったら、誰もが原爆惨禍を忘れてはならないのは、きみたちも分かるよね?

 あの悲劇を伝えるための努力を、私達は70年間、8.6という日付とともに行ってきたんだ。


 ところが君たちは、50m走をその秒数で走ったという理由で、単なる偶然(と信じてるよ)で、

 コンビ名をつけたというが、ほとんどの日本人はその数字から原爆投下日を想起するし、

 『バズーカー』という爆発や兵器意味する言葉をそのあとに続ければ、その想起は決定的になる。

 それをお笑いに利用するのは不謹慎だとか、 多くの人を不愉快にするだろうと、君たちは考えなかったのか?」

と。


よしもとの中には誰一人、私達日本人尊重すべき、語り継ぐべき原爆投下を想起させるコンビ名をつけたグループについて、

「やめておけ」

と注意できる大人はいなかったのだろうか?


よしもとが「威力業務妨害での告訴など検討している」そうだが、

裏設定の事実はどうあれ、彼らの名前結果的に、日本人の当然共有すべき記憶嘲笑している罪があることを、

自覚していないとは言わせない。

上層部人間が、8.6という数字原爆記念日であることを知らないはずがないからだ。


本来ならば、「8.6秒バズーカー」とういお笑いコンビが取り上げられた時点で、革新勢力が、

原爆記念日を想起させ、笑いものにする極めて悪質なコンビ名だ。

 そのうえ、原爆を透過したアメリカ人象徴するサングラスをつけるなど、ナショナリズムを刺激するために、

 極めて作りこまれ意図があるようにも見受けられる」

として、よしもとに抗議の声を上げるべきじゃなかったのか。


ところが、実際に声を上げたのはむしろ保守勢力の方であり、彼らはエモーショナルに反応して、

「彼らは反日だ」

という抗議の声をネットで上げている。


裏でどういうキャラ設定があったのか、これから表に出ることは決して無いだろうが、

8.6という数字とそのあとの言葉によって、原爆投下を誰もがイメージすることは事実じゃないか。


原爆投下という事実は、

保守勢力にとっては日本国の敗北を決定づけた屈辱記憶であり、

革新勢力にとっては核兵器非人道性を浮き彫りにした悲劇記憶だ。

いずれにしても笑いものにしていいものではないのに、

なぜ、革新勢力からは、「8.6秒バズーカー」を叩く声が聞こえないのか?


それとも、70年を過ぎて、もはや私達日本人にとっては、原爆記念日はるか遠くのこととなり、

その日付とともに原爆惨禍を語り継ぐという義務さえも、忘れ去られようとしているのか?

そうだとしたらそれは悲劇だ。

ロシアウクライナ核兵器を使おうとしていたらしいが、

記憶が風化した時に、同じ過ちは繰り返される。


日本加害者責任の声が強まると同時に、日本人原爆惨禍を訴えにくい風潮が生じているのも気になる。

今では日本人の加害責任について原爆の語り部が触れないと、責め立てられるために、

原爆被害について語れなくなることもあったと聞く。

http://blog.livedoor.jp/hiroshimashimins/archives/51089543.html


ふと考えると、革新勢力原爆悲劇について以前ほど語らなくなった。

明らかに、日本人加害者責任を追求することへシフトしている。

それが、革新勢力が「8.6秒バズーカー」を叩かないことに象徴されているのかもしれない。


その結果、再び核兵器惨禍が繰り返されることに繋がるのかもしれない。

いずれ世界が再び同じ過ちを繰り返した時に、

「唯一の被爆である日本では、数十年の時がたち、核兵器惨禍記憶が薄れ、語り継ぐ情熱が失われた。

 原爆投下日と兵器名を組み合わせた名前お笑いコンビが人気を博しながら、

 被害者団体から公に抗議の声が挙げられることがなかったのは、その象徴と言える。

 結果的に、世界から核兵器惨禍記憶が薄れ、世界は再び、同じ過ちを繰り返すに至った」

と、記録されることになるのかもしれない。

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