はてなキーワード: 対象者とは
特別収容プロトコル: SCP-0349-HTは、インターネットから隔離された標準的な人間収容セル内に収容されます。対象者との面会は、厳重な監視の下で行われます。収容中は、対象者の発言内容を常にモニタリングし、記録する必要があります。
説明: SCP-0349-HTは、20代後半のアジア人男性です。対象者は、自身の意見に反する主張をする人々(主にインターネット上で活動する集団)に対して、現実改変能力を行使する異常性を持っています。
SCP-0349-HTが自分の意見に反する主張を目にすると、その主張を完全に間違ったものにするために無意識に対象者の意見を改変します。
SCP-0349-HTの異常性が発覚したのは、20■■年■■月■■日、SCP-0349-HTが参加するインターネット上の議論においてでした。SCP-0349-HTは、自分に反対する意見を述べるユーザーに対し、「お前の意見は間違っている。なぜなら、お前の言っていることは現実では起こり得ないからだ」と主張し、異常性を発動しました。
その直後、そのユーザーは意見を改変されましたが、■■■■■■を施された財団職員がその議論を目撃し通報したため、SCP-0349-HTは財団に収容されました。
財団は、SCP-0349-HTの現実改変能力が、意見の書き換えに留まっている間は、大規模な影響を及ぼす可能性は低いと評価しています。しかし、対象者の能力が客観的な現実にも影響を及ぼすようになる可能性を完全に排除できないため、引き続き収容と研究を続ける方針です。
惜しいけどぜんぜん違う
リベラルっていうのは「どの立場になっても受け入れられる世界をめざそう」という思想
どうしてこんな仕打ちをされなければいけないの?を解消したいと願うのがリベラル
という「この範囲までは味方、あとは敵、明日急に◯◯になったら?ならねえしwしらね~」という考え方をするのが保守。
自民は「日本人だけよければいい、だって日本人だし(なんて嘘です、富裕層のお友達と自分だけよければOKです)あ~9条いじって他国堂々と攻撃してえ~(ついでに財閥仲間と戦争需要でうはうはしてえ~)」みたいなかんじ。
極地が無敵の人ね。
表現の自由を決めていいのは、その対象者。そしてその保護責任者。
男をちんこもっこりとか下品に描かれたポスターを駅に貼られていやだなって思ったら、男は抗議していいんだよ それこそが男性の権利
(ちなみに永遠の鍵垢や、家で1人で楽しむならな~~んでもOKだよ、結局誹謗中傷も駅ポスターも「公然性」でつながっているので)
自分がモテない童貞のときに女児をレイプする創作をしてて、いざ自分に娘が出来て、その娘にそっくりな猥褻画像をつきつけられて「いいね!」って言えますか?って
そういう話をしている
わかる?
milet 5th anniversary live “GREEN LIGHTS”から1週間くらい経ちましたね。
まだ余韻から抜け出せずにいる私ですが、ライブ後からずっと深読みし続けた果てに生まれた考察をインターネットに放流します。
これをまとめれば余韻から抜け出せるはず…!!
意外と現実的なところに文字数制限があって引っ掛かっちゃったので前後編にします
Finalで奇跡が起きたから一連のシリーズとしてまとまって終わることができた4公演だったと思っています。
下記の諸注意は必ず読んでください。
この記事では、私の妄想と推測と深読みを書き散らしていきます。
それはもはやフィクションですので、間違っても「本当はそうだったんだ!」とはならないようにお願いします。
以降で展開する解釈についてはあくまでもGREEN LIGHTS公演上での意図を解釈したものであり、楽曲の成り立ちとかについての言及はしないです。
かなり深く重層的な公演でした。解釈は無数にあり、その全てを尊重します。
どの公演回にもそれぞれの良さがあります。
「ここが違った!」みたいなことを列挙するつもりはありません。
チラシの裏に書き散らかすつもりで書いているので、対象者も何もないですが
あえて言えば、映像化されたらまた見返したいので自分のために書いてます。
基本事項とか書こうと思ってないし、基本的には4公演のうちどこかに参加できた人が見て「ふーん」って思ってくれたら十分です。
揺るぎない芯があり、かつ不安定なバランスでもあり、奇跡的なまとまりで終演した公演ですから
その一端を目撃できた幸運なファンの記録というスタンスで公開します。
読んだね?
書いておきたいことは全て書くし、私が見たことが私の正解なのでこの記事へのコメントには基本的に返信しません。
でも、公開するからにはこの感動を分かち合いたいので、これは言っておきたいってことがあればコメントしてもらえれば、
前提として、自分はあくまでショーとして公演を楽しんだということにさせてください。
本公演は、miletさんの葛藤と成長を描き、揺るぎなく力強いアーティストとなっていくための儀式と捉えています。(ある種のコンセプトライブのようでもあると思います)
なので、この公演を見て過度にプライベートまで推測して心配したり、仕事についても知り得ないことまで想像して心配しないです。
むしろ本公演を経てハチャめちゃにパワーアップできた、挑戦は大成功した、これからの活躍をより一層期待しているよ、という立場を取ります。
前置き長くなりましたが
GREEN LIGHTSのテーマはシンプルに「自分との同化」だとしっくりきます。
昔の自分が何を思っていたのか、何をどのように考えていたのかということを細部まで完全に思い出すことができなくなって
寂しい、こわい、不安、昔の方が良かったんじゃないか、という感情に対し、過去と向き合い、折り合いをつけて、また前進していく
ということがテーマになっていると感じました。
ここで、登場人物をはっきりさせた方がわかりやすいので、下記の表記で進めていきます。
milet :2024/03/15-20にかけてのmilet(GREEN LIGHTSステージ上のmilet)
「大丈夫」が心からはみ出てたり、自分の歌に励まされたりして、歌との向き合い方ですら悩んでるmiletさんは、ミレイ(みれい)の細部まで同化できなくなってきている
というところから始まり、ライブを通してどのように過去の自分と折り合いをつけるか、ということを表現していると思います。
(「今日だけは自分のために歌わせてください」ってそういうことだよね…?)
また、過去の自分がどのように考えていたかわからなくなって、なんだか寂しいというのは私(筆者)にも誰にでも当てはまる感情です。
昔は楽しかったな(辛かったな)って思っても、何がどう楽しかったのか(辛かったのか)細部まで全く同じに思い出せる人はいないと思うし、思い出せないとやっぱり寂しい。
miletさんは、GREEN LIGHTSを通して、自分は自分と向き合うために歌うけど
みんなもそれぞれの過去と向き合って、また前に進んでいかない?って、表現しているのではないでしょうか。
GREEN LIGHTSのセットリストですが、「自分との同化」というテーマに沿って
いちど、各楽曲で歌われる「あなた」や「You」はミレイ(みれい)のことなんだと思って聴いてみてください。
長々書いてるこの記事のなかで誰かに伝えたいことがあるとすれば、
セットリストの楽曲の「あなた」をミレイ(みれい)に置き換えて聴いてくれ!!!
ってことだけかもしれません。
(曲解と言われてもしょうがないレベルだと自分でも思ってますが、思っちゃったことなので書いてます)
GREEN LIGHTSとスクリーンに出る瞬間がめちゃめちゃかっこいいです
もちろんmiletさん自身も、スーパースターのステージングはとても力強かったです。
このパートではデビューからの自信に満ちているミレイが、その少し前のみれいに向けて歌っていると解釈しました。
主体が現在じゃないのでわかりづらいですが、思い出したい過去までの距離が短いので自信をもって同化できている状態です。
絆ノ奇跡とコイコガレは、ある意味まっすぐでわかりやすいメッセージがあります。
大好きな楽曲ですが、固くてまっすぐ過ぎたら逆にモロいということの表現になっていると思います。
checkmateの歌詞「あなたが何を求めてるかわかってる、私はあなたの全てだから」ってのは完全に同化していることを意味していますよね。
Higherの歌詞もお互いの理解度がかなり高いことは明らかで
あなた(みれい)をもっと高いところ(メジャーでもっと売れるアーティスト)に連れてってあげると解釈できます。
オープニングで必要な盛り上がりとテーマ性を両立させた完璧すぎる開幕です。
一瞬のMCを挟んで、ここからのパートはmiletからミレイに向けて歌っていると解釈しました。
つまり、このパートから本公演のテーマとちゃんと向き合っていくことになります。
突然ですが、最初にinside youを聴いた時を覚えてますか?
恋愛のことを歌っていると思いましたよね。(そしてそれは多分そう)
「ミレイの中には誰がいるの?何を考えているの」って歌っていることになります。
全編にわたって、歌詞がこれ以上ないくらいテーマとリンクしているのですが
心からの「そばにいて」という叫び(アカペラ)に、共感して、心が震えました。
また「あなたの人生には私がいない方がマシかもしれないけど」という歌詞は
歌手にならなかった可能性のことを感じさせ、とても寂しい気持ちになります。
そしてそれはあの場でinside youを聴いた私たちについても。
今の自分の選択や人生が、すべての過去の自分の選択と完全に一致している人などいるでしょうか。
現状に負い目を感じつつも「あなたの中には誰がいるの?(なにがあるの?)」と、わかりたい。
私(筆者)自身も、色々な過去を思い出し、自分の選択って正しかったんだろうかと、やるせなくなり、涙しました。
過去の自分が何を思っていたのかよくわからなくなる、という感情の中には
昔は怖かったものが、今はどうして怖かったのかよくわからなくなるということも含まれています。
この楽曲では、みれいが何について怖れていたのかを思い出そうと試みていると解釈しました。
miletさんが、ミレイ(みれい)をよくわからなくなっている状況で
「よくわからないもの」=「怖い」と考えると、ここでもYouをミレイ(みれい)に置き換えられると思います。
私自身の体験としては、この楽曲がmiletさんを好きになったきっかけの曲でもあるので感慨深いです。
(2019年RADIO CRAZYのセトリのなかでもこの楽曲だけ後で何回も聴きました)
当時、この曲にどういうことを感じたからmiletさんを好きになったのか、そんなことに思いを馳せることもできました。
この楽曲が出たのが、おそらくコロナ禍の直前あたりだと思います。
2020 Green Lightsでは2曲目として演奏されるはずでした。ノリのいい楽曲です。
ですが(私の解釈では)まだ、過去と向き合ったばかり、miletさんとミレイの心の距離は離れたままです。
この楽曲は、心の距離は離れたままでも「私があなた(ミレイ)の光になる」と
この楽曲は主にセンターステージで演奏されますが、客席があまり照らされていないように感じました。
光の演出がない→まだMAX盛り上がらなくていい、という演出かと思います。
盛り上がっていいのかよくわからなくて戸惑うお客さんが、心の距離が離れた状態のミレイと重なるように演出されているのではないかと考えました。
(考えすぎです、たぶんちゃんと盛り上がってました。)
ここまで色々書いておいてなんだよって自分でも思うけど、結局コレなんですよね。
どういうタイプのエンタメなんですか?次にもう一度これを体験するにはどうしたらいいんですか?と思いました。
もちろんこれが目の前で繰り広げられている時にはテーマがどうとか解釈がとか考えてる余裕ないですので
このパートでは、miletさんが違うアプローチで過去と向き合おうとしていると考えました。
具体的には、過去の自分の思い出せない、満たせない部分は、今の自分の好きなことや考えていることで満たすというアプローチです。
なので、いまのmiletさんが一番ライブでやりたいことで満たす→DJパートってことだったんじゃないかなって思ってます。
余談ですが、5amツアーや今回のHELL CLUBの演奏を見ると、地獄と天国って同じなんじゃないかと思ってしまいますよね。
- Higher
2回目の登場になりますが、ここではmiletからミレイに向けた解釈にするとアガります。
- Outsider
過去と向き合うにあたり、過去に媚びることはしないっていう解釈ができますね。
アプローチを変えたことで徐々にmiletとミレイ(みれい)の心の距離が近づいていくという解釈もできますし
DJブースに立ち「m-i-l-e-t I'm with ya」と歌うところが解釈一致すぎて震えました。(このあとのblissにつながります)
- おもかげ
見せない(見えない)愛で満たしている という歌詞の通り
ミレイの考えていることがはっきりとはわからなくても、そこには愛があるということに気づいたと解釈できます。
- us
DJパートで使われた部分の歌詞の「好きだと言ってしまえば」というのは
何を考えていたのか本当のことはわからないけど、今の「好き」を押し付けられるのなら、という解釈はできないでしょうか。
過去に向けた思考はどうしたって一方通行です。過去に想いを伝えるというのは、どうしても押し付ける形になってしまう。
だから「想いを伝えたら、消えてしまうかな」と、はがゆい気持ちでいると感じました。
ぶち上げてくれました。
ここで公演のメインテーマということは、同化、まで行かずとも、過去との向き合い方を得たと解釈していいでしょう。
「私を守るこの名前」という歌い出しから察した方も多いと思いますが
自分の過去と現在(未来)にわたってmilet-ミレイ-みれいという名前で繋がっているということを表現していると解釈しました。
とくに「優しく呼んだ声」ということですから、ここではアーティストとしての表記「milet」であろうとなかろうと、自分は自分ということを見つけたと思っていいのではないでしょうか。
DJパートからの急展開で戸惑うというのもわかりますが、体温が上がった状態からのしっとりした曲ということで
他の位置にあったなら(ともすれば)聞き流されてしまうような曲でもちゃんと大きな印象を与えます。
この公演でのテーマと合わせて考えると、ここ以外考えられない完璧すぎる曲順ですね。
そして、この楽曲はこの公演にとって非常に大きな意味を持っていると思います。
inside youからここまでのパートで過去との向き合い方や受け入れ方を身につけてきました。
ようやく、離れていた過去の自分との心の距離が、通じ合えるレベルまで近づいたと解釈していいでしょう!!
そう思って、この楽曲でも「You」を「ミレイ(みれい)」に置き換えてください
素敵です。本当に。
前編にわたって、この公演、このテーマのために書かれたと錯覚してしまうほどのメッセージのシンクロ率です。
いつでも、どこでだって、どの自分でも、自分ということを知った、と解釈しました。
光の演出も素敵で、まるでmiletさんが魔法を使って客席を彩っていくかのような二番サビの光景が忘れられません。
あと、miletさんが高台で歌ってるので見上げて、手を伸ばして、ひらひらが舞う光景も素晴らしかった。
ここで終わらないんですよ。
こ こ で 終 わ ら な い ん で す よ お
たしかに、過去の自分と通じ合えるようになって、怖いものは無くなりました。
ただ、このパートからmiletさんはいまの自分と向き合います。
だから、きっとまた忘れちゃうけど、ボロボロでも、何度だって、走り続けるって決めた。と解釈しました。
演出としては、運良くセンターステージ脇から見ることができた回があり、スクリーンのニケ像とmiletさんが重なる瞬間がとても美しかったです。
そのときにmiletさんの片腕とニケ像の片翼が合わさって一対の翼(Wings)になったようにも見えました。
ここで安心して終わらない、っていうところが本当にすごいと思います。
2023年のRADIO CRAZYでも、まずImagineを演奏していたことを思い出します。
こういうところほんとに好き、って思います。
(あくまでも、私の中のフィクションの話、かつGREEN LIGHTSの解釈ですよ!長くなりすぎたので、再度注意)
さて、前に進む、走り続けると決めたmiletさんですが
走り続けるということは、過去を思い出せなくなってしまうことを受け入れるということです。
そう思って、One Reasonの歌詞のYouをミレイ(みれい)に置き換えると、全ての歌詞がリンクします。
けど、やっぱり行かないで。ってことなんですよねえええええええええええええ。
もう、理路整然と書けないけど、、、はぁ
いまは温度も思い出せるけど、このまま走り続けてたらやっぱり忘れちゃうよね。やっぱりやだ、でも行かなきゃ。
そんな迷いをこの楽曲に託したのではないでしょうか。
ピアノの音でも、過去の自分とずれていくことを受け入れたり、やっぱり嫌だったりすることを表しているのかなと思ったりしました。
(蛇足だけど、メモに「One Reason:感極まる瞬間ありで感極まる」と書いてありました。極まりすぎ。)
この楽曲では、Wingsからのパートからつづく葛藤について覚悟を決めた、たとえ過去の自分のことを思い出せなくなっていくとしても前に進んでいくと決めた。と解釈できます。
でも、どうやってもことばじゃこの感動を書き表せないな。
とりあえず、miletさんが「自分を信じたい」って言ってくれてとても嬉しかった。です!!
【後編はこちら:milet 5th anniversary live “GREEN LIGHTS” に寄せて(深読み注意)【後編】】
生産性になぜ差異が生じる かの原因の 1 つは,おそらく文章を書くという作業があ る種のスキルであることに起因していると考えられる. すなわち,生まれつきの技能や特別な才能ではなく,地 道に練習をすればある程度までは論文を執筆するスキル は身に付けられるものであり「文章を書くという作業を 習慣化する(生活の中に組み込む)」ことこそが最も重 要なのではないかと思う.
自分自身を振り返ると,授業 や学内業務,社会活動をはじめ様々な日常業務がある中 で,いつも忙しいというのを言い訳にして「もう少しま とまった時間があれば,もっと論文が書けるのに」とい つも考えており,その改善策を考える上で,私の周りに いる生産性の高い研究者に教えを乞うことが有効だと考 えた.
そのため,論文執筆の生産性が高いと考えられる 研究者を対象に,執筆作業の効率化およびそれを習慣化 するための具体的な工夫等について聞き取り調査から明 らかにすることを試みた.対象者は,論文の生産性がかなり高い研究者 3 名(男性 2 名, 女性 1 名)であった.調査内容は, 1 )論文執筆作業を習 慣化するための具体的な工夫, 2 )論文執筆作業を効率 化するための具体的な工夫,の 2 点である.
論文執筆作業を習慣化するための工夫として,「タイ ムマネジメント」の一環として,論文執筆の日は出張に 行く日と同じという感覚を持つことが挙げられた.具体 的には,実際は自分の研究室にいるが,出張で終日不在 にしている体裁で論文執筆作業のみを行うというやり方 であった.特に,手帳に論文執筆の日であることを明記 し,他の予定を入れない,メールの確認頻度を減らす, 急用でないとメールは開かない,集中度が高いときは電 話にもでないという工夫をしていた.
また,早朝の時間 を論文執筆作業に充てるという意見もあった.学生指導 を含めた業務時間を自他共に分かるようにし,指導学生 には業務時間になってから相談して欲しい旨を伝える工 夫を行っていた.
さらに,無駄な時間や作業を減らすた め,非常勤講師や超過コマを持たない,むやみに学会発 表をしないといった意見もあった.
一方,いつまでに書 き上げるかのタイムスケジュールを(数カ月単位で)徹 底的に組み締切を作る,最低でも一文を書いてから帰宅 する等の「目標設定」を上手に行っていた.また,構想 から論文化までを一括管理し,何をどこまで書いたかを 常に把握しておく(可視化する)といった「セルフ・モ ニタリング」,できる限り大学に行く(まずは **やる場所** に行く),ふと良い流れや改善点,文章が浮かぶため, 常にメモができる状態にしておく等の「環境整備」に関 する工夫がみられた.
論文執筆作業を効率化するための工夫としては,作業 過程を 5 段階に分類するという意見があった.具体的に は,
①先行研究の動向を把握する段階(雑誌の最新号目 次のメール配信サービスの活用),
②データを分析し, 結果を確定させる段階(シンタックスを自分で書き, 分 析手続きの記録を残す),
③論文構成を考え,まとめる 段階(「日本語で」「段落ごとに」執筆する内容や主な引 用文献を, 箇条書きに簡潔にまとめる),
④文章を執筆す る段階(数日程度, 執筆のみを行う時間を作り, 細部は気 にせず一気呵成に書き通す),
⑤文章をブラッシュアッ プさせる段階(冷静に見直すため少し日数を置き, 全体 の一貫性など細かな修正を行い, 仕上げる)であった.
また,書く→修正→書く→修正ではなく,執筆自体が止 まらないようとりあえず全体を書いてから修正する,上 手に気分転換を図る(同時に複数の論文を書き, 1 つが 行き詰まったら他の論文を進める)といった意見も挙げ られた
論文執筆作業を習慣化するとい うことは,自分が重要性を感じているその他の時間との 価値交換を行う場面が多々あるため,なぜ自分は論文を 書くのかということを改めて突き詰める必要があるよう に感じた
性犯罪者に対する社会の風当たりは厳しい。 最近、四谷大塚の講師Mが女子生徒をロリコン性犯罪者グループに売ったことで 中学受験業界全体が揺れている。 Mはおそらく大した罪には問われないだろう。 だからこそかも知れないが、「Mを死刑にしろ」という声が絶えない。
なぜだろうか? それはきっと、以下2つの理由によるものだろう。
そもそも、犯罪者とは何だろうか? それは、犯罪を冒した人間のことである。 ではなぜ人は犯罪を冒すのだろうか? それは、犯罪を冒すことがその人にとって有益だと判断されたからだ。
ふつうの人は犯罪を冒さない。 なぜならば、犯罪を冒さなければ平穏な生活が手に入るからだ。 言い換えると、ふつうの人の中では平穏な生活が手に入ること > 犯罪を冒すこと という不等式が成り立っている。 しかし、犯罪者にとってはこの不等式が逆になっているのだ。 特に、性犯罪のように意思を持って行わなければ成立しないものの場合はそうであるといえる。
この不等式は、ふつうの人にとっては絶対に逆にならないものだ。 でも犯罪者にとっては逆になっている。 これが何を意味するかというと、犯罪者は明らかにふつうでない感覚、あるいは人生観を持っている ということだ。
なぜだろうか? それはきっと、脳の気質レベルでなにかがふつうではないからだろう。 だから、犯罪者のこの気質は修正不能であり、 犯罪者はどうせまた再犯するということになる。 事実、性犯罪者の再犯率は極めて高い。
全対象者のうち,調査の対象となった性犯罪事件の裁判確定から5年が経過した時点において服役中等の者を除いた1,484人について,罪名は問わずいずれかの再犯を行った者の比率である全再犯率は20.7%であった。性犯罪再犯率は13.9%であり,全再犯を行った者のうちの約7割を占めていた。
昨今、東大や京大といった難関大学を中退する人間が目立つようになった。 SNSの影響うんぬんの前に、はっきりいって、頭が悪いんだろうと思っている。 ガイジと言っていい。
大学を22歳で卒業し、大学院を24歳で卒業するストレートに失敗する要因としては、 浪人、留年、中退の3つがあるが、 このうち就職における影響は、大きい順から 中退、留年、浪人となる。
中退は、そもそもが高卒と同じ扱いになっているからというのもあるが、 特に難関大学においては別の理由もある。
難関大学を卒業して、例えば京大卒になることと、 中退して高卒になることには大きな開きがある。 人生は全く違ったものになるだろう。 しかし、彼らはそれを放棄して中退という道を選んだことになる。 つまり彼らは、難関大学を卒業して輝かしい学歴を手に入れることより、 中退して勉学の苦しみから解放されることを優先したのだ。 これは明らかにふつうの感覚ではない。 これらの高みにたどり着くために、多くの人は子供の頃から塾に通い、 時には泣きながら勉強して、 それでもなお届かずに諦めたのだ。
日本の大学を卒業することはそう難しいことではない。 だから、あと少しだけ努力すればその高みに届いたはずなのに、 それすら辛いという理由で放棄して中退してしまったということになる。
これは、平穏な生活を手に入れることを難関大学卒の学歴を手に入れることに対応させて、 犯罪を冒すことを中退して楽になることに対応させれば、 性犯罪者の論理と全く同じことに気づくだろう。
これは以下のような理由による。
まず、仕事をするためにはそのプロダクトなりビジネスを ある程度はジブンゴト化する必要がある。 難関大学中退者というのは、自分の人生という最重要プロダクトすら まともにジブンゴト化出来ずに放棄した人間であり、 このような人間が しょせんは他人が定義したプロダクトなどをジブンゴト化することが出来るはずがあるだろうか(いやない)。
次に、なぜ彼らが大学を中退することを選んだかというと、 これは大抵の場合、勉強が嫌だったからだ。 彼らは多く場合、アスペルガー気質があり、 好きなことはとにかく熱中するが、嫌いなことは絶対にやらないという 傾向がある。 このような傾向は、仕事をする上では致命的となる。
一方でふつうの人間というのは そのような近視的なものの見方はせず、 より高い視点で物事を見ることが出来る。 つまり、自分の人生にとって卒業ないし学歴がどういう価値があるかという包括的な視点でものごとを見ることが出来るから、 興味のない科目や授業があったとしても、ある程度は受け入れることに成功し、 単位を落とすまでには至らない。
最後に、彼らは努力出来ない。 これは、嫌いなことに対して努力することが出来ないということでもあるが、 彼らは内心、中退したことを悔いている。 この後悔は、履歴書が門前払いされるごとに深くなっていき、 次第に、こんなはずじゃなかったという思いに支配されることになる。 世の中のほとんどの大人は、もっと勉強して少しでも上位の大学に行けばよかったと後悔しているのである。 であれば、大卒になる権利すら自分で放棄してしまった人間の後悔というのはこの比ではなく、 場合によっては自分を認めない社会に対する恨みすら抱くようになる。
このような人間は、中退せずに難関大学を卒業した人生と、今の人生を比較してしまい、 今の人生をこれ以上改善しようとは思わない。 なぜならば、その努力は、前者の場合に比べて報われる可能性が低いと考えるからである。 池江璃花子は白血病から立ち直り、世界水泳に出場するまでに復活をしたが、 大抵の人間は白血病になったら、仮にそれが治ったとしても、またトップレベルの 選手を目指そうとはならない。 なぜならば、白血病の治療において抗がん剤や放射線治療をした影響によって 自分の身体は確実に弱化しており、努力しても虚しいだけだと考えるからである。 こうした状況において最大の努力をしてトップレベルまでカムバック出来るのは、 池江璃花子が池江璃花子だからに他ならない。 ふつうの人間は、今日ほんの少し疲れているだけでも、今日はお休み明日から本気出すと言って それを繰り返すものである。
では、低学歴はどうだろうか。 低学歴も、高学歴になることを諦めているのだから、 同様の論理が適用出来るのではないかと思うかも知れない。
その考えは、大体は合っているが、性犯罪者というほどにはならない。
東進の林修は、最後の授業においてこのようなことを言うらしい。
「これから一ヶ月間、必死に勉強しろ。 必死に勉強すれば、結果がどうであれ、人生の糧になる。 必死に勉強しなければ、結果がどうであれば、 自分は一ヶ月間すら必死に努力出来ない人間なのだと 生涯苛まれることになる。」
この論理を学歴の高低に適用すると、 仮に必死に勉強した結果が低学歴なのだとしたら、それは別に構わない。 しかし、必死に勉強せずに低学歴なのだとしたら、その人は確実にだめだということになる。 ただ残酷なことに、最大に努力した結果低学歴なのだとしたら、 それはやっぱりだめということになるから、 結論として低学歴はやっぱりだめということになる。
実際、使えるか使えないかは概ね出身大学の偏差値と相関がある。 特に、論理的思考力など仕事をする上で重要な能力は、 低学歴の人には備わっていないことが多い。 生まれつき知能指数が低い場合は受精卵しかやり直すしかないが、 そうでない場合でも、思考力というのは思考しなければ養われることはない。 難関大学の問題は思考力を要求するため、受験生の中には その訓練のために難問を何時間も考え続けたという経験をしたものが少なくない。 中学受験出身者の論理的思考力が高いのは、膨大な量の論理パズルを幼少期に訓練しているからだ。 だから、低学歴は基本的には使えない。
しかし、その使えない度は、難関中退者よりはマシだとは言える。 大学受験は時の運もあるし、環境によって十分な準備を出来なかった人もいるだろう。 それに、大卒と高卒の差に比べれば、大学の偏差値の高低はそこまで大きな問題ではないから、 誰しもが最大限の努力をするという前提には無理がある。 実際、マーチや関関同立レベルで十分に高学歴という価値観を持っている人の方が大多数であることは間違いない。
だから、偏差値が低い大学出身の人間でも、 大学に入ってから努力をして、そこから伸びてくるというケースはある。 しかしそれは決して一般的ではない。
肖像権を侵害する行為となるのは、写真撮影、ビデオ撮影等個人の容貌ないし姿態をありのまま記録する行為及びこれらの方法で記録された情報を公表する行為であると解すべきである。絵画は、写真及びビデオ録画のように被写体を機械的に記録するものとは異なり、作者の主観的、技術的作用が介在するものであるから、肖像画のように写真と同程度に対象者の容貌ないし姿態を写実的に正確に描写する場合は格別として、作者の技術により主観的に特徴を捉えて描く似顔絵については、少なくとも本件のように似顔絵自体により特定の人物を指すと容易に判別できるときに当たらないときは、似顔絵によってその人物の容貌ないし姿態の情報を取得させ、公表したとは言い難く、別途名誉権、プライバシー権等他の人格的利益の侵害による不法行為が成立することはあり得るとしても、肖像権侵害には当たらないと解すべきである。
【アジア杯】クレディセゾン公式サイトから伊東純也が消える JFAのスポンサー企業に影響も
https://www.nikkansports.com/soccer/japan/news/202402020001778.html
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https://twitter.com/samuraibluecard/status/1759901221161459932
俺が「schizoposting(以下糖質投稿)」と呼ばれる文化に惹かれたのは、陰謀論的な投稿を信じて投稿するときに生じる一種の混沌とした論理を認識したときだ
糖質投稿は、患者や医師が「ワードサラダ」、パラノイア、無秩序な思考として知っている症状に関連して「統合失調症」という用語を借りて、精神状態を模倣するSNS投稿のパターンを説明するサブカルである
これは世界中で人気があり、Facebookグループ「schizophrenic order of the piss of dawn」には現在50 万人以上のフォロワーがいる
この投稿行為は、Redditや4chanなどで始まり、ユーザーが自分の投稿を通じて、軽度の感情を示唆するミームや会話を投稿することで、実際に統合失調症であるかどうかについてオンラインの仲間から疑問を投げかけていたらしい
陰謀、劇的な結論、そしてほとんど読めない単語のサラダを好んでいる
投稿の多くは銃乱射事件(統合失調症と誤って結び付けられている)に関するジョークや、視聴者から笑いを誘う品位を傷つけるミームについて詳述している
最初は無害に見えるかもしれない
これらのグループは、人々が犯罪化や検閲を受けることなく、奇妙で曖昧な行動や思考を探求できる安全な場所を提供しているという考えに共感できる
しかしそれは重要な点を提起している「糖質投稿は根本的に受け入れられているのか、そして神経発散的な癖を称賛しているのか?それとも、病気の症状であると主張することが、精神異常行動についての知識に悪影響を及ぼしている可能性はあるのか?」
大衆文化は、精神疾患には特定の有益な、そしておそらく望ましい性格特性が伴うと信じ込ませてくる
なぜなら、それらは思いやりや忍耐の特性を「教えてくれる」からだ
精神疾患とポジティブな性格特性が結びついているため、業界全体が精神疾患と創造性の関連性の分析に注力している
つまり、病気がなければ、創造的な天才は存在しないだろうということである
しかし、その考えは、私たちが行動を病気として分類する理由そのものの本質を損なうことになる
医師が古典的に「障害」と定義するものについて、精神疾患として定義されるためには、その症状が罹患者の日常生活に重大な障害や苦痛を引き起こす必要がある
実際、患者が人生を十分に楽しむためには、この障害に伴う認知障害に対処するための的を絞ったプログラムが必要であり、多くの科学者や臨床医が開発に時間を費やす
努力にもかかわらず、統合失調症の研究者が模倣しようとしている認知的な欠陥のせいで、ホームレス、労働力からの孤立、または失職などの苦悩から精神病患者を更生させることができる状況には、望んでいるほど近づいていない
反精神医学運動は、実際に苦しんでいる人々からこの区別を奪い、適応戦略や風変わりな性格特性の形として症状を流用することは、伝統的な定義では声をあげることができない人々のグループを消去することに寄与している
統合失調投稿の場合、明確に考えたり、一貫した文章を作ったりしないという特性が称賛され、「オンライン」な人々に特有のユーモアブランドが奨励されている
そのユーモアは風刺として分類されることもあるが、実際には、文化があまりにもとんでもないものになってしまい、陰謀を信じたり統合失調症のように見えることが一部の人々が選んだ道であるとからかっていることがある
病気の実例となることを選択することは、ユーザーが気づいているかどうかにかかわらず、障害に対するある種の倒錯した嗜好を示しており、真の精神疾患患者の場合、患者は統合失調症のポスターとまったく同じ症状を回避しようと最善を尽くしているように見えるだろう
表現の自由が称賛される社会において、文化がアイデアの意味を探求し、あいまいな人口統計を日常の語彙に組み込んでいるのを見るのは素晴らしいことだ
しかし、糖質投稿という行為は不正確に使用されている可能性があり、ハロウィーンで老人の仮装をしたり、同じ休日にネイティブアメリカンやブラックフェイスの衣装を着たりすることに近いかもしれない
つまり、これらの流用の対象者は明確な生計を立てている(しかし、ほとんどの場合、生計手段が欠如している)が、大衆文化によってさらに誤解されている
糖質投稿は、表面的には楽しくて無害なことのように見えるかもしれないが、実際には退行の兆候であり、精神異常者になること、または「正気を失う」ことが何を意味するのかを実際には理解していない可能性があり、その結果、苦しみをさらに孤立させることになる
元増田の書き方が過激すぎる部分があるので一部の発達障害者が怒り狂ってるが、診断名を明かすことなく誰にも配慮を求めてないならこの話の対象者じゃないだろうよ。
診断名を出して配慮を求めるということは、その求める配慮の内容によっては社会生活上の責任の範囲を減らしてもらうことに他ならない。
例えば聴覚過敏がある人がイヤマフを使ったり、板書写すの苦手な人がタブレットで写真を撮ることを許可してもらったり、そのような配慮についてはよく言われるように目が悪い人が眼鏡を使うのと変わらないが、他人に忍耐を強いるようなものについてはその行為の責任を問わないようにお願いしてるのと同じだ。
タチが悪いことに自分たちは無遠慮な言葉で突発的な行動で他人を傷つけることには鈍感なくせに、自分が傷くようなことには人一倍敏感で大声で被害者の位置におさまろうとする。
自分の行為は障害だからで許してもらおうとするのに、自分が傷つけられたら障害に無理解だと騒ぎ立てる。
もちろんそういう発達障害者ばかりじゃないのは知ってるが、かといって当事者同士でその行為を非難することもない。
しまいには定型発達は健常者を意味しない、定型発達に押し付けられた世界だとか言い出す。
今やそれが成り立つだけの人数はいるだろう?
何も世の中のルールに従って完璧に振る舞えと言ってるんじゃない。
特性で苦手でどうしたって出来ないことをやれと言ってるんじゃない。
少しは歩みよってくれということだ。
今回の震災では、2次避難と被災地域への継続的な支援の難しさが浮き彫りになっているが、
たかだか輪島、珠洲、能登町、穴水あわせて6万人くらいしかいないなかで大変だと言っているが、首都直下地震が起きたら一体どうなるんだと不安になった。
被災者に2次避難を促すことに苦労している、という状況がもし首都直下地震で繰り返されるなら、目を覆いたくなる被害になると想像できる。
首都直下地震では、被害拡大の大きな原因のひとつに東京にありがちな木造家屋密集地域がある。
木造密集地地域が倒壊+火災で壊滅する可能性があるわけでしょ。300万世帯くらい。
東京都のページにはその死傷者の推計も書いてある。だけど、生き残った人の生活再建が十分に書かれていないのがかなり不安だ。
試しに荒川区など、一次避難所のリストを開いてみてみると、ほぼ半数以上が多数の木造家屋密集地域に点在する小中学校だ。
これでは、関東大震災の二の舞だ。取り急ぎの家財道具を抱えて当時空き地だった陸軍被服廠に逃げ込んで火災旋風に巻き込まれて3万8千人が犠牲になったのが関東大震災の悲劇。これを繰り返すのではなかろうか。
またトイレも水も十分にない一次避難所など都会の利便性に慣れ切った東京の人間には一時間も滞在できないだろう。
いるだけで苦痛以外の何物でもないだろうから、速攻で二次避難を各々考え始めることになる。
しかし、自治体の二次避難についてみてみると、さらに想定が乏しい。
例えばさきほどチェックした荒川区。域外避難の文字はなく、そもそも二次避難対象者は要介護者、障碍者など一般的にイメージされる災害弱者のみだ。
東京都の想定は域外避難がきちんと想定されていないなど近隣県との協力体制が希薄だと感じる。
恐らく一次避難所が火災で最悪な結果になった場合、二次避難所が果たすべき役割は物量としても質的にも格段に大きい。その受け皿は想定されていそうにない。
つまり一般の市民は一次避難所で命拾いをしたあとは自活を迫られる。仮に二次避難所が一般市民向けに拡充したとしても遅かれ早かれ追い出されるのも間違いない。
さらに、一次、二次避難とすすみ、次の復旧のステップとしては仮設住宅だ。輪島でも仮設住宅をつくる場所が今後の喫緊の課題となっているが場所があまりないのがネックだ。
東京都の文書をみても木造家屋密集地域が焼け出されたあとに、大量にあふれ出る難民と化した都民の仮住まいの場所をいったいどこに設けようとしているのかさっぱりわからない。まさかほんとに公助ってこれくらいしか想定していないのかと思うが、恐らくそうなのだろう。
https://tokyo-bosai-dev.web.app/chart/
そして、遅かれ早かれ二次避難所はキャパオーバーになって出ていけ、という話になり、あとは自分で「自助で」住まいを探してください、防災は自助共助ですよ、わかってますね、てなことに結果としてなる。そのとき、人々は数日東京の電車が止まったくらいで帰宅困難者気どりをしていた時代を懐かしく思い出すかもしれない。
運よくたどり着けた仮設とて通常は期限は一年間だ。案外、印西や成田あたりの限界ニュータウン化した郊外の住宅地が空き地が多いことが功を奏したり、震災の被害を免れているかもしれない。そうすれば復興住宅が今まで忘れ去れたような地域にバンバンと建ち始める、ということもありえなくはない。
東京が住めなくなったら、ほんと、どこに住もうかな。
アホだろ。暗数加味したら安全側で評価している(=再犯率を高めで見積もっている)ことがわかるだろ。
元増田が引用した「犯歴等から見た日本における再犯者の実態とその対策の在り方」の元データはH27の犯罪白書で、そこでは再犯率を下記のように定義している。
(再犯率)= (再犯を行った者の数)/(再犯調査対象者の数)
※再犯調査対象者について,その再犯率(再犯を行った者の比率をいう。以下この節において同じ。)
https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/62/nfm/n62_2_6_4_4_1.html
https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/62/nfm/n62_2_6_4_4_2.html
(再犯):罰金以上の刑で再び有罪の裁判を受けて裁判が確定した事件をいい,その事件の犯行日が調査対象事件の裁判確定日以前の事件,調査対象事件により実刑に処せられた者がその服役中に犯した事件並びに自動車運転過失致死傷等及び交通法令違反による事件を除く。
(全対象者):性犯罪を含む事件で懲役刑の有罪判決を受け,平成20年7月1日から21年6月30日までの間に,裁判が確定した者1,791人
(調査対象事件):全ての対象者(以下この章において「全対象者」という。)について,裁判が確定した事件(以下この章において「調査対象事件」という。)
(再犯調査対象者):調査対象事件の裁判確定から5年が経過した時点において服役中の者及び服役中に死亡した者を除いた1,484人
①暗数のうち被害者の泣き寝入り分は、性犯罪の再犯率について、分母・分子ともに同様に掛かってくるので相殺される(一般に暗数はハインリッヒの法則のような比例按分で求める)
ただし、下記の②③④の理由から、暗数を考慮した場合再犯率は低い方に動く(現状が過大評価)
一応ネタバレ注意で。
アニメが第2話にして止め絵が気になるレベルになってしまった。
二人静が登場して初の本格戦闘シーンなのに動きもよろしくない。
ピンチで緊迫しているシーンなのに主人公陣営の行動が間延びしてるし、
念動力使いが何か革ジャン紫髪M字ハゲのとんでもないゴブリン顔になってるし。あの人、確か金髪オールバックのイケメンじゃなかったっけ? そこ変える意味ある? 佐々木が位置を特定した経緯も省かれてるし。
ブリーフィングの時の対象者リストに最初から二人静入ってるから、「思ってたより敵が強い」になる理由もわからなくなってるし。
原作から微改変されている部分(雷撃魔法がほぼ誰にも当たってない。二人静にも掠った程度)のせいで、その後の交渉に説得力が無くなっているし。
原作がやたらとテンポ良く次から次とイベントが起きるからカットシーンが多くなるのは仕方ないにせよ、
そこで描写変える意味はあったんだろうか? 重傷からの超再生まで描写すると時間足りなくなるからほぼ無傷にしたとか?
それにしては、原作ではほぼ存在しているだけのチャラ隊員のセリフが増えてたり、チャラ隊員やモブ隊員が右往左往するだけのどうでも良いシーンが増えてるんだが。要らんだろ・・・。
声優は大体イメージ通りで頑張っているだけに、止め絵と展開省略(と妙な改変)で損してるのが勿体無いなあ。
まあ原作を思い返しても、なかなか「良い区切り」というものがなく次から次と(しかも並行して)出来事が進行する作品だから、1クールでどこまで進めてどこを削るのかわからんけど、
このままだと魔法少女やお隣さんはなぜ出てきたのかわからんレベルの扱いになってしまいそうな予感が。ただでさえ活躍始めるの遅いのに。
少々先行きが不安になってきた。
理由は分からないけど個人的になぜかどっちがどっちか混同しちゃうブクマカを挙げます。
一応書いておきますが、対象者に対する私の好き嫌いや主張への賛否とは無関係です。
・whkrさんとwuzukiさん
・wackunnpapaさんとwashburn1975さん
・zyzyさんとgrdgsさん
・oka_mailerさんとbrain_ownerさん
・nanaminoさんとlegnumさん
・Midasさんとryokusai(小文字でしたすみません)さん
・quick_pastさんとwhite_roseさん
・hate_flagさんとhisa_inoさん
ここで区別できるよ!といったアドバイスがあったらお願いします。
また、ご本人からの「ここが違うだろ!」とか「同一人物ですが?」などの突っ込みも大歓迎です。
(名前出されて不快だ!とかあんな奴と一緒にするな!というお怒りには先にお詫びします🙇♂️🙇🙇♀️)
by-kingさんもリストアップしてたんですが「似てる棒人間の人」のIDが思い出せませんでした