はてなキーワード: 竹中平蔵とは
ただ、あれだけ大勝すると言う事は期待してる人は多いのか、それとも消去法で自民党よりはましって考えてるのか、まぁ駄目もとで政権交代という歴史的転換に夢を見ようとしてるのか
単に「自民党への恨みを晴らしたい」ってことだと思う。
経済学うんぬんやらの話はともかくとして、平均的日本人の共通認識として
「小泉純一郎と竹中平蔵が、日本を、庶民を苦しめて金持ちを優遇するだけの奴隷社会にした」
っていうのがあるんじゃないかと思うんだよね。実際問題小泉と竹中の功績はどうだったかって問題じゃなくて、
派遣労働法を思い切り規制緩和して、そのせいで庶民が苦しんでいるところで、
その元凶になった人間がその元凶になった企業の会長になっているっていったい何の冗談か、
っていうイメージはおそらく否定しがたい。
(http://anond.hatelabo.jp/20090811213044 の没にした段落をここに捨てときます。)
例えば自民党であれば、宮沢喜一さんや、すっかり悪者扱いされているが竹中平蔵さんのように、専門性の高い議員がいくらかはいたと思うのだけれども、民主党ってそういう切れ者の印象を与える専門家があまり表に出てこないように思う。実は「はとぽっぽ」はバリバリの工学系だったはずなんだけど、少なくともマスコミ経由で見える範囲では、「あっちの世界にいっちゃった」っぽいしなぁ。
専門家って言えそうなのは、議員をざっと北から120人ぐらいしか見てないけど、横山さん(お、教授か)、石山さん(理研出身)、すとうさん(博士号持ってんのかな)、えばたさん(MITのMBAってどうなんだろう)、東さん(博士号持ってんのかな)、長島さん(よくわかんないけど)。6人! 少なすぎる! もちろん自民と比較したわけじゃないけど。さらに、党の中で重用されているかというと‥‥‥ね。
なぜ竹中平蔵だけ悪者にされているのか全くわからん。
わかりやすい敵として、スケープゴートとして、竹中が選ばれているとしか思えない。
誰がスケープゴートして竹中を選んでいるかってマスコミなんだけどね。
構造改革に賛成していたマスコミが、今度はかつての英雄に対して鬼の首を取ったかのように報道する。
ここには共犯関係にあったマスコミの自戒がこめられているのかもしれないが、やはり何かを見落としているとしか思えない。
構造改革を国民の代表者として指揮した小泉だって取材できるはずなのに、後々の関係を気にしてか竹中に比べれば全く報道がない。
http://anond.hatelabo.jp/20081223235800 の続き。
(G-3面左上)
「総裁、私は量的緩和を拡大すべきではないと思います。効果が見込めません」
2003年秋、日銀総裁室。金融政策担当理事の白川方明が、総裁の福井俊彦にそう直言すると、居合わせた数人の幹部に緊張が走った。
「量的緩和に一定の効果はある」。福井は首を縦にふらなかった。
量的緩和政策は、01年、福井の前任の総裁、速水優の時代に導入された。金利を目標に政策を行うのではなく、民間銀行が日銀の当座預金に置いている「資金量」を目標にする政策に切り替えたのだ。
ゼロ金利に戻る中での窮余の策ではあった。ただ、資金量をじゃぶじゃぶにすれば、民間への融資に回ったり、株式などへの投資に回ったりして、経済が活性化するのではないか。そんな期待も背負っていた。
当初の5兆円の目標を段階的に引き上げ、03年に福井が総裁に就任したときには15〜20兆円に膨らんでいた。
白川も、量的緩和に全く効果がないと思っていたわけではない。市場に潤沢に資金が供給されることで、市場に安心感は広がる。しばらく金利引き上げがないという判断から長期金利が下がる効果も見込んでいた。
ただ、01年以降の結果を分析したところ、量的緩和の拡大が直接、株価を上昇させたり、経済の需要を増したりする効果は乏しいと判断した。
「福井総裁は『多少でも効果があるなら、あると言って続けたほうが経済にとって良い』という考え。白川理事は『効果がたいして期待できないのなら、効果があると言い張るのは、ごまかしに近い』と思う。2人の哲学の違いだった」
経済論壇では、もっと根源的で、いまなお決着がつかない二つの考え方の対立がある。
学習院大経済学部長の岩田規久男は「日銀は、ゼロ金利も量的緩和政策も解除すべきではなかった。デフレ(物価の持続的下落)基調は続いており、ゼロ金利に戻すべきだ」と話す。
岩田は、デフレ脱却を提唱する「リフレ派」の代表的な論者として知られ、日銀を激しく批判してきた。デフレ下では、借金をしている企業や個人の負担が重くなったり、人々が価格の下落を待つためにモノを買い控えたりして、経済そのものに大きな打撃を与える、とみる。
「リフレ派」の多くは、バブル崩壊後の不況の大きな原因がデフレにあるとみて、日銀が1〜3%程度の「インフレ目標」を掲げるよう唱えてきた。海外ではこうした目標を採用している国も多く、FRBの議長になったバーナンキを含め、米国の経済学界でも主流だった。小泉政権で閣僚を務めた竹中平蔵や、量的緩和政策をいち早く提唱した元日銀審議委員の中原伸之も、インフレ目標の導入を訴えてきた。
一方、白川ら日銀の多数派はインフレ目標に否定的で、金融政策は、景気全体や地価や株価などの動向も含めて判断すべきとの立場だ。デフレは、資産バブルの崩壊に伴う長期不況の結果であって、デフレが緩やかなペースにとどまる限りは経済に悪影響を与えないとの考えに立つ。
白川と岩田はともに、東大経済学部教授だった小宮隆太郎の門下生である。小宮が02年に編集した本で、2人の弟子はそれぞれ鋭く対立する立場から議論を展開した。
「危機なのだから、一刻も早くゼロ金利の復活を」と主張する「リフレ派」に対し、「日銀派」はゼロ金利や量的緩和に否定的だ。
「日本の超低金利で、米国などに資金が流れ込んだ。世界的バブルの2割ぐらいの責任がある」と日銀の元理事は言う。「リフレ派」の言い分を聞いていたら、バブルは加速し、崩壊のダメージはさらに大きかったとみる。むしろ、もっと早く金利を上げるべきだったという意見が、「日銀派」の中には根強い。■
政府もとうとう景気の悪化を認めた中で、景気回復のために何すりゃいいの?ということで、大まかに次のグループがある。
政府がどんどん公共事業をやり、(その乗数効果で)消費を刺激して景気を良くしようという立場。麻生幹事長や中川昭一がこの一派。
国の借金を減らすことが最優先で、消費税増税もやむなしという立場。与謝野経済財政大臣や谷垣禎一がこの一派。
構造改革で企業の競争力を強くして、高い経済成長を実現しようという立場。中川秀直や竹中平蔵がこの一派。
このあたりがニュースなどで良く出てくる構図だが、実はもう一つ無視できないグループがある。”大きな誤り”の始まりの増田のような主張をする一派である。これを「リフレ派」という。
リフレ派の主張は、”大きな誤り”の始まりに書いてあるとおりだが、わかりにくいのでポイントだけ簡単に書くと、
というものだ。「あえてインフレを作り出す」のを目指すことから、「インフレターゲット(目標)政策」とも呼ばれている。
結論から書くと、“理論的には”正しい、ということになるだろう。まず、確かにデフレは物価が安くなって(゜Д゜)ウマーという面もあるが、物を作っている企業にしてみればコストを下げるために人件費を切り詰めないといけない。そうすると、人々の給料が減って、物は売れなくなり、経済活動は落ち込んでいく。だから、インフレを起こせばいいというのは自然な発想だ。
次に、インフレを作り出すために日銀がお金の量を増やすという点だが、普通なら日銀は金利を下げればインフレにもっていくことができる。しかし、今は超低金利でこれ以上下げようがないので、お金の量を増やすという手しか残っていない。
じゃあなぜ日銀はこの政策をとらないの?ということになるが、実はこのようなリフレ派の主張には、「本当にインフレを起こせるのか?」という問題がある。「インフレを作り出せば景気が回復する」という主張は、「日本にシリコンバレーを作れば産業が活性化する」という主張と変わらないからだ。「で、どうやって作るの?」というツッコミが入るのである。
上に書いたように、リフレ派は日銀がお金の量を増やすことでインフレを作るというが、すでに日銀は自ら直接増やせるお金(ベースマネー)の量を増やしているのに、市場全体で流れるお金(マネーサプライ)の量はあまり増えていない。「日銀がインフレにすると言えばみんなが期待するから結果としてそうなるんだ」という楽観論もあるが、これも「メダル獲ります」と宣言したからといってメダルが獲れるわけではないのと同じだ。
そんな中で、ひょっとしたらインフレが作り出せるかもしれない方法は、ばらまき派と手を組むことだ。大規模なばらまきをやるために大量に国債を発行して、その国債を日銀が引き受ければ、インフレになるかもしれない。
ところが奇妙なことに、リフレ派はばらまき派との関係になると口を閉ざす。それどころか、「ばらまき派の言うことは間違いで、リフレ派こそ正しい」というちぐはぐな主張すらしたりする。
リフレ派の人々(×リフレ政策)のおかしいところは、その孤高性にある。特に、構造改革派の主張に対する嫌悪感は、”大きな誤り”の始まりによく表れている。実際には、構造改革派の中川(女)や竹中、そのブレーンの高橋洋一などはリフレ政策に理解を示しているが、なぜかネット上のリフレ派は構造改革に異常なほどの敵意をむき出しにしている。
おまけに、リフレ派は自らの主張の正しさをわかりやすくアピールする努力をしていないように思える。むしろ、あえてそうしないのかもしれない。構造改革派を中心とする他の一派をdisることで、「難しい金融政策がわかってるリフレ派の俺たちって、ちょっと高い所にいるよね」と限られた仲間内で結束を確認しあっているように見える。この態度が、リフレ派が全く世間に浸透しない原因の一つになっているのではないか。
経済規模も国力も余りにも違いすぎるジンバブエでは比較になりませんし、そもそもハイパーインフレなど現在の福田政権の状況で
実行可能でしょうか?小泉政権が人気絶頂の頃、低いインフレ状態にしたほうが景気浮揚策になるのではないかということで、
竹中平蔵大臣(当時)を中心にインフレターゲット論が本気に政府で論じられましたが、諸方からの反対により
それすら出来ませんでした。
ましてや支持率の低い福田政権でハイパーインフレなど、出来るとは思えませんね。
あと、ムガベと福田首相では持っている権力に差異がありすぎます。福田首相は独裁者とは到底いえませんし、日本の場合権力が
「官僚国家の崩壊」っていう最近出した本の中にも、官僚機構などにネットワークをはる複合体の人脈を「ステルス複合体」と呼び、その「本尊」は学歴による優越意識に基づく大学同窓などの見えざるネットワークであり、たとえば、東京大学法学部出身者を核とするエリート人脈である、と書いている。
http://d.hatena.ne.jp/yumyum2/20080529/p5
<官僚国家>を牛耳る<ステルス複合体>の得意ワザはズル、ウソ、ゴマカシ。<医療>改革を<健保>問題にスリカエた。元財務大臣の塩川正十郎が「財政の都合ばかりを優先、人間味に欠ける」と批判、元総務会長の堀内光雄が「年寄りは死ねというのか」と「文藝春秋」6月号に寄稿。当然だ。
元自民党幹事長の中川秀直、近著「官僚国家の崩壊」(講談社)で「(ステルス複合体は)学歴(東大法)に基づく自らの身分に誇りを共有する。官僚機構、日銀、経済界、学界、マスコミなど、あらゆるところに巨大なネットワークを張る。この同質的人脈が『空気』をつくり、政策の『相場感』をつくっていく。彼らの醸し出す空気と相場感に反するものは『異端』扱いされるか、無視され、あらゆるエリート層に、予定調和的な言動を強いて、同質化圧力を加えていく」(23頁)と書く。日本を牛耳り、食いモノにしている。
「『ステルス複合体』に政策を任せると、日本は必ずや『日沈む国』となる」(中川・24頁)。
「小泉内閣以来、自民党が進めてきた改革の本質は何か。基本的な図式はよく言われるように、『霞ヶ関対永田町』である。官僚によって、役人天国が形成され、今や、官僚が国政を操り、国を私物化しているという批判は、ある意味で正しい。官僚主導を本来の政治主導に戻し、国民のための政治に戻さなければならない」(舛添要一「霞ヶ関VS永田町」講談社・2頁)。参院政審会長2007年5月の刊行。正論だ。中川秀直も火山も同意見。
http://blogs.yahoo.co.jp/kome_1937/54679415.html
その中川氏は日本が東大法学部を中心とするエリート官僚たちに巧妙に支配されており、政治が官僚をコントロールできていないことが、日本の改革が進まない最大の要因であると主張し、改革に反対するエリート官僚たちを厳しく批判する。選挙の洗礼を受ける政治家は、政策の失敗に対して責任を追及されるが、官僚たちは、匿名のまま、政策を作成し、それが失敗に終わっても、結果責任をとることもない。政治家がいくら改革の旗を振ろうが、最大の既得権益者であるステルス複合体が改革を許すはずがない。彼らは官界を越えて、産業界、学界、マスコミまでを網羅した東大法学部人脈を通じて、相互に補完し合いながら、自分たちの力の保全を図っている。これが中川氏が日本の最大のガンになっていると断罪するステルス複合体の実態だ。
http://www.videonews.com/on-demand/371380/001321.php
ステルス複合体とは
「東大法学部を中心とするエリート官僚たちが、官界を越えて、産業界、学界、マスコミまでを網羅した東大法学部人脈を通じて、相互に補完し合いながら、自分たちの力の保全を図っている集団」
の事を差すようです。
私見ではそのようなゆるやかな連携は存在すると思います。しかし、本当に「ステルス複合体」が「抵抗勢力」なのでしょうか?そもそも、「新自由主義の導入=改革」に抵抗するのは国民国家の利益を考えると穏当な場合もあり得るわけです。
確かに、官製不況なる言葉に表されるように、近年は所轄官庁が所轄官庁であり続けるための政策が実行されて、民業の足をひっぱるような事態も起きています。また、膨大な公債が積み上がり、国家の財政事情は悪化しています。公務員給与総額を減らさねば、国家破産は避けがたい状況です。よって、キャリア官僚制度の弊害は存在することは間違いありません。
しかし、小泉純一郎こそが、財務省の族議員であり、なおかつアメリカの利益を代弁する外資族議員です。旧大蔵省理財局は財政投融資を通じて毀損しまくった郵貯・簡保を総務省(旧郵政省)に返し、なおかつアメリカに売り渡すことにより責任を逃れようとしています。その片棒を担いだのが小泉純一郎・竹中平蔵です。後期高齢者医療制度を導入したのは当の小泉純一郎です。後期高齢者医療制度の本質は竹中平蔵の言うところの「人頭税」の制度導入に他なりません。
結論から先に申し上げれば、殲滅すべきはステルス複合体ではなくて、清和政策研究会です。「官僚は政治にそよぐ葦」であり、昨今の悪政の源泉は売米政治を続ける清和政策研究会にあります。
http://wanwanlapper.seesaa.net/article/99881325.html
418 :名無しさん@3周年:2008/06/27(金) 02:06:05 ID:FVsDlK8i
http://money6.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1145095961/418
2008.06.11 とんだ食わせ物!中川秀直著『官僚国家の崩壊』
暴論珍説メモ (38)
田畑光永 (ジャーナリスト)
しばらく前、自民党の大島理森国会対策委員長がテレビで「ねじれの丘」というのを歌って見せた。「今日も昨日もねじれの丘で・・・」と。
そう、今年の通常国会は初めからお終いまで(まだ終っていないが)、確かにねじれねじれで明け暮れた。自民党は要所で例の「三分の二」条項を使い、それではせっかく昨夏の参院選で大勝した甲斐がないと民主党は福田首相への問責決議案を出そうとしつつも、その後の見通しが立たずに逡巡しつつ日を過ごしてきた。いよいよ今日明日中に出すとか言っているが、さて土壇場でどうなるか、あの党のことだからなんともいえない。
ではあっても、国民からすれば、なんでも自民党の思い通りにはいかなくなったという意味で、去年、自民党を敗北させただけのことはあったのだが、駆け引きばかりが表に出て、国政を論ずるという点では「政治不在」という印象を免れなかった。
ところが、ここへ来て自民党内にいささか波風が立ってきたらしい。4日、総裁派閥の町村派で代表世話人を務める中川秀直元幹事長を囲む「中川勉強会(仮称)」が発足したというのである。現職総裁を擁する派閥はなるべく低姿勢を保って、総裁の任期を全うさせることに意を用いるというのが常識なのに、その総裁派閥の中で派中に派を作るような動きは異例である。
だから早速翌5日、同派の最高顧問である森喜朗元首相は派閥の総会で、「福田さんが今にも代わるのではないかと予測したような動きは、誰もしていないはずだ。我が派がいちばんやっちゃいけないことだ」(6日『朝日』)と苦言を呈したという。もっともである。
年金の騒ぎが収まらないうちに、後期高齢者医療保険でまたまた国民を怒らせてしまった自民党は、民主党の衆議院解散要求をなんとかしのいで風向きの変わるのを待つしかないというのが現状だが、すくなくとも「福田では選挙は戦えない」というのはコンセンサスになりつつある。といっても今の衆院議員の任期は来年の9月まで。あと1年ちょっとしかない。それまでに福田総裁の後釜を仕立てるとなると、すでに手を挙げている麻生太郎前幹事長がタナボタということになりかねない。
そんなにやすやすと政権をくれてやるわけにはいかないというのが、現職総裁派閥に身を置きながら、派中派をつくるという異例の行動に出た中川氏の胸中であろう。4日の初会合には同派の議員33人が出席し、そのほか秘書20人の代理主席(雲行きを見て参加しようという議員)があったという。相当な数である。
中川氏といえば、2000年に小渕首相が病に倒れた後に発足した森内閣で官房長官に就任したが、女性スキャンダルで無念の辞任に追い込まれたことは記憶に新しい(でしょ?)。それ以来、政府の役職にはつけず、もっぱら党で国対委員長、政調会長、幹事長を歴任してきたわけだが、謹慎ももういいだろうと表舞台に立つ決意をしたようだ。
その中川氏、最近「官僚国家の崩壊」という新著を出した。政治家が本を出すのは野心がある時が多い。安倍前首相が総裁選前に「美しい国へ」を出し、麻生氏が「とてつもない日本」を出した。中川氏のこの本も氏の政権取りへの信号弾なのであろう。
読んでみた。実は読み通すのが苦痛だった。題名のとおりわが国の官僚が政治家を手玉にとって政治を動かし、自分たちの既得権益にしがみつくのを痛罵している。防衛省、厚労省、国交省、財務省などなど、事務次官のゴルフ漬けから職員の居酒屋タクシーまで、お役人たちのすることに腹を立てていない人はいないはずだから、官僚を痛罵するのはいい。しかし、なんとも中身がうすいのである。
日本をウラで操る「ステルス複合体」などという新語を作って売り込んでいるのだが、話はあっちへ飛び、こっちへ飛びで、付き合うのに骨が折れる。しかも論旨はなはだ粗雑である。
例えば、自民党内には党人派と官僚派というグループ分けがあるが、現在は福田赳夫(現福田首相の父)以来の清和会の総理が四代(森、小泉、安倍、福田)続いているが、著者は「日本の順風の時代を担うのが官僚派であり、逆風の時代を担うのが党人派だ」とのべ、いかにも自分たちが今の日本を背負う党人派だと言いたげである。しかも、それ以前の党人派政権となると20年以上も昔の、1978年に退陣した福田(赳夫)政権までさかのぼらなければ存在しなかったと言い、「2000年の森政権の誕生は実に20年ぶりの政権交代であった」とまで言う。
こんな出鱈目な話はない。福田赳夫という人は大蔵省(当時)の主計局長まで務めた官僚中の官僚であり、その福田内閣の後に登場してきた自民党の歴代首相の大半、すなわち鈴木(善)、中曽根、竹下、宇野、海部、橋本(竜)、小渕の各氏はすべて党人である。官僚出身は大平、宮沢の二人しかいない。鈴木から小渕にいたるまでの各氏は、自身は党人でも官僚に牛耳られていたから「官僚派政権」だというなら、それはそれできちんと分析して見せるのがモノを書くということである。
もう一つ挙げよう。著者は道州制の支持者だそうだが、道州制を導入すれば国と地方の公務員が大幅に減るとして、現在の国家公務員30万人、都道府県公務員35万人、市町村公務員105万人、合計170万人が、それぞれ10万人、15万人、基礎自治体20万人の合計45万人になるという図表を大きく掲げている(257頁)。公務員がざっと4分の1になるというのだから、国民としては耳寄りな話である。しかし、この図表についての説明は1行もない。見落としたかと思って探してみたが、どこにもない。こんなものが本といえるか!
よく知られているように、中川氏は官僚の無駄遣いをやめさせ、なによりも経済を成長させることができれば、それによって消費税は上げなくてもやっていけるという立場である。消費税の値上げは避けて通れないとする「財政再建派」、とりわけその代表格である与謝野馨氏と対立している。前著「上げ潮の時代」以来、消費税値上げ不要論が中川氏の売りである。
本書でも中川氏は従来の主張を繰り返し、竹中平蔵氏の市場メカニズムによる改革路線を
大いに持ち上げて、その継承を打ち出している。それは考え方であるから、私には異論があるが、それはここでは述べない。私があえてこの本を取り上げたのは、日本の指導者たらんとする人間がその主張を書物という形で公にすることは大いに称揚したいのだが、それにしてはあまりにおざなりなものを持ち出してくるその傲慢さが腹に据えかねるからだ。
街頭演説や反対党との討論やテレビ番組では十分に考えを説明できないから本を書いてとことん説明するというのなら大いに歓迎だが、大衆にはいい加減なことを言っておけばいい、どうせ細かいことはわからないのだから、箔をつけるために本を出すという人をばかにした態度は許せない。そんな御託につきあう暇はないのだ。
中川氏の本だけを取り上げるのは不公平だから、次回はライバルとされる与謝野氏の新著「堂々たる政治」を紹介することにしよう。
http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-370.html
注
ステルス(Stealth)とは、軍用機、軍艦、戦闘車両等の兵器をレーダー等のセンサー類から探知され難くする為の軍事技術の総称。
単にそれらの技術を取り入れて開発された兵器を指してステルスと呼ぶ事もある。「ステルス性」という言葉は「ある兵器がセンサー類からどの程度探知され難いか」という事を相対的に表す。ステルスの本来の意味は「こっそりとする」「隠れる」である。
◆「財務省の陰謀だ」という小見出しに目が止まった。読売新聞の12月22日付朝刊「総合面」(3面)である。「政権に痛手」と大きな横見出しが、事態の深刻さを知らせている。政府税制調査会の本間正明会長辞任の舞台裏から見た解説記事でもある。今回の本間会長辞任劇は、安倍政権の基盤がいかに脆弱(税弱でない)かを国民の目にさらけ出した。同時に、東大法学部の牙城である「財務省官僚群」が安倍政権を支持せず、反対に根底から脅かし、「意地悪」していることも白日の下に炙り出された。
◆慶応大学法学部出身の小泉前首相のときもそうであったが、成蹊大学法学部出身の安倍首相も、「東大閥」といっても、正確には「東大法学部閥」(同じ東大卒でも経済学部や文学部、教養学部などは、法学部から見れば亜流の雑魚にすぎない)が支持する対象ではない。逆に言えば、だからこそ、小泉前首相は、一橋大学卒の竹中平蔵前総務相やその師匠でもある大阪大学の本間正明会長など「亜流学者」を重用せざるを得なかったのである。
竹中前総務相は、アメリカの最大財閥・ロックフェラーの「本家」を名乗ってブッシュ政権を支えている「デイビッド・ロックフェラー」(シティグループ、エクソン・モービルのオーナー)の子分であるハーバート元大統領経済諮問委員会委員長に食い込み、その人脈を武器に小泉前首相の懐に飛び込んだ実に要領のいい人物である。
◆東大法学部閥にして見れば、国家最高指導者である首相が、「私学出」であることに、まず我慢がならない。それに加えて、旧帝大ではない一橋大学(前身は、東京商科大学)や大阪大学くんだりからやってきた「どこの馬の骨とも知れない胡散臭い御用学者」が、最高権力者の虎の威を借りて肩で風を切って闊歩する姿も許しがたいのである。
大企業にしても、大報道機関にしても、同じ仲間ではあっても、「東京閥」は、大阪や名古屋などから「上京」してきた者を排除したり、冷遇したりする傾向がある。「テリトリー」を「亜流」に侵されたくないという心理が働くのである。
本間会長も大変迂闊であった。まさに「敵陣」に乗り込むような立場であるはずだったのに無用心にも、敵生がわんさと住んでいる「国家公務員宿舎」をあてがわれて、「高級官僚」にでもなったように悦に入っていたのが、命取りとなった。「愛人問題」は、プライバシーに属する問題であり、別宅にでも囲っていればよかったのである。まだ、自らの止り木は、「貧家」を選ぶべきであった。
◆家柄がいいとか、育ちがいいからとか、父祖の恵沢を受けているからとか、はたまた大金持ちだからとか言うだけでは、政権を維持することはできない。安倍首相が、東大法学部閥から支持を得て安定政権を築くには、安倍首相自身が、東大法学部に学士入学して卒業し直すしかない。もう一度、平沢勝栄衆議院議員を家庭教師に雇い、モノサシで頭をコンコンと叩かれて、しごかれるしかなさそうである。さもなくば、学習塾経営者出身の下村博文官房副長官に泣きついて、「博文館」で猛勉強するもの妙案である。