はてなキーワード: 砂場とは
ネット止めたい。意志の弱い僕にとっては、時間ばかりを奪う時間泥棒だから。
ブログやりたい。自己顕示欲の強い僕にとっては、最適な砂場だから。
ブクマ見たくない。ゴシップ的なものが好きな僕にとっては、興味深すぎるけれど、精神的に毒すぎる。
ホッテントリ読みたい。悪い意味でマジョリティな僕にとっては、「みんなが見ている」ものは見て絶対に損がない。
ニコ動観たくない。空気が読めない僕にとっては、無邪気でえげつないニコ動の空気は阿片じみてて恐ろしい。
面白い動画を観たい。子供のように物を知らない僕にとっては、未知の世界の映像とは、観るだけで胸がときめくものなのだ。
読みたいものだけ読んで、観たいものだけ観て、書きたいものだけ書いて、それで充実してなおかつ他のこと(部屋の掃除や友人との電話や自己研鑽)ができるような、そんな僕にとって都合のいいネット術はないだろうか。
増田さんなんか知りません?
元増田が言及しているが、
猫に萌えという言葉が用いられており、それが「ねこかわいいよねこ」的な認識でもって普通のヲタどもが受容している以上、
萌える、という行為は性欲からは切り離されていると考えて相違ない。
公園の砂場で男児と女児が一緒に砂の山を作って遊んでいるとき、
男児「で。。。できた。。。えいっ、ふ−。ここにトンネルほろー?」
女児「いややー、そんなんよりもウチなー、これてーぶるにしたいねん」
男児「えー(しょぼくれる)」
女児「そいでな、ウチおくさんやるねん」
男児「おままごと?」
女児「ちゃうん、○○ちゃんのおくさんやるねん。だいじにしてな」
男児「///」
とかいう様をみるときにきゅうんと胸がどこか締め付けられるような感じを得るのであり、
そしてそれこそが萌えなのではないか、性欲だとか、ちんこたつだとか、そんなことではなく、ただこの胸の締め付け感こそが萌えではないか、と思うのであります。
「海の向こうでは今『せんそう』(湾岸戦争)が起こってます。
なんで人は殺し合うんでしょうね・・・」
というようなことを言ったのがそれで、その時はとにかく
「遠くで何やらすごく恐ろしいことが起こってるんだ・・・。」
くらいにしか感じなかった。
「平和そのものの天気」と「遠くにあるおそろしいもの」がひどく対照的で違和感を感じた。
父はある日「すごいお土産だぞ」と、
灰色でかわいくて格好いい形をした機械を持ってきた。
あの頃、飛行機を巧く操縦できる奴は神だと思った。
機体を傾け、緑の輪をくぐる。静かな着地。
少し経ち、マリオカートやぷよぷよを持った友達の家に皆が遊びに行くようになる。
スト2はみんな持ってた。↓R↑LYBXA。
おれらはもっぱら「ファミコン」。
もう、昔何やってたなんてそのくらいしか思い出せない。
信号機を自在に操れる熊の親父とか。
クラスで元気のいい女子が「スナックがかっこいい」だの同級生を
テレビでは米不足米不足うるさかった。
小3か小4の頃。そーりだいじんは
「名前の読みにくい徳川家康の子孫」や「眉毛ぼーぼーの爺さん」で、
なんとなく面白く感じていた気がする。
暗闇の中、ベッドから飛び起きて「何事か」と
この頃の記憶は割とある。
「バブルが・・・」「バブルのせいで・・・」と大人がよく言っていた。
なんか今苦しんでる(ように大人が見える)原因のようなものなのかなあ、
と漠然とした理解しかなかった。
バブルなんかよりも目先のジーンダイバーとか恐竜惑星の方が重要だった。
フルハウスとかアルフの方が大切だった。
横取り40万とか嘘つき四択とかヤングチームとかNGワードとかの方が
自分で自分を褒めたいアトランタオリンピックはよくわからんまま終わった。
男子は全員ポケモン。「ミュウの出し方分かった・・・!!!」と、
どこかで聞いた情報を興奮気味に話す奴とか。
ペラペラのキャラがラップするゲームをやっていてすごくおしゃれに見えた。
6年時、その「機械」を持っていること自体がある種のステータスだった。
田舎だったから特に。
余談だが、「1984年度」生まれは1991年=小1、1992年=小2、
と一の位が学年なので西暦を言われると何年生だったかがすぐ分かって便利。
そして俺たちは人生の中で最もださく恥ずかしい時代を迎えた。
例のあれの時は「赤い実はじけた」中1だったが
「あんたと年が近いのにあんな残酷なことするなんてねえ・・・怖い時代だねえ」
なんてよく大人から言われた。一方おれらは、
ナイフで生きた屍を切り裂いたり脳天をショットガンで撃ち抜くことに夢中だった。
気が付けばクラスの男子のほとんどがあの「うすっぺらでCDを入れて遊ぶ機械」を持っていた。
一時期、どこでも買えなくてイライラしていた。
一番強かった奴(モンスター系統図の完全な情報を持っている奴)は
と言われていて羨ましかった。学校では出来なかった。
ていうか誰もパソコンなんて持ってなかった。
グレイとかラルクとか、「なんとなく格好いい」ものが増えてきた。
あの日までカウントダウンしておびえていた。
結局あの日(月)はなにもなかった。
地域振興券使わしてくれ使わしてくれとずっと言っていた。
卒業間近、学校で「インターネット(PC)」の学習をするための教室が出来た。
家のボロパソがメモリ64MBだったからか「超」最先端に感じた。
数回しかなった情報の授業中、
好きなバンドを検索すると掲示板のようなものが結果の上位に出てきたのでクリックした。
口汚く罵倒されていて身が震えて泣きそうになった。
ハンドルネームを誰もいれていないのが非常に不気味だった。
俺たちは何かを得たし、間違いなく楽しく生きていた。
ミレニアムだの新世紀だので盛り上がっていたころからだ。
どこに行ってもカチカチやってる奴が増えたのは。
最初、ちらほらと増えていく「カチカチ病」に違和感を持っていたが
田舎なのに、7??8割は所持していた様に思う。
auじゃないやつが心底羨ましかった。
小遣いが多かったのか料金親持ちだったのか知らんが、
docomoってだけで「裕福な家庭死ね」なんて思ったものだ。
高2の運動会前日。遠くで何やらすごく恐ろしいことが起こってるようだった。
開会式でも全くふれなかったのが今思うと印象的だった。
「CDを小さいデータに変換してパソコンにたくさん詰めこんで、
ということを説明するのは当時、骨が折れた(今もあまり変わってない気がするが・・・w)。
マッキントッシュを作っている会社が白色でかわいくて格好いい形をした機械を世に出した。
全く流行らなかったし、説明しても誰も興味を持ってくれなかった。
「MDの方が格好いい」「“えむぴーさん”だっけ?オタクくさいね」
なんて言われたり。俺は流行らないと思った。
「パソコンに音楽を取り込む」こと自体が一般人にとって非常に抵抗のある行為だという感覚は理解出来たから。
W杯。休み時間の談話室(テレビがある部屋)の盛り上がりがすごかった。
「複素数を知らないこどもたち」
「常時接続が安く使える時代突入」+「工学部・情報系学科の知人との出会い」で、
その知人は「本名出して私生活を晒しまくる」ウェブサービスを教えてくれた。
本名・顔写真・所属している(していた)集団と私生活全部暴露。
今でこそ「知人以外には非公開」が多いけど、
当時はとにかく誰も彼も晒しまくり。俺は使うのに気が引けた。
携帯さえあれば、とりあえずコミュニケーションには事欠かない。
そのころ「文中にやたらと下線が引いてあるブログ」
を目にすることが多いのに気付いた(それまで気付いてなかっただけかもしれんが)。
シンプルで、どことなくおしゃれなデザインだが書いている内容は気持ち悪いものが多い気がした。
その頃大学内で「それっぽい」奴は「萌えってどういう意味?w」だの
「お前の時代来たぞw」とかからかわれていた。
ホリエモンだの球団再編だの買収だのヒルズだのセレブだの勝ち組だの負け組だの格差だの、
なんとなくカオス。
いつの間に「無職」の状態を「ニートやってるんでw」なんて明るく言えるようになったんだろうか。
就活は、売り手市場なんて実感はなかったが内定先は大手メーカー。
「ブラックを避ける」という消去法で選んだ。
家ではリモコンで遊ぶ奴が急増。
ファミ通の売上チャートを見て(10年前から毎週見てるが)頭がくらくらした。
他はサブプライムローンがどうこう、原油高がどうこう、環境が、民主党が、
・・・食品会社に行った知人はえらくストレスを抱えている様子だった。
相変わらずの原油高は鬱陶しい。台湾もなんか変。
そう言えばちょっと前は、遠くで何やらすごく恐ろしいことが起こっていたようだ。
傍観していた人がその動画を撮ってアップしたりそれが罵倒されたり。派遣がどうこう。
俺はこんな感じだが、他の俺「たち」はどうか知らない。
俺は約150万人いる「1984年生まれ」の中の一人に過ぎない。
大学ではADSLになってブログだのmixiだのでどうでもいい自分語りをしていた人間だ。
それだけだ。
あれは中学校を卒業して、初めて携帯電話を買って浮かれていた頃。同じクラスだった男子のAとメールのやりとりをして、どういう流れか奴が「彼女できた」と打ち明け、私は「おめでとー」と言った。ちなみに私とAは別段仲が良かったわけでもなく、ただ私が男っぽい奴だったので、下ネタなんかは普通に話したし、お互い男友達みたいな感覚だったと思う。そういえば、中三のはじめの頃にはなぜか奴は私を「ボス」と呼んでいた。(由来は不明)
そんな距離感だったから奴に彼女がいることなんて周知のことだと思い、翌日奴と同じ部活でそこそこ仲の良かった友人に「Aの彼女ってどんな人だろうねー?」と尋ねたら、「え、Aって彼女いるの!?」と驚かれて、あ、あれ?知らなかったの?と私まで驚いた。Aは目立ちたがりでプライドが高く、またずっと彼女を欲しがってた節があるので、勝手に吹聴してると勘違いしていた。でも、恋人ができることを隠す理由が奴にあるとは思わなかったから、その時は大したことを言ったつもりはなかった。
けれど、数日後、Aから突然電話がきて事態は一転。電話に出るとAはひどく怒っていて「何で彼女ができたこと話したんだよ!?」と怒鳴られた。どうやら私が話した子が色んな人に言いふらしたらしい。
「ごめん。てっきり皆知ってると思ってたから…」
「んな皆になんて言ってねぇよ。勝手に思ってんなよ」
「……ごめん」
どうしてそんなにAが彼女ができたことをバラしたくなかったのかわからなかった。でも、言われたくないことを言いふらしてしまったのは事実で、非がある側としてはひたすら謝るしかなかった。
「…はぁ」
この溜息が、怒鳴られるよりズキッときた。電話越しで相手の表情もわからない不安もあって、どうにかして取り繕いたいと思った私は言った。
「あの、ほんと悪いと思ってる!私、何でもするから!」
その後色んな漫画やら何やらを読んできた身としては、この台詞フラグ臭いなぁと思う。でも、その時は何奢ろう…くらいに思ってた。中学生の身分で出来ることって、せいぜいそのくらいだろうし。「何でも」って言ったわりに自分の中の選択肢は一つだった。てっきりAもそうだろうと思っていたけど、違った。奴は間髪容れずにこう言った。
「じゃあ、エッチしよーぜ」
いや、何だその「野球しよーぜ」ぐらいの軽いノリは!というか、お前彼女いるだろ!?大体、私デブですけど!出るとこ全部出てますけど!昔カビゴンっていわれたけど、どちらかといえばムック(NOTデフォルメ)似だと自負してますけど!
「え、や、冗談でしょ?」
「は?本気だけど」
「アンタ彼女いるじゃん!」
「あー、俺の彼女、箱入り娘っつーの?そんな感じでキスもさせてくんないんだよね。そんな女と俺がずっと付き合ってくと思う?」
もはや「 最 低 」の一言に尽きる。
Aは県で一番の進学校に受かったのだけど、一年の頃なんか成績は学年の真ん中くらいだったから、凄く努力して勉強したんだろうと思った。たまに高慢ちきなことを言って、クラスの一部からは「頭が良いからって偉そうにしやがって」なんて言われてたけど、ただレールに沿って生きてるだけの私なんかには想像できないほど努力して奴は優等生のポジションを得たと思ったから、少し尊敬していた。それなのに、この言い草。怒るよりも呆れて、思わず脱力した。
「…いや、ていうか、私デブじゃん。どう考えてもアンタ勃起しないでしょ」
「んなことねーよ。お前かわいいって」
身内以外の異性に可愛いって言われたのこれが初めてだったけど、ぜんっぜん嬉しくなかった。流れからしてどうみてもお世辞。というより、とりあえずこう言っときゃいいだろ的なウソ見え見え。大体、その頃の私といえば、眉を剃ることはおろか体毛の処理すらしてなかったし、それを気にすることもなかった。友達に「ねえ、眉毛繋がりそうだよ。このままじゃ両津になっちゃうよ」って言われてやっと眉毛を手入れし始めたくらいだし、髪の毛ボッサでスカートはばっちり膝下10cmだった。その上、恥じらいなしにチンコだおっぱいだと会話で言える、そんな女を抱くなんてコイツの美意識を心底疑った。
唖然とする私をよそに、Aは勝手にエッチのプランを進め始めた。自分の家は母親が常にいるからダメ。お前んちも親いるだろ?なら、ラブホにするか云々。とんとん拍子に話が進む展開に今度は焦って、「ラブホは高いよ!一万くらいする!」と大ボラを吹いた。トゥナイト2を見ていると公言していた奴には、こんなちゃちい嘘はすぐにバレるかと思ったが、意外にあっさり納得された。
ここが私のダメなところなのだけれど、「何でもする」と言った手前、セックスするという提案を拒否できなかった。自ら言ったことを覆してはならない。そんな変なプライドが邪魔をした。「それは嫌だ」と言って、Aに「何でもするって言ったろーが」とまた苛々されるのが怖いというのもあったからかもしれない。
ラブホはダメならもう場所もないし、Aも諦めるだろう…と安堵していたのも束の間。
「だったら、俺んちの近くの公園にすっか。お前、俺んち知ってるっけ?」
あまりの展開のスピードに思考力が遅鈍な私は置いてけぼりだったけど、もしかしてコイツ早漏か?とは思った。こういう時ほどくだらないことを考えてしまうのね、人間って。
小学校は違っていたから、Aの家なんて知らなかったし、別にこれからも知りたくはなかったけれど、「や、知らない…」と言うに留めた。私としてはセックスなんてする気はさらさらなかったし、まして公園。初体験が青姦て。どれだけ性に対してアグレッシブなの。確かに私は下ネタを話すのは好きだったけど、イコールセックスがしたい、というわけじゃなかった。下ネタと性欲って全く別物だった。
公園はないだろ、と私が言うより早く、Aは淡々と自分の家の場所を説明し始めた。半ばその勢いに圧倒されて、私は「ああ」とか「はあ」とか生返事をしていた。どうせ「公園なんてムリ!場所ないからできないね!それじゃ!」と言って切るつもりだったから。ただ、やっぱり私に非があることに変わりはないし、せめてAの話はきちんと聞こうと耳を傾けていたら、さらにAはとんでもないことを言い出した。
「んで、その公園って小さいんだよ。だから、砂場でいいよな?」
大体、だから、って接続詞おかしいだろ。ははあ、もしや砂場プレイをご所望ですか。普段は子供たちの楽しい遊び場、夜は大人の営み場。その背徳感にドッキドキ☆砂場の砂の感覚でさらに気持ち良くなっちゃう…☆って、だからどれだけお前は性に対してアグレッシブなんだよ!海で砂が濡れた水着の中に入ってなかなか出てこないもどかしさを思い知れ!
一瞬ぽかーんとした後、もうこいつの話聞くのすらしんどい…と疲労が襲ってきたので、「お母さんがうるさいから」とか何とか言って適当に電話を切った。メールも着たけど、無視。次の日また電話が着たけど、それも無視。もともとしつこい男ではなかったので、連絡はそれきり。(半年後にまた連絡が着たけどそれは割愛)
うっかり言われたくないことを言ってしまったのは悪かったけど、今でもやっぱりこれはないなあ、と思う。後に人づてに奴が高一まで童貞だったことを知った。顔も悪くなかったし、クラス一性の知識があるような喋りだったから、てっきり非童貞だと思っていたが、奴も奴なりに焦っていたということか。そして、これまた人づてに聞いたことだけれど、奴は私を非処女だと思っていたらしい。多分、ネットや雑誌のおかげで耳年増になっていたからだろう。
奴とはもう二度と会いたくはないが、「何でもするなんて軽々しく言ってはいけない」という教訓を得られたことには感謝したい。
はてなダイアリーやはてなブックマークと動物園のサル山の違いを教えてください。
一部の良心的な利用者を除けば、はてなダイアリーの殆どのエントリは自己満足的なパフォーマンスが目的となっています。はてなで行われている議論は殆どが議論することそれ自体に意味があるものばかりです。大人のための砂場です。しかも、都合が悪くなれば発言者の攻撃へと逃げるのです。はてな内で議論が盛り上がっても、他に飛び火することは殆どありません。殆どがはてな内、良くてもその周辺のWebサイトで力尽きています。素晴らしい議論や新しい発見ならば自然と他に広がっていくはずです。はてなダイアリーやはてなブックマークは既にウェブのサル山と化しています。外部者はせいぜい暇なときに眺める程度です。中に入ることはありません。
このことは、はてな内の書評サイトがライトノベルを一般文芸並みに(またはそれ以上に)取り上げることにも表れているように思います。一般文芸にはプロの書評家の書く「模範解答」が存在するために、書評が書きにくい。誰も見に来ない。ところが、ライトノベルというジャンルには書評家が不在のため、いくらでも好きなように書ける。そのために、書評サイトの方々は、論じやすい一般文芸作品を捨ててでも、ライトノベルを取り上げるのではないでしょうか。(大の大人がライトノベルしか読まないということは無いでしょうし)。
はてなはサービスの強化だけでなく、利用者の質の向上を図ることも重要な気がします。アホがアホを持ち上げ、アホだけで盛り上がっているようでは、限界があります。生ぬるいコミュニケーションのためのツールに終わるにはあまりにももったいない。
プロファイリングはできないけど。
そいつが考えたそいつなりの罠を張って、手ぐすね引いてるつもりなんだろうよ。
当然ながら空振り。あたりまえだわな。
よくほら、幼稚園から小学校ぐらいで、砂場に落とし穴掘って「これで泥棒とか殺人犯とかつかまえるの」とか言ってる子いるでしょ。
あんなかんじ。
なんか見てると、"ALL I REALLY NEED TO KNOW I LEARNED IN KINDERGARTEN" http://www.peace.ca/kindergarten.htm ってあんまりみんな知らないのね。昔日本でも流行ったんだけどな。 欧米の人達は結構これ好きみたいで、Kindergartenの部分を、一時期の吉野屋テンプレのノリみたいに my cat とか star wars とかに変えた亜種がいっぱい存在する。
ネットで見たけどあんまりいい翻訳ないのね。 だから百式の中のひとみたいに超訳してみました。
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どうやって人生をおくるか・どう生きるかについて必要な事の全部を、幼稚園で学んだんだ。そういう知恵は、大学院っていう教育システムのてっぺんにあったんじゃなく、幼稚園の砂場の中に埋もれていたんだ。
僕が幼稚園で学んだのはこんなこと。
・なんでもみんなで分けよう。
・フェアにやろう。
・人を叩いちゃいけない。
・使った物は元に戻す。
・自分の後片付けは自分でする。
・自分の物じゃない物は取らない。
・誰かを傷つけたら「ごめんなさい」っていう。
・ごはんを食べる前に手を洗う。
・トイレつかったら、ちゃんと流す。
・バランスの取れた生活をしよう。 ー ちょっと学んで・ちょっと考えてみる。 絵を描いたり塗り絵したり歌ったり踊ったり遊んだり仕事したりをちょっとずつ毎日やる。
・毎日お昼寝しよう。
・外に出たら周りに気を付けて! 手を取り合って離れ離れにならないようにしないとね。
・驚きとか疑問とかを大切にしよう。 発砲スチロールのカップに植えたあの種の事を思いだそうよ。 根っこは下に伸びて茎は上に伸びる。なんでそうなのか、だれもわかんない。 でも、僕達もその種みたいなもんなんだってことは、なんとなくわかる。
・金魚とかハムスターとか鼠とか、そう、それにあの発砲スチロールに植えた種もみんないつか死ぬ。 僕達もだ。
・ディックとジェーンの絵本に一番最初にでてくるあの言葉を思いだそう。一番大きな字で書いてあったよね。「ちゃんと見て!」って。
君に必要なこともきっとこの中にあるはずだよ。「自分が人にして欲しいように、自分も人にしてあげなさい」っていうイエスさまの「黄金律」も愛も基本的な衛生概念もこの中にある。 エコロジーも政治も平等も、そして、ていねいな生活に必要なものも、全部この中に入ってる。
このリストのうちなんでもいいから一つでも、小難しい大人語に訳してから、家庭生活とか仕事とかお役所とかの、君を取り巻くいろんな事柄にあてはめてごらん。きっとちゃんと立派に通用するから。 例えば、僕達みんなが ーつまり世界中がー 三時のおやつ時にクッキーとミルクをたべて、お気に入りのブランケットに包まれてお昼寝するようなになっとしたら、なんて素敵な世界になるだろう。例えば、もし世界中のお役所が「使った物は元に戻す」と「自分の後片付けは自分でする」を基本政策としてちゃんと実行するようになったとしたら、なんて素敵な世界になるだろう。
で、これも本当の話さ。いくつになっても「外に出たら、周りに気を付けて」、「手を取り合って、離れ離れにならないようにする」のが、一番大切なんだよ。
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著作権上の問題あるのかな?
http://anond.hatelabo.jp/20070831121049
この「おおり医院」って何なの?いつも世論をすげ〜間違った方向に煽動する話ばかりで、マスコミが飛びつきそうな話ばかり載せてるけど…。
ちなみに認識は低いけど、回虫症より遥かに頻度が高く、QOLの低下が著しい一連のアレルギー疾患…花粉症(もまあ酷いが)なんて可愛いものじゃなくアトピー性皮膚炎(男も女も可哀想にまともに見られないような酷い肌になるしさまざまな経皮感染の原因となる)や喘息(酷い場合は普通に死ぬ)、食物アレルギー(マジで死ぬ、酷い人はマジで食べられるものがほとんどない)などが、幼少期の寄生虫類への暴露(出会うこと)の低下によって起こっているという話はご存知?砂場が封鎖されるようになったのはここ10年くらいの話。砂場が開放されていたのはそれ以前に数百年間あり、当然、一定の頻度で回虫症も発生していたが、大問題とはならなかった(現在の各種アレルギー疾患の方が大問題)。ちなみにアレルギーは一度発症すると根治させるのは現代の科学力じゃ不可能。
じゃあなぜ砂場の方を問題に?それは感染症は原因を特定しやすいから。はっきりとどこから感染したかが特定されたから、ナーバスになったんだろうね。一方、アレルギーは正確には因果関係を証明出来ず、一応「原因不明の疾患」とされているから、仕方ない的に流されているんだろうね。
過剰な潔癖主義が重篤な免疫疾患(抵抗力の低下と過剰反応)を作って来たというのは医学界ではすでに常識。小さい頃は色んなものに感染し、怪我をする、その方が健康的なんです、本来は。過保護は良い結果を産まない。
http://anond.hatelabo.jp/20070831114440
田舎は相互に知り合いだから情報が蓄積されて行く。確かにそのせいでプライバシーが無くなる面はある。お互い知り合いだから当然。大学なり高校なりのクラスメイトだけで街を構成すると想像すれば分かるだろう。コンビニでエロ本すら買えない。それは意図的なプライバシー観察ではなくて、知り合いだから無意識に記憶されてしまうだけ。
で、そのメリットが、相互無関心状態に陥らないので、犯罪抑止力として働くということ。全く知らない他人に注意することの出来る人間はほとんどいないが、知り合いに意見することの出来る人間は幾らでもいる。見知らぬ人が歩いていたら警戒心が出るというのも効用。知り合いしかいない中に見慣れない人間が出たら当然警戒する。それが犯罪抑止力として働く。
お互いを警戒してプライバシーを守る為に引きこもって、それが犯罪を容易にしてるっていうんだから皮肉ではある。
通り魔的な例のhttp://www.asahi.com/national/update/0831/NGY200708300012.htmlみたいな事件は、都会だからこそ起こりうるとも言える。ま、最近は田舎っつっても隣人との付き合いがほとんどなくなった街ばかりで、もう本当に村レベルの田舎でしか上記の利点は享受出来ないと思うが。俺の田舎にはハロウィンみたいなイベントで、知らない民家を尋ねてお菓子を貰い歩くっていう古き良き伝統がある。こういうのが隣人同士のつながりを強め、犯罪抑止力として働く…のだが、これ自体が犯罪を誘発する(そのまま誘拐される)とか騒ぐアホどもが潰そうとしてる。不潔だとかいって砂場を封鎖したり、使わないときは青シートを被せさせて逆に雑菌の繁殖を誘発することを要求してる低脳達。砂漠のように直射日光を浴びてカラカラに乾いた砂にはほとんど菌ですら繁殖出来ないのにね。