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はてなキーワード: 外需とは

2008-10-26

10/27(月)株価金融市場未曾有のバブルの大底をいとも簡単に割る。

2003年4月、日経平均株価は7603円になった。バブル絶頂期のものから比べるとおよそ1/4の価値

死者も出るような大騒ぎを経験してから10年もたたないうちに、日本はより深い金融海溝があることを2008年の10/27に知る。

2003年は小泉総理大臣構造改革を大上段に振りかぶった時で国民は一時的に血を流すことを覚悟し、その後の国勢回復を信じていた。

また、他の国は景気が良かったため、外需が落ち込むことは考えにくかった。

2008年はあまりにも当時よりも環境は悪い。

ひとつは他国の景気が惨状であること。全体が悪いため、金融サミット日本リーダーシップをとらなければならなくなったことつきる。

もともと、そういうことは不得手なお国柄に加え、出来ることと言えば2003年時のエクスペリエンスを語ることだけ。

すでに日本バブルなんか研究され尽くされている!

また、政情もねじれからくる不安定さ。麻生総理大臣は乱高下に一喜一憂しない(=なすすべなし)と答えている。

政府日銀の足並みは揃ってない上(いつものことだけれども)、この時期にあって国会解散が現実味を帯びてきた。

まだある。ドルユーロに対する円高がまだ完全にピークしてないこと。まだ円高くなる余地を残してのバブル最安値直前。

つまり数段上のもんがやって来るってことだよ。

実体経済には遅効的でも影響はかならずくるよ。

覚悟しとけば大丈夫ってもんでもないけど、もう少しですごいパルプンテがとんでくるよ。

2008-10-24

円高

円高だねぇ…超の付くぐらい円高だよ。

今のところ、今日最安値が1ドル90円56銭、

ユーロ113円63銭…ビックリするねぇ…

FXで大量の死亡者が出なかったか心配だね。

円高…外需だよりの日本にとってはマイナス

ことばかりのようだけど、外国製品外国サービス

安くなるので、いいこともあるんだよねぇ??

こんな円高のときこそ、海外の動画サイトでも見てみよう!

2008-09-02

http://anond.hatelabo.jp/20080902162546

そっかー、経済に詳しい人から見たら、日本経済は落ち込むの確定なのねえ、と

普段新聞読まない自分は勉強になった。

落ち込まない材料が一個も無いだろ。

内需:回復するわけない

外需サブプライムでしぼんぬ

商品高騰によるコストプッシュインフレスタグフレーション

少子化高齢化

教育や産業政策など、国力低下政策やり放題

2008-08-19

”大きな誤り”の始まり

 標題は竹中氏が定期的に公表しているポリシーウォッチ(http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080818/plc0808180311001-n1.htm)のタイトルだが、今回の議論は承服できない。

 まず竹中氏は、政策の基本的な方向という点について、中国と同じく我が国も大きなリスクに直面していると述べる。経済の弱さは08年第2四半期のGDP統計にも現われているとおりである。近年のGDP統計の弱さについては、対前期比で見ても対前年同期比で見ても景気の弱さが現われているという点はその通りだろう。

 続けて、竹中氏は1990年当時の日本経済は、政策の大きな方向を誤ったがゆえに「失われた10年」を経験したと述べる。氏曰く、「当時は二つの誤った政策、つまり一つは好況投資など政府による財政支出を拡大するという偏ったマクロ政策であり、もう一つは97年の消費税引き上げをきっかけに財政再建に走ったこと」とのことである。そして、現在は「日本経済運営の大きな誤りをもたらした「ばらまき派」と「増税派」が要職を占めていることが政策の基本的方向を誤るというリスクをもたらしている」とのことである。このような言葉を耳にすると、小泉政権時にも歳出削減を柱とした財政再建策が構造改革の一環として採用されていたが、この点はどのように考えればよいのかという疑問が浮かぶ。

 さて、竹中氏の論説の中で、最もいただけない箇所は次の記述である。

危惧(きぐ)される具体的事例が、目の前で起こりつつある。原油価格高騰などに対する救済措置だ。原油価格の高騰で、漁業関係者らに大きな影響が出ているのは事実である。しかし経済政策として重要な点は、今回のように輸入価格が上昇し「交易条件」が悪化している下では、国民生活水準低下は避けられないという事実である。厳しいが、これが資源輸入国の現実なのだ。政治指導者国民に、「我慢しよう。歯を食いしばって、これをしのごう」とまず訴えなければならない。にもかかわらず現状は、国民に対し痛みに耐えることを訴える政治勢力は皆無である。与党野党もばらまき型の政策を求め、一部メディアもこれをあおっている。

 まず「我慢しよう。歯を食いしばってこれをしのごう」という発想は、小泉政権の下で「構造改革なくして成長なし」と唱えた際の「今我慢すれば(構造改革の結果)きっと良くなる」という考え方と同根であることに留意すべきだ。

「交易条件」が悪化している下では、国民生活水準低下は避けられないという事実はその通りだが、問題はこの「交易条件」の悪化は甘受せざるをえない痛みなのかという点である。竹中氏は「米国経済が回復すれば日本の景気は良くなる」と論じる与謝野氏を批判しているが、今般の原油価格高騰を避けることが出来ない問題であると捉えている点においては与謝野氏と同じ穴の狢であり、竹中氏も同様に批判されるべきである。

 そして、「歯を食いしばってこれをしのごうと言うべきだ」という発想は、「政府が自ら無為無策であることを主張せよ」といっているに等しい。そしてこれは「原油価格上昇という供給ショックは黙って甘受すべきであり、その環境条件で淘汰される企業があれば致し方ない、相対価格自律的調整が進むまでショックを耐え忍ぶことが必要で、構造改革を徹底的に進めるのが必要である」という我が国において根強く生き残っている清算主義という魔物を体現したものに他ならないのだ。言うまでもなく、清算主義が不況脱却において「無理筋」の考え方であることは大恐慌における教訓や、我が国の長期停滞の経験から実証済みである。

 90年代以降の長期停滞期の経験に鑑みれば、バラマキ政策は景気の下支え以上の効果を持ち得なかったことは明らかだろう。そして景気悪化局面での増税は、更なる奈落の底へと日本経済をいざなうことも明らかだろう。さらに、現状に対してひたすら耐えることを国民に要求することも誤りなのである。

 では、どうしたらよいのだろうか。基本的な経済学が教えるところによれば、輸入価格上昇による交易条件の悪化、つまり購買力の低下に対しては、購買力を向上させる政策を採ればよいのである。購買力を向上させる政策とは言うまでも無く金融緩和策である。

 金融緩和により市中に流通するマネーサプライの量を増加させることが出来れば、人々はそれを貨幣として溜め込むのではなく何かしらの形で消費しようとするだろう。失業率が十分に高い水準にあるのならば、実質賃金の低下を通じて失業率は低下し、家計の平均的な購買力は増加する。さらに失業率が十分低い水準(3%前後)に到達すれば、金融緩和は雇用者の賃金自体の上昇をもたらすことで家計購買力はさらに増加する。購買力の増加は、基本的には相対価格に影響を与えないと考えられる。しかし価格高騰が進む原材料は、我が国の家計にとって必需財でありかつ非競争輸入財としての性格を有している。家計にとって一定量の支出が必要であるということが価格上昇による購買力の低下を現在実感させている一因であるが、所得上昇が明確になればこれまで支出が出来なかった奢侈品・娯楽品への支出が進むだろう。このような効果は原材料に対する他財の相対価格を低める圧力をもたらすことになる。

 原材料価格高騰のショックがなぜ問題なのかといえば、原材料価格が他財と比較して急激に上昇することで、他財の原材料価格に対する相対価格(原材料価格/他財価格)が高まるためである。では、このショックを緩和するにはどうしたらよいのだろうか。

 一つには技術革新といった手段で原材料価格自体を引き下げることである。これは原材料に対する他財の相対価格が高騰した現状を緩和させることを意味している。しかし、原材料価格自体を引き下げていくのは短期的には容易ではなく、竹中氏が言うように「我慢しよう。歯を食いしばってこれをしのごう。」と国民にこれまで以上の負担を要請することになってしまう。そしてこのような政策が効果をもたらすのは技術革新が伴う以上長い時間がかかり、そしてこの政策を推し進めるのは原材料価格以外の財の価格ベースではマイルドデフレにある我が国経済にとっては得策ではない。

 原材料価格高騰のインパクト(つまり原材料の他財に対する相対価格の高騰)を押さえるもう一つの方法は、他財の価格押し上げることである。原材料価格ではなく他財の価格押し上げることは、原材料価格自体を抑制するという方法と同様に、原材料価格の他財に対する相対価格の上昇を抑えることに繋がる。そしてこの、他財の価格押し上げることは、GDPデフレーター、CPIコアコアといった国内財価格デフレに陥っている我が国の内需を掘り起こすことに寄与し、失われた購買力を回復させることに繋がるのだ。

 このような原材料価格と他財との間の相対価格の調整は、産業構造の調整を伴うという意味である程度の時間が必要かもしれない。しかしながら、金融緩和策を進めることは、相対価格一定の元で購買力を上昇させ、原材料価格高騰の影響を和らげる。ノーベル経済学賞受賞者でもあるアカロフ教授は、マイルドインフレ効用として相対価格の調整がより進み易くなる点を指摘しているが、現在の我が国においてCPIコアコア、GDPデフレータで見た物価指数マイルドデフレを示しているのであれば、そのような状況からの脱却を目指す金融緩和策は相対価格の調整がスムーズに為されるのを後押しするのではないかと思うのである。

 竹中氏の議論は、「失われた十年」で得た教訓を全く踏まえていないという点でご自身が批判しているバラマキ政策や財政再建派と同じではないだろうか。そして論説を読んで、竹中氏の「構造改革」を支える思想国民に痛みを強いるものでしかないということにも改めて失望した次第である。これではリフレ政策をいくら取り入れたところで結局の所掛け声だけで終わってしまったのは当たり前だ。繰返しになるが、GDPデフレーターやCPIコアコアといった指標でマイルドデフレが続いている我が国において原材料価格高騰による購買力の低下を抑制するための政策手段を採ることはたやすい。金融緩和を行えばさらにCPIは上昇しインフレが進むのではと懸念する向きもあるかもしれないがそれは杞憂である。欧米諸国のCPIの伸びはヘッドラインで4%??5%だが、我が国は前年同月比で2%の伸びである。そして欧米CPIコア(我が国のコアコアに相当する)は2%程度だが、我が国のCPIコアコアの伸びは0.1%に過ぎない。さらにGDPデフレーターがマイナスである国は何処にもないのだ。

 政府として今何を議論すべきだろうか。当然ながら、同じ狢同士で批判しあうことではないのは明白である。金融政策は政府からの独立性が付与された日銀によって為されているという点は留保すべきだが、以上の論点を考慮に入れれば、政府検討課題として金融緩和を行うための具体的政策手段としてどのようなものがあり得るのかという点も少しは議論の俎上に乗せても良いのではないだろうか。90年代の誤りがなぜ生じたのか、それは、経済政策における金融政策の有効性を過度に軽視するという大きな誤りを見過ごしたためである。だからこそ90年代の誤りは起きたのである。交易条件の悪化という事実の前で、自ら国民に対して痛みを求めるという無為無策をつまびらかにすることこそ愚の骨頂である。勇気を持って経済問題に対して果敢に戦った先人が居たことを忘れるべきではなく、そして我が国のリーダー勇気を持って果断に金融緩和の実行を論じ、そのための具体的政策を実現していくために何をすべきかという点も考慮に入れても良いのではないだろうか。金融政策の決定に対して異論があれば、政策決定会合における議決延期請求権の行使や、極論かもしれないが、例えば政府紙幣の発行、国債発行による日銀引受けといった策もある。現状空席となっている副総裁・審議委員の席を埋めることや、政府による政策目的の独立性を発揮する重要な機会でもある総裁・副総裁・審議委員の任命がスムーズに行くように制度整備を進めることも重要だ。

 先程、「金融政策は政府からの独立性が付与された日銀によって為されている」と指摘したが、日銀が与えられている独立性は政策手段の独立性であり、政策目的の独立性ではないことに注意すべきである。政策目的政府認識を一にすることが望ましく、正しい政策目的は正しい現状認識と正しい将来の見通しから育まれるものである。昨日の金融政策決定会合においても日銀経済見通しを下方修正しつつ現状維持を決定したが、これまでデフレ脱却が進まなかった大きな理由は、日銀が判断の根拠である経済見通しを常に楽観的に捉え、その結果として性急な金融引締め(量的緩和解除→利上げ)を行ったことではなかっただろうか。02年以降の景気回復期におけるメインエンジン外需だと言われるところであり、昨今景況悪化のリスク要因として取りざたされているのは原材料価格の高騰やサブプライムローン問題といった海外経済の景況悪化であるが、我が国の景況悪化要因として国内政策の要因も影響している可能性も排除できず、寧ろ現在の状況は外需の低迷が鮮明になったことで元々隠されていた内需の弱さが顕在化したとも捉えることが出来るのではないだろうか。

 景気対策として効果を持ちうる規模の財政政策を行うのであれば、名目成長率が低下している現状では政策目的であるプライマリバランスの黒字化を放棄せざるを得ないだろう。景気対策財政再建ジレンマに直面すれば結局のところ最低限の政策しか行うことが出来ず支出した金は無駄金になる懸念すらあり、景気後退が顕在化している中で増税を行うのは論外だろう。以上を踏まえれば、竹中氏のバラマキ政策・財政再建派への指摘は正しいだろう。但しデフレ脱却を主要政策課題の一つとして掲げ、そのための政策努力日銀に対して在任中求めてきた竹中氏だからこそ、景気後退色が濃厚になった現状において「歯を食いしばってこれをしのごう」という更なる痛みを強いるような議論を聞きたくはないと感じるのは自分だけだろうか。論説のタイトル通り、今回の選択が「大きな誤り」の始まりにならないことを祈念するばかりである。

(※)沢山のブクマが付いていて驚きますが(汗、文章を修正しました。ご容赦を。

2008-06-28

http://anond.hatelabo.jp/20070821010711

博士就職が難しい理由なんて、普通会社で3年過ごせばすぐわかることだろうに。

原因は日本会社風土にあるってことでも説明してみっかな。

日本人プライベート仕事をあまり区別しない。

お酒の相手も仲の良い有人ではなく、同じ会社社員と飲む。

終身雇用前提だから、社員は一生その会社人生を過ごすことを想定して仕事してる。

年功序列だから、上司は無能が多いし、無能でも給料はおおよそ平等に貰える。

天下りみたいなのも普通にあって、幽霊老人社員とかいるわけよ。

そんなんでも会社は余裕でまわる。

税金工事みたい発注がいっぱい来るからね。

自由競争市場ビジネスしてる会社なんてあんまりないわけ。

(あんまりぬるま湯につかり過ぎると、世界競争に巻き込まれて日本沈没かもな)

中には「俺は社会人」とか言って張り切ってるやつもいるけどさ、

ぶっちゃけ平々凡々ぬるま湯まったり世界なわけよ。

3年以上会社勤めしてるが、これらのことは全然実感ない。働いたことない人がステレオタイプイメージで語っちゃってるだけなんじゃないかという気がする。これ書いた人は一体どういう業界職種で何社くらい勤務経験があるんだろうか。あるいは自分の会社=普通と思い込んでるのかも。

ほかの先進国だって規制はたくさんあって自由競争というわけでもないし、税負担率が日本より高いことから見ても税金工事的な仕事日本より多いはず。日本外需伸びまくり内需低迷してること見ても世界市場でも競争に負けてるから沈没というより国内で金使わないから沈没というほうが妥当と思う。

2008-04-13

http://anond.hatelabo.jp/20080413215700

例えば、JavaとかRubyとかVBとかPHPとか、そういう種類の言語一種類しか使えないプログラマがいたらどう思う?あまり難しい仕事任せられないって思わない?最低限、Cとかアセンブラとかできるだけ低レベルに近い言語はある程度使えてほしいし、できればLispみたいな関数型言語とかOSコンパイラ理論とか、そういうのを知識としてだけでもいいから知っておいてほしいと思うよね?

だったらどうして、古文や漢文勉強が自分には意味ないって思うかなあ?日本語で文章を書くのは、仕事上の重要スキルでしょ。まずその前提がよくわからない。

横槍だが、勉強する時間にも限りがあるし、向き不向きもあるんだから何でもかんでもやればいいってものでもない。どの分野の強化でも意味が歩かないかは一律に決まるものじゃないし全分野の知識を身につけることは無理なんだから各人に合わせて取捨選択しないと。学校で教えておけばなんでも身につくなら世の中エリートばかりになってるよ。

別に「新たに」なんて言ってないけど。ただし、資源ってのはメンテナンス要員が必要なんよね。現在教育は、その中から一握りの専門家とそこそこ多くのファンを再生産する役目は果たしてると思うけどな。

こういうのはほかのことをやった場合の費用対効果も考えないとだめ。なぜ特定産業のメンテナンスだけ優遇して税金とかの労力をつぎ込まないといけないのかがわからん。メンテナンスに必要なリソースは有限。観光立国でも金融立国でもものづくりでも自給率上昇でも結局我田引水ってことじゃないかと。そういう利益誘導ポジショントークであって部外者は真に受けちゃだめだろ。

「楽しむ」という観点で言えば、古典漢文の題材がそれらよりも優先するようには思わない。

劣るとも思わないけどね。ただね、現代文学古典文学を下敷きにしてたりするから両方読めると楽しいことは知っておいた方がいいだろうね。

文学に限らずどんあものでも楽しいかどうかは人それぞれ。古典に限らず学校の授業に苦痛を感じる生徒が少なくないのは常識じゃないかと。

それとさー、どうしてあれを教えたらこれを教えるのやめろって話になるわけ?両方教えたらいいだけじゃないの。ただでさえゆとり教育なんだからさ。たとえば俺は高校時代理科社会を全科目履修したし、数学も数III数Cまでやったし、古文や漢文だったら例えば岩波文庫の注釈付きなんかで訳なしで読めるよ。

いやがってるやつに教えるのは金や労力や時間無駄遣い。ゆとり教育は叩かれすぎだと思う。正しい政策だったと個人的には思ってる。学校で教えないならやらないなんてやつは教育しなくて結構。授業時間だって有限だからそりゃ各教科の授業時間減らせば全部薄く教えるしかないし、深くやろうとすると分野は絞らないといけない。どっちがいいかは一概に言えるものでもないし、勉強自体向いてないのもいるでしょ。

ただし、君が思ってるほど高校行列計算は一般には役に立たないし、観光は大きな産業になり得る。理由は上に書いたとおり。

そりゃ基礎技術力が高く工業力が強いほうが観光立国よりずっといいだろ。

とんでもないよ。オーストリア日本の一人当たりGDPを調べてごらんよ。

観光業製造業だけでGDP決まってるわけじゃないんだから比べても意味ない。日本の低成長はマクロ政策の失敗が大きいでしょ。あと人口の少ない国なら人口比で観光客はこさせやすいから雇用増やしやすいだろうけど、日本だとそうはいかない。観光だけで食ってける量は限られてる。そもそも貿易依存低いし、外需ばかり頼ってないで内需をしっかりさせないことにはどうにもならない。

http://anond.hatelabo.jp/20080413085742

あのさー、個人の得になるなんて誰も言ってないんだよね。日本の観光資源になると言ってるだけ。

横から口挟むけど、具体的に日本古典教育にどんだけの経済効果見込んでるわけ? それが何人の学生を将来食わせられるの?

経済学者じゃないんだからそんな具体的な数値を求められても困るんだけどさ。算出する方法なんてないと思うし。観光業者にとっては内需外需含めてそれなりの利益配分になると思うんだけど。

それに、ここでは敢えて金の話だけに絞ってるけど、「古典を理解できた方が人生楽しい」というのは決して無視できない理由だぞ。というか普通に考えたらそっちの方が大きな理由だしね。そういうのは、本人が興味を持つ前に教え込んでおかないと勉強する機会がないというのもあるからね。

カネの話するなら、数学教育をもうちょっとまともにしたほうがいいと思うがね。昔みたく高校行列教えるようにカリキュラム組みなおせと。相当広い分野で使うんだし。

いやー、理系人間として言わせてもらうと、以前高校で教えてた程度の行列教えたって役に立たないよ。行列というか線型代数は、固有値を理解できてなければなんの意味もないものだ。

シェイクスピアモーツァルト経済効果行列経済効果より上だとは思えない。

シェイクスピアはともかく、モーツァルトがいなかったらオーストリア(特にザルツブルグ)の生活水準は間違いなく一段階落ちるよ。あそこは観光立国だからね。イギリスにしてもそうだけど、没落した帝国過去の遺産で食べるための創意工夫として古典を普及するというのはよい手段だとおもうけどな。そして、日本人口が減る、即ち国力は低下するわけだし。

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