はてなキーワード: 人形とは
お前は「正月」という言葉を使うな。「餅入れた汁の日」と呼べ。
お前は「節分」という言葉を使うな。「太巻きと豆の日」と呼べ。
お前は「雛祭り」を祝うな。とりあえず「人形飾って白酒呑む日」と呼べ。
お前は「入学式」とか考えるな。「ハゲの話を聞いて紅白饅頭貰う日」と覚えてろ。
お前は「子どもの日」とか考えるな。「親の見栄で鯉のぼりの日」と言え。粽を食うのは許可してやる。
お前は「梅雨」とか言うな。「雨が多いね」と言え。
お前は「海の日」とか言うな。「夏休み初日」と言え。いや「夏休み」も言うな。
お前は「十五夜」とか言うな。「だんごの日」でも充分過ぎる。
お前は「体育の日」なんて考える必要もない。「運動場で弁当食う日」だ。
お前は「勤労感謝の日」なんて知りもしないだろう。「ニニニのニートにゃ祝日もなんにもない♪」とか歌え。
とにかくお前には文化とかそういうものは贅沢過ぎる。ただ飯食って寝て働いて、一生頭とか使うな。
(追記)
・トラ受けて一部修正
「自分」ってなんで「ある」んだろう。
いや、ハイデガーとか全然知らないんだけどさ
全然わからない。意味が不明。
「自分ってなんだ」て思うには、3ツぐらいきっかけが
僕の場合にはある。
一つめは、「死ぬの怖い→死んだら自分はどうなるんだ→そもそも自分ってなんだ」ルート
二つめは「他人(社会)の中の自分と内的な自分の不一致。(鏡とか見ると”これが俺だっけ?”と感じる)」
三つ目が今感じてる「自分の意識が存在することの圧倒的不自然さ」
本当になんなんだろう。なんで空間なんてものがあるんだろう。物質なんてものがあるんだろう。
本当に僕には何もわからない。何もわからないことを忘れないと生きていけない。
けれどそれは本当に生きているんだろうか。ああああ不自然。まったくな話。
雲はいいねぇ。一番身近にある魔法みたいな現象。ラベルをはがしやすい。
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最近僕は僕の意識が単なる「反応」にすぎないんじゃないかって考えてる
僕は「僕」が体を動かしてるつもりだったけど
本当は「体」が僕を動かしているんだ。
(「僕」は上部構造)
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そういう訳わからない所を
どこに預けているのか。もしかして超人なのか
たとえばこういう一文。
迫害を逃れて祖国を後にした難民は、世界で1150万人。そのうち約600万人が、5年以上も避難生活を送っている。生まれてから鉄条網の中しか知らない子供たちも増えている。キャンプ生活の長期化が、難民の生活に悪影響を及ぼすのは明らかだ。
つまり、少なくとも5年程度は鉄条網の無い暮らしを日本でさせろって事だろ?どこに?
日比谷公園で国民の一部が難民みたいな状況に陥ってたのに、それを差し置いて本物の難民を招き入れようという発想がまさに「朝日クオリティ」だよ。
彼らだって木彫りの人形じゃないんだから、食わせる飯も、夜露をしのぐ屋根も要るわけよ。ずーっとタダ飯食わせる訳にもいかないから建前だけでも仕事はさせてやらなきゃならんだろう。子供がいたら教育を受けさせる必要もある。企業に難民採用で法人税優遇とかすることになるだろう。日本語もしゃべれない子供のために学校側もいろいろ対応を迫られるだろうな。これから全国で流行するであろう「○○派遣村」で日本人がゴロゴロしている時に、林野業とか港湾労働で汗をかく外国人という現象が出てくる事態になりかねんよ。景気が悪くて日本人の生活の質が落ちつつある状況でそんな事をしたら確実に軋轢を呼ぶぞ。「外国人排斥」が極右勢力の台頭に勢いを付けるかも知れない。
http://otasyou.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-8dc6.html
http://otasyou.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-7a6f.html
さらに女装コス好きの変態なんで(コミケ会場ではやらないけど)、
反論的な物を書く資格もあるかなって感じでつらつらと。
少なくとも他の特殊な趣味の人に対しては、理解は出来なくても、出来るだけ寛容で有りたいとは思ってるし、
他の人にドン引きされた時は正直結構凹むけど、それが世間だ、仕方ないと諦めるようにしてます。
んでもって、こういう発言を見ていつも思うのは、オタの人は他者から見れば50歩100歩だと言うことを忘れがちだよな、と。
何か本番有りで1本のギャラが10万行くか行かないかの企画物のAV女優が、西川口のピンサロ風俗嬢を小馬鹿にするようなみっともなさを感じるよ。
d:id:orange-strange:20090104:1231044374
で書かれてる、
お前も立派な変態だよ
に全て集約されてますが。
アニメもゲームも興味ない人からみれば、エロの有無に関わらずいい大人が子供向けアニメ(プリキュアとか)や
大きなお友達向けに作られた、小さな子がメインで活躍するアニメ(リリカルなのはとか)を見てるだけで
「気持ち悪い」「犯罪予備軍」認定する人もいるわけだしさ。
ちなみに、「分別して欲しい」発言をしたのは小学3年生の娘を持つ、コスプレイヤーの女性。
その人はコミケやコスイベントには行ってますが、子供を持つ親としては、
「ロリ系(に見える)作品(エロの有無に関わらず)を好む男性は、全・員・警・戒・対・象」らしいですよ。
(当然警戒対象には俺も含まれちゃってるらしいですがw)
女装者に関しては、人前に出るなら汚装にならないよう、様々な事を超頑張れ。としか言えないけど、
経験上、綺麗に女装する人はイケメン、ブサメンに関わらず、普段からきちんとしてるんだよな…。
(この辺に関しては、男女問わず「買った物を着ただけコスプレ」の人全部に言えるけど…)
そうそう、女装やメイクすると、いわゆる「女子力」を上げるのがいかに大変かが良くわかるよ。
アレを毎日気遣って生きるのは超大変、スイーツ(笑)とか言えなくなる。あいつら本当に凄い。
なんで、無駄に女子に対するハードルが高い人には、一回やってみる事を超オススメします。
コスプレちゃんに対して、気安く「良い女子が着ることは」とか書けなくなるって、いやマジデ。
まぁ、コミケで汚装を晒す人もそうだし、オタの人も結局同じなんだけどさ、
自分と似た趣向の人で集まってると、自分が持つ趣味、趣向の特殊性に対しての客観視が出来なくなる事は
良くあると思うんで、自戒も含めて気をつけたいですね。ハレの日とは言え、はっちゃけるのも程ほどにって感じで。
ファンタスティックhttp://www.fanta-room.com/のドール持ってる人が、
「オリエント工業http://www.orient-doll.com/top.htmlのドールとは一緒にして欲しくない。」
的な発言をしてた事が有ったんだけど。(上記2種のドールは同じメーカーが作ってて、ヘッドが違うだけ)
その人曰く。
リカちゃんやジェニーが大きくなった的な感じで女性にも受け入れられると思うけど、
リアル顔の方は正直キモイし結局ダッチワイフのイメージが付きまとうのでイメージが悪い。
等身大ドールを世間に認知していってもらうためにも、オリエントとの関係性は隠すべきだ」
とか言い出してたのを見て、大笑いしたのを思い出したんだよ。
んなもん、いい大人が等身大の人形と暮らしてるだけで、興味ない奴から見れば十分に変態だよって。
※余談だけど、俺は友人連中にはドール持ってることを隠してない上に、ファンタスティックとアリスヘッドの2体を持ってます。
そんで、友人の女性とか、飲み屋のお姉ちゃんとかに2体の画像とかを見せたりする事もあるんだけど、
印象としては半分くらいの割合でファンタの方がキモさが上って答える人がいました。
ファンタが駄目だった理由は
「リアル顔の方は怖いけど綺麗だとは思うし、アンティークドールとかの流れとして理解出来なくも無いけど
アニメ顔の方を等身大にして側に置いておくのは、生身の女性との接点を完全に絶とうとしてる様な気がして駄目」
とかそんな意見が多かった印象。リアル顔が駄目な人は一言「怖!」とかが多かったかな。
話を戻すけど、問題のBlogの人はモラルだとか、なんだかんだ言ってるけど、結局自分が嫌なだけじゃん。
コミケは対面販売が原則なので、購入目的で未成年が近づいてきたら販売拒否が出来ますし、
書籍物はよほど大きな物でないかぎりは目に止まりません。
会場内を闊歩もしないし、向こうから近づくこともありません。
※改行位置を変更しています
とか言ってるけど、これって児ポ法案絡みで言えば、
最後にdisってるオナホの販売に関しても全く同じ反論が成り立つと思うけども…。
オナホは「よほど大きな書籍物」よりデカいから駄目なのか?んなら今回偽MIDIが出したA3サイズフルカラー本はどうなんだ??
オナホは「表現物」にならないの?少なくと俺は、件の物はパッケージング等含めて立派な「表現物」だと(言おうと思えば)言えると思うけど?
もちろん、モラルだ、マナーだって事を言いたいのは俺も30代中盤になってるんで、良くわかるけど、
なんていうか、明らかに脇の甘い主張だよなぁ。
ぶっちゃけ、俺の周りで児童ポ法案を声高に反対してる人の言説って、こういう脇の甘い言動の人や、
「アイツは素晴らしい。あれほどの大臣はもう二度と出ない。アイツを絶対大臣にすべきだ!」
俺は日本のとある省庁に勤務するうだつのあがらない万年ヒラ公務員。で、それはお約束通りの世を偲ぶ仮の姿で、実際はアンダーグランドな省庁の仕事をこなす影の仕事人と言ったところだ。役人の隠語で『請負稼業』と呼ばれている。
主な仕事としては、自分が属する省庁の予算を死守する事が目的で、文字通り、『どんな仕事でも』やるのだ。予算の取り合いが激しくなった相手省庁のスキャンダル、例えばタクシーチケットの使いこみなどをマスコミや野党にリークしたりするのも俺の役目だし、天下りや税金の無駄遣いを調査するのも俺の仕事だ。だが、省庁間の争闘は熾烈を極める。敵対する省庁の『請負稼業』を抹殺するのも仕事のうちだし、その争いの末に命を落とすものも少なくない。ただ、こういう各省庁の仕事を請け負う『請負稼業』の者が死んでも死体は出てこなかったり、過労死として処理されたりする。まさしく死して屍拾う者無しだ。
そういう俺達『請負稼業』が最も気を遣うのは、大臣の人選だ。もちろん表向きは首相が内閣を組閣する時に大臣を選ぶのだが、日本で首相がそういう権限を持っていると信じているのは、高校生くらいまでだろう。組閣の際、各省庁の大臣を決めるのは官僚だ。官僚がゴーサインを出した人選の中から、首相が派閥の力学を考慮して大臣を選ぶに過ぎない。そういうわけで、一時期サプライズ人事とか言われていたあのかつての首相の組閣も『請負稼業』がもちろん一枚噛んでいた。そうでなければここまで省庁の利権が丸残りするわけは無い。
『請負稼業』の俺は、組閣に際して、これはと思う人物を選び、調査して、省庁のトップに情報を送る。それこそ、小学校時代の作文から、今まで付き合った行きずりの女まで全て調べ上げるのだ。なるべく最初から省庁にたてつかず、弱みの多い人物が大臣にはふさわしい。そういう人物をリストアップして調査するのだ。
大臣の人選で大事な三原則がある。「無能」「従順」「人気」だ。もちろん「無能」でなくてはいけない。省庁に対して機転を利かせて予算を削ったりするような輩は死んでも大臣に出来るわけがない。そして、省庁に対して「従順」でなければならない。これも言わずもがなだ。そして、一番大事なのは、意外と「人気」なのだ。大臣に人気があれば、その省庁は叩かれなくなる。しかも無能で従順な大臣が人気があって、二回三回と留任したりすると省庁はおいしい事この上ないのだ。
そういうわけで、『請負稼業』の俺達は大臣人事には非常に気を遣う。ところが、ここ数年で新しい流れが出始めた。これまで『請負稼業』に一任されていた大臣人事なのだが、『請負稼業』と同じく、アンダーグラウンドな役割の専門家が出現し始めたのだ。その名も『大臣スカウト』だ。もちろん、隠語だが。
俺はこの『大臣スカウト』を最初は信用していなかった。死ぬ気でやってきた自分の仕事が取られたのが面白くないと言うのももちろんある。どこの馬の骨かわからない『大臣スカウト』にこの道の事が簡単にわかってたまるかという反骨心が先に立ったのだ。だが、俺は結果的にトップの命令に従い、『大臣スカウト』の意見を訊く事にした。トップの命令は絶対だし、また、トップの命令が間違っていた事は無かった。国民が危険にさらされるようなどんな失敗でもやらかす俺の省庁だが、予算を守る事に失敗した事なんて一度もないのだ。
こうして、俺は指令を受け、『大臣スカウト』に会った。どこぞの小汚い中年禿げデブなオッサンは脂でテカテカ光った顔で微笑みながら握手のために手を差し出したが、俺はゴルゴ13に倣って小学校以来握手はした事ないんだとその場で考えた嘘で本能的に握手を断った。そして、仕事でなければ絶対に話をしないであろう『大臣スカウト』に「無能」で「従順」で「人気」のある大臣候補の人選を仰いだ。『大臣スカウト』は、良い人材が見つかったら連絡する、と言ったまま一週間何の音沙汰も無かった。
『大臣スカウト』から連絡があったのは、俺が大きな仕事に区切りをつけ、久しぶりの安眠を貪っている時だった。寝ぼけながら携帯電話を取った時、ディスプレイの時計の表示はAM2:13だった。受話器から聞こえるオッサン声が『大臣スカウト』でなければ、逆探知してトドメを刺しに行っているところだ。俺は不機嫌を隠さない声で『大臣スカウト』に聞いた。
「候補は見つかったんだろうな?」
「アイツは素晴らしい。あれほどの大臣はもう二度と出ない。アイツを絶対大臣にすべきだ!」
アイツはこうして俺の省庁の大臣になった。
俺は最初『大臣スカウト』の言葉を疑っていた。確かにアイツは人気があったが、元々うるさい評論などで活躍をしていた奴だ。とても無能で従順などとは思えなかった。そこが『大臣スカウト』の慧眼だった。「何度もビデオを見て、アイツが如何に無能で目先の事しか見ていないか、自分の人気の事しか考えていないかがよくわかってきたんだ。目をつぶれば俺達の言いなりになってくれるという姿がありありと浮かんできたんだ。アイツしかいない、とすら思えた。天啓に近い確信だったよ」
俺は『大臣スカウト』の自信に満ちた神がかり的な声を聞いて、アイツの周辺調査を行い、叩くほどに出てくるスキャンダルの多さに半ば感心しながら、調査報告書をまとめてトップに提出した。自分で言うのもなんだが、これだけのスキャンダルの材料があれば、従順どころか傀儡人形だな、と少しアイツに同情するほどの充実した俺のレポートだった。
こうして俺と『大臣スカウト』が自信を持って世に送り出した大臣は、三回の留任をして、俺達の省庁に多大なる貢献をしてくれた。圧巻は、うまく世論の攻撃を交わしながら、行政改革をしてると見せかけて、俺達の省庁の天下りの巣窟の一つを完全に残すという離れ業をやってのけてくれた事だ。人気のない大臣だったら、一回目で首をすげ替えられ、こんな大仕事は成し得なかっただろう。まさしく、俺達のための大臣オブ・ジ・イヤーだった。省庁のトップから臨時のボーナスが出たほどだ。
俺は早めの仕事納めして、『大臣スカウト』に最高級ズワイガニ3匹セットをクール宅急便でお歳暮に送り、年末年始をハワイで過ごすための飛行機に乗った。
ロリコンねー…二次媒体で収まっててくれるならそれでいいとは思うんだけど。もともとそういう嗜好の人もいるだろうし。新たに二次を見ることによって目覚めちゃう人も三次に手を出さなきゃそれでいいんだけどさ。
ただ,現実としてたまに混合する人がいるというか,性欲をちゃんと別の形で吐きだせない人がいて,直接子供に手を出す人がいるのはとても問題だと思う。二次だけもしくは何らかの形で欲望を三次元の何もわかってない子供に向けないようにする何かがないんだろうか。一切のロリものを抹殺したらロリコンは消えるかといわれると,はっきり言ってそうだと断定できない。むしろ違うだろうと思ってしまう。
初めて痴漢に遭ったのは幼稚園に上がる前だったので三歳だったか四歳だったか。一つ下の妹が呼び止められてひょこひょこついてったあとを追いかけて行ったら男が下半身を見せていた。妹と首をかしげてそれを見てから,外でお尻を出してる人に普通の人はいないだろうと何となく思って,即座に妹の手を引いて家に帰った。よくわからなかったので母親には言わなかった。
それから何度かたぶん同じ男だろう,いつもロングトレンチかなにかを羽織って必ず一番年下の子を呼び止める。団地住まいだったので,同じくらいの年の子と遊ぶことも多かったから,その妹たちがだいたいターゲットだった。まだ疑うことを知らず,男が何をしようとしているのかも全く分からず呼ばれたらついていってしまう。なんかへんだということだけは理解してそそくさと場所を変えたり,家に帰ったりしたけれども断続的に数か月続いたような,数週間で終わったような,そのあたりの記憶は確かではない。
男は確実によくわかってない子供を狙っていたし,何か違和感を察知して逃げる子はターゲットにしなかった。あの男に別のはけ口はなかったのだろうか。年端のいかない,何をされてるか理解できない子供をターゲットにすることでしかあの男の性欲は満たせなかったのだろうか。もし,代替となるはけ口が存在せず三次元の子供に向かうことでしか発散できないのであれば,脅威であるし即刻隔離してほしい。痴漢も強姦もも性的虐待も幼い子供にはわからない。わからないけれども記憶には残るから,あとで自分がされたことを知り問題が起きることも多々ある。親としても自分の子供がそういう暴力にさらされるのを看過できないし,もしあってしまったのなら本人が理解できていなくても守れなかったことをひどく後悔するだろう。
同意のない性行為でしか満たせない性欲をもった人間の暴力にさらされる女性が少しでも減ればよいのにと思う。一方でもし,二次元なり人形なりで性欲が発散でき,三次元の罪のない子供にその暴力が向かないのならどうぞご自由に,である。多くのロリはきちんと代替手段で性欲を発散し,表に出てくることはないのだろうだから,そうではないロリとはきちんと分けて議論すべきだと思う。
結構言わないだけで、好きな人多いと思いますよ。
憧れというよりも、素敵なキラキラしているものを見るのが好きなんだろうと思います。宝石箱や宝箱を覗いている感覚というか、自分とは違う世界なものを眺めている感じでしょうか。それか着せ替え人形なのかもしれない(水着や性的なポーズをさせているのより、普通の服を着ているのを見るのが好きだから。素敵な人って基本的になに着ても似合うよ)。
彼女たちの表面が好きなんだと思います(職業に対する拘りやプライドを感じられればもっと好きになるけど)。
だから、プライベートで誰と付き合ってようが平気。ただ、幸せになってほしいなあとは思うけど。私を楽しませてくれるのに、不幸せにはなってほしくない。リア充であってほしいし、いろんな経験してくれればいいな。
ダッチワイフで性欲を解消させるという手がある。
11 名前:名無しさん ??君の性差??:03/04/20 12:20 じゃあ俺もひとつ。 以前観た深夜番組でダッチワイフ(性欲処理用の実物大精密人形)の 製作会社の職人さんが出てた。その人がこんなこと言ってた。 「そりゃああんまりでっかい声で言える仕事じゃねえけどさ。おれの仲間でも娘にばれて何年も口聞いてもらえなかったって奴居るしさ。ダッチワイフなんて言ったら気持ち悪いとか、変態とかさ。女性差別だって抗議にきた団体もあったよ。 でもさ、ソープもそうだけど、だ??れもソープやダッチワイフと寝たいなんて思ってる男なんていねえんだよね。誰だっていい女とちゃんと恋愛して、ほれられてセックスしたいよね。 でもさ皆が皆そんなこと出来ないじゃない。ましてや障害者の人なんてそんなにしょっちゅうソープ行くほどお金貰ってないしさ。 昔一回ある施設に寄付したときがあってさ、一人の障害者が『ソープとか行っても何となくいやな顔をされてるのが分かる』って言って自分らの寄付したダッチワイフをいとおしそうに受け取ってくれたんだよね。 それ以来おれは例え人におま(ピー)人形って言われても、すこしでもあういう人達が喜んでくれるような人形を研究したいわけよ」
イッツ・ア・スモール・ワールドは別段好きではない。
むしろwktkして乗ると案外単調で退屈だったりして、肩透かしを食らうこともある。
だけどアレに乗らないとどうしてもディズニーに行った気にならないのだ。
で、何でそこまで思い入れがあるんだろうと考えていたら、
自分はイッツ・ア・スモール・ワールドの持つ「時代遅れで嘘くさい」雰囲気に、どうしようもなく惹き付けられるんだと気づいた。
アレは「なつみSTEP」に近いような、そこはかとない不安定さ・危うさが漂ってる。気がする。
待機スペースの無駄なだだっ広さ。壁一面を彩る幾何学的でメルヘンな絵、にも関わらず天井とスロープは真っ黒。むき出しの鉄パイプ。
急旋回もアップダウンもなくただゆっくり進むだけのボート。張り付いた笑顔でカクカクと単純な挙動しかできない人形たち。
違うゾーンに入るとタイミングが合わず変に混じった歌声。うつろな目をした仮面が描いてある民族衣装。
ディズニーのアトラクションはたいてい良くも悪くも作り物っぽいんだけど、
それぞれの世界観に合わせて徹底的に作りこんであるので、個々がきちんと「夢の世界」として成立している。
しかしイッツ・ア・スモール・ワールドに限っては、年季入ってて若干寂れてる上に、ツメが甘いというかボロが出てるというか、なんとも「虚構の現実」感が凄まじい。
そのへんのテーマパークならそこまで違和感ないんだろうけど、天下のネズミー王国にあるだけに浮いて見える。
そこにテーマのリアルさもあいまって、見ようによってはシュールの連続で、ある意味強烈にエグい。
そもそもディズニーは夢と魔法の王国なのに、どうしてアレだけはストーリーも主人公もないんだろうか。
これはきっと、「世界平和なんて魔法の国の小さな世界でしか成立しねーんだよ!」というディズニー自身のメタ的な自虐・・・おっと誰か来たようだ。
さんざんなこと書いたけどやっぱりイッツ・ア・スモール・ワールドが好きです。
もしもこの先大幅な改良が加えられて、プーさんのハニーハントばりにギミックいっぱいで充実したアトラクションになっちゃったら、それはそれで面白いだろうけど、
それはもうイッツ・ア・スモール・ワールドとは呼べないし、たぶんもう二度と乗らない。
今日が暇だったから、前々から興味があったはてな匿名ダイアリーに日記を書くことにしてみた。色々調べていると、初心者のための増田講座みたいのもあって世の中は平和だなと思った。せっかく書くのだから、たくさんの人に読んでもらえると嬉しいなと思った。だから、いかにもなタイトルを付けてみたが特に内容はない。それでもいいんだよね?
でもせっかくだから、タイトル通りの内容を書いてみることにした。意見とかもらえたら嬉しいのだけど。まぁなくてもいいや。書きます。「人に説明をする時に気をつけているたった一つのこと」。
とかさ、何一つ間違ったことは伝えてないんだろうけど、分かった気がしないよね。これ、多分説明してるんじゃなくて、定義をしてるだけだからなんだと思う。数学の教科書も似たような構造をしていて、最初に公式の定義があって、その後に延々と証明があって、最後には定義通りの式が導出できてて、「ほら簡単でしょ?」、じゃあ次。ってな風に説明されているよね。これで分かる人もいるのだろうけど、苦手な人、多分多いです。数学嫌いな人は特に苦手なんじゃないかな。これは、「○○ってなに」とか「○○ってなんだろう」みたくチャレンジ一年生的やさしげな言葉に置き換えたところで、その分かりづらさは何一つ変わることはない。
だからこそ、人に何かを説明する時「とは」に頼りすぎないように気をつける。じゃあどうするのかというと、よく練り上げた比喩で説明をはじめる。いいお手本として参考にしているのが、「郵便と糸電話でわかるインターネットのしくみ」という本。内容は別にどうでもいいから、目次だけは見てみてほしいです。「通信の基本はのろしと糸電話」といったように、ほとんどの人が実体験として持っている、もしくはかなりの人が常識的に知っていることばによって説明をはじめる。そのことばを軸にしつつも、比喩の部分をだんだんと削ぎ落としていき、説明すべき事項に慎重に近づいていく。そのように説明が展開されるように気をつけています。説明の最終段階として、ことばを持ち運びしやすいように定義づけるのは別にいいことだとは思います。説明の流れのイメージとしては、マトリョーシカ人形などどうでしょう?一番外側はよく知っている顔なのだけど、一個ずつめくっていくうちにいつの間にか違う顔のマトリョーシカになっているという感じ(この比喩がわかりにくいよ!)
もちろん定義という手段が必要になる場面はいくらでもあります。そして「とは」を使った表現が有効な場合だっていくらでもあります。ただ、無自覚・無意識に「とは」を使って説明した気になっているようなやつには、十分反省してほしいです。以上。