はてなキーワード: ノベルとは
元増田とそれに連なる増田さんたちとお近づきになって、ぜひいろんな本を紹介していただきたいもんですぜ。
私なんかいまさら「燃えよ剣」とか読んでんのに。
ミステリも嫌いじゃないのに、綾辻行人とか北村薫くらいしか知らなかったり
メフィスト賞も、森博嗣とか京極夏彦とかしか読んでないくせに、
ファウストがらみの、西尾維新とか、舞城とか、滝本竜彦、とか奈須きのことかは読んでて
このミスは手を出したいけど結構しり込みしてたりして
日本ファンタジーノベル大なんて、とりあえず酒見賢一読んどけばいいとか思ってて。
ホラーなんて、平山夢明と乙一ぐらいしか思い浮かばない状況で。
ハードボイルド系だと真保裕一しかわかんなくて福井晴敏入れてもいいの?とか思ってる。
まぁ、SFだと森岡浩之とか野尻抱介とか小川一水とか機本伸司とか好き。イーガンとかルグウィンが好きで。
電撃からコバルトまでラノベには全部チェック入れてるんだけど、結局読んでるのは
上遠野浩平とか時雨沢恵一とか古橋秀之とか秋山完人とか有川浩とか、なんかメジャーどころばっかりだし。
腐った方向にはいってみたいけど、どこからよんだらいいか分からない。
もう、なんか頼むから誰か俺に本をガンガン紹介して欲しいんですよ。
まず「哀しみキメラ」。最近読んだライトノベルの中では結構よかった。タイトルで損してると思う。ややワンパターンながら4冊できっちり終わってるし。でもまあ何度も読み返すほどではないかも。
護樹騎士団はシリーズ未完結なのだけど、マイナーなので途中で永遠に未完ってことにならないように推しておく。ひょんなことから巨大ロボに乗って戦うことになった巡礼(下層民と思ってもらってOK)の少年が、実は色々と出生に謎があって…みたいな話。成り代わり&サクセスが好きな人は結構楽しめると思う。若干暗い&重いけど。貴族社会ってやーねえ。全く無名の作者だと思ったら「僕はイーグル」(だっけ??)の人の別名だという噂を聞いた。あの人無駄にシリアスするからあんまり信じたくないので真偽は知らぬ。
「東京バンドワゴン」の新作。一作目もよかったけど二作目もまたよし。宮部みゆきの古本屋のお爺さんと孫の話が好きな人には自信をもってオススメできる(いやにピンポイントだが)。藤島さんかっこいいよ藤島さん。
「氷の華」。ミステリ。60才過ぎててデビューってことで騒がれていたけど普通に面白い。ぶっ飛んでて覚悟があって潔い女犯人を見たいならこれを読むべし(ネタバレじゃないよ)。
「モップの魔女は呪文を知っている」お掃除やさんの何作目か。もうとにかくシリーズ一巻から読んでください。出てくる人出てくる人みんな泣かせる。猫丸先輩好きな人なら好きなはず。でも猫丸先輩知ってる人なら知ってそうだ。
「卵の緒」瀬尾まいこはいいんだよ!「幸福の食卓」がDVDレンタルされてることだしこれを機会にどうでしょ。読みやすい文体。特に何事もない展開。何故かほっとする読後。あと瀬尾まいこが好きな人には栗田有起を。「ハミザベス」とか「お縫い子テルミー」とか「オテル・モル」とか、奇妙でほっとする話を書かせたらこの人の右に出る人はいない!……と思う。
「方舟は冬の国へ」擬似家族ものが好きな人に是非。何の縁もなく集められた二人の男女と一人の少女が家族になるまでの過程を書いた話、と個人的には思ってる。SF的なとことかミステリ的なとこはアクセントで。
「6時間後に君は死ぬ」も最後のつながりが良かった。ダンサーの話も。説明しづらいので読んでみて欲しい。
「世紀末大バザール 六月の雪」全然鮎川哲也賞っぽくない話。鮎川哲也賞ってだけで敬遠してる人がいるなら読んで欲しい。ちょっぴりダブ(エ)ストンな感じで日本ファンタジーノベル賞っぽい(しかしダブはメフィストだったかも)。全然ミステリじゃないのだ。でも元ネタ読んでると笑えるとは思う。
あれは 2000 年春のことだった。20 世紀最後の年。ネットバブルまさに華やかなりし頃、ライフスペース・グル高橋ふうの風貌を持ち、元ベトナム戦争従軍記者/MSN エグゼクティブ・プロデューサなる経歴を主張する椎原が率いる鎌倉「未来創庵」のメンバーたちは、ロサンゼルスで開かれた Internet World の会場にいた。
当時はまさにネット企業が百花繚乱。Internet World の会場を歩けば、ブースの前を通るたびに各社がちょっと気の利いたノベルティ・グッズをこれでもかとばかりに手に握らせてくれた。
だが、未来創庵のメンバーの目的は、むろんそんなことではなかった。
彼らは、ウェストコーストで未来創庵の CTO を獲得することだった。そのため、ロスでひとしきり楽しんだ後は、おなじみの、まるでダイヤが守られないアメリカ国内便空路でサンフランシスコへ、さらにフリーウェイ 101 号線を走ってサンタクララに向かった。
シスコからサンタクララまでの 101 号線のロードサイドには、IT 企業の看板がズラリと並んでいた。まさに当時の繁栄がそこには如実にあった。
未来創庵のメンバーは、サンタクララを拠点に、アップルやインテル、あるいはサンといった並みいるシリコンバレー企業、および UCB やスタンフォードをいった大学を回ることとなった。
しかしながら、週末と重なってしまったため、目ぼしい人材にお目にかかることは叶わなかった。いや、仮にウィークデイであったとしても、人材獲得はムリだったろう。何しろ、スムーズな英会話のできるメンバーは一人としていなかったのだから。
本来の目的を果たせず、ノベルティ・グッズをせいぜいの土産に、未来創庵メンバーは帰国した後、鎌倉の椎原の元に向かった。
椎原はしごく不機嫌だった。当然だろう。メンバーを観光旅行に行かせたわけではなかったのだから。
その後の椎原は、経費詐欺に等しい行為が露呈したり、アフリカの小国からの発信を装う資金提供メールをダシにメンバーに原資の提供を迫ったり、あるいは鎌倉の拠点でのビジネスの目処が立たなくなったりといったいくつかの芳しくない理由で、逃げるように鎌倉を去った。
その椎原が亡くなったという話を聞いたのは、ほんの先日のことだった。
私が本にのめり込むきっかけとなったのは、小学二年生の時に親から買い与えられた江戸川乱歩だった。題名は覚えていないのだが、怪人二十面相シリーズのどれかだったと思う。それまで童話やゲームブックしか読んでいなかった私は、たちまちその"はじめての小説"に夢中になった。何度も読み返し、本屋に行くたびにシリーズをねだり、次々と読破していった。読書欲、を感じた最初の瞬間だった。初めて自分のおこづかいで買った小説は「三角館の恐怖」で、この本に関しては購入した店も、そのシチュエーションも、はっきりと覚えている。あの頃は今よりももっと、本は輝いていて、私にとって尽きぬ宝の山のようだった。
やがて江戸川乱歩の子ども向けに出ているシリーズを制覇した私は、買い間違えたことをきっかけに、よく似た装丁のアルセーヌ・ルパンシリーズにも手を出した。「奇巌城」「813の謎」……ルパンの冒険と謎に胸をおどらせることの幸せだったこと。読み終わった私は、今度は祖父母に世界文学全集をねだった。この頃にはもう、両親よりも祖父母にねだる方が勝率が高いことを、私は理解していた。手に入れた全集は分厚く、何冊も連なり、私はそれをむさぼるように読んだ。私はそこにある本を読まずにとっておくことや、ゆっくりと何回にも分けて読む、ということの出来ない人間だった。覚えたての読書の味は熱病のように私をとりこにしていて、憑かれたように全集に没頭した。「海底二万マイル」「秘密の花園」「小公女」「黄金虫」……めくるめく世界は、まだまだ幼かった私の前にどこまでも広がっていた。
そうして、三年生になる頃には親はもうあまり本を買ってくれなくなった。その代わりに、図書室があるじゃないか、と私に言った。図書室に入り浸ることを覚えたのはこの頃だったと思う。毎日、給食を終えるなり図書室に駆け込んだ。読書に熱中するあまり、本棚の影で授業が始まっていることにも気づかず本を読み耽ったのが、私が始めて授業をさぼった思い出だ。その調子で図書室を開拓し、私は年間で20枚以上の図書カードを消費し、登下校の最中も歩きながら本を読んでいることで先生に怒られ、一年と少しが過ぎる頃には図書室の本は大体読んだと豪語するまでに至った。
それでもまだ読む本を貪欲に求めた私は、父親に面白い本を尋ねた。本の世界はあまりにも広く私の前に広がっていて、私はまだ、指針がなくては進むべき方向が分らなかった。父は私に「ロビンソンクルーソー」を勧め、それを私が気に入ったとみるや、次々に本を教えてくれた。これは後に私が入り浸ることになる図書館のものだったが、この時の私はまだ図書館を知らなかった。「二年間の休暇」「トムソーヤの冒険」「月面旅行」「地底探検」、冒険もの、漂流モノにはまったのがこの頃だった。
五年生になって、私には新しい友人が一人増えた。彼の影響を受けて、私は今度はSFの世界にのめりこむことになった。タイムマシンものよりも、謎のウイルスの話、宇宙人よりも、突然変異体が暴れまわる話が好きだった私を、彼が笑っていたことを覚えている。最も印象に残っているのは植物が突然人を襲い始める話で、何故か最後の部分だけ落丁していて読むことができなかった。そのせいで今でも覚えている。
六年生になってようやく、私は図書館という広大で未知の宝の山に足を踏み入れた。ここで赤川次郎にのめり込み、やっと私は、"作者で本を選ぶ"という指針を手に入れた。今までSFであればSFを、無人島ものであれば無人島ものを、とジャンルで開拓していたことに比べて、作者、という指針は非常に分り易かった。何より図書館は作者ごとに整理されていて、端から読んでいくのにちょうどよかった。私は弟の分のカードも使い、12冊借りては読み、翌日また12冊借りては……ということを夏休み中繰り返した。たまに別の作家の本に手を出し、それが面白ければその作者の別の本も…というように"あ"から順に私はじりじりと侵攻していった。
あの頃むさぼる様によんだ赤川次郎の面白さを、今ではもう理解することができない。けれど棚ひとつを埋めつくす赤川次郎の著作を眺めながら、少なくともここに棚ひとつ分の読む本がある、と奮い立った胸の高鳴りはしっかりと覚えている。赤川次郎や森村誠一や筒井康隆といった、あたるとデカイ作家は、あの頃の私には本当に偉大な存在だった。その分、寡作な作家は私の包囲網からはすっかりと抜け落ちていた。
穴を埋めてくれたのは、母だった。母は私に恩田陸をすすめ、若竹七海をすすめ、服部まゆみをすすめた。それらの少しマイナーで著作の少ない作家の作品は私を魅了し、私は父より母を頼りにするようになった。母は次に、綾辻行人や西澤保彦をすすめ、有栖川有栖を見切っていた私に、江神先輩シリーズを読ませて改心させることに成功した。いわゆる推理小説にはまったのがこの時期、中学二年から三年にかけてだったと思う。
母からは面白い作家だけでなく、"賞で選ぶ"という新しい指針も教えられた。母のお気に入りはメフィスト賞と日本ファンタジーノベル大賞で、私が講談社ノベルの新刊を全てチェックする、という蜜月の日々を一時期過ごしたのは、このせいだった。
中学を卒業する頃には私はいっぱしの読書家になっていた。最早教えを請わずとも、本屋を回り、タイトルを眺め、新たに開拓することができるようになっていた。けれど、書くスピードの方が確実に遅く、読む本はいずれ尽きるのではないか、という思いが頭に時折浮かぶようになったのもこの頃だった。
そんな思いを裏切って、高専に進学した私は新しい世界を知った。ライトノベルというその手付かずの場は、まだまだ広く私の前に残っていたのだ。コバルト,電撃,スニーカー,ビーンズ,ホワイトハート,デュアル,富士見……毎日学校帰りに本屋で一冊読破する、という本屋に迷惑な習慣を身につけたのはこの時で、毎月いっぱい買ってるのだからいいではないか、と自分の中で言い訳していたような気がする。当時バイト代は半分近く本代に消え、年間30万に届こうという勢いだった。今思えばあれが最後の、輝かしい読書の思い出だ。銀河英雄伝説を一気読みして泣いたことも、グインサーガを一週間で既刊読破し、読む時間と巻数が反比例していることを嘆いたことも、銀の海金の大地を捜し求めて古本屋を回ったことも、本当に懐かしく幸せだったと思う。
今ではもう、好きな作家の新刊と一部の賞の受賞作品をチェックするだけで、何も新たに開拓しなくなった。開拓する余地も、なくなってしまったように感じる。今でも本は変わらず楽しく、面白いもののままだ。それでも全てをかけてのめりこむような読書はできなくなってしまった。
まだ海外作品と古典が残っている、そう思うこともあるけれど。それに手を出すのは隠居生活に入ってからになりそうだ。
私も比較的似たような状況で、今年の4月頃”入信”したクチ。YouTubeで全話観て、その後ノベル版を借りて一気読みし、読み終えたその夜のうちにAmazonで一気買いした。
きっかけは、ハルヒダンスかな。3/25の集団ダンス@秋葉の映像とか観て、そこまで多くを魅了するこれはいったい何なのか、と、じわじわ思い始めた。でも正直、”ライトノベル”という分野に若干引いていた。結果的にはそれが幸いしたかな。ノベル版読んで、「アニメ先に観てよかった」と思ったからね。ただし、予備知識なしで「みくるんるん」観たら絶対嫌悪してた。
アニメはもともと嫌いじゃない。いろいろあってここのところ離れていた。だからポテンシャルは十分あったわけだが、今思えばノベル版借りた知り合いがハルヒの絵を描いた人の知り合いだったのはもう出会うべくして出会ったとしか思えないわけで、最新刊が発売延期になってちょっとじりじりしている自分がいる。
でも、あれだな。私は1巻でちらっと出てきた(会話の中だけだが)時点で既に「佐々木萌え」だったので、「長門は俺の嫁」はよくわからない。知り合いも「ノベル版ではミクル、でもアニメ版でハルヒに鞍替え」(注:おっぱい星人である)と言っていたし、まあいろいろいるんだろうな。
>思想・感情の表現
ていうのは、同じことを描写しても人によって違う結果が出ることを言う。
この「同じ」「違う」というのがまた微妙なんだけどまあそれはちょっと概念として脇においておいて、そういうことがあるから単なる事実の羅列である新聞の見出しなんかは著作物として認められないわけだ。
でもって、ゲームのプレイも、人によらず全く同じものが出来る程度のものなら思想・感情の表現とはならない。たぶんスーパーマリオの1面なんてのは誰がやってもほとんど同じプレイになるんで認められない可能性が高い。スーパープレイとかだとどうだろうね、場合によっては認められることもあるかもしれないかもしれないくらいのものにはなるんじゃないだろうか?
でも、ここで言っている「プレイが著作物として認められるかどうか」というのは、プレイした人に関わる著作権(二次著作者の著作権)であって、ゲームそのものの著作権じゃない。わかりやすいところで言えば完全に一本道のノベルゲームをそのまま収録したビデオはゲームそのものの著作権を侵害している可能性はあるわな。他のゲームも程度の差はあるがそういう話はできる。どこまで認められるかはその程度次第。というかいくら二次著作がうまく出来ていても、一次著作者はその権利を失うわけではない。
で、ゲームプレイってのはいくつかの例外を除いて、二次著作がうまくいっていないと一次著作物だけでは完結できないので、そこのところを意識的に混同させているのがひろゆきの手。
http://anond.hatelabo.jp/20070427173440
ChanKoという題名の意味のわからなさに道に迷い。
ノベルゲームのパラダイムシフトという副題のセンスの無さに絶望した。
世間需要はそれほどあるとは思えないけどさ。それなりにはあるんじゃないかな。
今みたいなMMOができる前はオンラインゲームなんてノベルゲームぐらいだったけど、あの時代の産物を今のインフラでリプレースするだけでそれなりのものができると思う。
かまいたちの夜みたいなものをプレイヤーにロールプレイしてもらえばそれなりに楽しめるんじゃない?
あれ・・・。でも、これってもしかして人狼じゃないか?
人狼xoopsにajaxなんてのがあったけど、フラグが立ったら挿絵が入るとかそういうのが入るようになっただけで大進化。
いずれにしろ題名と副題しかわからないのであまりイメージできないや。
ただ、この場合YouTubeじゃなくって、http://www.stickam.jp/ みたいなストリーミング系の方がいいんじゃないか?
さいきん爺になったのか若い人を応援するほうが楽しい……。
高校生のプログラミングコンテストとか見学にいきてぇな。
増田テーマソング(死人の箱には15人♪)
2007年春、ひとりエクスタシーサミットin増田アンコールラスト
[替え歌]HACK STAR / THE GREASE MONKEY
ニヒルなあいつにROCK’ON 〜秩序なんてぶちこわそうよ!!!〜