はてなキーワード: 貴族とは
それは有村さんの魂が貴族だからだよぅ! 私は使用人根性がしみついた労働者階級なので、何かに「仕える」こと全般が嬉しくてたまらないのだ。でも、それだけが唯一絶対の素晴らしいことじゃない。貴族には貴族の素晴らしさがあるので、貫いてください。
http://anond.hatelabo.jp/20090402020114
意外に思うかもしれないが、
日本というのは、個人性の強い文化なのだ。
とりあえず、Wikipediaの「爵位」という項目を読んでみてくれ。
欧州の爵位に共通しているのは「爵位」という名誉は何らかの貴族の家系そのものに対して与えられているのではなく大本の爵位(官職)が担当する行政区域(公爵領、侯爵領、伯爵領など)に対して与えられているもので、爵位の保持とは言い換えればこうした領域の保持の事という点である。つまり特定の地域が何らかの爵位が担当する区域であるなら、その区域を実効支配する人物こそが爵位を名乗るに相応しい人物という形になる。
こうした点は家柄そのものに与えられる称号である日本の爵位制度とは大きく異なるため、注意が必要である。例を挙げれば、ある一つの家が複数の爵位を保持している状況は日本においては制度的に考えられない。しかしヨーロッパの場合はその爵位の担当する所領を保持していることが爵位の保持と同義であるから、ある家が7つも8つも爵位を保持していることは全く珍しくない。こうした複数の爵位を保持する家の場合、もっとも重要な爵位以外を切り離して嫡男以外に分け与えることすらある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%88%B5%E4%BD%8D
「神のもとの平等」という建前のある西洋では、
「高貴さ」は王権神授説的な「神の代理人」として合理化されており、
「立場」に由来しているものとされている。
(あくまで建前上の話である)
一方、日本では、「現人神」がいたり、「生き仏」がいたり、カジュアルな「ネ申」だっているわけで、
神性を含む「高貴さ」は、「血統や個人の振る舞い」に由来している。
つまり、西洋に比べ個人性が強いのである。
だから、元増田がいうような
「総理大臣とは役割である」という考えは、
日本ではそもそも馴染みがないのだ。
あるいは一般論で言えば「ノブレス・オブリージュ」でもよいが、
「高貴なる個人が、そうでないものを導く」という価値観である。
それが「ニュータイプ」だったり「イノベイター」だったりするわけだ。
(追記注:西洋的にはノブレス・オブリージュは「高貴な立場にある人間が・・・」であり、個人性は建前上、消されている)
こういったものは建前上、西洋では受け入れられない。
つまり、
「高貴さは、その人個人に由来するのではなく、立場に由来する」
ということにしているのだ。
日本はそうではない。
王権神授説的な
「高貴さは、その人個人に由来するのではなく、立場に由来する」
という考えは輸入しなかった。
日本では、「高貴さは、その人個人に由来する」のが当たり前であり、正義なのだ。
今までの話を一般化すれば、
「日本という物語は、個人を神格化することで受け継がれている」
ということになる。
だからこそ、「総理大臣とは役割である」という考えは、
日本では建前にもならないわけだ。
そのうち日本も高学歴-高学歴結婚、低学歴-低学歴結婚、って風になってくんだろな。というか、「下流社会」によるともうそうなりかけてるらしいが。アメリカなんて既にそうだしな。格差社会っていってんだからそりゃそうなるのも道理か。昔の貴族-貴族の結婚が高学歴-高学歴、になるだけの話。
処女で若いけど頭悪い女なんて俺は全然結婚したくないわ。処女厨にはいい物件なんだろうけど。
だって若いとかいっても、そのうち誰でも老いるわけで。「若さ」に重きを置く結婚てその時点で無理があるだろ。いくら若い妻めとったところで結婚生活の中で若い期間なんてどれだけだよ。次々若い妻をめとれる王でもあるまいしw
若い奴を蔑視する気はないが、あんまり若い奴はやはりそれ相応の頭なんだよね。年の差結婚の報道で思うのは、「話合うのか?」ってこと。これは単に当時ヒットした歌謡曲の違いとかそういう事でなく、頭のレベル的な意味で。
学歴厨と言われるかもしれんが、やはり学歴と頭のよさは相関性があるよ。「受験だけで頭のよさははかれない!」とか言うけど、俺から言わせてみれば、そもそも大学受験すら突破できない奴が頭がいいわけないだろと。いや。そりゃ、規格外の天才みたいなのは稀にいるだろう。でも稀は稀。あくまで例外。受験を突破できる頭の持ち主だけど敢えていいところへ行くのを避けた、なんて奴もいるこたいるだろうが、やはりそれも例外でしかないわけ。(といってもそれは学歴高い奴の中に頭悪い奴は居ない、ということにはならない。むしろそれはあり得る)
やはり結婚するのだったら、同じくらいの年齢で、同じくらいの学歴を選ぶね。妄想とか抜きで、リアルに考えると。これからずっと一緒に暮らしていく相手となるとやはりそうなる。エグい言い方するが、処女で若い女を選ぶメリットって、少しの期間タダで若い女とセックスできるってことだろ?そんな刹那的な快楽のために、それこそもっともっと長いその後を「寄生」されて一生を棒に振るのか?(処女で若い女を娶ろうって時点でたいがい専業を考えてるわけだろ?)って話。俺からすれば。それだったら風俗通ったほうがよほど金もかからんだろ。大体これは個人的な感想だが、処女とセックスって別に気持ちよくない。刹那的な快楽すら微妙。気使うだけ。
処女厨と、結婚に夢見がちな女(所謂スイーツか?)ってよく似てる。お互い忌み嫌ってるだろうがwどっちも、結婚生活の初期しか考えてない。結婚生活のほとんどは二人とも老いているということや、子供に関して言えば可愛い時期なんかすぐ過ぎるという事を全然考えていない。どちらも空想しかしていない。非モテとスイーツも、そういう意味じゃ気質似てんだよな。前者はネットの情報を鵜呑み。後者はテレビの情報を鵜呑み。どちらも顔面至上主義・恋愛至上主義(非モテは実はそうだろ)?非モテが有名なニュースサイトなんかで紹介されたもんにすぐ食いついて「萌え」とかいってんのと、スイーツがテレビ番組で紹介されたもんにすぐ食いついて「カワイー」っていってんの、全く同じ。こっちからすれば。お前らそっくりなんだから仲よくすりゃいいのにw
だから「下流社会」のデータはある意味納得いくものがあった。高学歴でそれなりに経験のある男が考えてるのは寧ろこういうこと。いくら若くて可愛くてもギャルと結婚とか考えられねw大体30こえたらその辺のやつって子供に見える。古い言い方すると「しょんべんくさい」感じ。まあこの感覚は年くってみないと分からんだろうが。処女厨の中には学歴高い奴もいるけど、そういう奴って大概、「顔も運動もできなくて勉強だけはできた」ってことでレベル高い大学にはいってみたら、そこには「顔もいいし運動もできるし勉強もできる」奴がたくさんいて、一層落ちこぼれてしまった・でも曲りなりにも高学歴だから、妙なプライドもある、っていうタイプの奴だろ?だから普段は非モテぶって卑屈でいるが(非コミュゆえ)、こと女関連になると「中古はもらいたくない」とか強気に出る(ここに一応俺は高学歴なんだからというプライドが出ている)。まあある意味一番カワイそうなところだわな。微妙な立場だから。最初から低学歴だったりすればいっそそれ相応の思考や望みになったりするんだろうが、なまじ高学歴だから色々な望みを捨てきれないんだろ。
http://anond.hatelabo.jp/20090308235742
クラシックの音楽にはまったり、ピアノの練習をしたり、美術鑑賞が好きになったりしてはまり出すと、
JPOPなんかにお金を出す気はなくなってしまうし、逆に良い物ならどれだけでもお金を出したいと思う。
昔は音楽って貴族だけが楽しめるもので、庶民はほとんど無縁のものだったはず。
もちろん町で笛を吹いてたりするのを聞いてお金を出すくらいのことはあったかもしれないけれど。
それが科学の発展に伴って一般庶民にも音楽が普及するようになった。
音楽がお金になると分かると、一般大衆向けの音楽でお金を稼ぐ人が増えてきた。
今はネットのおかげでそれがしにくくなっただけ。
それって、そもそも笛を吹いてお金をもらっているようなもので、
文化の発展にはそんなに大きく関係しないと思うな。
音楽がタダになっても、映画のBGMは必要だし、クラシックは好きな人だけが聞けばいい。
今日を生きるのに精一杯でリストラされないか心配している大衆に理解できるわけがない。
理解できなくて良い、それでも文化は廃れない。
昔も今も、タダでも、わずかな金額でも、それなりの音楽や絵画などの文化は見れたり手に入ったりする。
本当に良いものが見たいと思う人はそれなりのお金を払うだろう。
反嫌儲の腐れデジタルミレニアムコピーワンス搾取はてサのクソどもはいいかげん嫌儲に歴史と理論がある事を知れよアホが!!著作権を振りかざた権威にひれ伏す権力の犬である腐れデジタルミレニアムコピーワンス搾取はてサどもよ、おまいらは打倒されるべき抑圧貴族階級に過ぎん!!何がゆとりだ。腐れデジタルミレニアムコピーワンス搾取はてサ老害こそ文化を独占資本化する帝国主義者だろうが!!
http://www.ezweb.co.jp/~higan/
サイバー反体制派、エレクトロニックフロンティアファウンデーション共同設立者
産業世界を牛耳る政府どもよ、お前たち肉と鋼鉄でできたか弱い巨人どもよ、私は新しい精神の住処、サイバースペースの住人だ。未来のために私はお前たち過去の人間に要求する。我々のことは放っておいてくれ、と。お前たちは我々にとって歓迎すべからざる客だ。我々の集まるところでお前たちの権威は通用しない。
我々は選挙によって選ばれた政府など持たないし、また持つ気もない。従って、私がお前たちに向かって語りかける言葉には、自由が常に語ってやまぬ言葉以上のいかなる権威も含まれていない。そこで私は宣言する。我々が建設中のグローバルな社会空間は当然ながらお前たちが押しつけようと画策する専従体制からは独立している、と。お前たちは我々を規則で縛ることが出来るような道徳的な権利など持っていないし、また我々が真に恐れるに足るようないかなる強制手段も持ち合わせてはいない。政治は統治される国民の同意があって初めて力を持つ。お前たちは我々の同意を促すこともできない。我々はお前たちを歓迎しない。お前たちは我々のことを知らないし、我々の世界も知らない。サイバースペースはお前たちの引いた国境の中にありはしない。公共の建設事業か何かのように、自分たちで作ってしまえるなどと思ったら大間違いだ。そんなことはできはしない。これは自然の営みと同じで、我々の共同の行為と通じて自然に成長していくものだ。
お前たちは我々の大いなる集団の対話に参加したことはないし、また我々の豊かな市場の富を作ったわけでもない。我々の文化も知らなければ、倫理も不文律も知るまい。それは、お前たちが押し付けるどんな強制よりもはるかに多くの秩序を我々の社会に現にもたらしているものだ。お前たちは我々の世界に解決すべき問題が存在すると言う。そしてそのことを口実にして我々の世界を侵略しようとしている。お前たちの言う問題の多くは実際には存在しない。本当に摩擦があり、問題点があれば、我々はそれを認めて我々なりの方法で対処するだろう。我々は我々だけの社会契約を作りつつある。我々の世界の統治は我々の世界の諸条件に応じて自然に発生する物であって、お前たちの勝手な条件から生まれるものではない。我々の世界は違うのだ。
サイバースペースは様々な商取引、関係、そして思考そのものからできあがっていて、それが我々のコミュニケーションのウェブの中にまるで定常波のように隈無く広がっている。我々の世界はいたるところにあるとともにどこにもない。ただしそれは肉体が住める場所ではない。
我々が作りつつある世界はどんな人でも入ることができる。人種、経済力、軍事力、あるいは生まれによる特権や偏見による制限はない。
我々が作りつつある世界では、誰もがどこでも自分の信ずることを表現する事が出来る。それがいかに奇妙な考えであろうと、沈黙を強制されたり、体制への同調を強制されたりすることを恐れる必要はない。
お前たちが考える、所有、表現、自我、運動、前後の関係(コンテクスト)に関する法的概念は我々には適用されない。それは物質に基づくものだからだ。我々の世界に物質は存在しない。
我々の自我は肉体を持たない。だからお前たちと違って、我々は肉体的強制によって、秩序を獲得することは出来ないのだ。我々の世界の統治は、倫理学、啓蒙的な利己主義、連邦体制といった土台から生じるであろうと我々は信じている。我々の自我はお前たちの法的権限が及ばない多岐にわたる領域に分散して存在する事が出来る。我々の世界を構成する様々な文化が唯一一致して認める法は「黄金律(汝の欲することを人にもなせ)」しかない。我々はこれを基礎にして個別の問題の解決を見出そうと望んでいる。しかしお前たちが押しつけようと図る解決法は到底受け入れられない。アメリカでは、お前たちはテレコミュニケーション改革法案なる法律をでっち上げたところだ。これはお前たち自身の憲法を否定し、ジェファーソン、ワシントン、ミル、マディソン、トクビィル、ブランダイスらの描いた夢に泥を塗るのに等しい行為だ。この夢は我々の世界で新しく生まれ変わるに違いない。
お前たちは自分たち自身の子供に脅えている。子供たちはサイバースペースのネイティブなのに、お前たちの方はいつまでたっても根付かぬ移民のままだからだ。この子どもたちを恐れるがゆえに、お前たちは、自分たち自身では卑怯にも真正面から引き受けることの出来ない親としての責任を官僚たちに委ねるのだ。我々の世界では、人間性に関わるあらゆる感情やその表現は、下劣なものから崇高なものまで、みなシームレスな全体を形作る部分であり、ビットによるグローバルな対話の一部なのである。人を窒息させるのも空気なら鳥を舞い上がらせるのも空気であり、両者を区別する事は出来ない。
中国、ドイツ、フランス、ロシア、シンガポール、イタリア、アメリカで、お前たちはサイバースペースのフロンティアに番兵を立たせて自由のウイルスの侵入を何とか食い止めようとしている。それで少しの間は感染を防げるかもしれないが、まもなく世界中がビットメディアに覆い尽くされれば、それも無駄になろう。
お前たちのますます陳腐化する情報産業界は、延命を図ろうとアメリカやその他のいたるところで自分たちの主張を世界中に通すための法律を作ろうとするだろう。その法律とやらは、アイデアもまた別種の工業製品だとのたまう。それは高炉から流れ出た鋼鉄に比べてちょいとばかり高級などというものでは何らないというわけだ。しかし我々の方では、人間の精神が作り出せるものはすべて再生産できるし、また無償で無限回分配することができる。思考のグローバルな伝達にはもはやお前たちの工場の完成を待つには及ばないのである。
このような、陰険で植民知的な措置のおかげで、我々はかつての自由と自己決定を愛した人々と同じ立場に立たされている。かつてこの人々たちは遠くから何の説明もなく権力を揮う政府に対し異議を唱えねばならなかった。我々はここに何としても宣言せねばならない。我々のヴァーチャルな自我はお前たちの権力に対して免疫抵抗を持っている、と。たとえ我々は我々自身を地球全体に分散させているから、誰にも我々の思考を捕縛することはできない。
我々はサイバースペースに精神の文明を作り上げるだろう。そしてそれはかつてお前たち政府が作り上げた世界よりもはるかに人間的で美しいものになるに違いない。
http://anond.hatelabo.jp/20090307040202
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マネージメントする側の人間だけが評価されるのは世にある全ての業態での問題。
ただ、マネージメントの人の人格がよいと、ちゃんと手柄を分けてくれる。
そうでないと、マネージメントの人が総取り。
ただ、その頃と現代を比べると、いくぶんも、増になっている。つまり、昔から比べれば労働者も評価されるようになってきている。
でも、昔と比べれば、労働者って評価されるようになったよね。良い時代になったというのはあまりきかない。
不平不満ばかりが聞こえてくる。
もともと、名声とかポジションとかはあまり総量が多くない、給料も湯水のように出るわけじゃない。
それを、ちょっとづつちょっとづつ。がんばって、労働者に振り分けて、昔よりまわるようにがんばっても。
聞こえてくるのが感謝じゃなくて、不平不満ばかりなら、もういいや、悪政でとおもっちゃうのも仕方がないと思う。
2chだったかで、「今までで一番難しいRPGは人生」とかいう話があったよね。ゲームと違って投げ出せないのがアレだけど。
あるサイトの会社概要で社長のプロフィールを見て思った。あまりにもあっちこっち忙しそうで、「このひと趣味の時間取れるんだろうか」と。でも、向こうからすれば、こっちは「なんて暇なやつ」とか思うんだろうな。大変そうだけど、やりがいはあるのだろう。仕事が楽しくてしょうがないって人は、よほどゲーマーでないかぎり、わざわざゲームなんかやらないだろうし。でもじゃあ娯楽ってのはリアルで楽しみを見つけられない、能動的に動けない人のためのものなんだろうか。芸術が貴族の暇つぶしだった時代もあるし。
結婚は「権利を半分に、義務を倍にするもの」っていう言葉があるけど、仕事が充実していれば、家庭という「義務」も負担にならないのかもね。仕事人間はゲームにはまりすぎ、みたいな感じなのかも。
開き直るよりはいじける方がまだいいんでない?
△
清朝崩壊のキッカケとなった辛亥革命は1911年。かくて生まれた中華民国は間もなく四分五裂。混沌・混乱の時代を経て、共産党一党独裁(というより毛沢東王朝)の中華人民共和国が建国されたのが1949年。
つまり40年にも満たない時間の中で、中国人は封建帝国、民国、人民共和国の3つの異なる政体に身を委ねざるをえなかった。
この三代を生き抜いた《怪人》の筆頭は政治家ならダントツで毛沢東、知識人なら陳寅恪。この本は、その陳寅恪の栄光と悲劇の生涯を描く評伝だ。とはいうものの陳寅恪といったところで、その名を知る日本人は皆無とはいわないまでも、限りなく少ないことだけは確かだろう。
中国語で怪人とは、たとえば「怪人二十面相」という言葉から連想される“怪しい人”という意味ではなく、己の信念を実現させるためには天下を敵に回しても構わないという鋼鉄の意志・執念の持ち主を指す。
京劇「捉放曹」の舞台で曹操は「寧可我負天下人 天下人不負我(俺は天下に叛いても、天下を背かせはしない)」と大見得を切るが、この台詞が表現する己を恃む志操こそが怪人の真骨頂。
怪人とて政治家なら権力を握れば、コッチのもの。毛沢東のように正々堂々・公明正大・勝手気侭に「寧可我負天下人 天下人不負我」の世界を愉しむことができる。
大躍進も文革も、毛の身勝手な「天下人不負我」の悲惨な結末だろうに・・・。
だが同じ怪人でも、陳は中華文明の精華たる文史(=文学と歴史)を命を賭して守ろうと任じた精神の貴族たる文士、つまり文化・文明を守護する武士だ。そこで政治家と文士の怪人の激突となる。
1953年、共産党政権は中古史研究所所長への就任を陳寅恪に要請した。
建国から4年。毛沢東が進める政策の「倫理的側面」が盲目的に賞賛され、彼の声望は一気に高まっていた。
であればこそ、そのポストは“毛王朝の貴族”への道を確約するもの。
だが陳は!)マルクス・レーニン主義を信奉しない。!)そのことを、最高権力者が公式に認める――を所長就任条件とした。
文史という中華文化の根幹を支える学問領域には権力者であれ容喙を許さず。文士の怪人たる陳は決然として「天下人不負我」といい放ってはみたが、そんな“我侭”を認めるほど政治の怪人は甘くはない・・・冷徹・峻烈・酷薄・残忍・非情。
50年代後半から文化大革命へと続く疾風怒濤の政治の季節の中でも、陳の志操は挫けない。
広東の中山大学に在る彼は、広東を中心に中国南部で強い影響力を発揮していた陶鋳の厚い庇護を受け研究と教育の日々を送る。
陶からすれば、陳は食客ということか。失明、大体骨骨折による両足切断の悲劇にもたじろがない。
全ての中国古典の一字一句まで刻み込んでいるような彼の頭脳が研究を止めることはなかった。ほぼ寝たきりの彼を支えたのは妻、助手、同僚、看護婦――すべて女性である。
怪人は硬骨漢。
だが朴念仁にはあらず。
頼みの綱の陶鋳が文革で失脚し、紅衛兵の攻撃は堰を切ったように激化。スピーカーのボリュームをいっぱいに上げ耳元で悪罵を浴びせ続けると、陳の「全身に震えが来て、ズボンが小便でぬれて」しまう。
窮状を訴えるが、紅衛兵からの反撃を恐れる大学当局は取り合わない。
69年、惨死。79年の生涯だった。清末光緒十六(1890)年、湖南省長沙の産。
陳のような知識人を産み育て生かし尊敬し畏怖しながらも、とどのつまりは笑殺、やがて封殺・謀殺・愁殺・・・中国の社会は、そうやって続いてきたようにも思えるのだ。
http://www.youtube.com/watch?v=WVMIUN2Ipqw 1話
http://www.youtube.com/watch?v=0yVz0_DC-P0 2話
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6168009 全話
人間は3番目、イルカは2番目----と来て、ああ、1番目はネズミだな。と思うような人には
アニメ『ファイアボール』はお勧めかも知れない。(↑は地球上での賢さランキングの話である)
といっても、SFパロディがあるから面白いというワケではない。
その内容のくだらなさとシュールさが『銀河ヒッチハイクガイド』を好むような人には受けるだろうということだ。
人類の抵抗により、
制作はディズニー。といっても、日本人がつくったディズニーアニメである。
まずドロッセル嬢が非常に可愛らしい。外見はメダロットの親戚のようであるが
所作がいちいち演劇っぽく、棒読み口調もあいまって、独特の雰囲気を醸し出している。
言い回しも面白い。日本語以外でこの作品を見て、果たして面白さが伝わるだろうか。
そして制作陣がノリノリである。ディズニーアニメで鉄腕アトムパロディなんて
完全にふざけてるとしか思えない。もちろん、良い意味でだ。
2008年公開のアニメだが、全13話で約30分と短いくとっつきやすい。
ぜひ見てほしい作品。
2006年にはキャラ原型が出来ていたため(初音ミクは2007年8月31日発売)
単なる偶然と思われる。
参考
ヨーロッパにはローマ以来の伝統があるから、もともとラテン語の古典を物真似したんだ。シェイクスピアの歴史劇で登場人物が演説しだすと、見てた貴族がラテン語でぶつぶついいだしたんだって。子供の時に勉強したやつを、大人になっても覚えてるんだね。それにヨーロッパの所詮片田舎の英語なんてものはかっこいいんじゃなくて、むしろダサダサの言語だったのさ。
だから、言葉がカッコイイとかじゃなくて、田舎っぺのイギリス人の、さらに落ちこぼれかつニートな連中の子孫が、大昔の真似して権威づけてるだけなんだよ。本当はね。
日本に「演説」という言葉が輸入されたのは明治になってから。speechってなにかが分らなかった。似たようなもので、坊さんが道端で仏教の教えを説いていくのに似てるなあって、その延長線で理解されたりしたくらい。それくらい、speechってなにか分からなかった。それくらい、文化の違うものだから、アメリカのほうはゲタをはかせてもらってるわけ。日本のほうは履けそうな下駄がない。
ま、でも、もうそろそろ名演説が出てきてもよさそうなものだけどね。小泉さんの郵政解散演説くらいではなあ。政治家はもっと演説が上手にならなきゃいけないね。
風の噂に聞いたことがある。東方にあるという人が死ぬ国。人が死ぬ。なんて素晴らしいんだろう。生気の欠片も見受けられない、倦み疲れた先人達を眺めながら、そんな夢みたいなことを考えていた。
議会には王、貴族、官僚が参加する。だが、建国当時から生きている老いぼれがほとんどだから、こいつらだけじゃ政策どころかまともな会話すら覚束ない。泡を吹いてる奴なんて可愛いもので、言葉を忘れ獣に帰っているような奴までいる。
だからそいつらの子孫が、子孫と言っても子や孫も耄碌して使いものにならないので十何代目の子孫が、横に付き添い、泡を吹いてる口元に耳を傾け、意見を伝えるという形式になっている。が、意見なんて高尚なものを考えることができる奴なんて一握りも残っていないので、実際は子孫達が自分の意見を述べるに過ぎない。もっとも、口の泡を拭いたり、獣に帰った爺に餌を与えて黙らせたり、それなりに忙しいとも言えるが。
書記は新人。新人と言っても何十年やっているかわからないが。書記官の自分は新人の仕事ぶりを見ているだけ。あの耄碌爺たちと一緒だ。もっともあの世代の書記官は流石に三百年ほど前に辞めてしまい、自分はその後の世代だからあそこまで耄碌はしていないが、それも時間の問題だろう。
仕事の帰り道。街にいる人々も当たり前のように生気がない。思考停止した労働者がのろのろと動いてる他は歩く人すらまばら。若者は濁りの中にも苛立ちを泡立たせた目をして座り込んで無為に時間を潰している。建国当時の人間が生きているのだ。議会のように現役であるのは例外だとしても、年寄りは腐るほどいる。そいつらは呆けて泡を吹くまで権力の座を明け渡さないし、明け渡したとしても次の世代は、腐った発酵物が更に腐って液状化してしまうくらいに、腐っても足りないくらいにいる。若者の順番が来る日なんて彼らにとってみれば永遠にも思えるだろう。席が空くのをただひたすら待っている。
家へ着くと妻だった生き物が糞尿にまみれて呻いていた。服を脱がせタライに汲んだ水で体を洗ってやる。あーうーあーと呻く妻を洗いながら早く反応がなくならないかと何十万回と願ったことをいつものように思う。
反応がなくなると監査官に連絡することができる。そこで3人の監察官に3日に渡り本当に反応がないか検査される。といっても、収容所に大量に寝かせた人間に、1日2回、刺激を与え反応がないか見るだけの簡単なものだ。そこで反応なしと認定されると晴れて殺すことが許可される。不死と言っても殺せば死ぬ。もっとも専門の処理場で念入りに細切れにした後、焼却しなければならないが。
王や貴族など、子孫によって生きて傀儡になってもらわなければならない他は、反応がなくなると喜んで処理場へと持って行く。それも当然だ。かつて愛した美しい人とはいえ、いや、だからこそ、動けなくなるまでに老いた体は退化し小さく丸まり、言語どころか日常生活も送れない程に理性をなくした、別人のように変わってしまった伴侶を、数十年、数百年と面倒を見続ける辛さにあっては。作業が辛いのではない。かつて熱烈に愛した人を、忌み嫌っていくことを、そして死を願うことをやめられない、己の心が辛いのだ。
いつもの作業を終え妻を部屋へと寝かしつけ、その際に受けた傷の治療をして、ようやく一息をつく。一日で唯一、心を落ち着かせられる時だ。いつもはただただ何も考えることなく、倦み疲れる仕事のこと、そして死を願ってしまう妻のことから離れて、自由な時間を堪能し心を休める。だが今日は日中に考えていた人が死ぬ国のことを考えていた。権力者も死ぬことで若者が活躍することのできる国。かつて愛した人を憎まずにいられる国。そして何よりそれらのことで苦しまなくてもいい国。そんな夢みたいな国を夢見ながらいつしか眠りについていた。夢は見なかった。もう千年ばかり見ていなかった。
と、とりあえず撒き餌しとく。
だがこんな私でも、ソクラテスさんが並べた物にはあまり当てはまらないのは何故?
・ブックマークは道具、増えても特に喜ばない。
・当然称賛もしない。何に対して称賛するんだ?意味分からない。
・観測範囲は意識したことない、自分のキャパ以上に情報取っても意味ないだろ?その情報を後で活用するのが目的なんだから。
・Twitter全く興味なし。
・「死ね」「ボケ」とか罵倒の言葉は何も生み出さないから嫌い。弱音を吐かれたらアドバイスするが後は本人次第だと突き放す。
・だからTwitter興味ないんだってば、アレって友達作れない奴がやるもんでしょ(あ、言っちゃった)
・口座番号なんて晒すなんてもってのほか、意味分からん。
・↑のような奴は激しくどうでもいい、そんなの気にしてる暇あったら自分を磨く時間に費やす。
・「貴族」とかなにそれ?
・素人童貞と告白した事で、何かそんなに面白んだろう?
・童貞いつ捨てるかなんて本人の自由。 本人も恥じていないのは、恥じる理由がないからでしょ。 価値観の違いなだけだよ。
・童貞捨てたら人生感やライフハックにハクが付くらしい…セッ●スしたらクラスチェンジでもするのか?(笑)
・得しない議論はしません。