はてなキーワード: 色違いとは
・伝説厨
・色違い厨
・改造
・青顔連打
もしくはマッギョ三匹並べて放置。
特に改造は何が楽しくてやってるんだか。
一人で図鑑埋めれるんだから他人と遊ぶ必要ないだろ?
一応現時点で言われてるのは、
・lv1~49で指定
・欲しいポケモンとあげるポケモンを「へんな」or「かわいい」にする
(言い方が悪いが、「こわい」「かっこいい」は地雷率が高い。)
これで多少マシになる。
何出しても同じの出して持ってるよーって出されちゃうパターン。
申し訳ないがちょっとやってだめそうなときは笑顔出してから切る。
なんというか、馬鹿は別として、ガチ勢と交換できればいいだけの人の温度差が激しすぎるんだよな。
俺はID欲しいだけだから交換さえできればいいんだけどな。
どうせ過去ロムあるから図鑑はその気になればいつでも埋めれるし。
もちろんGTSの仕様を考えると、ガチでやるのが悪いこととは全然思わない。
ただ、スタンスが違いすぎるとお互い得しないな。
図鑑埋めは通常GTSみたいなシステムで、図鑑記載制限無いのができたらいいなと思う。
地雷も多いがいい人も多いんだけどな。
お互い欲しいものが一発で出てハートが被ったときとかテンションあがる。
小学生っぽい初心者にゾロア渡したらめちゃめちゃ喜んでもらえた時とかもな。
システムはいいんだからもっといいふうに楽しみたい。
さてジーランス流しに行くか。
やっとびっくりした気持ちが落ち着いたので書いてみようと思う。
もうすぐ30になる僕がものごごろつく頃には、
ばあちゃんの家にはいつでも2~3匹(ときにはもっとたくさん)の猫がいた。
数年前にじいちゃんが死んで、今ばあちゃんの家族は猫だけだ。
僕の両親は、同県内、ばあちゃんの家から車で2時間くらいの場所に自宅を持っている。
ここ2年ぐらいは一人暮らしのばあちゃんを心配して
月に2回程度ばあちゃんの家に行っているらしい。
母とばあちゃん(嫁姑だ)は、小町で見かけるような嫁姑戦争はしてないけど、
「すっごく仲がいい」とは言えない。
でもまぁあたらず触らずの関係を築いているようだ。
母はよくばあちゃんについての愚痴を言う。
僕はそれをきいて育ったから、ばあちゃんを心から好きかって言われると、
僕と常識が違うなって思うことがあるけど、
なんたってばあちゃんの家には猫がいる。
僕は飼ったことはないけどネコが好きだ。
だから猫が好きなばあちゃんも好きだ。
母は猫があまり好きではないらしく、
(原因は子供の頃いとこの家に泊まった時、いとこの家の猫が母の布団におしっこをして、
それを母のおねしょとされたことだと言っていた。僕はそれを信じていた)
ばあちゃんちの猫ともあんまり仲良くしようとしなかった。
僕にはそれがちょっと不思議だった。
昨年の夏、母と電話で話していたら、ばあちゃんちの猫の話になった。
「また妊娠したらしいのよ」
両親がばあちゃんに旅行にでも行かないかと打診したら、
猫が妊娠しているから行けないと断られたらしい。
猫を飼っているといっても、地域猫とイエネコとの中間みたいな飼い方だし、
ばあちゃんは車の運転はできず、街まで買い物に行く時はご近所さんのお世話になってるぐらいだ。
『去勢? なにそれ? チンコとる? かわいそうじゃんなんでそんなことすんの』な世界だから、
当然妊娠もする。
「子猫楽しみだねー」
「全然楽しみじゃないわよ。またどれが親だなんだって適当な話し聞かされんのよ…」
母は憂鬱そうだった。
そこで僕は少し気になった。
ばあちゃんの家では何度か子猫が生まれている。
でも里子に出したという話は聞いたことがないような気がした。
田舎のことだし、自然に地域猫か野良猫になっているんだろうか。
僕は猫好きだけど猫を飼ったことはないし、詳しいことがよくわからない。
「そういえば生まれた猫ってどうしてんの?」
母は沈黙した。
「? 誰か引きとってくれてんの? それとも自然にいなくなったり死んじゃったり?」
「違うわよ!」
母は叫ぶようにいった。
「生まれたら川に流してんのよ!」
今度は僕が絶句する番だった。
「ちこちゃん、ちこちゃんなんて言って可愛がってるのに」
「あれが父親だー、子どもできたんだーなんていってさんざん可愛がって人に言っておいて」
「生まれてしばらくしたら家の前の川に捨ててんのよ!?」
「お母さんもう、お腹のおっきな猫を見たら気分が悪くなちゃうの」
「理解できない」
母はしばらくひとりで話し続けた。
僕はあ、う、とか声を出すことしかできなかった。
「あー、あんたにはずっと黙ってたのに、ついに言っちゃったわ!」
その日、他に何を話したのかもうほとんど忘れてしまったが、
「ちゃんとご飯食べなさいよ」「服もまともなもの買いなさい」といつもの忠告をくれ、
そして母は「ごめんね」と言った。それで通話は終わった。
あれから約10ヶ月がたった。
子猫が生まれたのかどうか、母は話してくれなかった。
子猫の気配はなかった。
そういえば僕が子どもの頃、一度ばあちゃんちの家の前の川が大増水して、
2階建てのばあちゃんちの1階が半分ぐらい水に浸かったことがある。
子どもだった僕はには正確なところはわからないけど、
結構な被害があったようだ。
当日は母方を含む親戚総出の救援部隊が組まれたほどだった。
川は今ではすっかり整備されて、いつも低い水位で静かに流れている。
Explorer | Science of Babies | National Geographic Channel
http://channel.nationalgeographic.com/series/explorer/3090/Overview
ヒトは他の動物と比べて、遥かに無防備で無力な状態で産まれてくる。それにも関わらず、そこから最初の一歩を踏み出すまでに、赤ちゃんは劇的な成長を遂げる。産まれる瞬間から二本足で立って歩き出すまでの約一年間、赤ちゃんに起きる様々な変化を、発達の経過に沿って検証した番組。
ヒトは一生の間におよそ6億回(一分間に10回として、一日で1440回。100歳まで約36,000日として計算した物と推測)の呼吸をする。その中で最も重要で、しかし最も危険な、初めての呼吸。母親のお腹の中に居たときには母体から酸素が供給されていたけれども、一度産まれてしまったら、そこから先は自分で酸素を供給しなければならない。ほんの数分酸素が断たれただけでも、ヒトの身体は回復不能な障害を受ける。産まれた瞬間の赤ちゃんの肺は、羊水で満たされ溺れている状態。だから、産まれて初めての呼吸は、通常の呼吸の10倍から15倍の労力が必要となる。肺胞の隅々まで空気をみたしてやらなければならないのだ。この最初の呼吸によって、肺の中の水は血流に吸収されていく。
産まれるまでは母親の体温で暖められていた身体も、自分のカロリーを消費して体温を保つように切り替えなければならない。その体制が整うまでの期間、充分に体が熱を作れるように、新生児は熱に変換しやすい褐色脂肪を豊富に蓄えて産まれてくる。冬眠中の熊のように。
赤ちゃんが、今現在の成熟度と大きさで生まれてくるようになったのは、今から約800万年ほど前。他の動物と比べると、ヒトの新生児の頭は(身体との対比で相対的に)大きい。赤ちゃんが産まれてくるタイミングは、母親の骨盤の広さと新生児の頭部の成長との兼ね合いで、ぎりぎりくぐりぬけられる大きさになったときである。真っ直ぐには出て来れず、一度頭を90度回転して骨盤をくぐり、さらにまた90度回転して出口の骨を避けるようにして生まれてくる。
ヒトの赤ちゃんはとても無防備な、無力な状態で産まれてくる。他の動物、例えばサルと比べても、自立するまでに長い時間がかかる。ヒトに最も近縁のチンパンジーでも六ヶ月くらいで歩き始めている。そのようにかなり未熟な状態で産まれてくるにも関わらず、ヒトの新生児も生まれながらにある種の動物的な本能を備えている。それは生存の為に重要な反射運動であり、またある種、進化を裏付けるような原始的な反応でもある。
まだ歩くこともできない生まれたての新生児は、抱き上げて支えながらかかとを地面につけてやると、両足を交互に繰り出し、まるで歩き方を知っているような反応を示す。でも、その反射は六週間後には消えてしまっている。ところが、不思議なことに、水の中ではその反応が蘇り、そうして反応を誘導してやると、それ以降は消えることがなくなる(番組では、透明な浴槽の中に赤ちゃんを抱きかかえて下半身をつけてやっていた)。
他によく知られている生まれながらの反射運動には、次のような反応がある。
これらは、どれも動物の生存本能に共通する原始的な反応といえる。
赤ちゃんの考えていることを知るのは難しい。しかし、赤ちゃんの認知力の一端を覗く、いくつかの方法がある。ある研究者は、赤ちゃんが何か違和感を覚えた時に、対象物を凝視する時間が長くなるという現象に目をつけた。この時間を計測することで、赤ちゃんが何に気付き何を認識しているのかを探ることができる。その研究者は、新生児が数を認識する(簡単な足し算引き算の)能力を持っていると考えている。行われた実験はこうだ。まず、一つだけ置かれている人形を赤ちゃんに見せる。そこをついたてで隠して人形を見えなくしてから、そのついたての裏にもう一体の人形が入っていく様子を見せる。そして、見えない位置からこっそりその人形を取り去った後で、ついたてをおろす。赤ちゃんから見れば、そこには二つ人形があるはずなのに、一つしか無いという状況。そのような矛盾がある場合、なにもトリックを使わない場合と比べて、人形を凝視する時間が長くなる。二つの人形を見せて、そのうちの一体がついたての後ろから出て行くところをみせたのに、ついたてをよけてみると人形が二体に残っているという引き算の矛盾にも、その反応が観察されることから、赤ちゃんは生まれながらに数の認識を持っているに違いないという話。
まだ自分で動くことのできない赤ちゃんにとって、飛び込んでくる外界の刺激はもっぱら光と音ということになる。聴覚は視覚よりも先に発達していて、お腹の中に居ても母親の声を聞き分けられるけれど、視覚は産まれてから外部の刺激を受けながら、徐々に発達していくもので、この段階ではまだぼんやりと対象物を捉えているにすぎない。
とはいえ、母体の中と比べて外界は刺激に溢れている。流れ込んでくる大量の情報を処理していく体勢を整えていく必要がある。ヒトの体には、約10億の脳細胞、神経細胞、ニューロンと呼ばれる情報処理に携わる細胞が存在する。これらが、外部から飛び込んでくる刺激を情報として捉え、ネットワークを構築していく。一つ一つのニューロンは、個別の電話機のようなもの。細胞間の情報は、シナプスと呼ばれるリンクを介してやりとりされる。最初は外界のあらゆる刺激がネットワークをフルに刺激していて、あちこちの電話機が絶え間なくなり続けているような混線状態。その中から、必要な連絡網だけが残るように、ニューロン同士が互いにリンクし合う相手を求めて競合している。この過程を可視化して映像に捉えた研究が紹介された。最初は筋繊維に複数のニューロンが繋がっているが、黄色と青色、色違いで染められた二つのニューロンがある筋繊維に連結しようとしている。最初はどちらも繋がっているように見えるが、この二つのニューロンは互いに競合し合って、最終的に一方の色に染められたニューロンだけが残るまでの過程が観察される。ニューロンネットワークが形成される様子が見て取れる。
未完成ながらも、ニューロンネットワークが成熟するに伴って、運動神経がやや発達してくる。頭を持ち上げたり、寝返りを打ったり、ものを掴んだりすることができるようになる。
野生の動物や鳥、昆虫などは、生まれながらに餌の捕まえ方や身の守り方を知っている。数を数えることさえ生得の本能だ。それが発揮できず、他者のケアが無ければ生きられない、ヒトの新生児は非常に未熟な状態と言える。そのような状態で産まれてくることは不利なことなのか、いやそうではない。生まれついての本能はそれ以上発展することがない。しかし、未完成な状態で産まれてくるヒトは、環境や経験から、より高次元の習性を構築することができる。これが学習する能力の特徴である。
学習して能力を獲得するのには適切な時期があり、その時期にきちんとした情報の入力とニューロンへの連結が行われないと、その能力は形成されない。使われない機能は失われていく。三ヶ月くらいの新生児は、各国の言語で微妙に異なるトーンを聞き分ける能力を持っているが、その後六ヶ月を過ぎてしまうと、一番身近な言語の発音を聞き取る能力だけが大きく発達していく(マルチリンガルに育てるためには、六ヶ月までにいろいろな言語を聞かせておけという理論の根拠はここにあるようだ)。
需要のない能力が失われていく話題に関連して。三ヶ月あたりで、目のレンズと視神経との連絡が完成する。この時期に、適度な情報が目を通して与えられることで視神経を構築する。ある赤ちゃんが片方の目のレンズに問題があることがわかった。このままだとその眼球からの情報入力がないために、ニューロンの連結に不備が生じてしまうということで、レンズの機能回復手術を行った。手術そのものは一時間ほどで無事に終わったが、その後の検査で、もう一方の健常な側の目に眼帯をした、なぜか。回復させた眼球を強制的に機能させ、視神経を発達させるため。
運動機能はさらに発達して、座ることができるようになる。つかまり立ちや、立ち上がるまでには至らなくても、ハイハイをして動き回れるようになり、行動範囲が広がる。ハイハイのスタイルには個性がでる。これは新生児それぞれの運動機能の発達状況は環境に依存するもので、成長に関してあまり重要ではない。この時期に最も重要な発達は、学習したことの再構築ができる柔軟性を得ること。自分から動き回れるようになって、取り巻く環境が劇的に変化する。外界からの刺激もさらに複雑なものになる。遭遇する危険も増える。座れるということは、バランスを崩して転ぶことができるということ。自分で動けるということは、溝に落ちたり、何かにぶつかったりできるということ。それなのに赤ちゃんには、届く/届かない、バランスが崩れる/保てるといった認識がまだ無いので、無鉄砲で失敗を繰り返すことになる。目標物以外に注意を払うことや、体バランスの取り方など、失敗の経験から、環境に適応していく脳の柔軟さが求められる。この時期の赤ちゃんの運動機能の発達を研究している様子の映像。何かを見つけてそれを取りにいくという動機で動き回るようになる。その間に溝などの障害があっても殆ど認知されていないで突き進む赤ちゃん。その過程で失敗を繰り返し、危険を回避するという学習の過程が認められる。
ニューロンネットワーク発達中の情報処理の取捨選択の別の例として、顔や表情の認識がある。ヒトやサルの顔写真を見せ、新生児の脳波の変化を測定することで、どのような違いを認識しているかを観察した。二ヶ月くらいまでは、人の顔のパーツの配置が乱れていても識別できない、三ヶ月くらいで、顔を顔として認識するようになる。この段階では、サルの顔写真一つ一つの個体の違いを区別している。しかし、六ヶ月くらいになると、サルの個体を区別しなくなっている。必要の無い情報処理の能力が失われている。代わりに、ヒトの表情の違い(喜怒哀楽)に敏感に反応するようになっている。
この時期の発達過程は、自閉症と関連づけて注目される。孤児をケアする施設で研究されている内容。一般的な家庭環境と比べて、この時期に人の表情に接する機会が少ないと、表情を識別する能力の発達に影響が出る。他者の感情を表情から読み取ることが難しいという自閉症の特徴に関わっているかもしれない。
運動機能の成熟、ニューロンネットワークの成熟、言語の獲得とそれに伴って起きる変化。
言語の獲得には多大なリソースを割くので、使われない能力はより顕著に消失していく。生後十二ヶ月で約40個の言葉を認識し、さらにその一ヶ月後には100個まで増えている。
ある新生児の言語獲得の記録。全ての部屋にマイクと天井から見下ろす魚眼カメラを設置して、起きている間の赤ちゃんの行動と言葉を発していくまでの過程を観察した映像。馴染みのあるモノや身近な者を通して、言葉やフレーズと対象物やイベントとをリンクさせようとする。新生児がある対象物を認識してBa、 buh、Dahといった発声をするようになる。それに対して親がDad、Ballなど、はっきりとした言葉でリピートしたり、Blue ballという形で発展させたり、あるいは動作や行動と組み合わせてフレーズで返したりする。フィジカルなイベントとソーシャルなイベントの関連づけが、言葉を学習していくプロセスである。
新生児が言葉を学習する過程を分析して、学習するロボットの開発に取り組む人たちの紹介。ロボットに「赤色」の「ボール」を取ってと指示するがロボットには対応できない。絶えず変化する状況にも対応できる学習する能力の柔軟性をいかに獲得させるかが鍵。
運動機能だけでなく、骨格も充分に発達して、肩幅も広がり、足も伸びて、筋力もついてくる時期。ここに至って、頭を持ち上げての二足歩行、つまり歩き始める準備が整う。
四本足で歩く動物はその移動の為にカロリー(消費カロリー全体の?/摂取カロリーの?)の約50%を消費する。その観点でみると、二足歩行は移動に関して非常にエネルギー効率が良い。さらに、両手をフリーにすること、より大きな容量の脳を支えることができるという利点もある。このような点に二足歩行の意味がある。
赤ちゃんすげえ。という完全に私的な興奮から、自分が理解した内容の備忘録としてここを利用させていただきました。理解のあやふやな箇所がたくさんあるので、誤った記述が含まれている可能性はかなり高いです。特に言語獲得のプロセスに関する部分は未消化だという自覚があります。何ヶ月〜何ヶ月というのは、整理のための大凡の目安として個人的に捕捉したもので、これを一般化して赤ちゃんの成長を評価するものではないです。水中で歩行する話だとか、数を数えられるよという映像は、ちょっと観察手法の正当性に注意が必要な気がしました。赤ちゃんのリアクションが周囲の観察者の期待に影響を受けていたりはしないだろうかと(昔、計算が出来る馬の話のトリックについて聞いたことがあるので)。
ナショナルジオグラフィック NATIONAL GEOGRAPHIC.JP 赤ちゃんの不思議
http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/shop/detail.php?id=219
1枚のタグに黒赤黄緑で必要に応じて切る方式なので、
息子の友達が改造ポケモンをバラまいてる。
ポケモンはいくつかソフトがあるから、友達同士交換して増やすんだよ、
それが醍醐味なんだよ!
…という事とやり方をやっと覚えた頃に、
その友達と交換しよう!って話になって
「別に何も要らない。俺、なんでも持ってるから。
どうせロクなモン持ってないだろ?
クズでもなんでもいいから出せば伝説だろうが色違いだろうがあげるよ」
…と言われたらしい。
ゲームなんて、所詮は用意されたデータで、分かりきった事をわざわざ手間をかけてやってるだけなんだけど
ルールに沿うことで本来の楽しみ方はできるはずなんだよね。
コピーなんかよりも、チート厨が小学校低学年でいる、という事の方がサミシイ。
うちの息子は馬鹿チンだから、チート親の作った常識ハズレのレベルとか、成績を見せられて、
「まだまだ練習しなきゃ!」
なんて言ってる。
最近カミさんがベジタブル志向というか、料理に肉が出てこない。
確かにうまいし、なんとなく健康的な気もするし、カミさんがなにか思想的なものに目覚めたわけでもないからいいのだがさすがに動物性のものが欲しくなってきた。
と悩んでいたら、カミさんが先にギブアップしてた。
娘も連れてジャンクなラーメンでも食いに行こうということで、近くにあるけど、一回行ってからもう行ってなかった新横浜ラーメン博物館へ。
で、まあ入場したわけなのだが、ここってミニラーメンだけ食べても全店制覇って現実的じゃないので3店ぐらい行きたい所を決めて、ミニ、ミニ、チャーシューメンぐらいが一番理想的だと判断。カミさんと自分は好みがいっしょなので
俺
って感じで店を決めて、かぶってない店でチャーシューメン食おうか。みたいな感じにして、井出商店と蜂屋でミニラーメンを食べる。
まあ高いけど、それなりにうまいし、久しぶりのジャンク感が気持ちいい。
でもカミさんはこの時点でおなかがいっぱいになってしまったようなので、休憩スペースに娘と。
で、俺は龍上海本店に一人で並んでいた。だいたい20分待ちだったので、ちょっと遅くなっちゃうな、とか思いながら並んでいるとカミさんがビール片手に着た。
ビールとラーメンコロッケ食いながらご機嫌だ。野菜のポテンシャルはどこに行ったんだ。
ニコニコしながら、俺にもビールをくれたのでいろいろ思うところはあったが不問として、まあカミさんもゆっくり飲ませてあげるか、と思い娘を引き取った。
娘はニコニコしながら俺の方を見ている。
どうやら食券を買いたいらしい。
なんて、この子は自発的で賢い子なんだと思い食券を買わせてみた。ご丁寧に領収書付きのボタンまで押す丁寧さだ。
よーくできたねーとほめてあげたら食券がちゃんと買えたことがうれしかったのか俺に渡してくれない。
無理やりとりあげても意味がないので、ちゃんと大事に持っておくんだよ、と伝えてビールを飲み干してからのグラスをカミさんに託しておいた。
しばらくすると、食券の確認に店員さんが来た。
娘から食券を渡させようとしたのだが、食券が見当たらない。
どうやら自分でどこにしまったのか忘れてしまったらしい。
俺が結局預かったのかな、と思ってポケットや財布を探してもない。
地面にも落ちていない。
でもどこにもない。
ちょっと焦ってしまい、おまけに娘をこんなところで叱るのもアレだから、慌ててもう一回食券を買いなおそうとしたその時だった。
さっきから音漏れさせながら音楽を聴いていた、全身ユニクロ(俺のズボンと色違い)だが、こぎれいに着こなしていた青年が
「靴の中ですよ」
と後ろから声をかけてくれた。
娘の靴を脱がすと、ひらりとくつ下から赤湯からみそラーメンの食券が落ちてきた。
娘の大事なものをしまう場所に一抹の不安を覚えながらも取り急ぎ、苦笑いする店員に食券を渡した。
なんか、恥ずかしかったので青年にもお礼を言って、ついでにミニライスをプレゼントしてみた。
青年はちょっと顔を赤くしながら、素直に受け取っていた。
すると娘は俺のラーメンから、チャーシューだけを手でひょいとつまんで彼のラーメンの中に。
苦笑いする彼と俺。
彼は静かにチャーシューを差し出してきたが、もう今更だったので、手はちゃんとさっき拭いたので大丈夫だとは思いますが…と伝えあげることにした。
「ありがとうございます。」
とこれまた素直にちゃんと食べていた。
日本人特有の遠慮のし合いのやり取りが嫌いな俺としては人の好意を素直に受け止められる人間は好きだ。
もちろん無遠慮な人間もイラっとするのだが、彼のありがとうございますを言うまでの間の取り方は非常に心地よく、まだ若いのに立派なものだと感心すらした。
彼は先に食べ終えると、水をグイっと一杯飲んでまたヘッドフォンを耳にかけて出て行った。
おかげで娘は帰りの電車では疲れてしまっていたのにも関わらず、彼の話を延々とカミさんに伝えていた。
「おとーさんはわからなかったの!」
「探偵さんだったんだよ!」
散々彼を褒めあげた揚句に
「あたし絶対あの人と結婚する!」
と今年2回目の婚約宣言を。
サントリーのペットボトルのお茶である伊右衛門には、ただいまノベルティとして豆巾着が付いている。
この豆巾着が、一部の携帯電話(iPhoneのことね)に適してるということで一部の人に話題になっているようだ。
私はiPhone使ってないけどP905iの塗装が弱いので、豆巾着を使ったらいいかなと思ってコンビニで入手した。
そしたら、この豆巾着って全部で8種類が色違いであるのね。
何か自分の中のコレクター魂が反応して、お茶を大人買いして8色を揃えてしまった。
こういうバリエーションを全て揃えることをフルコンプって言うけど、フルコンプって意味が重複してません?
コンプってcompleteの略だけど、その語だけで、完全に揃えることを意味するよね。
それにfullって語も全部という意味だし。
fullとcompleteとを合わせて使うのは英語的に間違ってるんじゃないかなあ。
fullじゃない、halfなcompleteって、理論的にありえないような気がするんだけど。
いつもあったのが売り切れてたようなので、色違いの白いほうを持って店員さんに入荷日を聞く
なんで黒だけ生産やめるかね。黒は白と表面の品質が違う(価格も違う)ってことわかってるだろうに。
わかってるから黒だけやめたのかそうですか。
2000円台だけど打ち心地と価格と耐久性のバランスが大好きなキーボードだったんだけどなあ。残念だ。
http://www.owltech.co.jp/products/keyboard/KFK109PS2/KFK109PS2.html
って白も生産終了じゃねーか、店員なめんな。でも白には興味ないんだよなあ、あれはちょっとなんか違うんだよね。黒の代わりにはならない。
余談だけど、猫のキーボードルーム ??MITSUMI KFK-EA9XA?? で紹介されてるように、グリス塗ってあるのがデフォだから、キーだけ外して水洗いとかしちゃうと元の打鍵感に戻らないよ。特に Ctrl キーと Shift キーが酷い。ガチンガチンになる。このガチンガチンさを20代過ぎたオラに分けてくれって感じにガチンガチン。
東京では今年もモンクレールを着ている人々が沢山いるんだろうか。
久しぶりに過ごす地元日本国地方雪国都市での冬。先日モンクレールのダンウンジャケットを着た人をみて、
「うおー、懐かしい!久しぶりに見たモンクレール!!」と去年の東京の街の姿を思い出した。
いま自分の住んでいるところでアウターの主流はダウンコートorジャケットだ。
でも明らかにどこのブランドと分かるものを着ている人は少ない。自分が知らないだけかもしれないが
せいぜいユニクロのエアテック。自分も持ってる。着た初日に色違い着てる人に二人遭遇。もちろん気まずい一瞬がながれる。
ウールのコートよりも軽く安価で温かさが手に入るし、モンクレダウン売ってる店がないこともあるだろう。
あ、モンクレールって下に厚着できないくらいスリムなパターンだっけ。
色々思い出しながら心の中で「あ゛ぁぁぁぁっーーーーーっ」って叫んだ。
もう物欲も枯れてしまってホシイモノが手に入りすれば何の不満もないつもりでいた。
でも実際目にしてきた景色・街の空気はTVや雑誌じゃ埋められないんだ。埋められないんだ。埋められないんだ。
「あ゛ぁぁぁぁっーーーーーっ」
声に出して叫びたい。
自分はやはり何かに負けたんだろうか。いや「負け」という言葉はふさわしくないよ。
「あ゛ぁぁぁぁっーーーーっ」
久しぶりの自問自答が始まりそうだ。
多分出来た。
(※脱ヲタ=服に気を遣うようになった、程度だと思ってほしい。ヲタ趣味は捨てないほうがいいよ。捨てる方がださい)
以下、夏限定だからあしからず。
(季節だけでまるまる一エントリーとっちゃうからね)
いかに「普通」「おしゃれに無関心ではない」ようにに見えるかをとことん追求したので
「普遍性」という面では全く持って負ける気がしない。
残念ながらカジュアル限定なのでそこは勘弁してくれ。
「街を普通に歩ける」
「後ろ指指されない」
「『いつも●●着てるよね』と言われない」
「違和感のなさ」
あたりが重要だと感じたからほんと初歩の初歩だと思う。
で、これからまとめるにあたって「アイテム」だの「トップス」だのといった用語は避けて書く。
ポイントをまずまとめる。
有線度を不等号使うと
1>>>>>2・3・4・5>6>7
て感じかな。
1は最低条件。
これは自身の経験から確信を持って言えるが、2・3・4・5さえできれば
では個々を。
靴はコンバースオールスターでもいいけど、かぶりやすいのでもし気になるなら個人的にはアディダスのカントリーあたりを勧めるからそれ履いてオサレっぽい美容院行け(まともな靴持ってる奴はごめんな)。会話絶対きょどるけど気にするな。行かないと一生そのままだからな。俺が保証する。普通に茶髪(染めてると分かるくらいの)にしてもらえ。黒髪は痩せてて綺麗な肌じゃないとほんときつい。
あ、太ってる奴いたらごめんな。痩せてから読み直してくれ。実はダイエット経験もあるんだが食ったもののカロリーを「必ず」記録するってのを習慣化すると自然と「間食しなくなる」からな。あと朝>昼>夕と食う量減らしてな。夕食は野菜スープ大量に食って茶漬け一杯。数ヶ月で10キロ勝手に痩せてたからな。間食したらアウトな。あ、話がそれた。
そのまんまだな。
ならなんでもいけるはずだ。カバンも同様。
あーそりゃ例外もあるからね。
例外だらけで経験で痛い目みたりしないと覚えないのが面白い。
紺とか紫のスニーカーは案外難しいからね。でも基本はそれ。
そのまんまだな。
もう全部スニーカーでいいよ。
買うのは白(レザー)と白(キャンバス地)と黒(バンズのオールドスクールとかいいんじゃないかな)
まあ、「白系二色+黒系」とあればかなり着回しが効く、
かつ白系も素材(もしくは大きさ)を変えると幅が広くなる、て感じかな。
余力が出来たら茶色とかグレーもあるとオサレっぽいよ。
例で挙げたのは定番も定番、「似合わない奴はいない」レベルの神靴だけだから
履いてる奴も多いでしょ?
だから、もしかぶるの嫌ならかぶらないの買えばいいと思うよ。
それだけでオサレっぽいからいいと思うよ。
帽子はキャップとキャスケットとニット帽で色はグレーとかカーキとか茶色とか紺とかヒッコリー模様がいいと思うよ。キャップはメッシュキャップもあればいいと思うよ。だいぶ疲れてきたよ。
白っぽいのと黒っぽいのがあればいいと思うよ。
茶色で革製とか超かぶりやすいから要注意だからファッション誌の特集とか読めばいいよ。
(ファッション誌なんかをイケメンの店員から買うのは難しいと思うからおばあさんかおっさん店員のいる店で買おう。デイリーヤマザキとかマジお勧め。あ、ファッション誌はできるだけ早い段階で買った方がいいな。普通にスマートとクールトランスとファインボーイズあたりが内容・表紙の買いやすさともにいいと思うよ)
カバンだけで一エントリー書けるから後日書くかもしれないと思うよ。
色は夏なら薄いほうがいいかな。
かといって白が増えすぎるとツマランので近い色を色々買うといいと思うよ。
以下、あくまで夏の色です。
(このエントリーは全体的に「●●も●●で合わせたら●●だよー」とかいう意見がいっぱいあるだろうけどごめん細かく書くと本みたいになっちゃうからしんどいからやめるよごめん!例外も多いけどまずは基本を熟知しないと違和感のある色合わせ・サイズ合わせしてしまうから危ないんだよ俺がそうだったもん)
あ、ズボンはね。
普通に街歩いてて「一番よく見る」「一番違和感がない」のをよく観察して似たようなの買えばいいよ。
迷ったらそこらへんのジーンズ屋で「リーバイス501の細めのやつもしくは505ありますか」と言えばいい。
よく分からなかったら「普通」「細め」「派手ではない」あたりを強調しておこう。
あえて言えば一つはワンウォッシュでもう一つは「軽め」の加工が入ってるやつにしよう。
どっちも細いほうがいい。最初は。スキニー(めちゃくちゃ細い)はやめとけ。
他は冒険しないと覚えないかもな。それについては後日書きたい。
反響があれば。ないなら書かない。
で、これらの要素をできるだけかぶらないように買うのが面白いし難しい。
そりゃね、
白だけで「ラグランのやつ」「ボーダーのやつ」「ストライプのやつ」
グレーだけで「ラグランのやつ」「ボーダーのやつ」「ストライプのやつ」
て揃えられたらいいんだけど金あればね。ないなら違う色を新たに買うときに形状とかも変わったのを買う、とかするといい。
めんどかったら全部「ふつーのTシャツの色違い・模様違い」とかでいいよ。
まあ、上述の通りだな。
まあ、すげえ目立つのな。どうしても。
その色に全体が食われてしまうのな。
「赤がうるさい」なんて俺は個人的によく使うな。
貧相だからな。
あと暗い表情をしないことも付け加えておこう。かといってニタニタはきもすぎるのでしない、
つまり楽しい予定があれば自然といい顔になるがそれを「意図的に」作ることもできる。
まー俺も一人を楽しめるようになってからだな表情が明るくなったのは。
ファッション自体が楽しくなればそうなるから好循環なんだけどね。
ちょこっと追記した。
最後に一つ。
高級感のない顔がちょっときれいめな格好すると必ず違和感を感じるから注意な。
フォーマルな場なら仕方ないんだが、普段着では顔にあったもしくはキャラにあった服装を模索しておこう。
よくわからんならググったら腐るほど出てくるからな。
個人的には「その人にあった格好」をしてるのがオサレだと思う。
あくまでカジュアルな場だけどね。