はてなキーワード: 東洋医学とは
経絡も実在するものとして教えられる。
だから、それらが実在するという前提で、古代中国から伝わる東洋医学理論を学ぶ。
学校で学ぶ臓腑は、解剖学的な内臓とは異なったものであり、より概念的な機能を持つ。
東洋医学的知識を身につけたからといって、東洋医学的治療ができるようになるわけではない。
いくつか診断・治療の手法を学んだが、私には馴染まなかった。
私は、学校では、気を感じるということを学べなかった。
「鍼灸師は鍼を使う気功師だ」という言葉があるが、私は自分の気も人の気も扱うことができない。
不足している気を補う「補法」、過剰な気を取り除く「瀉法」。形はできるし質問されれば答えられる。
でも、その作業で本当に気が出入りしているのか? それが私にはわからない。
イメージしてみる、ことはできる。でもそれは結局私の頭の中の妄想だと思う。
講習会で人にマッサージをしていて、講師に「自分の気を相手に入れ過ぎ!」と叱られた。
「自分の気」を治療に使うと消耗するので、「天地の気」を使えというのだ。
もちろん、そんなやり方教わったことなどない。その場で口頭で説明されてもできるものではない。
筋や筋膜の緊張をゆるめることはできるようになった。
関節周囲の筋や腱を緩めて、関節可動域を向上させられるようにもなった。
気や経絡は感じられなくとも、「反応のあるツボ」=身体の不調により触知しやすくなっている経穴 は、みつけられるようになった。
努力は、しているつもりなのだけれど。気功教室にも行ってみたりしたし。
中国拳法とかもやらないといけないんだろうか…。
マジレスすると、心の問題じゃなくて、体の問題だと思う。個体としてそういう体を持って生まれてしまったがゆえの問題というか。
性欲が極端に強い体ということは、衝動が強い体なわけで、衝動は感情とリンクしてるから、激しい感情を持った人間として生きるしかないわけで。そんな感情を肯定するためには、そりゃ女性蔑視やらなんやらの思考に行き着いてしまうだろうし。
感情とか、衝動とか、そういうエネルギーの強い人は、案外東洋医学系の体操だとか、整体だとか、スポーツで発散とか、そういう普通の人がやってもイマイチ胡散臭いのに乗せられて終わるだけのものが、合ってそうな気がする。
要は衝動になってる自分の中のエネルギー的なものを、どう処理するか、折り合い付けるか、ってのを扱ってそうなジャンル。
衝動のエネルギーが強い人は、それに振り回されやすいからね。インテリ的な人には向かないだろうけど、話読むからにはそうではなさそうだし。
ま、そういうのを試してみても悪くはないかもね。
医療を巡る西洋医学派と東洋医学派の争いは根深いよな。西洋医学は「科学的」(実は西洋科学的なのだ)証明を求め、東洋医学派は経験主義をたてにそれに反論する。そんなのが明治以来ずっと続いている。
調べてみると西洋医学の知識だけでなく、東洋医学も含めて心身全体のバランスを見るというものらしい。
別に現在の治療にホリスティック医療を持ち出されているわけではないのだが、
どうもホメオパシーとかそういう類の胡散臭さと関連づくのかなと疑問を持ってしまいそうになる。
今ホットな漢方の話じゃないけれど、どうも東洋医学や西洋医学以外の治療方法に対する知識って
誤解や認識不足が多いのかもなぁ。
正直何を信じていいのかわからん。
最初のエントリのポイントが「どっちが優位か聞いても意味ねえ」って点にある、と書いたことは華麗にスルーしちゃうんだ?
はあ。
いやいや、あなたの最初の文章を読む限り「どっちが優位か聞いても意味ねえ」と書いてあるとは到底読み取れませんよ?ってのが趣旨なんですが。
自分があなたの文章を批判したのはあなたの最初のエントリに対してであり、「最初のエントリのポイントが「どっちが優位か聞いても意味ねえ」って点にある」かどうかは最初のエントリを読んだだけで判断するしかないでしょう。あと出しで「実はあれは東洋医学と西洋医学の優位性を比較しようとしたのではない」とか言われてもそんなのわかりません。
最初のエントリには「あんたどっちの意見を採用するね?」って書いてあるんですよ?それは、どう考えたってどちらが優位かきいてるのと同じことでしょう。違うのでしょうか?まずこの質問に答えてください。もしこの質問に答えられないようでしたら、もう議論する余地はないと思うのでいいです。あとはこの文章を読んだ人が自分で判断するでしょう。
と書いてあることと、「どっちが優位か聞」くことは矛盾しません。「同じフィールドでは比較できない」としても、どちらのフィールドがより重要かを考えれば2つのものの優位劣位を比較することはできるでしょう。でなければなぜ「あんたどっちの意見を採用するね?」って聞くんですか?
人体の仕組みは川のメカニズムよりもっと複雑だから、『なぜ』そうなるかを現時点で説明しきれないとしても、『確かに良い』と多くの人が言ってきて、今も言っているものについて、まだその理由が分からないうちから捨ててしまうような真似だけはしない方がいいと思うんだ。
これは別にいわゆる東洋医学とやらに限った話でもなく西洋医学とされてる今の医学だって同様の事はある。作用機序のわかってる薬ばかりでもないし、根拠を説明しきれるような治療ばかりやってるならEBMとか言われる事もないわけで。オリエンタリズムで実態以上に西洋医学と東洋医学の違いが強調されてるように見える。
ていねいにお返事頂き感謝します。
これだけ丁寧に読んで頂くと、もうこちらからコメントすることって余りないんですが。
東洋医学の方法も、ちゃんと研究デザインを考えれば(例えば、薬だけでなく日々の生活や食事まで、評価の要素に含めるとか)効果を確認する事はできると思う。
仰るとおり、東洋医学の(経験的な)知恵は、その大部分がいずれ西洋医学的に解明される時が来るはずだと思う。だいたい百年もすれば。秘伝や秘術と言った類との違いが定かではない東洋医学が、自己研鑽の機会を失っているという批判は結構あたっていると思うし、論理的明証性という武器が、たかだか1000年程度のアドバンテージを覆すには100年もあれば十分だろうと思う。
だから、問題はその「途中」である「今」なんだ。
オレがいいたかったのは、まあそんだけです。
人類の歴史を振り返れば、同じように失われてしまった知恵は膨大なわけで、漢方もまたその一つになり果てるというだけのことなのかもしれない。でも、そのロスを無くすことができればいいな、と思って書きました。ただ、単純に西洋医学が東洋医学を「解明」するだけでは多分ダメで、その根底にある思想……たとえば「技術によって自然のバランスを越えて人を延命させることの是否」なんて話で、多分相容れない領域に突き当たるわけで、そこんところでどうするのか、っつーところで、哲学とか倫理とかそういうジャンルとのコラボレーションに興味の湧く所であります。
東洋医学の観点から西洋医学の「盲点(かもしれない)」ことを指摘したけど、別に俺は西洋医学の優位性を否定しようとは思わないよ。
いや
たとえば、近所の川が淀んでなんか嫌な感じの臭いとか虫が発生して困ってるとしよう。で、近所の西洋さんが言うわけだ。「脱臭剤と殺虫剤をぶちこめば収まりますよ」と。そりゃ、まあそうだろう。でもそういう問題なのかそれは。そこで東洋じいさんが「まあまて。そもそもの原因は最近流れ込み始めた生活排水と、それによりヘドロがたまったことに原因があるのじゃ。下水の流れを変え、こまめに掃除をして、でもって川の生き物を殺さない程度の弱さでヘドロを溶かし流す薬と、あとヘドロが減ってきたら護岸に草の種をまきましょう」とか言うわけ。あんたどっちの意見を採用するね?
この文章を読んで「別に俺は西洋医学の優位性を否定しようとは思わないよ。」とか到底信じられないんですが。この文章読んでどっちが優位でしょうて聞けば100人が100人とも「そりゃ東洋医学のほうがいいよな」っていうんじゃない?でこのたとえの根拠が知りたいの。
あなたが根拠のひとつとしてあげたのは過去の実績だったけど、過去の実績考えれば西洋医学のほうが優位なわけで、それは根拠にならないよね。その根拠がないことをたとえとして使うことが印象操作なんじゃないかと指摘してるわけ。
前の書き込みの最後三行を読んでみて。あなたの言う程度のことは知っているけれども、それは『東洋医学の根底にある思想がどういうものか』という論議とは無関係な話。
漢方が、手段の一つとして対症療法的治療を施すことはあって、その際に、対症療法的に見て「効く」薬を使うこともあるだろう。けど、それが東洋医学や漢方薬の唯一の存在意義だなんて考えるのは大きな間違い
私は「どっちが対症療法か」なんて話はしていない。東洋医学には対症療法的ではない考え方があるんだよ、という話をしてるだけ。西洋医学が東洋医学のそういう考え方も含んだ総合的なものだといいたいならば、まだ分かる。でもそう主張するなら、それはそれでその根拠を示すべきだよね。
東洋医学の観点から西洋医学の「盲点(かもしれない)」ことを指摘したけど、別に俺は西洋医学の優位性を否定しようとは思わないよ。でも、仮に西洋医学の「絶対性」を誰かが主張するとしたら、「それはちょっと違うんじゃないかなあ」と言わずにはおれないんだ。科学とか、そんなに信用してもらってもねえ、と。
http://anond.hatelabo.jp/20091129120858
たとえば、近所の川が淀んでなんか嫌な感じの臭いとか虫が発生して困ってるとしよう。で、近所の西洋さんが言うわけだ。「脱臭剤と殺虫剤をぶちこめば収まりますよ」と。そりゃ、まあそうだろう。でもそういう問題なのかそれは。そこで東洋じいさんが「まあまて。そもそもの原因は最近流れ込み始めた生活排水と、それによりヘドロがたまったことに原因があるのじゃ。下水の流れを変え、こまめに掃除をして、でもって川の生き物を殺さない程度の弱さでヘドロを溶かし流す薬と、あとヘドロが減ってきたら護岸に草の種をまきましょう」とか言うわけ。あんたどっちの意見を採用するね?
これって印象操作だよね?だって、西洋医学が対症療法(脱臭剤と殺虫剤をぶちこめば収まりますよ)で、東洋医学がそうでないとなぜきめつけるの?なぜ、東洋医学が対症療法で、西洋医学がそうでない可能性を考えないの?それはあなたの思い込みであって証拠はないよね。
たとえば
http://homepage3.nifty.com/junko-nakanishi/zak281_285.html#zakkan282
この本には、漢方薬の薬効評価の非科学性が書かれている。その他に、使い方を誤ると大変なことになる例がいくつか書かれている。その一つがチョウセンニンジンである。ニンジンには、血圧を上げてしまう効果があると書かれている。
「気分を高揚させる効果」があるので、病気が快癒していると感じがちだが、それは必ずしも病気が治っているのではないこと、特に血圧の上昇には注意が必要と書いている。確かに、二重目隠し法で検査した場合に、ニンジンに認められた効果は、この「高揚感」だった。
これなんか、東洋医学が実は対症療法だった可能性の一例になるんじゃないかな?
でも、あんたは言うかもしれない『東洋医学も、そりゃ確かに最終的には「効く」のかもしれない、でも、それならそれを証明する必要があるだろう』って?だから、長い歳月によるデータの集積、ってのがあるんだろう。東洋じーさんは、様々な場所で様々な川をたくさん蘇らせてきたという実績を少なくとも持っている。
そう、どちらが対症療法かは結局治療実績で判断するしかない。東洋じーさんは、様々な場所で様々な川をたくさん蘇らせてきた実績を少なくとも持っているかもしれないけど、西洋じーさんが現れて蘇らせ始めてから、川の蘇らせ率が飛躍的に改善した。また、川の各種指標も改善し、東洋じーさんでは蘇らせられなかった川をいくつもよみがえらせてきました。その結果川の蘇らせを担当するのはほとんど西洋じーさんになり東洋じーさんの出番はほんの少しです。さて、対症療法だったのは東洋じーさんだったのでしょうか?西洋じーさんだったのでしょうか?
しかし、俺は個人的には漢方薬を保険適用外にするのは反対だな。西洋医学で治せない症状がある限りプラセボ薬も必要だろう。漢方薬推進派は漢方薬禁止と漢方薬許可のランダム割り当て試験で保険費用比べてみればいいんじゃない。きっと漢方薬許可のほうが勝つよ。仕分け人なんてお金のことしか考えてないので、それで十分だろ。
なるほど、少し分かった気がする。
あなたは漢方について、効果だけでなく根底にある思想を含めて評価してるんだね。
川の例えだと、仮に東洋じーさんのやり方でうまく行かなくても、方向性としてそちらの方が正しいという風に、確かに思える。
でもそれは、イデオロギーの問題もあるし、さらに言えば我々の心のどこかに「東洋じーさんのやり方のほうが、最終的にうまく行く」という(必ずしも根拠は明確でない)確信みたいなものがあるからではないかな。
食物繊維の例なんかは、むしろいわゆる「科学的」なやり方を支持する話に私には見える。ことわざとして何となく受け継がれていたけれど、本当かどうか分からなかった事について、3,40年かけてコツコツ研究した結果、やっぱりことわざが正しかったと分かった訳でしょう。
長い伝統こそが効果のある証明であるという主張も、一定の根拠にはなり得ると思うけど、それのみで判断するのはやや無理があるように思う。基本的に人間は、効果のあった事はよく覚えていても、効果が無かったことはあまりよく覚えていないものだ。よく言われるプラセボ問題(本当に薬が効いたのか、薬を装っていれば薬でなくても効くのか)についても、経験則では評価できない。
それに、ここは東洋医学に対する批判になるのだけれど、千年を越える歴史の中で、中心となる理論が基本的にずっと変わっていない、という所に私は不信感を覚える。千年前の人々が今よりも愚かだったなんてことは無いに違いないが、今よりも賢かったということもあるまい。すっかり完成してそれ以上改良の余地が無いほど完璧な理論なんて、はっきり言ってこの世に一つも無いだろうと私は思っている。常に疑問を持って理論を眺め、おかしな部分は直してゆくのが、より良い理論へ辿り着く道だと思っている。長い伝統の間に大きな改革が無かったという事は、東洋医学の中には、そういった自己研鑽の精神が足りないという事を意味しているんじゃないだろうか?
人の記憶や感覚に頼っている限り、どうしても人間特有の間違いの傾向に落ち込んでしまう事を免れない。科学の手法というのは、その傾向を可能な限り取り除いて客観的な事実へ近づくための、これまた長い時間をかけて積み重ねた集合知だよ。
東洋医学の方法も、ちゃんと研究デザインを考えれば(例えば、薬だけでなく日々の生活や食事まで、評価の要素に含めるとか)効果を確認する事はできると思う。
とはいえ、そもそも間違いを正して客観的事実に近づいていくのが、本当に価値あることなのか?という点まで立ち返ってしまうと、科学的手法も大して意味がなくなってしまうんだけれども。
さて、冒頭に確認したように、あなたは漢方の効果だけでなく思想も支持しているようだ。単に健康になること以上に、その方法論が大切であるとお考えなのかもしれない。
思想が絡んでくるとなると、客観的な評価単独では、仰るとおり意味が無い(それでも評価自体が全く無価値だとは思わないけれど)。薬の効果という狭い評価範囲を超えて、人の心の機微や社会全体にまで話が及ぶ事だ。そして、事は保険適応の有無という極めて社会的・人為的な話なのだから、そこまで考えるあなたの方が、姿勢として正しいように思う。
私は社会情勢や経済や法律には全く暗いので、今回の漢方と保険についての問題には、ここでは直接触れないで置く。自分自身考えがまとまらないし、何か言っても見当違いになりそうだ。
あくまで「二重盲検」「対症療法」という単語の意味について、気になっただけ。でも、あなたの整理された文章を見ると、どうやらそれも余計なお世話だったらしい。申し訳ない。(「対症療法」についてだけは、未だにちょっと気になる。もしかすると、東洋医学の「対症療法」と西洋医学の「対症療法」は、別の言葉なんだろうか)
長文になってしまったけれど、誰かに噛み付いたりするつもりは全然無い。自分の考えを整理する役に立ったので、書くきっかけを与えてくれた元増田に感謝しようと思う。
乱文乱筆、失礼。
そのために、申し訳ないが反論が反論になってない、と思う。
『二重盲検で集めるデータ』というのは、処方された薬にどのくらいハッキリした効果があるのかを見るためのもの。薬がどういうメカニズムで効くかは解明されていなくても関係ない。
ご自分で書いていらっしゃるように、『二重盲検でデータ集める』考え方は『処方された薬にどのくらいハッキリした効果があるのかを見る』ことを目的としてるわけだよね?
東洋医学の薬は、「ハッキリした効果」を出すためのものじゃない、とされている。なぜなら彼らの考える医学とは「ハッキリした症状」に対する「ハッキリとした効果」を目的として行うものではないから。人体とはもっと精妙で総合的なバランスで動く流動的な存在で、その精妙なバランスと流動性を回復することを最大の目的だと彼らは考えている。
たとえば、近所の川が淀んでなんか嫌な感じの臭いとか虫が発生して困ってるとしよう。で、近所の西洋さんが言うわけだ。「脱臭剤と殺虫剤をぶちこめば収まりますよ」と。そりゃ、まあそうだろう。でもそういう問題なのかそれは。そこで東洋じいさんが「まあまて。そもそもの原因は最近流れ込み始めた生活排水と、それによりヘドロがたまったことに原因があるのじゃ。下水の流れを変え、こまめに掃除をして、でもって川の生き物を殺さない程度の弱さでヘドロを溶かし流す薬と、あとヘドロが減ってきたら護岸に草の種をまきましょう」とか言うわけ。あんたどっちの意見を採用するね?
この場合、じーさんの「薬」だけとりあげて、「効く」とか「効かねー」とか議論する意味があるのかな?『じーさん、あんたの「薬」とやらぶっこんだけど、脱臭剤に比べて「臭い」なんて全然消えねーわwwwwゲラゲラ』と言う?『草の種とか……虫www増えwwww』……発想の根底が違うものを同じフィールドで比較するのは全然フェアじゃないとは思わない?
もう一つ話をしよう。たかだか3、40年ほど前の子ども向けのことわざ辞典の話だ。「こんにゃくはお腹のすす払い」ということわざの解説にわざわざこんな注がつけられていた。
何イッテンノ、馬鹿デスカ? と思うだろ? 今ならな。小学校でも「食物繊維」という言葉を教える時代から見れば、嘘みたいに聞こえるかもしれない。でも、マジな話だ。
食物繊維は人の消化酵素では分解されない上に栄養素の吸収を阻害する非栄養素として排除されてきた歴史があります。
精製して取り除き、排除する努力がされてきたのです…
分かるか?発想の違うものを、一つのフィールドで評価しようとすると、見落とすものはきっと出てくるんだよ。「近代的で合理的で疑問の余地なく見える科学の大系」にだって意外な盲点というのはあったりするんだ。世界はまだまだ確定されない要素に満ちてる。経験知というのを馬鹿にして捨て去るほど、まだ人類は賢くないんじゃないか。少なくとも人は、その程度の謙虚さを持っておくべきじゃないか。
でも、あんたは言うかもしれない『東洋医学も、そりゃ確かに最終的には「効く」のかもしれない、でも、それならそれを証明する必要があるだろう』って?だから、長い歳月によるデータの集積、ってのがあるんだろう。東洋じーさんは、様々な場所で様々な川をたくさん蘇らせてきたという実績を少なくとも持っている。人体の仕組みは川のメカニズムよりもっと複雑だから、『なぜ』そうなるかを現時点で説明しきれないとしても、『確かに良い』と多くの人が言ってきて、今も言っているものについて、まだその理由が分からないうちから捨ててしまうような真似だけはしない方がいいと思うんだ。たとえ政治的なやり方であろうが、それを生き延びさせようとしている人々の発想の根幹にあるのは、漢方に対する強い信頼で、漢方が政治的なやり方であれ生き延びてきたということは、漢方にはそれだけの力があるということだと思うんだ。
漢方が、手段の一つとして対症療法的治療を施すことはあって、その際に、対症療法的に見て「効く」薬を使うこともあるだろう。けど、それが東洋医学や漢方薬の唯一の存在意義だなんて考えるのは大きな間違いであって、まさに「木を見て森を見ない」論議だと思うんだよ。そんなものだけ生き延びさせても、それは漢方を「生かす」ことにはならない。
僕は医者だけど、漢方の保険適用を外すってのは凄く全うなことだと思うんだけどなぁ。
そりゃ「漢方の」専門家の先生はそれで食べてるし「ツムラ」は猛烈に反対するのはわかるんだけどね。
ネットの人が署名署名ってなるのはてんで理解できない。あんたら単に「民主憎し」なだけちゃうんかと。
はっきりいって漢方について医学部で習うことは無い(多分富山大学以外の大半)し
臨床医として働きだしても、積極的に使うことは無い。患者さんの希望とか既に出されてるから出し続けるぐらい・・・
ツムラさんいは100以上の漢方の載った手帳もらうんだけど、つかわねーっての。(だいたい100以上在るとかが既にわけわからない)
しゃっくりに「柿のへた」はマジで使うけどね(笑
基本的に西洋医学は病気の原因とその治療というのがかなり明確に理論立ててあるわけで
なにが入ってるのかなんできくのか説明つかない漢方を使おうなんて人はほとんどいないわけ。
(有効成分が入ってるならそれを抽出して使えよ!という話。)
さらに、製造段階からちょっと怪しい部分もあって実際、漢方に含まれてる有害成分によって腎炎をおこした例の報告もあるし
国家試験レベルでも有名な「アルドステロン症」だって引き起こしたりするもの(甘草)もある。
むろん西洋医学は逆に言うと原因のはっきりしたものを個別にしか対応できないし
多くの慢性的ではっきりとしない症状を訴える人や予防的には漢方含め東洋医学が適してる部分も多いと思う。
でも、そういうのってサプリメントと一緒で飲みたい人は自己負担で飲めばいいんじゃないのかなぁ。
僕は無いと思うんだけどね。
経緯
わたしの見方
署名ってそんな軽い気持ちでいいのか?
そんな軽い気持ちで書いた署名に力があるとでも思ってるのか?
正直いって署名したやつも実際どういう問題なのか把握してないんじゃないの?
まあ、俺も把握してないんだ。だからみんなの代わりに調べてみたよ。
詳細は長いので下に書くけど、俺がこの署名活動について調べて思った結論は、
これから具体的に議論していこうって「方向性」が決まっただけなのに、
ってことだ。じゃあそう思った経緯と調べたことを書く。
そもそもの署名活動がいっせいに広まった発端としてはこれだ
http://lolocaloharmatan.seesaa.net/upload/detail/image/IMG_0003-af1d4-thumbnail2.jpg.html
「皆さんに緊急のお知らせです。」
http://lolocaloharmatan.seesaa.net/article/133805128.html
なるほど。どうやら漢方に関わる専門の方の考えのようだ。
チラシの重要な点を持ってくると
ということだそうだ。
これが文面そのままのとおりだったら大変かもしれない。
俺は漢方は飲まんが、使っている人はたくさんいるのはわかる。
俺がこの文を見たとき、「全ての」漢方薬が適用外になるらしい、と解釈した。
みんなもそうかもしれない。しかし後々わかるがそんな単純な話でもない。
コレは1専門家の意見だ。もしかしたら別の考えもあるかもしれない。
そう思って俺は仕分けのソースにあたることにした。今はソースすらネットにある。便利な世の中だ。
行政刷新会議WG「事業仕分け」(2009/11/11・2-5)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8782740
↑市販品類似薬の非保険化に関して(今回の問題に関わる部分)は55分あたりからだ。聞け。
なに?長いから読み込むのも大変だ?
しょうがない、俺なりのまとめになるが、議論で話されていた要点を書き下す。
でもあとでちゃんと聞けよ。俺の解釈が間違ってる可能性がないとはいえないからな。
「市販品類似薬の非保険化すれば、非保険化したぶん薬の利用者の負担が増えるので、
国民的な議論・慎重な検討が必要。方向性もまだまだこれから(方向性すら決定ではない)」
「保険の掛かった薬は安く買える分、必要以上に買いすぎるということもある。
現状の無駄のでる制度はやめて、その分を他の高額医療にまわしたほうが理解が得られるのではないか。」
「やめることで、どの人にどれだけ負担がかかるのかこれから見極める必要がある。
薬ごとに使う人も違っているのでこれから慎重にみていく。」
「治療を受けられている方の負担も、保険料を支払っている国民全体の負担も大事。」
「厚生労働省の考え方として、保険料の適用範囲は病気や怪我の治療に関わるもののみ。
病気の予防や単に気分が良くなるようなものについては負担はしない。
ただし、一見薬が予防にかかわるだけのもの(治療する薬ではないもの)、
治療者の気分をよくするだけのようなものでも回復に繋がることはある。
そういう事例には保険が適用されている。」
「仕分け人15名中11名の同意が得られているので
方向性としては保険外にする方向で。
しかしまだまだ範囲についてなど十分な議論がなされていないので、
これから議論していくことがもっと必要」
(注:仕分け資料によると、高齢者の半分近くが処方された薬を飲み残している。その分、薬に掛かった保険料が無駄になっているとのこと。資料の55ページ参照)
http://www.cao.go.jp/sasshin/oshirase/pdf/nov11-pm-shiryo/06.pdf
という感じだ。もし俺のまとめ方に誤りがあるなら訂正してくれ。もしくは補足してくれ。
「後発品のある薬価の見直しについて」の話はジェネリックに関することがほとんどで、
「市販薬類似薬は保険外」についての議論は最後の約5分間のみだった。
つまりほとんど議論されておらず、まだまだこれから議論していきましょう、っていう話だ
市販薬類似薬についてどのようなものを考えているかというと、
ビタミン剤・健胃剤・弱いステロイド外用薬・弱い鎮痛内服薬など、とある。
更に下を見ると、「湿布薬・うがい薬・漢方薬などは薬局で市販されており、医師が処方する必要性が乏しいもの」とある。
つまり、仕分け人の考えとしてはこういうことのようだ。
「現状の制度では国民が負担している保険料が無駄に使われている部分がある。
保険料の無駄(=国民全体の負担)はできるだけ少なくなるように改正したい。
とはいえ、市販類似薬を保険外としたらそれは治療者の負担となる。
場合によっては致命的な事例もあるだろう。
なので、市販類似薬の中で医師が処方する必要性が乏しく、
簡易に安価で入手でき、医療的な重要度の低い薬について保険外とすることで、
という話のようだ。少なくとも俺はそう解釈した。
さらに、具体的にどの薬が治療者にとってどれだけの負担になるかは、
これから検討していくという話だそうだ。
なるほど。仕分けの理由は理に適っているように思える。
保険だって税金だ。無駄は少ないほうがいい。日本のお金が少ない今ならなおさらだ。
どうも仕分けの議論を聞く限り、「漢方薬全て」を保険外にしたり、
ましてや「漢方薬が処方できなくなる」という話ではなさそうだ。
せいぜい負担増だ(やったとしてもどれだけ増えるかはまだ未定)。
まあ、ここで署名推進派(=保険外反対派)の意見も見てみよう。
最初の署名の話と随分と違う気がするが、俺の解釈が悪かったのかもしれん。もしくはもっと隠された問題があるのかもしれない。
どうもいろいろ意見を見ると、署名活動をを広めている大本があるようだ。
これだ。
「医師から治療手段を奪う暴挙は許せない」(日本東洋学会 会長 寺澤)
http://www.jsom.or.jp/pdf/opposition/opinion.pdf
無駄に長いし仕分けの論点とは違うことが書かれている気がするが、
そりゃあ専門家だからいろいろ思うことはあるのだろう。
まあいくつかポイントを見てみる。
この書き方だとまるで「漢方薬全て」の保険はずしみたいにも取れる。
俺が仕分けの議論を聞いた限り負担の少ない薬の一部という解釈だが、
もしかしたらそうでもないのかもしれない。
むしろ、薬局・薬店で買えるような程度の軽い薬の範囲で、検討するぐらいの話な気がするが・・・。
乳がんとか膀胱炎だとかの漢方薬使用例とか具体的な事例は出されてるが、
そういう医師の処方する必要のある重要そうな薬は今回の範囲外じゃないのか・・・?
まあ、俺は専門家じゃないし、薬の知識はないから
もしかしたら漢方薬というのはほとんどが医療的に重要度の高い薬なのかもしれない。わからん
>漢方製剤の保険外し問題は17年前にも議論されたことがありましたが、
>150万人の皆さまから反対署名を頂き、保険外しを免れました
過去にも似たような例があったらしい。へえ。
コレについてはよく知らんし調べてないので誰か教えてくれ。
>消化菅の手術字に大建中湯という漢方薬を用いると~数十万の手術料云々
もしその漢方薬が保険適用外になったらそれぐらい負担が増えるらしい
でも仕分けでは手術に使われるような薬や治療者負担の大きくなるような薬まで考えられてないような・・・?
そもそも大建中湯を保険適用外にするなんて話も聞く限りでてないし。
その薬が保険適用外になる可能性が高いとかあるんだろうか?わからん。
他にもまあいくつか理由やこの人の考えは書かれているので是非読んでくれ。
あと、こんな記事もあった。
http://www.j-cast.com/2009/11/27054955.html
>日本東洋医学会によると、保険適用の漢方薬は149種類、OTCが200種類ある。
>そして、OTCと同じ成分の適用薬が多いため、149種類のほとんどが適用外になるのではないかとみている。
成分が似ているから、
ほぼ全ての漢方薬が保険外になるのではないかと危惧しているようだ。ふむ。
そうすると上の疑問に対しての理由は少しはわかるが、
薬って成分で判断するものなのか?
厚生労働省は治療者の金銭的負担や、実際の効能・実態で見てるんじゃないのか?
成分似てても違う薬で治療者の負担が大きかったり、医師の処方が必要な薬であれば、
ちゃんとその辺は検討・考慮して、今回仕分けの対象にはならないんじゃないか?
俺は薬に詳しくないのでいまいちわからん。詳しい人誰か教えてくれ。
そういえば、さっきの記事には賛成派の意見も書かれていて、
>一方、OTCの7割を扱うドラッグストア業界では、保険適用外の方向性を歓迎しているようだ。
>日本チェーンドラッグストア協会では、「基本的には賛成」としており、
>「健康保険の財源を安定的に維持していくことが必要だからです」と説明している
とある。他にもいくらか意見があるのであとで読んでくれ。
上に挙げた記事以外にもいろいろあるしな。探して欲しい。
さて、もしかしたら他にも反対派の意見もあるかもしれないが
俺はこの辺で署名する気が失せて力尽きてしまった。
が、俺が反対派の意見や現場の実態をよく知らないだけかもしれない。それは是非教えて欲しい。
最初から思ってたんだが、署名するってことでどれだけの説得力があるんだろう。
ほとんどは詳しい事情もしらないやつの名前が、ずらずらと並んでいるんだぜ?
特にこんな専門性の高い分野なんだからさ。
素人がちょっと調べただけじゃ本当の実態もわかりゃしねーのよ。
だからせめて、もっと素人にもわかる説得力のある説明をしてから署名活動してくれよ。
いまの感じじゃなんかイメージで漢方の重要性を語られてるようにしか見えないぞ。
論点はそこじゃないだろ?
保険外反対派がするべきことは、署名活動なんかじゃなくて、まずは
「現在、保険が適用されている漢方薬一つ一つについて、医療的にどれだけ重要なのか、
保険が外れたら治療者の負担がどれだけ増えるのか、具体的にデータで明らかにする」
ってことじゃないのか?
重要な薬は保険適用のままって厚生労働省も考えてるみたいだしさ。
そうすることで署名を集めやすく狙ってるのかもしれないけど。
あ、なんか性急に署名を集めてるのも、署名をたくさん集める作戦なのかもしれないね。
仕分けではこれからじっくり議論をしていこう、って流れに見えるけどな。
まさか2,3ヵ月後に漢方薬の保険が外れるみたいな話でもないだろうに。
ホントにそんな署名を急ぐ必要があるの?そんな署名に説得力があるの?
誰か、素人の俺に教えてくれ。
納得したら、俺も署名するよ。
医療関係をやってるが、現代人は感情表現を驚くほどせず、理性をだいじにしすぎている。
だから、鬱屈した感情が蓄積してストレスになる。東洋医学からみれば、テクノストレスも
人間関係のストレスもすべて、一時的に生じた緊張よりそれを解放しないことのほうがおおきな問題であることが多い。
だから、野蛮さを失ったように見える現代社会だが、その内実は、野蛮さを我慢して心にしこりを生んでいる。
私は海外に行ったことはないが、映像でみると実に表情豊かで感情豊かな感じがする。
だから、私は日本人がもっとも現代的ストレスの悪影響を受けていると思う。
その最大の原因は繰り返しているように野蛮さを押し込めていることにある。
社会の規範も大切だが、感情を解放する手段がどんどん失われてゆくのは悲しいことである。
いまの小学生は驚くほど醒めている。私が子供のころは野山を駆け回ったものだが、
そんな話をすると決まって嗤われて、どんな大昔の人間なんですかと言われる。
いまの人たちには到底そんな時代があったことが知らないのだと思う。
三砂ちづるとあの著書を『身体論をイメージして女性の生物学的性への回帰を提唱し、状況的には、フェミニズムに対する見直しの潮流(いわゆる「バックラッシュ」)の一貫と位置づけられたエッセイ』とみる、という見方なら一般的だろうけど、それを「カルト」とか「トンデモ」とか評してる人はそれこそちょっとどっちかに偏った人しかいないんじゃないかな。
個人的には、それなりに名の通った場所であの本をトンデモ呼ばわりしたのって、今は亡き『論座』'05.2に載った田中美津とかいう鍼灸師の人の文章くらいじゃないかと思うんだけど(wiki見ると香山リカも批判したようだけど、それは「配慮が不足」という批判であって「カルト」とか「内容がトンデモ」とかそういう批判ではないよね)、田中美津って「4年間メキシコに行って悟って鍼灸師になった」、自称『東洋医学界のスター鍼灸師』で、「光線治療器」が「癌に効く」とか、「邪気(病気エネルギー)」に「気孔」で対抗する、とか言ってる人だよ。そういう人が誰かをトンデモ呼ばわりするというのはどういうことを意味するか、ちょっと考えてみてもいいんじゃないかなあ。
スパッツじゃないから恥ずかしいもん!「うらバン♪」
スパッツを日常的に着用するようになると、スパッツがないノーマル状態の恥ずかしさがパワーアップする。これは、心理学的な見地からは『日常と非日常の逆転』によって生じる現象であり、スパッツが日常化した状態でスパッツを着用しないと、自意識はストレスから解放され、より自意識への認識を強める。この心理的作用によって羞恥心が増すという構造が形成されているために『スパッツじゃないから恥ずかしい』とう現象が引き起こされるのである。
また、スパッツの特性と女性の身体上の特徴からもこの現象が生じる理由が推測される。スパッツを日常的に装着すると、骨盤に囲まれた女性特有の臓器、すなわち子宮や卵巣が保温される。保温効果によってこれらの臓器の血流が改善し、女性ホルモンの分泌が安定化する。女性ホルモンの分泌が安定する事によって、脳内ではエンドルフィンなどの物質が分泌されやすくなり、また、いわゆるストレスホルモンと呼ばれるコルチゾールなどの分泌を抑制する。
この状態からスパッツを取り除けば、保温効果によって安定していた女性ホルモンの分泌は不安定化し、『擬似的な更年期障害』のような症状を引き起こすのである。精神的に情緒不安定、不安感やイライラが生じやすくなる。このような精神の不安定な状態こそが、羞恥心をアクセラレートするのである。
東洋医学的な見地からも、この現象は非常に興味深い。スパッツは多くの場合、身体を引き締めるような素材で作られており、色は黒が多い。身体を引き締める効果により経絡(ツボ)が刺激される。また黒色には遠赤外線を吸収する働きがあり、これによってもたらされる温熱効果も経絡(ツボ)を刺激するのである。生理不順や婦人科疾患に効果がある『気穴』や、滋養に効果がある『五里』まで、スパッツは幅広く経絡(ツボ)をカバーし、多くの経絡を刺激して女性の身体に良い効果をもたらす。
スパッツを着用しなくなればこれらの効果は失われ、身体の不調が生じて、精神的な不安定を引き起こす。これは前述の『擬似的な更年期障害』と類似した徴候と言える。
以上の理由からスパッツを日常的に着用している者がスパッツを着用しなければ、その恥じらい、羞恥心はマジパネェという事がご理解頂けると確信する。
安易にスパッツを脱いではならない。
最悪の場合(ry
東洋医学全般についてどうかっていう問題だよね。
ていうか漢方って、せいぜいが経験の蓄積に過ぎないんだよね。
「これを処方したらこの症状に効いた」それ以上のものではない。そもそも最初に処方してみた理由すら謎。
数千年の蓄積があるからこそ薬として機能しているけど、なにしろ機序を理解せずに処方するわけだから普通にやってたんじゃ新たな薬効の発見なんてのはほとんど不可能だ。多分*(結果として)人体実験による数多の犠牲の上に成り立っているに違いない。
念のために言っておくけど、西洋医学だって出発点は似たようなものだ。多分18世紀頃までは、医学ってちっとも理論的じゃない。悪い血を抜いて毒を出すとか。まるっきり今の「デトックス」とかいう妄言と同じレベルだ。
だけど西洋医学は、仕組みの理解を重んじた。「何を処方すれば効くのか」よりも「何が原因で病になったのか」。原因が判れば、それを排除する方法を考えることができる。
今の医学にはかなりの「知識の蓄積」がある。この成分は何故このような働きをするのか。この病原体はどのような仕組みで感染し、増殖しているのか。分子レベルでそれを突き止めているから、逆に分子レベルで欲しい効能をデザインしてみることができるまでになった((それが必ずしも期待した通りに働くとは限らないのが、現代医学の限界ではあるのだけれど))。