はてなキーワード: 教育刑とは
追記書いたよ。
死刑賛成派の大半は、犯人を懲らしめたい人たちだから、社会からの隔離だの教育刑だの何だの説明しても、そもそものやりたいことが違ってるから説得できないんだよ。死刑賛成派は犯人を懲らしめたい人たちで、隔離だの教育だのはしたくないんだよ。
だから、彼らと同じ目線に立って、懲らしめになってないって言ってやらないと説得できない。現に、増田でもそこですれ違ってる言い合いばかり。みんな暇人に見える。
死刑賛成の人に、ぜひ考えてもらいたい重要なこと: 納豆食えるか?
納豆は食える人と食えない人がいる。納豆食えない人、大嫌いな人に納豆を食べさせるるのは恐ろしい刑罰になるが、納豆が好きな人に納豆食べさせたら、刑罰にはならない。
だから、納豆を食べさせる「納豆刑」は存在しない。受刑者によっては刑罰ではなく、ご褒美になるから、刑罰にならない。意味がない。
つまり、ある事を無理やりやらせる事が、刑罰として意味をなすためには、それが、「誰にとっても嫌な事」である必要がある。
さて、死刑とは、「死ぬ事」を無理やりやらせる事だ。それは、「誰にとっても嫌な事」だろうか?
自分にとっては「死ぬ事」が嫌な事だとしても、まわりに、「死ぬ事」を進んでやりたがってる人はいないだろうか?
ちょっと探すだけで「死にたい」ってSNSでつぶやいてる人間はたくさんいるし、この国では、年間3万人も、自分から進んで死を選ぶ人間がいる。死にたいと思ってるだけで実際に行動に移さなかったやつもカウントすれば、もっと多いだろう。
「死ぬ事」の愛好者が、この国には年間3万人もいるんだぞ?「死ぬ事」は割と愛好者の多い、人気の行為と言えるんじゃないか?なんで、そんな愛好者の多い行為が、刑罰になると思えるんだ?
しかも、日本の死刑は絞首刑、要するに首吊りだ。「死ぬ事」の愛好者、つまり、自殺者志願者の間では、首吊り自殺は苦痛なく確実に死ねる最も楽な方法として推奨されてる方法だぞ?そんな方法で楽にしてやってどうするんだよ。
刑罰は受刑者が嫌がることをさせることではない、などということは知ってるよ。
ただ、結局、そのロジックでは死刑賛成派を説得できなかった…というのが実情じゃないか?
そこがねじれてるんだよ。死刑賛成派の人の大半は、とにかく犯人を罰したい、懲らしめたい、というのが目的なんだから、彼らと同じ土俵に立って、懲らしめになってないって言ってやらないと、彼らの共感は得られないんだよ。
http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20081020/1224440558
これを書いた人は詭弁論者か、或いは単に無知なのかどっちかでしかないな。
まず、長谷川平蔵は以下のような事跡で有名な人物である。
寛政3年5月3日(1791年6月4日)、江戸市中で強盗及び婦女暴行を繰り返していた凶悪盗賊団の首領・葵小僧を逮捕、処刑した。被害者に配慮し、逮捕後わずか3日で処刑している。三田村鳶魚は宣以が機転を利かせたためであり、幕府もこれを了承したとしている。
長谷川平蔵宣以は、無宿人対策で人足寄場を作ったんであって、これはワーキングプアと軽犯罪者の対策なんだよな。
凶悪犯人に対しては長谷川平蔵はこれに限らず、常に厳罰(大抵死刑)を以って対処している人なのよ。
そこをこの人は誤解している。
そもそも長谷川平蔵が就いていた火付盗賊改方という役職は現在の人権意識からすればある意味とんでもない組織で、
拷問を日常茶飯に行っていたし、厳罰というより手当たり次第に死刑にする警察なんだよな。
(火付盗賊改方の中山)勘解由は元来なかなかの仏者でありました。それが六方男立てのあばれ者どもを鎮撫する命を受けた時分に、すぐに仏壇をぶちこわして、今日からはもう慈悲では治らない、というので、少しでも風体の変な者は、取っつかまえて詮議もせずに斬ってしまった。
中山勘解由は三万人ほど死刑にしているという記録があるようだし、過酷な拷問方法を考案したという説もある。
長谷川平蔵はそれよりは大分拷問を控えているようだが、凶悪犯に対してはひどい拷問をしているという説もあるし、
やっぱり現代の眼から見れば過酷な刑罰を行ってる。