はてなキーワード: 中古車とは
取り合えずこの記事を見てくれ、こいつをどう思う?
http://210.196.162.149/economicnews/detail/economicnewsDetail.php?name=k090415_017_1.html
記事の前半部分は良い。しかしだ、
実際、不景気下にあって無理をして購入したとしても 駐車場代は高く、税金、保険、ガソリン代などの維持費を考えると、手を出しにくいのも事実。昨今の雇用情勢の悪化を見ると「購買力」自体が大きな問題であることが浮き彫りになる。「クルマなんてとても手が届かない。買える範囲のもので楽しめればいい」という若者が増えているのだ。
という文章を書いていながら、
(中略)
このような意識調査の結果をみれば、若者に対してクルマ購入を訴求していくなら、環境性能がよく、車内空間が充実しいくことが需要回復の大きなポイントと言えるだろう。
って、おい。
前半で若者の購買力が低下したので自動車を買えないって書いてたじゃないか。その解決策が環境性能や車内空間の充実だとでも言うのかい?
解決策はどう考えても「若者の購買力の強化」だろ。若者に金を持たせるのが正しいだろ。
この手の記事を見るたびに思うのは、どうあっても「若者は貧乏」「若者は低収入で今後昇給する望みも大して無いから高価な買い物をしない」「若者は金を持っていないから車を持てない」って結論に持って行きたくない、意地でも「現代の若者は、車を買えるだけの金はあっても嗜好が変わったから車を買わないんだ」ということにしたいという意思が見えるんだが。
今の若者だって中古車も買えないほど貧乏ってことでなければ、例えば維持費が月1万円なら持ってた方が便利だと思って皆買うと思うぜ。若者の収入じゃ月何万円も出費するのは痛い、特に東京大阪あたりじゃマイカー通勤が出来ないって会社も多いだろうし、持ってても土日の玩具になるだけ。逆に言えば負担にならない程度の出費で済むなら皆持つだろ。
話が逸れた。
とにかく、こういう記事を書いていったい誰が得をするのか全然分からないんだ。
下手をすりゃ中古車が買えちまうじゃん。
所詮は布切れだろ?貴金属でも織り込んでわけでもなく。
っていうか貴金属でもあんなに高い理由がわからん。
宝石屋に入ると20万以上の指輪がゴロゴロしてて、エンゲージリングとかだと40万とか60万とかもう見る気も失せる額だけれども、指輪って生きるうえでまったく意味ないもんじゃん。
服ならまあ防寒くらいの意味はあるけどさ、指輪ってなに?喧嘩するときに便利とか?
イタリアの職人が手編みした高級靴下5000円とかならまあわからないでもないけど、指輪とかネックレスってなぁ。
まあその高い服の話に戻って、そのコートの横に5万のジャケットや4万のニットが並ぶとえらくお買い得に思えてしまう。
それもあるけど、田舎だからこそってのは考えさせられるね。
百貨店の売り上げにおいて、ある程度以上の高級嗜好品に関しては、売り上げのほとんどが一部の常連客によるものであるらしい。
立地がいいから入る、偶然に目に留まったから買うというわけじゃなく、客は明確な目的を持って店にわざわざ足を運ぶ。
そして、そういう物欲の権化のような人間は日本中どこにでも飛ぶ。
茶碗や茶釜、茶入れ一つで戦争したり和睦したりしてた時代だってあるのだ。
流石に布切れにうん十万をポンと出す人間は少数派だから、みな冷静なつもりで馬鹿にするけれども、チューリップバブルや香辛料バブル、中国美術品バブル、世界の歴史を紐解くとみんなバブルに踊るのだ。
日本銀行券だって、言ってしまえばただの紙だ。
価値なんてものは相対的なもので、ゴミにすごい価値がでたりすることも珍しくはない。
バブル論はさておき、立地がいいからという理由ではなくて、物がいいから、サービスがいいから、そういう理由で遠方から足を運んでもらう店を構えてみたいと思うことがある。
それはたぶんどんな業種でも言えることなんだと思う。
場所がいいから売れるっていう商品、サービスはあんまり好きじゃないんだよな。
ちなみに、その30万のコートと27万のジャケットはキャロルクリスチャンポエルというデザイナーのもの。
代理店を通さず直接本人と話をつけて買ってるそうで。
「ユーロが安くなったおかげで来期からはかなりお安くなりますよ!」
ってさ。
本当に、カッコイイ車に乗ることがカッコイイ、という価値観は、21世紀に入ってからどんどん崩れていったと思うよ。
「いつかはクラウン」の時代(1960年代?)→スーパーカーブーム(1975年ごろ)→バブル景気で無茶な車を作れた(1990年ごろ)、の次の手を打てなかったんだと思う。文化の継承に失敗した感じ。
いま乗りたい車がないという感覚は、70年代前半生まれの自分にはよくわかる。ファミリーカーばかり作ってるホンダに用はない、みたいなね。
自分は中古車に抵抗はないから、好きな車、乗りたい車を中古で探して乗ってます。
結婚したら妻の免許がオートマ限定だったからマニュアル車を手放した、オートマ車は味気ないけど仕方ない、なんて話は周囲でも聞くしね。
不景気下での生活防衛を考えたとき、出費を見直す項目の上位に車が挙がるようになった(挙げてもいいと思われるようになった)いま、自動車メーカーには個性のある車を出す余力がないんだろう。
どのようにして他人を非モノ扱いすればいいのでしょうか?
例え話で、「新車」と「中古車」にしないようにするだけでいいのでしょうか?
むずかしいにゃー。
そもそも、他人をモノ扱いしたつもりじゃないからなぁ。。
例えていいかわからないけど。例えるのが好きなので例える。
新車、中古車で例えるなら、(買い手がついて売れた)中古車にビニールシートをまた付けた車を新車として見ることが出来るのか?って話だろう。
答えは、否。
<ここから妄想>
ビニールシートがないから嫌だ!ではなくて、誰かが乗ったから嫌なんだと思うの。
車で言うなら、「ショールーム落ちくらいの新古車」ならいいんだろうけど、「買い手がついて売れた中古車」はだめだと思う。
理由は、自分に買い手が付かなかったから相手も同じ境遇がいい。と思っているんだと思う。
例えたの人間に戻すときに、相方が出来て非処女になったのは×なのは可能だけど、ショールーム落ちくらいのを人間に戻せないんだけどねー。
女を歯ブラシだの中古車だの食べ残しだの、他人の小便いれられたコップだのに例えて恥じない男にとっての「女」って、ただの穴でしかないんだろうね。
ヤリチン野郎に構って欲しくて自分からまた開きに行っといて、わざわざ自分から自身を『肉××』に貶めてる穴畜生どもの癖に何をほざくw
見ず知らずの馬鹿女がこちらの預かり知らぬのところで勝手に物扱い使い捨てされて、それでもなおヤリチンDV浮気野郎の側を離れられないおなご様連中が、
性欲本能至上のチンコ脳野郎の内心の見たくない現実を実に都合良くこちらに投影されて排斥なさる、男性性の暴力性に一言申した気分になっておられるあなたのような方を称えんがために
恐れ多くも「肉××」様と呼ばせていただいているのですよ。
自分が気持ちよくなって、結果「孕ませ」て、そのことによって相手の「フリーのメス」としての価値を喪わせて、そこで終わり。
他の男にとって価値のない穴にできればそれでいい、んじゃないの?
世間のおなごの皆様方には絶賛憎まれさげすまれ嫌悪される、不可触のこのワタクシメらにそのような恐れ多い接点など有るとお思いでしょうか(笑)
女を歯ブラシだの中古車だの食べ残しだの、他人の小便いれられたコップだのに例えて恥じない男にとっての「女」って、ただの穴でしかないんだろうね。
自分が気持ちよくなって、結果「孕ませ」て、そのことによって相手の「フリーのメス」としての価値を喪わせて、そこで終わり。
他の男にとって価値のない穴にできればそれでいい、んじゃないの?
処女非処女の話で「新車と中古車だったら新車の方がいいだろ?」な例え話になってるけど
処女厨は非処女を忌み嫌ってるのをよく目にするけど中古車を忌み嫌うドライバーって聞いたことがない。
「俺は他人の手の垢の付いた中古車なんぞ絶対乗らん!!」
「どんな高級車だろうが他人が一度乗ったらそれはガラクタだ!鉄クズだ!」
って言ってる感じ。やっぱり変だよ。
はーもーわかんない子だなあ
「同じ車ではない」し多くの場合「同じ値段でもない」から例は不適。
だから元増田は「同じ車で」「同じ値段である」ことを前提に議論してるんだよ。
http://anond.hatelabo.jp/20081215203659
分かってる・・・・と思うんだけど。
処女と非処女の優劣を議論するときに、中古車と新車という表現を持ってくること自体が単なる比喩表現で
この議論に対する普遍性を持ちえないって言ってるんだけどそれはお分かりでしょうか。
http://anond.hatelabo.jp/20081215203809
それは否定したじゃん。
田舎だと裕福ではなさそうな家ほど高級車が止まってる。(気がする)
凄まじく安そうな団地とかにベンツとかBMWとか。まぁ、中古車っぽいけど。
田舎だとセルシオの中古という存在価値のわからんものがバンバン売れる。
安いなら分かるけど、セルシオだからって結構な値段がする。
あれだろうな。買えるものは買ってしまうんだ。きっと。
だから貯金とかしないと買えない高い家は買えないけど、それなりの中古車なら買ってしまう。
最近は新車で軽を買ってるところが多いかな。
最近の軽はその辺のリッターカーより走るし、税金も安い。タイヤも安いし燃費もいい。エンジンオイルも安いし、もう何もかも安い。
1ヶ月あたりに割れば大した額じゃないとかいう奴いるけど、
いや、実際は潰れているのかもしれないけど、とりあえず。
街の中にある精々数十坪くらいの狭い土地に十台程度の中古車が並んでて、何時行ってもお客さんらしき人を見かけないのに
なぜか商売が続いてるっていう中古車販売店って有りますよね。
あれの経営がどうして成り立つのかちょっと考えてみた。
もう、1台売れたら1ヶ月1家4人が暮らしていけるようなくらいの利益が上がるとか。
普通の人が目にする店頭販売とは別の販売ルートを持っててそっちの売り上げが本命。その在庫にあわよくば売れたらと値札をつけて置いてある。
上に挙げたような事を全然別の企業がやっていて、在庫の中古車を置く為の場所を貸してる商売。
自動車保険の代理店営業とかそういうのが本業。でもこれじゃあ中古車売らなくても良いなぁ。
というわけで、本当のとこ、教えて偉い人ー
ここ最近、中古車を買う奴は客ではない、新車を買え、みたいなブログがいくつかはてなでブックマークされていたが、そういう主張をする人は、車を中古屋に売る人間の行動パターンを分析できていない。
今現在、これだけ中古屋がはやっているのは、買う人がおおいからだけではなくて、売る人が多いからだ。そしてその売る人の中には、中古屋に売ることを前提として新車を買っている人も多いというのを忘れてはならない。
中古車市場が縮小すれば、これらの「売る前提の新車購買層」は減るだろう。
つまり、中古車を買う人が「売る前提の新車購買層」を支えているという意味では、中古車購買層も自動車メーカーの客なのだ。
さて、車は時と共に劣化する。では、ゲームは?
http://anond.hatelabo.jp/20081021182849
ちなみに、高く売れると、その分のお金は次へ回る可能性が大きいよ。
十通目にようやく理由が書いてある。
世の中いろんな人がいるよね。
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投資家富裕層による日本の北朝鮮的独裁社会化の現実を心配してメールを送らせて頂きます。
投資優遇税政により、現在の日本経済は、バランスを崩しています。投資減税により庶民の生活とは関係ない、金融、投資経済にお金が溜め込まれて投機的投資に利用され散財されると同時に、庶民経済(庶民が日常で生産、消費で使用する実物経済、実体経済)が年々縮小し続け、弱者や地方がワーキングプアに至るとともに不景気となり、国全体の消費が伸び悩んでいる現状は政府の政策ミスであると考えます。
最低賃金規定を設けたり、投資家や企業が投資で儲けたお金を庶民経済に還元して不景気感の強いワーキングプアや地方の労働者層の景気を刺激してあげる必要があると考えます。
彼らワーキングプアに、テレビ番組の『いきなり黄金伝説』の様な『月1万円生活』の我慢を強要するのではなく、せめて
中古車、買えない、軽自動車→カローラ、プリウス等の普通小型車
が買える様に、彼らの給与を上げる事によって労働者層の購買力を高めると同時に、日本の外貨稼ぎの中心である国内製造業の景気上昇を図るべきです。
(私は投資、金融産業を国家の基幹産業とは思えません。むしろ労働者の経済を細らせ労働意欲をそぐ、寄生虫的悪魔のシステムと考えます。しかし国内の1、2次産業を海外に移転させて国内産業空洞化を招く様な事をしておいて、外貨稼ぎの為に国家の基幹産業として投資、金融産業を国家の経済の中心に据えるのなら、他の第1、2次産業の企業の経常利益に課税する様に、配当課税や株譲渡税等に対して、しっかりと課税して国民に富を還元させる責任を担わせるべきと考えます。)
わたくしは、声を発しなければ世の中は、良くならないと考えています。
メールを送りつけられた人にとって迷惑でしょうが、弱者の野垂れ死にの競争社会である『グローバル化競争社会』を気にやんで、日々ネット言論による啓蒙活動を図々しくも犯罪的にしています。
政治家、政府、自治体、労働組合、弱者援助団体は、いまいちグローバル化に対する根本的問題[失業問題や、貧困問題や、投資、金融経済優遇政策によって労働者層の経済や生活に掛かる負荷の増大化現象(労働者の家畜化、奴隷化現象)]に理解が無い様で、弱者救済や、弱者や国民に対するグローバル化の問題点に対する啓蒙活動に、二の足を踏んでいる、論点がずれた真剣みのない国会中継などを見ながらイライラしているのです。
(国民の弱者を、おためごかし的に騙し、投資家富裕層による日本の貧困労働者層を奴隷として搾取する様な北朝鮮的独裁社会を作ろうとして、国会を空転させている様にさえ見えます。)
従って、不特定多数の庶民の方々にも、グローバル化や構造改革による弱者野垂れ死にの日本の問題点と未来を理解して貰えたらと、テロ的に啓蒙活動をしようと考え、迷惑メールぐらいのつもりで図々しくも(迷惑でしたら消去してかたずけてください。)送り続けています。
内容を読んで理解して賛同して下さるなら、知り合いのワーキングプアやネットカフェ難民等々の貧困層の人達にメール転送して下さると助かります。(この文章は迷惑メール、チェーンメールであり、どの程度の犯罪に抵触するかが問題ですが…。)
私はワーキングプア等の貧困層の方々が政治や経済に疎い事で、自らの人権や国の未来を選ぶ権利すら剥奪されて野垂れ死にしていると考え、テロ的啓蒙活動を正義と考えて日々不特定多数の庶民の方々にメール送信活動をしています。
弱者にとって、ホロコーストに近いジャーナリズムの欠落したグローバル化、グローバリゼーションの流れの中で、弱者に注意喚起の必要性を感じ、闇や負の部分について啓蒙活動の広報の必要性があると考えます。
このまま何も考えなく、経済、社会のグローバル化を押し進めるのは、世界をごちゃ混ぜのお好み焼き状態にし、庶民の人権(『人間の安全保障』)を脅かすとともに、個性ある独立国家の経済、社会、文化の死を早めます。(ナショナリズムが必要です。また、アイデンティティを高める為の市民運動も必要ですが、非正規雇用の派遣労働者層のワーキングプアは生き延びる事に精一杯で、文化や思想、また、理想や人生を選ぶ権利すら持てません。)
『グローバル化』だからこそ、国家よる弱者の個性ある庶民文化や生活の保護の為の経済、社会、文化に対する『反グローバル化』の考えも必要と提唱します。(富裕層や投資に対する重課税による国家の共産性の維持も必要と考えます。)
このまま弱者の自己責任として、過激な『グローバル化競争社会』を肯定して、共食いや階層社会を容認しないでください。負け組の弱者がホロコースト状態になる阿鼻叫喚の地獄の大失業時代の未来に対する現実から目をそらさらぬ様お願い申しあげます。
※現代を読み解くキーワードを以下に記します。ネット検索などして調べて下さい。
[『現代用語の基礎知識』なども総合的に勉強するのに役立ちます。過去の新聞資料、ドキュメンタリー番組等も役立ちます。ネット世界は、株で食べている人や企業広告で食べているネット企業の流れの人達だらけの『改革推進派』で牛耳られていると考えます。(若い人がネット管理者ですから…。)古い資料程、データに嘘がなく役に立ちます。現在のネオリベラリストによる国家のメディア・コントロールの状態に注意して下さい。]
※『ダーウィンの悪夢』『華氏911』『シッコ』『誰も知らない』
※『小泉構造改革』『外為法改正 1998年』『金融システム改革法』『金融改革』
※『年次改革要望書』
※『配当減税』『贅沢税』『関税』
※『21世紀ビジョン』
※『グローバル化』『グローバル化競争』『グローバル化競争社会』
※『反グローバル化』『反グローバリゼーション』
※『修正資本主義』
※『ホームレス 支援』『ネットカフェ難民 支援』『生活保護』『民生委員』
世界はグローバル化によって経済、産業の国家vs企業vs資産家vs投資家vs労働者層によるやらせの第3次世界大戦状態です。
負けたら奴隷的労働者階級(ワーキングプア、失業者、ホームレス、貧困理由の犯罪者、野垂れ死に者、自殺者)にされてしまいます。
弱者の自己責任として放ったらっかしにしたまま過激な競争を続けている、アメリカ的な投資、金融の競争と支配による『グローバル化』『グローバル化競争』『グローバル化競争社会』の問題を国民全員が認識するとともに、政府はその是非と対策を国民全員に問うべきです。
日本の投資、金融に対するモラルの崩壊や個人主義は、おそらく80年代後半の土地バブルの頃から始まったものと思われます。
が、それと同じ様に1998年の『金融システム改革』『外為法改正』『金融ビッグバン』の時期にも国民のモラル崩壊が起こっていると疑います。
この年に大部分のお金に貪欲な日本人の一般庶民までもが『金融の規制緩和』により、バブル期に地上げや株や為替やアメリカ的金融工学等を用いた経営をやって儲けていた銀行や証券会社や大企業や投資資産家のやり口や考え方を見習い、投資や金融に対するものの見かたを、新自由主義的な『投機』の部分だけの価値観に変えてしまったのではないでしょうか…?
サブプライム問題で、急激なアメリカの不況と物価高と円高が進んでいますが、2008年の日本は1998年に輪をかけた経済、社会の混乱に巻き込まれ、更なる自殺者の増加現象が起こりそうで心配です。
新自由主義によるグローバル化を当然として行なっている改革の是非を問うべきと考えます。
政府、官僚にモラルが無い事が行政非難の的になっていますが、それを盛り上げているマスコミもまた、新自由主義者の官僚&投資資産家&経営者と結びついて国民の労働者層を騙し、国民を奴隷化して搾取する社会を作ろうとしている単なる拝金主義者の新自由主義者と疑います。
(それは、彼らが1998年以来の失業、貧困問題に起因する、自殺、野垂れ死に、殺人事件、ワーキングプア問題に対してジャーナリズムがない点で明らかです。又、配当減税等の資産家優遇の減税処置により作った享楽的なセレブを持ち上げつつも、行き詰まった失業者やワーキングプアやホームレスに、貧困の責任とモラルを強要しているだけで、構造改革とグローバル化に伴う失業、格差、貧困問題というジャーナリズムが無い点もです。資産家に対する減税処置の非難を一切しない点でジャーナリズムがありません。弱者を救う財源の税金をどう取るか?どの程度まで救うかの問題です。富裕層優遇政策のせいで北朝鮮並の気違い国家になるかの瀬戸際です。)
投資、金融によるグローバリズム推奨派と、新自由主義の意向にそったメディア・コントロールを、未必の故意のまま黙認し、ジャーナリズムを出し惜しみしている政府、テレビ局、経済新聞、ネット業界に責任があります。
サブプライム問題による、これからの不況に対する認識や知識は、国民全員が受け取る権利がある筈です。また、それに対する救済を求める権利も国民全員にある筈です。
政府が1998年より経済、社会をメディア・コントロールにより勝手に操り、(現在の若者の『ニート』『ネットカフェ難民』『ワーキングプア』はテレビ、インターネット等により作為的に1999年??2004年当時の就職難を無視されて作られた被害者世代です。1999年??2004年迄高校新卒者の求人数が求職者数を下回っています。また1998年??2006年迄就職内定率も50%を切っています。)国民の政治や経済に対する認識や考えを新自由主義方向に操りつつ、旧来の修正資本主義の考え方の羊的な人々を、おためごかし的に、なだめすかしながら認識に混乱や欠落を作って、将来的に行き詰まらせそうな迷走国政をしている様では、盲目の彼らの野垂れ死に者が増えるだけです。
新自由主義vs修正資本主義の対立の構図に絞った、21世紀の国家、国政の主義の議論や政党の主義の主張、国会議員のイデオロギーをあらわにした国会を見たいです。
ちゃんと『グローバル化競争社会』の問題点や、『修正資本主義』vs『新自由主義』のイデオロギーの違いを国民全員に認識させるべきです。
気違い通り魔殺人をした犯罪者などは『金融、構造改革』『グローバル化競争社会』『新自由主義者』『未必の故意のメディア・コントロール』の被害者と考えます。
彼らが行き詰まり、気が狂って殺人に至る前に、せめて『グローバル化競争』『新自由主義 vs 修正資本主義』『憲法25条』『セーフティネット』『民生委員』『生活保護』『援助団体』の存在を知っていたら気違いや犯罪者にならなくても済んだかも知れません。
彼らの減刑を求めるとともに、弱者の自己責任として個人で世界企業と戦う事を強要する様なメディア・コントロールを行なっている、税金を払いたがらない新自由主義者の構造改革推奨団体を、1998年よりの未必の故意で国民の弱者10万人を自殺に至らしめていた罪で訴えてやりたいです。
Money_As_Debt.avi.mp4 - 動画 - はてなダイアリー
信用創造 - Wikipedia 準備預金制度における準備率
資料室(Money As Debt テキスト版) <Anti-Rothschild Alliance>
心が拒否してしまうほど
簡単で受け入れがたい』
知らされていない事である。
ローンの書類への借り手の署名は 銀行に対し、ローン金額と利息を支払う義務を負う。
返済できなければ 家や車などの資産を失う誓約をさせられるのだ。
それは借り手が果たさねばならない大きな約束である。
同じ署名が銀行にも必要とされているだろうか?
銀行は借り手の口座にローンの金額をちょっと書き込むだけで、魔法を使ったようにその金額を手に入れる。
それって絶対おかしくないか?でも それは事実なのだ!
ステップ1
彼は車を買うために1万ドルが必要です。
これはハイパワードマネーと呼ばれるもので、これを元に借り手の借金の誓約があれば、
9倍の1万ドルものお金を無から創造することが合法的に認められています。
この1万ドルはどこからか持ってきたものではありません。
その真新しいお金は、単純に銀行の信用貸しとして借り手の口座にタイプされたものです。
借り手は 中古車を買うために銀行クレジットの署名欄にサインします。
途絶えることのない造幣局の稼業にもかかわらず、
今日 95%以上のお金は銀行に対する誰かのローンによってつくられているのです。
借り手が借金の誓約をしたら、
銀行は借り手の負債をコンピュータにちょっと入力することでデータ処理して帳尻を合わせます。
借り手の立場から見ればこれはローンのお金となります。
何故なら政府がそうすることを認定していて
誰もがそれをお金として受け入れなければならないからです。
繰り返しますが、基本的な事実は非常に単純なのです。
テレビでは、若くて野心に満ちている感じのインドの人が、英語でインタビューに答えていた。
何となく感慨深かったのは、僕が5年前に初めて買ったクルマが28万円の中古車だったからだ。
僕だってそれなりに必死で働いてきたけど、東京に引っ越すときにタダ同然で後輩に譲ってしまった。
インドの人の月給は大卒理系の僕の1/10くらいだと思う。でも、僕とインドの人の能力は多分そんなに変わらない。
僕はこれからどんな努力をすれば、この1/10のコストの差を越えて今の仕事を続けることができるんだろうか?
それともどちらかが干上がってしまうまで、彼らと食料やエネルギーの奪い合いをすることになるのかな、、、。