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はてなキーワード: ブロガーとは

2007-11-29

http://anond.hatelabo.jp/20071129141013

http://blog.goo.ne.jp/funamushi2/e/a9cf776c4b2106f1e7d2d5bf0c0fd5db

実は私、そんなに不快ではありませんでした。何人かの男ブロガーに囲まれて×わされる妄想で… 子宮の奥がツーンとするような快楽を得ました。…私、オフで何人もの男に×わされるのかなとか… 想像するだけで、あ、あぁ…っ、て自分の体を抱きしめて悶えたくなるほど感じるんです。

行き場のない欲望が、その奥に潜む加害者性をも許容してしまうほど飢えてます。それが悪いとか、悪くないとか、そんな事よりもとにかくこの疼きをどうにかしたくて。

加害者の姿が黒い霧のようにこの脳内を覆うけれど、それでもまたいじめらたくなる心情ってのがむくむくと生まれてくるんです。もう私の耳にはどんなお説教も届かない。セックスがしたくてしたくてしょうがないんです。ただの女になりたいんです。

ここらへんまずかったんじゃねーかと。

でもいい文章書くよな。

http://anond.hatelabo.jp/20071129110422

そういや増田ってアルファブロガーノミネートされてたよね。

ブロガーなら誰でも

なら、増田×はしごたんオフ開催の可能性も無きにしもあらずッ!

はしごたん東京リンカーンオフに11人の増田が立ち上がるッ!

あ、ごめん。俺は参加しないから10人の増田でよろしく。

ブログ限界論って、結局、予定調和なんじゃないの?

自分たちのやっていることを手加減無しで批判できるのかという疑い。ブログをやってる人たちが、自分たちが肩入れしているものを議論したとしても、なんかいい話を見出して満足してしまうのではないか。

ブログってつまんなくなってませんか?ってフリには、検証のきっかけとして価値があったと思う。残念なのは、「おまえなんて事言ってんだ」というトーンが支配的になってしまったことと、振り出した側が、ブログがつまらなく変化してしまったとする諸要素を提示する前に及び腰になってしまった点だ。スパムブログに関する議論なんて当の昔に言い尽くされた話であり、誰しもが共通の敵としやすい対象で、安易な逃げ道だった。

「おまえなんて事言ってんだ」という側の人の多くは、ブログによって、何らかの、しかし大きなメリットを享受している人々。そういう人たちから強烈なブログ肯定論が出てくるのは当然。

一方で、ブログをやめた人、やれない人、やらない人のなかに、「ブログ限界」なるものとか、課題が含まれていると思われるけど、そういうサンプルはとってないし、紹介もされてない。

たとえば、

社員に毎月給料をはらうため、がんばっている事業主がいっていた。「ブログなんて、時間がある人ができる贅沢な趣味

子どもが手のかかる年齢で寝る間すらない人いっていた。「ブロガーの集まりに呼ばれてただ飯食ったり、物もらったりってのはいいよねー(棒読み)ヒマで。全然共感できないけど」

こういう人たちって、間違ってる?

嫉妬に狂った悲しい人たちか?

マイノリティなんだろうか?

ときどき目にする「●●●というイベントに行ってきました」「●●●をもらいました」という記事は最悪だ。

イベントそのものが一般に開放された募集を行っていたり、参加基準が明確ならば、楽しそうだなと思ったら次の機会に参加できる。でも、「次のチャンス」が示されていないものなんて、期待も持てないし、関係性もない。つまり、読む価値が無い。「選ばれた自分て特別な存在なんですいいでしょすごいでしょ」とでも言いたいのか。

さらに「友達に誘ってもらった私ラッキー」「俺たちっていけてるよね」というクローズドなものにいたっては、閉鎖性ばかりが感じられる。このサークルに関わらないかぎり、その楽しそうなものは私たちと関係ないのね、と。微妙に上から物言ってる調子で書かれてると、何様だ。と思う。

この閉じたサークルが放つ特別感は、記者クラブの放つ排他的イメージを似て、鼻をつまみたくなる。

ブロガーです。と名乗ると、そういう批判的な目線を浴びることを、そしてちょっと引かれてしまうことを、「なんでだろうね」と見つめてみないかぎり、ブログ存在感は今のままだと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20071129034704

はしごたんバージョン

A「うわ!お前何やってんだよ!」

B『え、何がですか?』

A「なんで子供が生まれたこと嬉しげに書いてんだよ、ってゆーか三日以内に消せよ!」

B『なんでって普通じゃないですか』

A「はぁ?馬鹿かお前。こっちはお前ら見て傷つくんだよ」

B『私のことを孤独人間だとでも思ってたのですか?それともあなたは恋愛したいと思わない孤独な方ですか?』

A「ちょ、待て。なんだその開き直り方」

B『私は別にいいこと書いてるとかまっっったく思ってません。それは理解してます』

A「当たり前だろ」

B『ただ個人史の終焉というものを書き残してみただけです』

A「いらねーよ、書く必要がねーだろ」

B『別にあなたに“見てくれ”と言った覚えはありません』

A「目に付くんだよ、ぶっ殺すぞ」

B『冷や水浴びせるくらいなら、無視してほしいんですが』

A「恋愛のできないマイノリティを黙殺するつもりか!!」

B『はい?』

A「ちょっとは弱者を気遣えよ。恥ずかしくねーの?」

B『何がですか?別にあなたに向けて書いてるわけじゃありませんよ、私は』

A「向けてなくても目につくんだよ!はてなから出てけ!」

B『ああうるさい。もう出て行きますよ』

C「はしごたんと、友達になりたい」

A「あなたと、合体したい」

C「それはムリ」

A「今日風呂場で陰核を擦るとちんこみたいに勃起したので、指二本入れてずぶずぶと… ああっ、あぁんっ… って、と、とまらないようぅ。。男… 男のおちんちん… 欲しいようって心の中で何度も繰り返しながら中がぽっかり空くまでじゅぶじゅぶやってました。あー、おちんちんほしい。何度イってもすぐにまた性欲が沸いてくるんです… ぜんぜん足りない。男欲しい、男が欲しいー!」

A「Cさんでなくてもいいです。ブロガーなら誰でも」

A「誰でもいい、セックスしたい」

2007-11-21

セルクマを問題視してるの

ブクマもらえないブロガーの僻みっぽく見える。

2007-11-16

池田センセのすごさとは

http://anond.hatelabo.jp/20071116102950

ブクマコメント読んでること

普通そこまで読まない。たまに見に行って変なこと書く奴居るなーでスルーする。あれはオーソライズされた情報ヒエラルキーとしても最下層のさらに下層にぶら下がっていてほぼノイズと見ていい。ひと言しか書けないスペースなんだから、そもそもそういうものでない。だけど読む。

コメント全部読んでること

流石に自分の記事の直接コメントだからざっとは読むけど普通はちゃんと読んだりしない。ましてや承認制とかいって査読なんかしない。スポンタなんかほぼ分裂のキチガイであって一々読んでいたらまともな人もおかしくなる。でも読む。

※反論を封じているというが、多少の整合性のある反論ならいくらでも載る。

全方位で相手をすること

普通は反論する相手を選ぶ。正面から反論のエントリーをしてきた権威あるヒトとか。そのへんの雑魚ブロガーなんか相手にしても無名ブロガーの注目度があがるだけでセンセにメリットは無い。でもコメントにまで相手する。

もちろんただ相手するものではない。池田信夫地獄の業火に投げ込むものだ、いわば伊達にして帰っていただくわけである。

よって池田センセ虎眼先生説をここで提出したい。

2007-11-14

しょせん増田

増田で特定ブロガーに悪意をなすりつけたり攻撃するのはやめにしないか。

そういうのははてなidでやるようにしないか。

どんなにいいことを言ったって、しょせんは増田だろ?

おまえら最低限、卑怯を恥じろよ。

物事の本質

たまたま検索でひっかかったブログに「なぜ人を殺してはいけないのか」というエントリーがあった。

http://thinkdeep.livedoor.biz/archives/13491218.html

ブログの題名は「考える力をつける」、内容は「考える力をつけて、物事の本質を見抜けるようになりましょう!」というもの。

しかし、僕はこの文章に「物事の本質」はないと思うのだ。

ただ、優等生的な「大人の答え」を書いているだけ。

これが「物事の本質」だというのなら、僕は「本質」なんてただのまやかしだと思う。


この文章を書いたブロガーは、質問に対してこのように書いている。

ある意味とっても正直な質問ですが、こういった質問をする人には、致命的な3つの欠如があります。

これが、僕が人を殺さない理由です。

(1)コミュニケーション能力の欠如。

嫌なことを自分がされたらどうなるかという視点が全くありません。普通、我々は幼少期から大人になるにかけて、友人関係の中で『他人の嫌がることはしない』という、社会生きるうえで基本的な考え方を身に付けていきます。そういったコミュニケーション能力が決定的に欠如しているのですね。

(2)社会性の欠如。

人が人を殺しあうことが、公に認められる社会になったらどうなるかという、社会的に物事を考える視点が欠如しています。自分の視点しかなく、社会の一員という視点が全く無いわけです。

(3)イメージ能力の欠如。

3番目として、イメージ力の欠如です。上記2つをイメージする能力もそうですし、人が人を殺しあったらどうなるか、どれだけ痛い思いをするとか、自分も危険な目に遭うとか、そういった自分以外のことについてのイメージ力が全くありません。


ブロガー自身が書いていることだが、これは非常に正直な質問だ。

「人を殺してはいけない」これは、世の中に規定された基本的なルールの一つだ。

そして、その理由はあまりはっきりと示されることがない。

だから、「なぜ人を殺してはいけないのか」なんてベーシックな疑問が出てくる。

このブロガーのような答えを返す識者は多い。

ただ、彼らの答えには、巧妙な言い逃れがあると思うのだ。

それは、「人が人を殺さない理由」と「人が人を殺してはいけない理由」を意図的に、または無意識に混同していること。

これは、卑怯な手だ。

そう、人は法律がなくったって、罰則がなかったって、そう簡単に人を殺さない。

僕だって、たぶん一生、人を殺すことはないだろう。

その理由は、上に書いてあるブロガーの答えと一致する。

ただ、それはこの「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いには、何の答えも示さない。

もう一度書くが、「人が人を殺さない理由」と「人が人を殺してはいけない理由」は同一ではないから。

僕の考える「物事の本質」はここにある。

なぜ人を殺してはいけないのか」という問いに対し、それを問うた人間の資質を探っても、ただの逃げでしかない。

限られた時代の中で成立する一つの思想である社会道徳を、この問いにぶつけても何の意味もない。

いや、「人が人を殺してはいけない」というルールそのものが、限られた時代の中で成立する、小さなルールでしかないという事を露呈するだけ。

本当に考える力を養いたいのなら、道徳社会に惑わされず、その問いに正面からしっかりと向き合うことが大事なのではないかと思う。

それがどんなに反社会的であろうと、どんなに道徳から外れたものであろうと。

http://app.blog.livedoor.jp/thinkdeep/tb.cgi/13491218

http://anond.hatelabo.jp/20071113225904

有能な人物が追放されるシステムではあったね。

あんまり有能だとそいつが僭主になってしまう危険性があるから。

アテナイ社会市民奴隷で構成されていたワケだけど、

もうすこし細かく見ると、下の四つで構成されていた。

1.貴族市民階級

――政治を担う能力の壁――

2.平民市民

――発言権の壁――

3.奴隷

4.在留外国人

で、追放されていたのはおもに1.の連中だったりする。

そのそも政治運用能力がなければ危険だとはみなされないから。

でも、2.にも発言権はあったし、民会で弾劾することもできた。

どっちかというと、アテナイで問題になったのは2.の連中の暴走のほう。

1.のなかで扇動のうまいやつが2.を煽り立てて

無謀な行動を起こすことが多かった(衆愚制)。

よく言われる例がソクラテスの処刑ね。

この構成をはてな村に適用すると

1.ブロガー

――発信能力の壁――

2.一般はてなブックマーカー

――発言権の壁――

3.ネットイナゴ(笑)

4.在留外人(2chなど)

というかんじになるか。

民会は匿名ダイアリーっつうことで。

で、たまに暴走したり、1.の連中が書き込んで扇動すると。

2007-11-13

やったー(ry

───アタシの名前は増田。心に傷を負ったブロガー非モテブスピザで陰口気質の後ろ指差されガール♪

アタシがつるんでる友達は精神科にかよってる増田、親にナイショで

IT系企業で働いてる増田。訳あって旧帝大の一員になってる増田

友達がいてもやっぱりウェブタイクツ。今日増田とちょっとしたことで口喧嘩になった。

匿名同士だとこんなこともあるからストレスが溜まるよね☆そんな時アタシは自演エントリを盛り上げることにしている。

がんばった自分へのご褒美ってやつ?自分らしさの演出とも言うかな!

「あームカツク」・・。そんなことをつぶやきながらしつこい一行エントリを軽くあしらう。

カノジョー、前にあのエントリ書いてたでしょ?」どいつもこいつも同じようなセリフしか言わない。

増田の男はカッコイイけどなんか白痴っぽくてキライだ。もっと等身大のアタシを見て欲しい。

「すいません・・。」・・・またか、とアルファなアタシは思った。シカトするつもりだったけど、

チラっと元増田の顔を見た。

「・・!!」

 ・・・チガウ・・・今までの増田とはなにかが決定的に違う。アノニマス感覚がアタシのカラダを

駆け巡った・・。「・・(カッコイイ・・!!・・これって運命・・?)」

男ははてな社員だった。登録したメアドメールがきた。「キャーやめて!」無視をきめこんだ。

「ガッシ!ボカッ!」idが晒された。増田(笑)

トウハトウ

「自分の好きなブロガーだから」って理由で盲目になる信者体質ブロガーがこうも多いとはな

マルチカルトが星の数ほどある理由が垣間見えた

偉そうなことを言うが、ただの小心者

1)自分は誰かによる自分に対する叩きに怯える

2)他人や世間などについて否定的な事を書くのには何の躊躇もしない

3)自ブログコメント規制したり大層な注意書きをしている

4)他へ出張って気に食わない記事にネガブクマつけ放題

5)2ch愚痴

これは大多数のブロガーに当てはまる。

美味しいコメントだけは欲しいが、書いた記事への批判は嫌だのというのは意味不明

ならば、コメント欄なぞ最初から閉じておくが良い。削除した所で魚拓を取られれば一緒の事。

虚勢をはっていきるのが楽しいんだろう。

コメント欄トラバを閉じているのはブロガーじゃないとかでかい口を叩いていたのがなつかしい。コメント欄トラバも対話するためのインターフェース。形式的にインターフェースがなかろうと、ブロガーインターフェースを持たないと宣言しているなら、実質的にはかわらないだろうにねえ。

5)が面白くて、玄人を川に投げ出していて、ばっさり切られていたな。ぷららぷららぷららの人。

2007-11-12

はてブユーザ二つのお願い。池田先生一つの正論

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/6ce8ac492c3f703cea78f2d69afd22d5

はてブユーザに二つのお願いがある。

一つ目のお願いは『冷静になってくれ』

はてブ内では、特定のブロガーにある種のレッテルが貼られていることが多い。

その人の書いたエントリに対して、良いところは良い。悪いところは悪いと、是々非々の態度で評価、コメントしているだろうか?

今までの経緯をちょっと取り除いて、冷静に評価してみてくれないだろうか。

例えば、しばしば炎上を起こすブロガーがいる。

エントリは、否定のブクマコメントで埋め尽くされる。

だが、その方のエントリには、そこまで否定されるようなものだろうか。

エントリは、何割かの事実誤認、何割かの悪い感情(というか悪意)、そして何割かの良い指摘から構成されていて、全てが誤りではないんじゃないか?

たしかに、そのブログには感情的エントリが多い。誤解も多い。

だが、聞くに値する、検討に値することも言っているんじゃないか。

たしかに、子どもっぽい人だとは思う。

負けず嫌いな性格が無理を押し通して、その結果自滅しているのだとは思う。

だが、ユーザ側が一歩大人になって、"そういう人"として扱うことがなぜ出来ない?

なぜ、わざわざからかいに行くようなことをする?

二つ目のお願いは、人をあざ笑いたいだけの人間は『他所でやってくれ』

頼むから他所でやってくれ。頼む。

はてブ開始時から、幾度となく話題に上った衆愚化なんて言葉は、もはや語られることもなくなった。

ある意味、落ちるところまで落ち、もう現状を受け入れる段階にきているのだろう。私も似たような気分だ。

それでも、"はてなブックマーク=人を貶めることに喜びを見出す人の集まり"と、そこまで落ちぶれてしまうのは、悲しすぎる。

多少なりとも、建設的なやりとりの場であって欲しい。

これは、名もない一ユーザとしての(無駄終わるであろう)お願い。

ところで話は変わるが、池田先生エントリでこの部分については心の底から同意した。

diggのように相互批判できるようにし、他人の評価によってコメントランクをつけるとか、Slashdotのように評価の低いコメントを隠すこともできる。

池田信夫 blog 有害情報フリーライダー

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/6ce8ac492c3f703cea78f2d69afd22d5

人をからかうことを目的としているようなユーザブクマコメントは、"見えにくく"されるような仕組みがあって良いのではないか。

現在の仕組みでは、はてなユーザのみが特定ユーザブクマオフにすることができる)

池田先生エントリには読むに値する指摘が、しばしば含まれていると私は思う。

※本エントリ中、行き過ぎた表現があったかもしれません。お気に触りましたら(いろいろな方に)謝罪いたします。

http://anond.hatelabo.jp/20071112120519

日本最高齢のブロガーっていくつくらいだろ?

激高老人(作田啓一)さんが85歳か。

子供の頃から現在までの世の中の変化とかどういう風に感じてるんだろうな。

祖父さん祖母さんが生きてるうちに色々話を聞いとけばよかったよ。

俺もあと50年生きることができたら、どんな世の中が見られるかな。

2007-11-11

増田の諸兄らに相談

あるブログで1日しか記事を書いてないんだけど、大きなブロガーからトラバ受けて、数回も引用が紹介されてしまった。

まあ、そのブロガーに対する意見だったので当たり前なんだけど。

だけどそのブログで使っているIDがちょっと個人特定されそうな言葉なので、変えたいんだよね。

こういうときってブロガーさんに連絡した方がいいんかな。記事リンクが無効になりますよって。

でも半年以上前の記事だしなあ・・・。

「私の考えを代弁してくれています」みたいなこと書かれて持ち上げられているから、何だか気が引ける。

2007-11-10

第四話

http://anond.hatelabo.jp/20071109234816

あるブロガーが死んだ。

殺された。殺されたのだ。

犯人は可特定多数。

ブロガーがどうこうで思ったが

永井先生は本当にすごい。

キャラクター性やトークの上手さで人を惹きつけて「物を貰ったことを報告する」ってことをエンターテイメントにまで昇華

ネット歴史に名前残していい人だと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20071110201546

大した数の人間に読まれるわけでもないのに必死で頑張るブロガーと「芸能人に読まれ大勢に聞かれる」という何よりの特典がないと頑張れないハガキ職人とうんたらこんたら

2007-11-08

ウォール伝「生成ユーモアの企て」 を 整形してみる。

ウォール伝「生成ユーモアの企て」http://d.hatena.ne.jp/mimisemi/20071108

2007-11-08 生成ユーモアの企て。CommentsAdd Starmimisemi2007-11-08

アルファブロガーアワードってのにノミネートされたらしいんだけど、最初、ブ
ログへの書き込み見たときにまたなんかの詐欺サイトかと思ったよ。前のmyspace
でのライブに出ませんか?と同じ類かと思ってたら、割とちゃんとしてたっつーか、
推薦してくれた人がいたみたいで、なんだか驚きっていうか、今日社会学のテス
トがあってって昨日も書いたけど、今書いてるのは午前なんだけど、一応、学校行
く前に教科書でも読んでおこうかとか思ったんだけど、ノミネートされてて驚きだ
ったからこの時点で思ったフレッシュなことをとりあえず書いておくね。

まず推薦した人のセンスというのは恐らくアングラ系に理解がある人なんだろうな
って思ったわけだけど、別に俺がアングラぶっているわけではなく、基本的に色々
カイテルとそれがアングラ志向みたいになっちゃうんだよね。ようはメインストリ
ームじゃないことっつーかストリームすらないようなことばっか書いてるんで逸脱
していくっていう、まぁその結果がアングラっていうカッコつきのワードで表され
るわけだけど、何を書きたかったのかすでに忘れたよ。

あ、そうそう。推薦者に「推薦していただいてありがとうございました」なんてメ
ールなり書き込みをするのは白々しいので、やりたくないんだよね。前のはてなス
ターと一緒で、もう心が張り裂けそうなぐらい感謝しているんだが、あんま直接本
人に言いたくないっていう。ってことで推薦してくれた人がこれまだ懲りずに見て
たら、耳蝉はこのことだけでまた明日から頑張って算数とかをやる気力が湧いたっ
て思っててください。

人との係わり合いっつーか特にネットでの係わり合いは極力避けているのにも関わ
らず、知らない人がこういうことをしてくれると嬉しいんだよねぇー。すげー自分
勝手。ところであとこの期待ね。おーなんか凄いことになってるじゃん!とかさ、
あ、その前に、「ニューヨークコミュニティーカレッジに通う著者」って言葉さ、
いやー文字ってのは凄いよね。こうやって文字で現れると実態と乖離したイメージ
というのが文字から生まれてくるというか、読み手に連想させるんだよね。なにや
ら凄い感じじゃん。

まぁコミカレ自体は凄くないけど、ニューヨークってワードがコミュニティカレッ
ジの質を高めてるっていうか、オクラホマコミュニティーカレッジだとあんまス
テータス高い感じしないけど、ニューヨークってのがね、コミカレの響きを高めて
るっていうか、まぁそういうのがあるわけだけど、実際は「モトニートかそれ以下
みたいな引き篭もり生活をしていた著者が、死か無理な渡米かの二択を自分の中で
勝手に迫られて渡米というか亡命を決意しつつ、なんだかんだでニューヨークのコ
ミュニティカレッジに通いながら、特殊学級の算数のクラスと読み書きのクラスを
受けている生活の中で綴るポスニートダイアリー」みたいなね。

ただ脳を掃除するっていう表現はさすがだなって思った。ちゃんと読んではるなっ
て。前にも書いたけど精液が溜まりすぎると玉が膿んだような感じになるから一刻
も早く抜きたくなるじゃん?それと一緒で脳が膿むんだよね。色々溜め込みすぎる
と。だから吐き出さなきゃいけない。音もそうなんだけどね。

あ、んでね、いつも書くようだけど、留学生っつってもピンきりで、今なんて恐ら
く昔みたいな、50年代とか60年代とかに留学してたようなエリート中のエリートな
んてのは本当に少ないと思うわけねっつーか昔はそういうエリートしか留学できな
かったわけだけどっつーのも奨学金とかね、そういうことで。

ただ今ってのは割とカジュアルに誰でも留学できるんで留学自体がたいしたことじ
ゃ無くなっているわけ。ただ留学とか「ニューヨーク」みたいなカッコつきのワー
ドに象徴されるようなイメージだけが先行しているものってのはね、そういった昔
から継承されてきたステレオタイプの賜物なわけですよ。留学=賢いとかエリート
とか金持ちみたいな。ただ今なんて違法でバイトしつつ英語学校に通っている日本
人なんて少なくないし、VISAがキレても惰性で違法バイト続けてはや10年みたいな
人もいるわけ。

ようはね、クローズアップ現代だかで見たんだけど、就職氷河期世代ってのがよう
は年齢差別とかさ、日本って雇用っつーか社会が最悪だからっつーかまぁいいや、
仕事が無くてさ、んで中国行って電話オペレーターとかやってる人とかいるらし
いけどさ、時給が日本円で300円だったかな。ただまぁ中国語をマスターするっての
とキャリアアップってのもあって日本無駄バイトしてるよりマシってことで行
ってる人も多いんだろうけど、こういうの見るともうすでに日本先進国だなんて
いう幻想はもうなくなったなっていうのを実感するよね。

それこそ本国仕事が無いとか未来が無いんで海外に出て条件が悪くてもまだマシ
ってことで仕事をしている発展途上国から来た労働者とかとあんま変わらないわけ。
こういう人達って。俺も同じだからね。元々日本というか日本社会が大嫌いで亡命
したという理由が一番だけど、でもまず俺みたいなもんに仕事があるわけないから
さ、だったら同じ苦労でもこっちで苦労したほうがマシだってことなわけで、状況
的には独裁政権の国から自由を求めて逃れてきた移民なんかと本質的には変わらな
いわけですよ。

まぁ俺の場合、親のサポートがあるからこういったシリアス移民たちと俺を一緒
にするのは失礼なんだけどね。そういう意味だとあれなのよ、ニートが上京して専
門学校通うみたいなのをニューヨークでやってるってだけ。俺の場合。だから全然
たいしたこと無い。エリートでもなんでもないし、こっちの大学なんて高校レベル英語が出来れば誰でも入れるんだから。卒業するのは大変だけどね。ってことで
留学=なんか凄そうっていうイメージはなくしたほうがいいよ。

こういうイメージが流布してるから短期留学でもなんか得られるんじゃないかとか
いって来る人が多いけど、何にもならないよ。基本的に留学の先にあるのは似たよ
うな資本主義社会で、言語英語ってだけです。そこでまぁ行動的な人は何かを
得るかもしれないけど、それはあくまで主体あってのもので、主体性が無くて、た
だなんとなく留学っつーと凄そうだからっつって留学しても何にもならないわけ。

こうやって勝手留学に対して変な幻想を抱いちゃうってのは、留学を売り物にし
ている代行業者とかによるイメージ捏造もあると思うんだけど、やっぱなんつー
かそれ以前にジェネラルに留学っていうこと自体に個々が勝手幻想抱いてる気が
するのよね。ただ実際はね、来てみて、それがニューヨークであろうがロスであろ
うがイメージと全然違ってたっつって心身がダメになって帰るって人も多いらしい
し、何も見つけられないまま英語学校にずーっといるって人も多いし、ようはね、
状況自体が何かを与えてくれるなんてことはどこの世界にも存在しないってことな
わけよ。

主体性のないやつが違う環境に行けば環境によって様々なことが変わっていくとか
ね、そんなことは起こりえないわけよ。あくまでそれは主体性があった上での前に
書いたようなソーシャルインターアクションによってパーソナリティが変わってい
ったり認識が変わっていったりするわけで、そこに何らかの働きかけが無いとまず
無理なわけ。勘違いしてる人達ってのは行けばそういった経験が得られるんだって
凄まじくパッシブなままなんだよね。そんなんじゃ無理。

だから中身が何も無いまま自分探しっつって世界放浪してもダメなんですよ。自
分が無いと何も得られない。ようはその環境から感化されるような感覚とか思考と
かっていう人間の意志が無いとダメなわけで、ようは日本で拾った石をエジプトと
かアメリカとかイギリスに送ったところで、石自体に何も変化がないのと同じなわ
け。

この石状態ってのがスッカラカンな石人間留学先で起こるわけ。ただこれは師匠
2っぽい言い方すると自明の理なわけよ。まぁ留学に限らずだけどね。もっと狭い
話でもいいや。どっかのサークルに参加するとかコミュニティに行くとかさ、それ
で変わるかもしれないっつっても、主体性が無きゃそれは、その辺で拾った石をな
んかのサークルに置くだけで、石自体に何の変化も起こらないでしょ。逆に人間っ
てのは変な期待するから、そこでイメージと違ったとか、なんか予想してたのと違
うとかって思うわけだけど、そりゃてめーが石だからなんだよってことに気がつか
ないとダメよね。逆を言えば意志さえあれば環境なんて二次的なものなわけ。

だから前に書いたことでちょっと思うことがあったんだけど、俺ってどうやら人里
はなれた山というのに桃源郷的な幻想を抱いてるんだなっていう風に思ったわけ。
こんなくだらないゲームはやめて、とっとと隠遁生活を送りたいって書いたけど、
隠遁生活なんて別に山に行かなくても送れるんじゃないかと思ったのね。

ようは心の中に桃源郷的なイメージを持っていれば、自分の部屋が桃源郷になりう
るでしょ。別にそれは瞑想しているときでもいいんだけど、頭の中にそういったイ
メージがあれば、実質、環境がどうであれ隠者的な生活は送れるんじゃないかと思
ったのね。まぁ環境も大事だよ。ナチ政権下で心に桃源郷を持ってようがそりゃキ
ツイよ。

まぁなんつーかそこそこの環境なら別に心の持ちようっつーか、ようはその個人の
世界観によって自分の世界なんていくらでも変わるじゃんって思ったわけで、んだ
から別に山に住まなくても、山にいるようなイメージを心に持っていれば、それは
山に住んでいるのと同等じゃないかってことなわけね。ようはそこで人生なんても
のにはもう達観して挑むしかなくて、心に桃源郷を描くことに人生を費やせば、色
々と克服できることって結構多いと思うのね。

それはくだらない人間関係についてかもしれないし、煩悩かもしれないし、精神病
かもしれないし、不安かもしれないし・・・。結局こういったことを解決するのっ
て内面的な力しかありえないわけだよね。薬とか環境の変化でどうにかなるもんじ
ゃない。何しろ人間ってのはもう文明社会に生きているわけだから、社会からは逃
げられないでしょ。桃源郷社会存在しないなら、自分の心に作っちゃえばいい
だけの話だよね。

まとめると、ようはこれってのは青い鳥と同じなわけで、幸福なんてのは外的なも
のの中には存在しないわけで、そういったものを無理やり作っちゃうのが幻想なわ
けだけど、青い鳥の「本当の幸せというのは鳥かごにあった」っていうのに準える
と、本当の幸福ってのは心にありってことなわけで、まぁ基本的には師匠1の教え
に行き着くわけですな。心っつーと深そうだけど、ようは気の持ちようだよ。認識
ね。基本的には。あーダメだ。話が逸れた!もうあと1時間ぐらいしか無いから教
科書読むわ。

いつもこんな感じね。寸前というよりかは寸前の寸前ぐらいにならないと動き出さ
ないのね。俺。あ、そうそう。パリ症候群とかさ、あと日本馬鹿芸能人がハリ
ウッドデビューとかアメリカで活躍するみたいなことに幻想を抱いているのも、今、
書いたことの良い例ね。良いっつーか悪いっつーか。事実とは関係ない幻想という
ものに振り回されるほど不幸なことはないから、とっととそんな幻想捨てちゃった
ほうがよっぽど幸せになります。

ところでアルファブロガーって影響力のあるブログの書き手のことを指すらしいけ
ど、なんか今回俺のブログノミネートされたやつは2004年から開催されてるやつ
らしいんだけど笑っちゃったのが、Wikiで見てみたら「日本ではFPN(フューチャ
ープランニングネットワーク)というサイトが「アルファブロガーを探せ」という
企画主催しており、ここで選出されたブロガーを指すことが多い一方で、この企
画自体の知名度の低さの問題が指摘されている。また評価の正当性、選考の手法な
どにも疑問が投げかけられることもある。さらに、このサイトが選出したブログに
は社会問題となりうる虚偽に満ちたブログも含まれている。」だってさ。

かなり批判的。逆にちょーメジャーしょこたんブログみたいなのがノミネートさ
れるようなコンテストだったら俺のブログなんてノミネートされないだろうからね。
「虚偽に満ちたブログ」ってまさしくウォール伝も含まれるな。基本的にこういう
のを一般向けに開催していたら、まず個性的なのはノミネートされなくて、ようは
アカデミー賞みたいなそれこそ虚偽に満ちたアワードになるわけだけど、逆に俺み
たいなちょー逸脱したブログみたいなのがちゃんとノミネートされるなんて、なか
なかいいんじゃない?幅が広くて。ネクロマンティックとスパイダーマンが同時に
出展されるような映画祭って素敵じゃん?無いけど。

ようはたぶんこれってアルスエレクトロニカみたいな感じなんだろうね。えー?
Cosmosが受賞したのぉー??っつって国際的にアワードの価値が疑われるっていう、
ウォール伝はそんなCosmos的な存在かもしれないけど、逆を言えばCosmosみたい
なのが賞を取るアワードってのもアリなんじゃない?とは思うけどね。

あとラッセーラのソヴァージュもなんか受賞したんだよね。えらいアワードだよな。
それこそ評価の正当性やら選考の手法に疑問が投げかけられるわけでしょ。アルス
エレクトロニカ。世間の評価ってこんなもんだもんね。しょこたんブログと並んで
ノミネートされてたら、「他のノミネートブログが凄いね!」っつってなんつーか
比較で凄いっていうアホな評価になるわけだけど、他がさっぱり有名じゃないわけ
の分からないブログとかばっかだったら「たいしたことねーアワードだ」ってこと
になるわけ。大半の人はこんな感じ。

内容も見ないでこういった表面的なところで評価するわけね。映画アワードとか
もそうでしょ。ちょー有名監督ノミネートされてたりしたら、その比較として凄
いみたいなさ、まぁ大日本人みたいなもんか。正式に出展されたわけじゃなくて、
オルタネイティブ部門みたいなので、ようはネクロマンティックみたいなのでも個
性があるっつって選考されるような枠に選ばれただけなのに「カンヌ」って名前だ
けで人々が勘違いするわけ。

で、誰もディティール見ないんで勘違いしたまま、みんな「カンヌ正式出展作品」
だと思い込んだりしてるわけ。アホだなぁーって思うね。マジで。まぁーでもあれ
かねーやっぱ客観的に見てもCosmosみたいなのが賞を取るアワードって何?って思
っちゃうのは分かるけどねぇー。スーパーデラックスってさ、俺がまぐれでアート
リンゼイライブの時にDJした思い出の場所なんだけど、あんときのDJはヒドかっ
たな。

選曲はいいんだけどミックスがヒドかった。イカに現場慣れしてないかっつーね。
あと10分ぐらいある曲かけちゃったもんだから、勝手に客が飽きてるって思い込ん
で、いきなり別の曲かぶせてミックスしたりとか、ようは精神病的強迫観念すらも
ミックスに影響してたりしたんだけど、まぁーでも楽しかったなぁー。

なんつーか「選曲良いですね」って言ってくれたお客さんが何人かいてさ、人との
係わり合いも悪くないなぁーっつかさ、あの時の経験がある一つの決定的な認識を
与えてくれたんだよね。

ようは独りよがりでやってるようなオナニー音楽をやっているのなら評価なんて
求めないっていう、ようは人に「良い」って言われたいっつーか人と何かをシェア
できるようなものを作りたいんだったら、俺は音楽を作るなんて諦めるべきだって
思ったわけね。だから俺は前者を選んでいるわけだけどっつーか選んでるっつーか
前者しか選択肢が無かったんだけどね。人と何かをシェアできるような音楽なんて
俺には作れるわけがないから。

そんな意味でもウォール伝は明らかに前者的な態度でやってるんで、そもそもアワ
ード的な概念と繋がりがあるわけないんだよね。やってるっていうよりかは勝手に
出力したものをネットに乗っけてるだけだからね。やってるって概念すらない。た
だ今回やっぱ嬉しかったのは、こんなブログでも推薦してくれる人がいたっていう
ことと、何よりこんなブログエントリー主催側が許してるってことだよね。

まぁ逆を言えばこんなブログエントリーを許してるから社会的な認知が得られな
いのかもしれないけど、まぁそんなもんクソ食らえでいいと思うけどね。まぁただ
他のエントリーは大半がまともな人が書いてるちゃんとしたブログばっかりだった
んで、まぁ俺のブログはネクロマンティック的な役割を果たせれば十分なんじゃな
いかと。

「幅の広いアワードですわね」っていう。でもあれだね、過去にはきっこさんとか
選ばれていたらしいけど、他のも色々見てみてもなんつーか社会的に見れば「反道
徳的」なものも含まれるわけで、ようはエントリーの傾向が左翼じみているとかさ、
そんな批判も聞こえてきそうだけどいいんじゃないかと。

当たり障りの無いメジャーブログ選出したところで面白くもなんともないからね。
まぁこのアワードを擁護するわけじゃないけど、ブログって極めて個人的な考えと
か経験を出力できる凄まじくインディビジュアル媒体なわけじゃない?これは逆
にメディアじゃありえないことなわけだ。

そういった媒体キャラクターを利用してアメリカなんかではブログソーシャル
クリティーク的なことをしていたりっていう、ようは社会へのコミットメントとい
うか人への影響力があるようなブログもあるわけじゃん?それがまぁアルファブロ
ガーの書くブログということなんだろうけど、日本ってこういうの少ないと思うん
だよね。俺がアルファブロガーだとはとても思えないけど、ただなんつーかせっか
くネットっていうセンサーシップのない媒体があるわけだからさ、もっと個々が色
々なことガンガン書いていくべきだよね。

色々な意見があっていいわけだけど、そこで議論が生まれればもうそれだけで価値
があると思うんだよね。とりあえず色々なことをネットを使って語りつくすってい
うね、そういうことが出来るわけだから、個々がどんなトピックでもいいからガン
ガンやっていくべきだよね。それこそメディアじゃ放送できないようなこともブロ
グならいくらでも書けるわけだからさ、ガンガン書いていかないと。

それこそWilliam F. OgburnのCulture lagじゃないけど、日本ってテクノロジーの発
達が凄まじい割に、ノンマテリアルカルチャーの部分がテクノロジー進歩につい
ていってない感じがするんだよね。

ようは人間側とか社会システム側がテクノロジーを活かしきれてないっていうか、
テクノロジーありきの社会構造みたいなのを提唱できてないっつーか、本当はテク
ノロジーの進歩なんて社会自体を変えてしまうような可能性があるわけだけど、イ
マイチ日本ってのはこういうところに鈍感なような気がするね。

そういう意味だとアメリカは割とこういうところにケイパブルなのかもしれないね。
だからさっき書いたようなアルファブロガーみたいな存在が出てきたりyoutubeだとか
googleだとか、それこそ社会的に影響があるようなものがガンガン出てくるし、ユ
ーザーも使い方に多様性があるんだよね。でも日本って使い方に多様性が無いんだ
よね。ホント、個人的な欲求を満たす目的だけに使われている気がする。

具体的な例が無くてアレだけど、言ってること分かるでしょ?やっぱいつまで経っ
てもアメリカの後追いじゃダメなんだから、やっぱ民度上げていかないとダメだと
思うわけね。まぁ一概には言えないけど、経済とか文化とか教育レベルではアメ
リカとの大差はそこまで極端じゃないんだから、国民のあり方によっては、それこ
そアメリカから独立できるわけよ。でも独立しないのってさ、まぁ色々と政治的な
こととか経済的なこととかがあるにしても、やっぱ民度が低いんじゃダメだよね。

少なくとも俺がアメリカに来てこっちはレベルが高いって思うこと自体がアウトで
しょ。それってアメリカレベルが格別高いわけじゃなくて、日本レベルが低い
ってことなんだからさ、そりゃマズイよね。あーまた話が拡散バズーカーしてきた。

あ、んでね、今はもう夜なんだけどっつーか今日社会学先生がなぜか来なくて、
みんな帰っちゃったのね。っつーかこっちでは15分経ってもプロフェッサーが来な
い場合は授業は無しってことらしいんだけどっつーか

まぁそんなのが一般的なのかどうかは分からないけどさ、ただなんつーか生徒が独
自に当日の出席票を作って後日先生に渡すとかさ、なんつーか15分経ったからもう
次行こうってああいうクイックなディシジョンメイキングはさすがだなって思った
ね。日本だったら生徒がざわざわしててみんな座ってるだけだろうなって思ったも
ん。こういう差を見るとアメリカ凄いなって思うのと同時に日本レベル低いなって
思っちゃうわけだけどっつーかまぁ安易な一般化はできないけどさ、これってもう
モノの考え方の差なのかなって気もするけどね。

日本は周りの様子を見て慎重で、アメリカではとっとと独自に決断して次行っちゃ
うっていう。周りの様子を見て慎重でっつーとポジティブだけど、まぁ頭使わない
ってことでしょ。周りに流されてばっかっていう。普段から思考力が鍛えられて無
いからすげー流動的なの。すべての行動が。これって個々がどうのってより、もう
社会の特徴っつーかさ、社会によって個々の人格とか考え方とか習慣ってのがカス
タマイズされるから、そういったアホアホな行動パターンってのが社会によって作
られている部分もあると思うんだよね。

それは言語と一緒でアホアホなパターンが身につきやすい日本社会に生まれた人で
も、アメリカとか他の国で育てばその国らしい人間に育つっていう、ようは日本人の
DNAとか性格がどうのって話じゃなくて、社会の話なんだよね。ってことでこの話
題の流れから行くとやっぱ話が教育になるわけだけど、まぁそれは前に散々書いた
からいいや。

っつーかオナニーしたいんだよね。帰ってきてからメシ作ってさ、で、アルファブ
ロガーにメールしてこれ書いて今に至るわけだけど、オナニーが無いわけよ。外に
出ると色々なインフォメーションが頭に刷り込まれるからズリネタも増えるでしょ。
俺の眼鏡ってそういう意味だと妄人メガネなわけだけど、妄人と違って俺は自分自
身で妄想ネタを色々と収集してこれるから便利だよね。

あ、そうそう。今後はあれなのかな、書くたびにケツに「クリックお願いします」
みたいな、よくブログにあるさ、ブログランキングとかの投票のあれあるじゃん?
あれのテンプレートみたいなのをペーストするべきなのかな?まぁ一ヶ月ぐらいだ
しいいかな。俺的には読んでいる人に投票を求めるなんて反革命的だなーって思う
んだけど、やらないってのもアレだから、とりあえず投票ページのURLだけ書いて
おくね。

https://www.sixapart.jp/inquiry/alphablogger/alpha_vote.html

あと選挙期間内は政治家みたいに一時的な注目を集めるためにセンセーショナルな
ことを毎日書き連ねていくべきなのかな?で、ベストなんたらに選ばれたあかつき
にはとっておきの音源をアップしちゃいますよみたいな、特典つけるとかね。ファ
ンキーキンキーアップするとか。

まぁいいや。このことは忘れよう。無駄に期待するとダメだったときに残念だし最
終試験まであと二ヶ月切ったしブログどころじゃないんだよね。過剰にブログに注
意をフォーカスするのも嫌だし、そういったことをすると俺の中の革命度が下がっ
ていきそうだからやめたほうがいいよね。ってことで今までどおり時間があるとき
に更新していきますので投票ヨロシク。っていう落ちはどう?って感じで落ちを書
いたりさ、投票ヨロシク(結局、頼むんかーい!)とか一人ノリ突っ込みするとか
ってよく文章であるけど、最近アメリカでも一人ノリツッコミ存在することに
お笑い普遍的な価値を見出しましたね。

生成文法ならぬ生成ユーモアみたいなのが人間にはあるのかもしれないね。ユーモ
アといえば今日学校の手前ぐらいでマサさんの波が来たんで、テスト今日じゃ
なくて良かったかも。

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http://d.hatena.ne.jp/mimisemi/20071108

http://anond.hatelabo.jp/20071108145558

それはひどい。俺も同意するぞ。それはひどい。で、だれがそんなこと言ってるの?


ある盲人ブロガーは文句言わずに生きてた、増田写真エントリーを上げても見えない事で文句をいったりしなかった。

だから親にレイプされたブロガーも他人がセックスして親になる話題ぐらいで文句なんか言うな。文句いう奴は犬だ。狂犬だ。

俺は親切な通りすがりだ。狂犬に死を。赤ん坊に花束を。俺って素敵。

と言う増田

http://anond.hatelabo.jp/20071108124614

価値の相対化ってやつはまったく度し難いな。

皆が皆、君と同じ意見を持っている訳じゃないし

お前らそんな生ぬるい言葉で甘やかされているから大切なことが何かわからなくなるんだよ。生まれてくること共は祝福されるべきなんだよ。理屈なんかいらねぇ。

で、その全盲ブロガーが今回の事に何の関係があんの?

意見の多様化なんかを説く前に文章くらいちゃんと読んでくれねぇかな。狂犬の遠吠えばかり聞いて、苦労にあっても誠実に生きている奴の声なんか聞きもしねぇと揶揄してるだろ。

お前ら耳を傾ける相手を間違っているぞ

プライベートモードに逃げやがった。 ←すまん、これは俺の馬鹿な間違い。リンク先を間違えていた。逃げたなどと言って本当に申し訳ない。

http://d.hatena.ne.jp/hashigotan/

http://b.hatena.ne.jp/hashigotan/

http://blog.goo.ne.jp/funamushi2/e/58d690dcf02e90a53f5a15310a81f6c2

こいつの「幸せな奴が憎い」エントリ炎上するかと思いきや、どいつもこいつも同情的でびっくりした。お前ら狂犬のあしらい方間違ってるぞ。そいつがどんな不幸な道を歩んだかなんて関係ない。もちろん、誰だって人の不幸をねたむのは自由だ。好きに腹を立てればいい。不幸な境遇の奴には同情する。だが、相手に向かって「お前、俺たち不幸な人間のために謝れ、すっこんでろ」などと言い出したら、そいつはもう狂犬だ。狂犬として扱えよ。

なにが、「考えさせられる」だよ。

生まれてくる子供は祝福されるべきなんだよ。理屈なんかいらねぇ。自分が子供を作れないと嘆くのも、人を憎むのもいい。だが、のこのこ出かけていって子供を授かった人に怨嗟の言葉を投げつける奴は狂犬でしかない。そんな奴の言葉を聞くな。そんな奴の言葉に納得するな。

俺は全盲ブロガーエントリーを読んでいたことがある。そいつは自分の無力さを嘆きながらも、外の世界に出て行き、挑戦し、淡々と日々の営みをつづっていたよ。一言たりとも、健常な奴に当り散らしたりしなかったよ。俺はそいつのことを思うと写真を掲載するのが少しつらかったけど、そいつは他人の写真エントリについて批判めいたことは何も言わなかったよ。

だが、お前らは苦難にあいつつも毎日を淡々と生きていこうとしていく奴のことなんか見向きもしない。耳を傾けるのは狂犬の遠吠えばかりだ。

上を向いて歩こうとしている奴の脚を一緒になって引っ張るんじゃねぇよ。

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ようこそ ゲスト さん