自分たちのやっていることを手加減無しで批判できるのかという疑い。ブログをやってる人たちが、自分たちが肩入れしているものを議論したとしても、なんかいい話を見出して満足してしまうのではないか。
ブログってつまんなくなってませんか?ってフリには、検証のきっかけとして価値があったと思う。残念なのは、「おまえなんて事言ってんだ」というトーンが支配的になってしまったことと、振り出した側が、ブログがつまらなく変化してしまったとする諸要素を提示する前に及び腰になってしまった点だ。スパムブログに関する議論なんて当の昔に言い尽くされた話であり、誰しもが共通の敵としやすい対象で、安易な逃げ道だった。
「おまえなんて事言ってんだ」という側の人の多くは、ブログによって、何らかの、しかし大きなメリットを享受している人々。そういう人たちから強烈なブログ肯定論が出てくるのは当然。
一方で、ブログをやめた人、やれない人、やらない人のなかに、「ブログの限界」なるものとか、課題が含まれていると思われるけど、そういうサンプルはとってないし、紹介もされてない。
たとえば、
社員に毎月給料をはらうため、がんばっている事業主がいっていた。「ブログなんて、時間がある人ができる贅沢な趣味」
子どもが手のかかる年齢で寝る間すらない人いっていた。「ブロガーの集まりに呼ばれてただ飯食ったり、物もらったりってのはいいよねー(棒読み)ヒマで。全然共感できないけど」
こういう人たちって、間違ってる?
嫉妬に狂った悲しい人たちか?
マイノリティなんだろうか?
ときどき目にする「●●●というイベントに行ってきました」「●●●をもらいました」という記事は最悪だ。
イベントそのものが一般に開放された募集を行っていたり、参加基準が明確ならば、楽しそうだなと思ったら次の機会に参加できる。でも、「次のチャンス」が示されていないものなんて、期待も持てないし、関係性もない。つまり、読む価値が無い。「選ばれた自分て特別な存在なんですいいでしょすごいでしょ」とでも言いたいのか。
さらに「友達に誘ってもらった私ラッキー」「俺たちっていけてるよね」というクローズドなものにいたっては、閉鎖性ばかりが感じられる。このサークルに関わらないかぎり、その楽しそうなものは私たちと関係ないのね、と。微妙に上から物言ってる調子で書かれてると、何様だ。と思う。
この閉じたサークルが放つ特別感は、記者クラブの放つ排他的なイメージを似て、鼻をつまみたくなる。
ブロガーです。と名乗ると、そういう批判的な目線を浴びることを、そしてちょっと引かれてしまうことを、「なんでだろうね」と見つめてみないかぎり、ブログの存在感は今のままだと思う。