はてなキーワード: チベットとは
問題意識を持った先のことまで考えられるのは、一部の人間だけだろうよ。
そうして考えすぎた人間は、大抵動けなくなってしまう。
あるいは相対化してしまったりだとか
無力に気付いてしまったりしてな。
考えることに慣れていない大多数の人間は、
そういう「自分の救済のため」だとか、小難しいことを直視しないほうがいいんだ。
気付くと動けなくなる。自分の中で善への信念が、すり替わってしまうんだよ。
そして、出る杭にならないように、己を殺す。
本当は、したいと思っていたことであるのにもかかわらずだ。
今のチベットに対する傾向は、(好きになれない手段を使う連中もいるが)おおむね良い傾向だと私は思うよ。
ただそこにたちすくんで、動かない言い訳を考えている奴よりかはよほどいい。
(ま、それも程度問題だと思うがね。
Free Tibet!って好きなだけ叫んでも、例のお坊さんの動画を貼りまくっても必死に翻訳してもいいと思う。
でも、自分がそれをやってるその目的は「チベットを救う」以上に「自分を救う」ためにやってる事にも、直視できない人は痛いと思う。
オリンピックは失敗させるべきではない。
確かにチベットの問題や公害の問題。中国には酷いところが山ほどあり先進国からすれば看過できない。
だが、それでもオリンピックは失敗させるべきではない。
中国の国民は他国にどのような国があるのかも知らないし、そもそも自国で何がおきているのかも知らないのだ。
情報もないまま適切な判断などができるはずもない。
日本にいる我々や海外からすれば抗議行動がおきたそこに至るストーリーを知っている。
だが、中国人は知りえない。
まず我々がすべきなのは相手の国に文化をもって乗り込んでいって文明開化をおこさせることだ。
そのためには中国全土に放映されるオリンピックが報道されるのは大きなチャンスだ。
いままでの中国では日本でいえば柔道クラスのいつも金メダルを取れる競技しか国民は知りもしない。
だが、オリンピックが国内で開催されれば、そこで中国以外の国がどれだけ金メダルを取っているのかに触れる。
世界にどれだけの国があって競い合っているのかを知ることができる。
卓球が世界の中心競技ではないことをいくらいって聞かせたところで実感させることはできない。
世界から多くの観客が集まり列をなす様をみて初めて卓球ってそれほど注目されてないんじゃね?と感ずることができる。
中華思想に懐疑心をもたせる。
オリンピックをやるということは、これ以上ないチャンスだ。
そのためには無選択に情報に触れられる必要がある。
ロンドンやパリで聖火リレーが妨害されたことは中国でも報じられた模様。
このことはどういう結果をもたらすだろうか。
この聖火リレー妨害は、中国(=中国政府)が抑圧する人権問題やチベット問題に対する抗議として行われたはずだが、こうした抗議活動が中国人民の心に響くかといえば、そうではなく、むしろより怒りを買うのではないかという気がする。
こうした心の動きはおかしなことではない。
アメリカは圧政国家に経済制裁をかけたりするが、制裁をかけられて困窮するのは現地の住民である。この困窮に対する怒りは往々にして圧政を敷く自国の政府に対してではなく、アメリカそのものに向かう。
これと同様に、欧米から中国への抗議を目の当たりにして、中国人民は自国政府のやり方が悪かったのかも、と考えるよりも、欧米から発せられた抗議の声に対して敵対心を露にするのではなかろうか。
こうした中国人の怒りが世論となれば、一党独裁国家とはいえ世論を無視することもできなくなった中国政府は欧米の価値観に対し、これまで以上に距離をとることになるだろう。
また、中国人民はこの抗議の発生した根本的な原因を「一部のチベット独立分子」のせいだとするかもしれない。そうなれば、この抗議をやめさせるために、人権尊重よりも自国の強大な政府がよりチベットに対して抑圧的な政策をとることを支持するかもしれない。
これらは推測に過ぎないが、ありえないシナリオでは全くないだろう。
聖火リレーの妨害はチベット問題の改善という目的を達成するための手段であるはずだが、現段階を見ていると、手段が目的化していく様相を呈してきているようである。
もちろん、抗議の意志を表明することは大事だ。しかし、それが相手に受け入れられなかったら、と考えると戦慄する。
ティーザー広告みたいな効果を期待したってこんな横文字じゃ何も伝わらないよ
だいたいアルファベット・横文字ってだけでスルーする層だっているんだから
素直に「チベットを救え」でいいじゃない!
「天台宗トップの住職がチベット問題について涙ながらに語る」の動画( http://www.youtube.com/watch?v=BjlbL0j_qQ8)だけど、ACCSが消したみたいだね。
This video is no longer available due to a copyright claim by Association of Copyright for Computer Software
青山繁晴が「消すな」と関西テレビに言ってるから、関西テレビは消さないかもしれないけど、ACCSが何で消すんだ?ACCS何者?
http://anond.hatelabo.jp/20080407154245
この問題には、ほとんど興味がなかったのですが、そんな突っ走っている連中がいるんだ?
今回の件は、中国が経済的にも目立っていて、この間まで共産国で、現在でも実質には共産党一党独裁による気まぐれな資本化政策が行なわれいるので、国際的に叩かれているだけかと思っていました。
事実、中国のチベット政策と似たようなことは、ロシアもアメリカも行なっております。もっと歴史的にみれば、イギリスやフランスといった、今日の中国バッシングを率先して行なっている国々でこそ同じような政策を取っていました。アフガニスタンやクルドの人々は、今現在、かつての彼らの所業の犠牲を今でも受けています。こうしたことは、アフリカでもそうですし、パキスタン-インド-バングラディッシュにおいても今現在、苦しんでいる人たちがいます。
そういう風に、中国だけを叩けばそれで済む話ではないのに、何故に中国だけが槍玉にあがっているのか理解できない。という感想を持っているので、この問題にはあまり興味がありませんでした。
しかし、日本においてもネット上だけでしょうか、問題に乗っかってお祭騒ぎをする連中が増殖しているというのは、違和感を通り越して恐怖にすら思います。
本idの方、プライベートモードで使用中なんだが、私信出さないといけなくなったんで、ちょいと借りますよっと。
関係ない人読んでもつまらんよw
http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20080330/p1
>「チベットへのコミットのみを支持し、それ以外のコミットを批判する(支持しないのではない、積極的に攻撃する)ような態度を正当化する一貫性」
なんというわら人形。一番本質的な所が全く述べられてないんだが。その記述に倣うならこう。
「チベットへのコミットのみを支持し、それ以外のコミット『をチベットに関連付けする事で、本来チベットへ向かうべきであった問題の焦点をずらし、エネルギーを分散させてしまう事』を批判する(支持しないのではない、積極的に攻撃する)ような態度を正当化する一貫性」
ブコメだから適当読解で、言ってもいないことを勝手に読み取るマンはカンベンな。
要するに、自分の信奉する政治的ポジションの囚人になった馬鹿どものウチゲバで、チベットを仮想敵イデオロギー陣営の攻撃の道具として使うせいで、普通にチベットに懸念を持つだけの人の気持ちの発露を邪魔すんなよということ。まぁ普通ならそれで分かるんだが、一貫性を具体的に示せといってるんで、もうちょい詳しく説明しておくかね。
世界各国の民主化されたメディアに接する事の出来る所に住む普通の民衆が、パレスチナや昨年のミャンマーや今回のチベットといった場所で人民が生命の危機に晒されている不正義に反応して緊急的な対応を求める意思をネットを通じて表明したりデモを行ったりする訳だ。
そのような注視の蓄積は、国際的な圧力として該当国・関係国に自制を、対応の緩慢な自国の政府に対応を促す事に繋がると信じる。市井の人の感覚とはそういうものだ。
ところが、そういった時にどうもいろんなイデオロギー的な主張の臭いを放たずにはいられない連中が、その表明行動に関与する事を目論む訳だ。
例えば、サヨ系平和団体が憎くて仕方ない連中がいるようで、こぴぺ発祥と思われるものからチベット事件のまとめガイドラインのようなヘイトサイトまで立ち上げて、ここぞとばかりにサヨ系平和団体と呼ばれる団体の欺瞞を喧伝する事に血道をあげている訳だ。または、チベット虐殺抗議デモin大阪(撮影日08/03/23)このようにデモにかこつけて竹島のためにチベットをダシに使う屑とか、他にも色々ウンザリさせられるものがあるだろう。
その逆に、「チベット問題との温度差をすげえ感じた」このエントリはどうだ。
チベットを枕にしたことで、生命に関わる緊急性も自由度も違う、直接関連する属性といえば少数民族に対する弾圧という話を「もしチベットについて語るのであればアイヌについても同じレベルで語れ!」とばかりに賭け金を引き上げ、市井の人のチベットへの素朴な感情の表明に対して冷水を浴びせているのに他ならない。
そんな事は無いって?いや、そうなんだよ。善良な市民と自分で名乗るほど恥知らずではない善良な市民はだれもチベットに声を上げる時にイデオロギー問題まで関わりあいたくないんだ。君が、『なぜなら、最初から「チベット「も」」問題であることを認めているからだ。』と主張し、『主観的には、一貫したものを作ろうと考えている、行動しているつもりではある』のであれば尚更、チベットにコミットする際には、今は緊急性と結束したシンプルなメッセージが要求されている事だと判断をして、アイヌに関する問題については、絡めない細心の努力をしなければならないんだよ。
わしがチベットについてはてぶで一貫していっているのはそれだけの事だよ。だから、わしの中でとりたてて「中国が嫌い」なんていう要素を見出す事ができないんだ、期待に添えなくてすまんね。
まぁそうは言っても、アイヌについて言及すべきではないという主張については不満は残るだろうし、そういえば
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20080326%23p2
この辺でカリカリきてる人も居るようだし、「抑圧者側」とか選べない属人論法という煽りもあるので、件のアイヌデモについて思うところも語っておくか。
まずは件のデモの、配布されたパンフレットにあったという主張をみてみる。
> 差別は貧困を拡大し、貧困はさらにいっそうの差別を生み、生活環境、子弟の進学状況などでも格差をひろげているのが現状です。
この主張は要するに、現代文明の日本人として普通の水準の生活を送らせろという主張なのだから、アイヌである事を主張するのは矛盾してるんじゃね?
このグループの主張を見るに、アイヌゆえにというのがあるが、それこそアファーマティブアクションの負の側面がここまで明らかになっている今なお、部落差別の利権構造と同じ泥沼へ、自ら色をつけて堕ちていくようにしか思えない訳で。痛いニュースに取り上げられた反応は、チベットとは関係なくて、そういう手口をやる人間特有のあさましい部分を見透かしての反応なのではないかな。童話の青い鳥の食事に飛びついてしまった事を認められない自分の内面までは、社会には救えないんだよ。
それに対して、わしの言ってるのは、イオル(狩場)ごと返還して生活が成り立つように、アイヌのアイデンティティに対して本当に誇りを持っている者こそ望む物を渡すべきだと主張してるのだが。
そもそも、大部分のアイヌは二風谷ダムの立ち退きには生活向上を引き換えに同意した訳で、その中で強制収用と戦い抜いたのは、二軒だけだったというのは前提でよいよね?そうやって誇りを守った萱野茂も亡くなった状況で、本当に返還して、覚悟なしに単なる山地でどう過ごすのかと。本物のアイヌの生活はサスティナブルな生活様態の先達として敬意を払うべき対象であるが、その厳しさも想像できるからこそ、実践する覚悟は問われても仕方ないんでは?覚悟が無いなら、文化は博物館の中に入れて、日本人の人権の範囲で生活向上を求めるしかないじゃない。
地図を見てたら、この地域なんか典型的な間延びした生活前線であるな。持続可能な生活様態への変革が至上命題だと常々主張しているわし的にも、是非ともこの近辺の非アイヌ住民には、平取ダム作れとかゴネる下流住民ごとまとめて、集約されたコンパクトシティへと移住して頂いて、北海道経済を疲弊させているインフラコストの無駄を省ければ効率もよくて一石二鳥でもあり、実現していただきたいな。
チベットを良くしたいって気持ちは忘れずに持ってても、庶民からは「漢族のイヌめ!」みたいな目で見られて
どんなに主流派に溶け込もうとしても、同僚からは「所詮は異民族。オレたちとは違う」というふうに見られてるんじゃないかな。
今のチベット自治区主席もそうだし、中国政界やマスコミの上層にそれなりに食い込んでるチベット人がいる。なかには大臣になった人も。
彼ら、本当のところはどう考えているんだろうな。
やはりダライ・ラマは祖国統一を邪魔する分裂主義者って心から思ってるんだろうか。
それともチベットの経済発展や人々も生活水準向上を目指して努力してきたら、いつの間にか中国共産党の幹部になってしまっていたって感じなんだろうか。
喩えりゃいいじゃない。
そうだよね。
チベットで起きているような問題についての深い洞察を暗に含んだエンターテイメントならぜひ読みたい。ただただ中国が憎い!とかだと、ちょっとどうしようもない小説になりそうだけど。
喩えりゃいいじゃない。
民族の問題を家族に喩えるとか、意地悪たぬきとうさぎに喩えるとか。
ダルフールの問題のほうがはるかに深刻なのに俄かに日本人が騒ぎ出しているのは同じアジアでの出来事だからだろうか?
ミャンマー暴動で日本人ジャーナリストが殺害されたのはなんかもう忘却の彼方だよね……。
結局どこの国も困窮した状態から抜け出したいがために多くの人が苦しんでいるわけだが、その何倍も豊かな生活をしているはずの日本人はいったい誰のためを思っていったい誰を非難しているのだろうか?
チベットの人?
暴動に参加して鎮圧された人?
チベットの中に住んでいて暴徒により襲われ家やお店を壊された人?
それとも暴動がおきたために平穏な日常をこわされた人?
それとも独立国家になれていない”チベット”という記号的象徴を哀れんでいるの?
主導者ダライラマを哀れんでいるの?
暴徒鎮圧命令を下されて凶刃を振った末端兵隊の罪を哀れんでいるの?
鎮圧の命の決断をした指導部の判断を責めているの?
問題の根幹は貧困に根ざした民族問題だ。
国内の苛め問題も解決できないように、この問題の根本的な解決は無理だ。
理想的な解決に向けたシナリオはある。
弱いほうをかばいだてしパワーバランスを整えることだ。
根本的な問題があれば諌めればいい。
まずは喧嘩をやめさせる。非難や肩入れはそのあとだ。
同じ地球に住む人間として諍いごとは円満にすませてもらいたい。
だが、本当の願いはどこの国でも暴動がおきないぐらいお腹いっぱいにうまいもの食えて、
不安も不満も抱えずにのほほんとみんなが生活できることを望む。
だが我々の豊かな生活はどこかの途上国で年端もいかない子供が水汲みのような労働しているのを集めた結果だ。
石は高く積めば崩れる。
だが積まずにはいられないのが人間の業。
ひとつつんでは・・・
それよりも、投信にもファンドにもしないで2億6千万も集めているわけなんだが、、
たとえば、こういう話。
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20080117_ps3_ps2/
この記事をもって「現在発売されてるPS3(40GB版)にも、いずれはPS2互換機能が付く」と勘違いしてる奴多すぎ。そしてそれに突っ込まない奴少なすぎ。でもって肝心のSCEIの募集ページがとっくに404になっている事すら誰も指摘せず、延々と「40GB版にもいずれPS2互換が付く」事がまるで確定事項であるかのように進み続ける2chの各種スレッドや個人ブログ(当然ながらはてなも含む)のTBの大群。はっきり言って気持ち悪い。
40GB版にPS2互換が付かない(付けられない)理由に関しては以下が詳しい。でもってこれに対してきちんと反論してる奴を見た事が無い。にもかかわらず、前述の勘違いがネットでは主流を占めてる。どういう事なんだ。
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2007/0314/kaigai344.htm
「GS」と呼ばれるPS2の部品無しでは(PS3単体の能力だけでは)再現が非常に難しい、という話。40GB版にはこれが無いのは知られている通り。つまりコストダウンのためにPS2の再現に必要不可欠な部品までも取り払っているわけ。一年前にこういう記事が出ているのに、これに対する明快な反論もそれを補完するソースも無く、ダラダラと雰囲気だけで「PS2互換追加予定」がでっち上げられてる現状。何なんだこれ。意味分からん。それでいて同じブログの中で朝日新聞だのTBSだの批判する奴が居るんだから死ぬほど笑えるわ。
もう一つは、「PS3にはゲームが無い」という主張の多さ。これも実情は違うのに、誰も反論せず、反論しても無視され、検証もろくにしてない奴らの声ばかりが日に日に大きくなっている。
ちなみに、PS3で3/24現在発売されているPS3専用タイトルは(多分)84本(パッケージ販売されていないWARHAWK含む)。
性能的に競合しているXBOX360を比較対象にしてみると、プラコレや限定版の重複をのぞくと113本(くらい)。本数では確かにXBOX360よりは少ないが、発売が一年先行している分を差し引く必要がある。そこで、PS3発売日までに販売されたXBOX360のソフトの数を数えてみると(だいたい)34本。ついでに、250本ドレにする?という宣伝文句はXBLA込みの数だと思われる。あ、もしかしたらプラコレの重複も除外していないのかも知れん。
つまり、PS3発売以降に発売されたXBOX360専用ソフトは113-34=79本と、同じ期間に84本リリースしてるPS3と(約)5本しか違わなかったりする。なのに、「PS3にはゲームがないからなぁ」だの「サードパーティーがPS3から逃げ始めた」だのしたり顔で語る匿名は一体何考えてるんだ?
http://www.xbox.com/ja-JP/games/calendar_released.htm
※これに加えてソフトのバラエティや販売本数に関しても数えてみようかと思ったけど、情報が足りなかったり面倒くさかったりするんでその辺は俺よりヒマな人に任せる。
要するに、PS3「だけ」で、こんなのが未だに駆逐されていないわけよ。PS3よりメディアの露出が多いWiiにも、逆に少ないXBOX360にも似たような話がいくつもあるわけ。たまに俺も匿名で反論するけど、いつの間にかスルーされて、結局ソース無しのデマの洪水に押し流されてる。その理由を自分なりに考えて得た結論がこれ↓。
結局さ、みんなゲーム自体どうでも良くなってるんだろ?日本のゲーム業界を真剣に考えてる奴なんてどこにも居ないんだろ?
それ以外に考えられるか?興味が無いから情報の真偽に無頓着になる。無頓着になるから、明らかなデマも放置する。そういう事だろ?興味があるからこそ、みんな中国当局のチベット関連の「大本営発表」を本気で信じたりしないわけだろ?そんな状況だと言う事すら認識できず、数年前の「古き良き時代」を引き摺ったまま、未だに日本がゲーム先進国だとか勘違いしてる奴は死ぬまで初代ファミコンでもやってりゃいい。PS2で十分とか嘯いてる奴はpong以外ゲームすんな。PS2どころか、インベーダーゲームすらお前らには高性能すぎだボケ。
と、俺自身のアンテナの狭さや偏り具合を棚に上げて書いたつもり。反省するなり律儀に反論をして別の議論のネタにするなり好きにしてくれ。寝る。
批判すべきはたいてい自分な件。それか運命か定めとして諦めるべきこと。
うん。それが仏教の本質じゃないかな。
と極東ブログ: チベット的癒しの話を読んでさっき思ってたことだ。何か悲惨があったとき(それがありふれた病や死でも、当人と家族にとっては悲惨だ)、その原因を特定し排除しようとするのが現代的・科学的な−−ひいては全てを第一原因に求めるキリスト教的な?−−考え方だ。そのためにデモをするし、虐殺をするし、抗生物質を作り出す。
ここでジョークをひとつ
筋金入りの無神論者は言った
「これまでの信念を曲げて、神を信じたくなるときがたまにある。
自分ではどうしようもない不幸が我が身に襲いかかってきたときだ
でも仏教はそうじゃない。降りかかる悲惨/幸福の原因を、『因果』『業』というイマジナリーナンバーに求める。そして諦める。あるいは供養する。それはパッと見はすごく後ろ向きでダウナーで怠け者の考え方だけど、共同体というマスで見たとき、あるいは時間軸に重ねて人生という単位で見たとき、有効な場合もあるんじゃないだろうか。とか“全てに原因を見出せる病”こと陰謀論の人たちを見て思うこともある。うん、「陰謀論」こそが「科学的思考」のヒルコだよね。
って一方で
誰もがそう考えてるなら、チベット問題なんかあっという間に解決だな。
もまたある意味正しい。もし、本当に字義的な意味で「誰もがそう考えて」いたとしても、それだけでは虐殺は無くならないだろう。なぜなら「自分は『批判すべきは自分だ』と考えている。しかしそこにいる見知らぬ他人はどうだろう?」という不安・恐怖は、偽装不能のテレパシー能力か、個人が全ての人間と1対1で対話できる高度な情報処理能力と情報網が開発されない限り、排除しきれないからだ。
悲しきナッシュ均衡。
そう。ゲームはたとえ対戦相手が実際には存在しなくても成立するんだね。そしてそこからは「3人寄れば党派政治がはじまる」だ。こわいよおにも通じる話。