はてなキーワード: エロ本とは
僕はニブい子供だった。小学校4年生の頃、クラスで「セックス」の意味を知らないのは僕ぐらいだったんだと今振り返ってそう思う。
そう、みんな判ってた。教室でセックスって何?と発言して、教室中の人間が反応したり、着替えを覗きに行こうぜと頻繁に誘われたり、エロ本の回し読みがあったり(興味が無いので誘われても読まなかった)、まぁそんな感じ。それが25年前。インターネットもなくて、パソ通も「知る人ぞ知る」程度の存在。
僕の世代でさえ、そうだったんだ。
今はインターネットがあるから進んでる、なんて言われてるけど、インターネットなんて関係ない。あってもなくても、小学校中学年なら、進んでる子供は知ってるし、進んでる子供なんてたくさんいた。
だから「子供にはまだ早い」という言葉に、僕は違和感を感じてしまう。
こんな遅れた子供でも、僕は小学校中学年の頃には、おっぱいというものにあこがれていた。どんな感触なんだろうって思ってた。それを考えてあそこが大きくなる事は無かったけれど(おっぱいとエロが自分の中で結びついたのは中学に入ってから)。そしてキスにも憧れはあった。
子供にはキスは早い、と言う人がいるけれど、子供がキスを知らないなんてあり得ない。あり得ないから、キスってどんな味なのか、知りたくて知りたくて、知りたくてたまらない。
大人でもそうなのだけど、存在自体は知ってるのに本人はしてはいけない、と押さえつけられると、妄想する。
僕は思う。押さえつけられた子供が変態にはならないかも知れないが、変態の多くが「押さえつけられた子供」だ。
アレをしちゃ駄目だ、コレをしちゃ駄目だ、と押さえつけられた子供は、真面目じゃなくなるか、真面目でも変態になるか、ドロップアウト組か、だ。
僕はでも、押さえつける事について反対はしない。教育にはある程度必要だと思う。何事もバランスだ。
教育を知らない僕らが、教育について外から口出ししちゃいけない。するなら、ちゃんと自分が子供の頃の事を詳細に思い出して、言うべきだ。子供だから、というレッテルは貼ってはいけない。それは子供に失礼だし、曲がった人間を育てる事にしかならないと思う。
子供だってエッチなんだし、変態な子供だっている。それを全部飲み込んだ上での対策こそが「大人の対応」だ。その前で思考停止するようなら、教育そのものにも口出ししちゃいけない、と思う。
「例外がない」にかかってるのは責任を取らないの部分じゃなくてセックスしたくてしたくての部分じゃね? あとセックスレスの夫婦はその通りごく一部だと思う。マスコミがネタにしてるだけで。あとオナニーがあるからねえ。エロ本の売ってないコンビ二はないしAVの置いてないレンタルビデオ屋もほとんどないからねえ。あと男はけっこう男同士で性欲については話してるから自分の感覚だけが世間の感覚と思い込むケースは少ないと思う。
ほぼ例外がないかどうかはさておき教育しておいたほうがいいよね
普通に育つと、男の性欲がどのくらい危険なのかとかそういうの全然分からんからね
その割りに今の日本社会はなにかと「男の性欲は仕方ないものだからそのへんを女も考慮して動くべき(そうしなければそうしない女が悪い)」みたいに、やたら男の性欲擁護派だからなあ。
レイプされた人に夜歩いてるほうもよくないとか言われたり、痴漢にあったらスカートはいてるほうがわるいとか言われる世の中だし。
男の性欲について何も知らされないままそれ前提に動けといわれても無理すぎる。大人になったら分かるだろとか常識だろって世間は簡単に言うけど、具体的にどうやって知る機会があるのかって考えると実は無くね?って思ったんだよね。今はまだネットがあるからまだしも、ネットがなくてエロ本も特に見ない子なんて(ざらにいただろうけど)一体いつ学ぶ機会があったというのか……
まあそもそも「男の性欲は仕方ないものだからそのへんを女も考慮して動くべき」的思考そのものが問題だとは思うんだけどね。とりあえずそれを早急に変えられないなら、まずは教育に組み込むべきじゃね?って思う。
んでも組み込んだら組み込んだで、今度は「保健で教えられているはずなのにそう動いた女が悪い」と、「男の性欲は仕方ないものだからそのへんを女も考慮して動くべき」思考を正当化させるネタにもなりかねないのが鬱陶しいところだ。
漠然と思った。お上品というのはフェチの一種なんじゃないだろうかって。
最近あるじゃん、子供を有害情報から守れ!とか、自殺する方法をネットで公開するな!とか、エロ漫画なんて許しません!とかさ。
それに昔から子供同士のおセックスなんて許しませんみたいな純潔教育とかあるじゃん。
いや、まあ俺も経済力のない人間が子供作っちゃうのはマズイと思うし、子供をエロ本漬けにしたり硫化水素の作り方を貼って回ったり陵辱ものの漫画読むのはあんまり好きじゃないよ。
でもさあ。
そういうのを「非難する」とか「禁じるように法改正を主張する」とかってのは良くないと思うわけ。
俺さ、「スカートのプリーツは乱さないように、白いセーラーカラーは翻らせないように、ゆっくりと歩く」お嬢様とか、そういうの好きよ。学生の時、似たような教育方針で育ったしさ。
でも、絶対の正義であるのとは違うわけ。良品と不良品があって品質基準があるのとも違うわけ。
お上品であることを俺は好きだ、って主張するのは良いよ。俺も好きだよ。安心できるし。安全じゃなくて安心だけど。
お上品でないことを嫌いだって主張するのも自由だし許容されるべきだと思う。
お上品でないことを非難するのはやめた方が良いよね?それをやっちゃった時点で他人を傷つけ始めているよ?もうすでにお上品な行為ではないし。
お上品でないことを違法化しようと運動するのはもっとやめた方が良いよね?価値観の法による強制だよ?それが過去数千年に何を引き起こしたか把握してないなんてなんと教養のない田舎者なのかしら。
お上品ってのはさ、べつに正しいことの基準でもなんでもないわけ。
足の爪に塗った赤いペディキュアに魅了されるのと大して変わらない嗜好の一種に過ぎないの。
手足拘束された状態で全身にキスされたいってのと陽光の中を手を繋いで歩きたいというのは同じ。
大抵の、独自の趣味嗜好を持っている人間はわかっていることなのに、「お上品」を趣味にしている奴らだけがわかってないんだよな。
君たちは別に正しくも何ともないんだよ。俺たちを踏みにじる権利なんかやらないよ。
やって、たまるかってんだ。
以上、18禁のドラマCDを聴いていたらmixiミュージックにその詳細を全国にさらされた、変態オブジイヤーなエロゲー歴半年の20歳がお送りしました。
あと、「嫌なら見なければいい」というのは、「自分は見たくないけど、そういうのが好きなら、自分の見てないところでこっそりと楽しんでもらう分には別に構わない」という層まで敵に回してしまうんだよね。そしたら100か0か論になって、少数派は一気に叩き潰されるよ。戦略的にもあまり良いとは言えないと思う。
ここで「嫌なら見なければいい」といってる人は、自分が少数派だとは思ってないんじゃないかなー。
ブコメとか見てても、エロの露出に耐えられないのは少数派なのにその少数派のためになんで自分たちが譲歩しなきゃいけないんだ、ていう論調のコメ多かったし。
私も大半の女性は大っぴらなエロの露出に対してあきらめて我慢してるだけだと思ってたんだけど、コメ読んでたら、みんな意外に最初から気にしてないんだ?とか思ってちょっと驚いた。
サイレント・マジョリティという言葉もあるにはあるけど、私やあなたのような「エロ本の中身は他人が見るのは構わないけど自分はあまり見せられたくない」という感覚の持ち主は少数派なのかもよー。
あなたが以前見た記事がどういうものなのか知らないけれど、以前似たような話を書いた者です。
http://anond.hatelabo.jp/20080108155734
「慣れてしまう」というのは、エロ本がこの世に存在することや、男性の中にそういう欲望があることに慣れてしまうという意味であって、実際にエロ本の中身を目にすることに慣れるわけではないんだよ。エロ本を初めて見た女の子は、まだ妄想のキモさと人格のキモさを分けて考えられないからね。あと、自分と他人を分けて考えることについても、まだ未熟な年頃だし。
大人になってくると、キモイ妄想をしているからといって、人格までキモイとは限らないということが理解できるようになるし、自分と他人を分けて考えられるようになって、「自分は見たくないけれど、他人が見るのは勝手にどうぞ」という考え方ができるようになるから「慣れる」んだよ。
まあエロの内容によって受け入れられるかどうかの度合いはかなり違うけれど、いつまでたっても慣れないエロもかなりある。日常的・現実的なエロならまだしも、特定の人に興奮剤的に使われるものには、非日常的・非現実的なエロもかなりあるわけで、そういうのはいつまでたっても慣れないものは慣れないし、腐乱死体ブラクラと同じように、見たくないものは見たくないんだよ。
なんかここの米とかブクマとか見てたら、自分を構成するものの一部でしかない趣味を受け入れられない他人がいるというだけなのに、まるで自分を全否定されたかのように脊髄反射して噛み付く人が多すぎるなと思った。
あと、「嫌なら見なければいい」というのは、「自分は見たくないけど、そういうのが好きなら、自分の見てないところでこっそりと楽しんでもらう分には別に構わない」という層まで敵に回してしまうんだよね。そしたら100か0か論になって、少数派は一気に叩き潰されるよ。戦略的にもあまり良いとは言えないと思う。
初めて射精したときにすごい罪悪感を覚えた。
自分がものすごくいけないことをしてしまった(殺人ほどじゃないけど、貨幣偽造ぐらいの罪悪感)と思った。
それからしばらくはそういうことが起きるたびにものすごい罪悪感にさいなまれた。
エロ本だって初めみたときは気持ち悪いな怖いなって感じたよ。
しばらくすると射精後の罪悪感はなくなって、虚無感を感じるだけになったし、
エロ本も徐々に自分の好きな分類のやつとそうじゃないやつが分かるようになった。
生得的なものなのか道徳的なものなのかは分からないけれど、
男の子だって「あー気持ちよかった」だけで済んでいるわけじゃないと思うな。
全員かどうかは分からないけれど射精後の罪悪感の話は結構色んな人から聞く。
それがなかったとしても、虚無感のほうだけでもきついときは相当きついです。
なのに、やってしまう、やらざるを得ないというくらい性衝動に引っ張りまわされる。
だからアレやコレやを許せと言うわけではないんですが。
もっとお互いに理解できればいいのにねー。
なんつーかエロ本よりハードル高くて、店内ぐるぐるした後に裏向けて静かにレジに置いたら色付きの袋に入れてくれた(普段は白っぽい透明の袋)
見透かされたー。慣れて無くて恥ずかしがってるの見透かされたー。でも店員さんグッジョブっすー。
んーしかしなんつーかこれは…
2:6:2くらいの割合で
うっはーこれは良い:俺とあんま変わんなくね?:俺よりひどい希ガス なんだけど。
何買うか決めていったわけじゃないから見覚えある名前の雑誌買ってきたんだけどfineboysってオサレ入門誌的な扱いじゃなかったっけ?無理無理理解できん(´・ω・`)
仮に非モテ業界に浸かってた俺の感性が腐ってるとしてもよ?俺に理解できないファッションじゃヲタクな女の子からはもてないと思うんだ。
そういうもんでもないのかねえ?
野暮な茶々入れしてすまんけど、君のお父さんや兄弟がエロ本とか見てなかったってのは、単に君の視界の中では、ってだけの話しで、ほぼ確実に知らない所では見てたと思う……
躁うつ病はヒドイ病気です。もちろん、どんな病気だってヒドイものですが。
神様はどうしてこの世界をこんなふうにお作りになったのだろう。ヒドイと思いませんか?
奪い合ったり、病気の苦しみのなかったりする世界にすることだってできたはずです。
躁状態の時、私は風俗に行きました。それも三回も。婚約者がいるのにです。
2chのスレを読むと他にもそういう人がいるみたいなので、そういう人は本当にいるみたいです。浮気をしちゃうひともいます。
全部病気のせいです。僕は婚約者を愛しています。絶対に裏切りたくなんかない。
池袋の性風俗店に行こうと携帯のウォーク・イン・ナビ(?GPS)機能を使ってお店を登録しました。
もうろうとした意識の中、小雨に降られながら歩いていくと、そこにはお店なんてありませんでした。
私はホッしました。これで婚約者を裏切らなくて済むと。
すると、携帯のGPSの行き先案内の表示が「伸びた」のです。「ここまで歩け」と。
そこには呼び込みの、いわゆるボッタクリ系のお姉さんの風俗のお店がありました。
私は嫌がりました。そうだ、これは隣のインターネットカフェに行けと言うことかもしれないと。
私はそこで40万円を払いました。顔射一回で40万円。
ふらふらとネットカフェに向かうと1席だけ空いているということ。そこで私は両親にHELPのメールを出したのです。
「私は今神様に感染していてお金を使うことがやめられません。どうか口座のお金をストップしてください」と。
実際、あのGPSの案内はなんだったのでしょう。システムエラー?幻覚?それとも、神様がもう風俗に行くなよという意味の天罰を下されたのでしょうか。
だって、だって、私のせいじゃない。全部病気のせいなんです。本当にあまったれた発言で、責任逃れで、責任転嫁に思われるでしょうが、本当の私は至って真面目で、今まで風俗に行こうなんて思ったことはないんです。婚約者の彼女を愛しているんです。一度だって裏切りたくはないんです。
そりゃ、AVは見るし、エロ本でオナニーしますよ。でも直接交渉は別問題です。ああ、もう本当に嫌だ。あの3回の風俗の記憶を忘れたい。僕は妄想で結構なんだ。わがままで独善的な問題にすぎないけれどそうなんだ。
もう二度と、躁になりたくない。なりたくないよ。風俗に行こうなんて思いたくないんだ。神様助けてください。あなたは非道すぎる。いくらなんでも酷すぎる。
躁うつ病は私を私でなくさせてしまいます。きちんとお薬を飲みますから、どうか、どうか再発させないでください。
神様、あなたはいくらなんでも酷すぎる。
ありがと。
知識が増えた。
俺の人生になんの役にも立たない知識だけどね。
ところで、議論の元にされていたのは、コンビニのエロ本コーナーの話とかだったと思うが、
なぜ、大手量販店のエロゲーコーナーだけに特化した話なっているんだい?
君の世界が都市部のエロゲーコーナーと、PCのエロフォルダで閉じているのはよくわかるが、
もっと視点を広げて、他の社会含めて議論しないかね。
さて。
それが足りないと思う連中がいたから、いまの規制推進でしょ?理解している?
そうそう、俺、anond:20080317090451 書いた奴。
他の反論別人だから。
完全廃止とかは流石にあかんと思うが
それぞれの自由を全部尊重していたらどっかで衝突する。
ポルノを「見たくない」自由、権利も認められねばならないのだが、
現在の日本はコンビニ・本屋でエロだだもれの表紙のポルノ雑誌が普通に売られている
騒ぐのはいいが危機感をもう少し持つべきだ
自分らの自由ばかり・自分らの都合ばかりで、他者の事も考えてやらないからこうなる。
本気で完全廃止をもくろんでいるのかどうか俺には分からんが
最初からそれを狙っていたわけではあるまい
もっと前から節操ある扱いをしていればこんなことにはならなかったはず
いくら言われても各々規制しないどころか
オタどもは秋葉原で女子高生のパンツをローアングルから撮るなんつーことを昼間っから堂々とやりだすわ
コミケなんつー大イベント開いてエロ本売りまくり買いまくりだわ
こんなんじゃ猛反発が来るのは当たり前だ
声高に叫ぶ前にちっと反省が必要なんじゃないのか。
あまりにオタクが虐げられてきたから、その反発で「オタクだっていいじゃない」な論調が出てきたが、今度は逆にその「オタクだっていいじゃない」が行き過ぎてきて「オタクでも全然構わない、だだもれにしてもかまわない、自由だ、寧ろこれらを認めない一般人がバカ」くらいに過激化してきてしまった。もう少しオタクはオタクであることにある種後ろめたい気持ちを抱きつつ一般人の目に触れないようコッソリとたしなむべきものだろう。かといって一般人もそこにつけこみ過剰にオタク狩りをされても困るのだが。要はバランスが崩れたのだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20080312121901
前回の続き。
これらの雑誌は女子高生(または女子高生風のモデル)を被写体にしていたわけだが、必ずしもロリコン向けというわけでもなかった。今でもそうなのかもしれないが、女子高生好きはロリコンにカウントされていなかった記憶がある。「男は女子高生が好きなもの」というのはあからさまじゃなくても、暗黙の共通認識になっていたと思う。
こういう事情があったからか、これら雑誌にはブルセラショップの広告やブルセラビデオの内容紹介も普通に掲載されていた。ブルセラビデオの類は東京を中心とした少数のショップが販売拠点となっており、地方にはそこから通販される形であった。だからマニア向けの商品であることは間違いなかったが、雑誌に紹介ページがあったことで地方在住の高校生であった増田にも内容が把握できたのであった。
90年代はエロ業界以外でも女子高生がやたらとフィーチャーされることが多かった。「コギャル」という言葉が生まれたのも90年代の半ばか。こうした世間の風潮との相乗効果もあって、投稿系雑誌はブルセラや女子高生エロスを強化する方向に進んでいった。
ちなみに1993年にウッチャンナンチャンの南原清隆氏がテレビ番組「ウンナン世界征服宣言」の企画で、女子高生Tバックアイドルユニット「メロン組」をプロデュースしている(この番組、ウッチャンが女子高生デートクラブに行く企画もやってたと思う)。地上波テレビにTバック女子高生が出演できるくらいなので、エロ本業界は推して知るべしだ。でも具体的に言うと「Tフロント女子高生」みたいな雑誌もあったな。ただ、91年の樋口可南子、宮沢りえを皮切りにヘアヌードが解禁されはじめた時期だったのにもかかわらず、女子高生ヘアヌードというのはあまり見た記憶がない。
最近でいう「着エロ」というジャンルの走りなんだろうが、女子高生ものにおけるこうした流れにロリコン向け雑誌も合流するケースもあった。増刊として「モデルは全員15歳以下!」と銘打って、際どい水着写真やセミヌード、そしてヌードグラビアも掲載した雑誌が出されたこともあった。やはり盗撮コーナーもあった気がする。この時期にはコギャルよりもさらに低年齢の「マゴギャル」という言葉も生まれていた。ただ、これらの雑誌はさすがに際どすぎたためか、いずれも短命に終わっていたはず。
一方、女子高生中心の投稿系雑誌は「爽やかなお色気」のイメージがあったためか、トラバしてくれた人も指摘するようにコンビニの成人雑誌コーナーにも置かれていた。「日本ではコンビニで堂々と児童ポルノを販売している」なんて欧米に批判されることもあるが、このような事実をかんがみれば、その批判も故なきものではないと思う。
しかし、90年代後半にはブルセラが社会問題となり糾弾されショップが撤退しはじめた。さらに援助交際が問題視され、各都道府県で青少年育成条例が厳格化されるようになってきた。国会でも児童ポルノ問題が語られ始めるようになる。
児童ポルノ法が成立・施行される前の議論の段階で、女子高生をフィーチャーした雑誌はリニューアルを余儀なくされた。しかし、それは雑誌の売りをすべて捨ててしまうことと同義だった。
私増田はその頃大学生で、エロ的欲求のはけ口を雑誌よりもAVに求めるようになっていたのに加え、編集者側の自主規制によって投稿系エロ雑誌の内容がヌルくなっていたので見なくなっていた。したがって、これら雑誌の断末魔を知らない。しかし、児童ポルノ法施行以前にこれら雑誌の命脈は尽きていたように思われる。
だいたい自分が語れるのはこれくらいのことだ。要は児童ポルノ法以前にはガチのロリコン向けポルノでなくとも児ポ法の定義でいう「児童ポルノ」は広く流通していた、ということだ。未成年のセミヌードや未成年素人の盗撮映像などが全国の普通の書店に出回ったりしていたわけで、今から考えるととんでもない時代だったと思う。かといって、ガチのロリコン向けコンテンツを手に入れるハードルはそれなりに高かったわけで、児ポ法以前はロリコンにとって天国だった、とか、日本では児童ポルノが野放しだった、とか言われると、時代の生き証人、語り部としては「それはちょっと違うんじゃね?」と言いたくなる気持ちはある。もっとも、自分がモデルと同世代だったことでそれらを「ガチのロリコン向け」と思わなかったということもあるかもしれない。現在の価値観を持ったままタイムマシンに乗って90年代に戻れば「なんちゅうワイセツなもんが流通しとるんじゃ!」と思うかもしれないな。
以上、かなり不十分な叙述だと思うので批判・訂正・補完を大いに求めます。
最後に付け加えておくと、こうした投稿系雑誌(のコラム・コーナー)がリリー・フランキーの才能を見出したり、根本敬に活動の場を与えてきた功績はもっと讃えられてもいいと思う。リリーさん、当時から面白かったけど、こんな大作家になるとはなあ…
現実の子供を守るために漫画・アニメを規制する意味なんて無いと思う。
なにをしても憂鬱でやる気が起きなかったのだが、一週間ほど経って気晴らしにオナニーをしようと思い、
下半身に血が集まる様子がない。明らかにインポテンツだった。今ならEDの方が一般的だろうか。
男性諸氏ならわかると思うが、勃たないというのは完全に自信を喪失するものだ。
ましてそれが思春期真っ盛りの高校生の頃に起きたら、どうなるか考えてもらいたい。
恥ずかしい話だ。失恋した話な上、下の話だ。
親に相談することもできず、保険証からばれてしまうから医者にいくこともできない。
友達に相談して解決するようなことでもない。
結局自分一人で抱え込むことになった。
失った自信を取り戻すため、また純粋に溜まっているのに出せないという不快感からオナニーの訓練をした。
思いつくものはとにかく挑戦してみた。
洋モノやコスプレといったライトなものから獣姦やら同性愛(女×女、男×男)やらといった高校生から考えたらディープなものまで
さまざまな世界を試してみたが一向に勃つ様子がない。
その中でも特にレイプものには全く反応しない、どころかか途中で気分が悪くなってしまった。
そうして訓練したりしなかったりで一ヶ月くらい過ぎて、
普通の、三次元のエロ本で勃つようになるまでさらに一ヶ月を要した。
この話のキモは、二次元で勃ってからと三次元で勃つまでにあるタイムラグである。
両方とも脳はエロいものであると認識していた。ドキドキしながらオカズを見ていた記憶がある。
だが、下半身を司る脳の一部は三次元では勃たせず、二次元では勃たせるという命令を送っていたのだ。
もちろんこれは一般化できることではないし、この時の心理状況を解析できるほど大脳生理学も進歩していないだろう。
つまりは科学的根拠すら希薄で、さらに言えば失恋という特殊な精神状態だったというおまけ付きだ。
http://anond.hatelabo.jp/20080312084355
けっこうブクマついてるね。
推敲してないから文章ごちゃごちゃですいません。
それから極私的記憶なのでブクマやトラバで訂正や補完もお願いし増田。
前回をまとめると
そういうエロ本はいかにもエロスな感じの色っぽいお姉さんが表紙になったエロ本とは違って、制服姿の少女が表紙だったりして、一見爽やかな印象を与えるものだった。そうした雑誌はいくつかあって、それらにはAV女優やプロのモデルのヌードはもちろんあったが、何よりも読者からの写真投稿コーナーが名物になっていた。雑誌名をいくつかあげれば「投稿写真」、「熱烈投稿」、「スーパー写真塾」、「アクションプレス」などなど。
どんな写真を投稿するかといえば、アイドルや女子高生を始めとしたパンチラ(被写体が素人の場合、盗撮の場合もあれば、ナンパして合意の上で撮影する場合もあった)、アイドルの登下校の姿を盗撮、街で見かけた美少女を勝手に撮影(そういえば目線などは入れてなかったなあ)、女子中高生の体育時の様子を盗撮などなど。ちなみに当時、体操服はブルマが基本だった。体育の盗撮写真の雰囲気を味わいたければ、ttp://blue.kakiko.com/bloom/p1.htmlなど見てくれ。風呂盗撮とかもっと過激なのもあった気がするが、記憶が定かではない。
ともかく、ことほど左様に女子高生がもてはやされていた時代があったのである(今も?)。
なおかつ、上記のような行為は現在の感覚では、被写体が低年齢であることやプライバシーの侵害など許しがたい犯罪だとされるだろうが、当時としてはむしろ「爽やかなお色気」のノリだったのである。それより成人したAV女優の絡みの写真の方が不潔なように見られていた、と個人的には思う。現在の価値観で過去を裁いてはならないというのはこのことだ。ほんの10数年前なんだが。
これらと平行する形で本格的ロリコンのための雑誌(こちらはグラビアよりもむしろ小説や読者体験談が中心だった気がするな)も全国的に流通していたのだが、これら投稿系の雑誌は被写体に女子中高生が多かったわりに必ずしもロリコン向けというわけでもなかったと思う。
しかし、これら投稿系雑誌における制服に対するフェティシズムは90年代半ばまでに台頭してきたブルセラブームと極めて相性がよかったと言えるだろう。
(まだ続く)
児童ポルノ法施行以前に販売されていた、児童ポルノが掲載されていたエロ本はもう古本屋でも手に入らない。
今後、単純所持も禁止となると、後世に日本の性風俗史(少なくともその一部)を復元する際、もう史料は関係者の記憶くらいしかないんだなあ。いくらオーラル・ヒストリーが注目され始めているとはいえ、何か残念な気がする。しかし、児童ポルノの存在そのものが児童虐待であるという理屈には反対できない(二次元作品はまた別の話だが)。
さて私増田、実は1999年10月末ごろに大阪・日本橋(大阪の電気街)に用事で行ったことがある。当時は児童ポルノ法施行前夜で、ビデオショップは一斉に最後の勝負に出ていた。増田も好奇心から立ち寄ってみたが、「児童ポルノってこんなにあったのか!?」という感じだった。
当時も当然、無修正のものは違法だったので局部修正はしてあったのだろうが、ビデ倫などの審査は通してなかっただろうと思う。
内容は(購入していないのでパッケージから想像するに)、日本人や東南アジアの少女が裸で戯れるイメージビデオのような比較的ソフトなものから、ローティーンのSMもの、裏ビデオにモザイクを施して合法(?)ビデオにしたものまで色々あった。当時は大手メーカーでアダルトDVDがちょぼちょぼ出始めたころで、こういった児童ポルノは全部VHSだった。ちなみにDVDプレイヤーは普及モデルで3万くらいした。
児ポ法以前とはいえ、撮影者は児童福祉法違反には問われなかったんだろうか。販売も合法だったはずだが、さすがに普通のレンタルショップにはなかった。「ビデオ安売り王」(当時はどこでも見かけた)のようなセルショップでもたぶん置いてなかったんじゃないかな?しかし、あるところにはあったんだろう。
もっとも、これより少し前にはブルセラビデオが隆盛だった。こちらは99年ごろにはすでに社会問題になっていて、制作・販売していたブルセラショップが古物法違反(これも苦肉の策。その後各地の青少年条例にブルセラ禁止の内容が盛り込まれた)を適用されて、撤退・転戦を余儀なくされていたはず。
ブルセラビデオが出回ったころ、増田は地方の中学・高校生だったので入手できなかったが、内容が紹介されていたエロ本から情報を総合すると、男性とのからみはなく、女子高生が制服、体操服姿から下着姿、ヌードになり、特殊なところではオナニーや放尿する模様を撮影するものだったらしい。
このように、児童ポルノ法以前も、もろマニア向け児童ポルノを購入するのはけっこうハードルが高かったように思われる。ただ、前述したように一般に流通するエロ本のなかに児童ポルノ的コンテンツが普通に掲載されていることはあった。
(この項つづく)
ケータイ小説を色々読んだことあるわけじゃないので、基本的に恋空に限った話にしとく。
あれは文学かって議論が各地で見られるけど、ちょっとそういう話の対象外だと思うんだよね。
まず、全体的にただの状況説明と会話文しかない。要するに表現がないんだよね。表現してない。
んでま、なんか多くの人が感動したっていうんだけど、その感動がわからない人にはわからないから、
話がこんがらがるんだけど、あれは読むと感動するんじゃなくて、感動するために読むもんなんだよね。
いやだから、何が良いたいかってーと、エロ本と同じなんだなと。
「よーしパパ、今日はオナっちゃうぞー」ってとこから始まって、
一球入魂の思いでメディアと向き合うわけじゃないですか。
発射するためのきっかけ作りとして容易されてるAVとか漫画の、
単なる演出でしかない中田氏やレイプを見て、妊娠しないかとか訴えられないかとか、
あるいは、無茶苦茶な状況でセックルする登場人物の心の動きとか考えないでしょ。
オナニーってのはそういうことをうやむやにしたまま、
まあオナヌほどは一つ一つの動作に手間がかからないし、
むしろ電車の中で気軽に摂取できることが利点なわけだけど。
感動するきっかけになるようなポイントがちりばめてあればいいわけだ。
ストーリー全体の流れとかあまり重要ではないから、支離滅裂になっててもいい。
とにかくいたいけな少女が不器用なイケメンに恋して波乱に巻き込まれればいい。
読みにくいものなんかは、かえって考えさせられちゃうから良くない。
感動のケータイ小説ってのは、多くの読者の感動のツボをおさえた
引き金の集合体なんじゃないかしらと思うんだよ。
巷のライフハック本が使い物にならないのはオナニーについて書いていないからだ。ちなみにここで書かれるオナニーとは男性のオナニーであり、女性の自慰についてはよく分からないので割愛する。id:reikon辺りが書いてくれ(第一子誕生おめでとう!)。
さて、その昔ビートたけしがこんなことを言っていた。
オイラ、もっと性欲がなければ、もっとでかいことができたんじゃないかなと思う。
そう、男性にとって性欲の制御、すなわちオナニーをハックするということは、ライフハックの最重要事項なのだ!
高い頻度でこんな体力と時間を使うことをやっていたのでは、そら仕事も出来ないという話だ。
こういうことを書くと「オナニーなんか毎日やらなければいいじゃん!」といわれるかもしれないが、精液の排出というのはウンコをするのと同じ排便行為なので、キャンタマに溜めておくと却って体に害を及ぼすのである。3日もオナニーをしないと、男性というのは寝ても覚めても卑猥なことを考えるエテ公と化してしまうので、これも却って生産性が低下するのだ。
適正なタイミング、適正な頻度で自慰をするというのは、人生の質を大きく左右する。ライフハック関連本著者はきちんとオナニーハックについて向き合うべきである。ちなみに私が実践しているオナニーハックは以下の通りである。各人、レスポンスをつけて更に練り上げていってくれ。
- オナニーは就寝前に行う。あとはグッスリ7時間寝れば、オナニーによる生産性の低下はほとんどない。寝起きや学校/会社でオナニーをしない。
- 一日一回、必ず行う。行わない場合、翌日の朝??昼に欲情してしまうと生産性が低下する。
- オナニーの時間をタイマーで測る。十分以内に射精する。
- オナニーのおかずへアクセスする時間を短縮する。お気に入りの画像、動画へは即座にアクションできれば、おかずを探す時間を短縮できる。
- おかずを探す時間と、射精をする時間をきちんと切り分ける。エロサイトを巡回してはシコシコ、巡回してはシコシコを繰り返し、1時間、2時間という時間の浪費は愚の骨頂。
- 気に入ったエロ漫画、エロ本はスキャンしてPCに取り込んでおく(アクセサビリティの向上)。
- 昼間の時間、欲情を喚起しそうな対象に近づかない。例えば俺のお気に入りは『ダイの大冒険』のマァムなので、カントリーマァムを食わないとか。
まだ色々あるがこんなところか。とりあえず初心者は「オナニーは一日一回、必ず就寝前」ということだけ遵守していればよろしい。セックスハックについては気が向いたら書いてやる。