はてなキーワード: アカポスとは
生物系か…それだと大変かもしれんね。分野違いで全然事情が違うとは思うが…
私は子供の頃から機械いじりや電子工作が大好きで、怪しげな私設研究所で妙な研究に勤しむ「博士」になりたかった。で、博士課程に進んだんだけれど、真っ当な研究者の道というのは子供の頃想い描いていた夢とはちょっと違っていた。私にとっては「新しいものを作ること」そして「それを使ってもらうこと」こそが至上の喜びだったのだが、研究者としてやって行こうとすると「使ってもらって、ユーザの声を聞いて、改良してゆく」ことをやってても業績にならない。もちろんその過程で副産物として論文は書けるけれど、自分にとって論文はユーザの満足の後に来るものでしかなかった。一方で何ヶ所かでパートタイムでプログラミングの仕事をやっていて、現実のプロジェクトに自分のコードが使われるプロセスを何度も体験して、こちらの方が自分のやりたかったことだなと感じた。
なので博士後の就職にアカポスは全く考慮しなかった。パートタイムの仕事の方でプロジェクトリーダとして設計からマネジメントまで経験してたことと、博士持ちということで、企業のR&D部門にすんなり就職が決まった(名前はR&Dだけど基本的に開発優先、論文は書きたいなら隙間時間に書いてもいいよ、ってところ)。大企業ではない。大学は経由せず、それまでの仕事で知り合った人の紹介だった。そこで何年か経験を積んだあと独立して、今は自分の作りたいものを作ってユーザに満足してもらうという、想い描いていた夢に近い生活をしている。
情報系はちょっと特殊で、開発現場の最先端と研究の前線とが比較的近いところにあると思う。研究者として何らかの組織に所属していないとやりたいことが出来ないという分野の方が多いだろう。けれど、博士を出て就職というのが本流から外れることのように思われてるとしたらちょっともにょもにょする。
この前も工学部のやつに「文学部のやつと同じ大学だと思われたくない」なんてありがたい言葉をいただきました。
『文学部唯野教授』などでも「男で文学部に行くやつは人生を半分降りたバカだ」と言われてますが、まさにその通りであります。
文学部の鉄板といえば、文学・哲学・歴史です。理論立った勉強については、思考方法などの点で役に立つのですが、
如何せん、勉強の内容が社会に出てサラリーマンになろうとするには不向きなものばっかりです。
つまり、「労働」という言葉がどれも似合わない。むしろあくせく働くことを否定するような分野ばっかりです。(実際に文学部の学生が金持ちばかりならこれでも良いのですが、実際はワーキングプアみたいなやつばっかりです。)
そんなんで社会に出られるわけがありません。出てもすぐやめちゃいます。
そしてさらに悪いことに、どの専攻も就活において志望アピールにするのが難しいです。
法学・経済なら「会社法をやりました」「財政学をやりました」などという感じで志望動機につなげることも可能な気がするのですが、
文学部の勉強ではそんなことをしても笑われるだけです。(ただ社会学・心理学などはやりやすい傾向があるみたいです。彼らは比較的就職もマシです)
上述したものと関連するのですが、そもそも就職意欲が低いのです。4年生になっても就活してない、なんてやつもザラです。(もっとも、公務員や教員志望が多いこともあるのですが)
そして法学・経済の人たちと違ってOB訪問や説明会などの情報が学部内で飛び交うことも少なく、就職希望者は情報収集に大変な思いをします。
アカポスを目指したい!という方もいるかもしれませんが、今のご時世人文系アカポスはお先真っ暗ですので、ちょっとでも研究が不向きだと感じた方、あるいは実家が超絶金持ちじゃない方はやめておくことをおすすめします。博士号を取得した後はめでたくホームレスになれます。
フェミの方には申し訳ありませんが、文学部は女性が多いので、就職も悪いと考えられます。
私の周りにも、フリーターになる人、男のカネで食っていこうと考えている人が何人かいます。
しかしながら、文学部では女性の方がまともな人が多く(一方男性は非コミュな人が多いです。)、一流企業の内定を取るのも女性が多いです。本当に不思議ですね。
これだけマイナス要素があっても、「自分のやりたいことをするべき!」という悪しき教育のせいで、文学部を志望してしまう人が後を絶ちません。かくいう僕もそうでした。そんな人々が無事社会に出て生き残る為にできることを考えたいと思います。
公務員は筆記が難しいこともあって、比較的出身学部を差別しません。筆記試験に自信があるなら、勉強してみるのも良いと思います。ただ試験科目が法律・経済ばっかりでゼロからの勉強になるので、ここでも文学部に来たことを後悔すると思います。(一部の市役所や国立大学は、教養試験だけで入れます)
周りの文学部のやつを見ていて、ガタイのいい体育会系の人たちは比較的就職活動で成功しているみたいです。一方チビガリの非コミュな人は、就活に苦労しているみたいです。(こういう人こそ公務員・教員を目指すべきです。)労働市場においては見た目で明らかに差別されます。スポーツマンな人はそれだけでお得です。
某ナビに登録して説明会にいくだけが就職活動ではありません。大学時代に積極的に動いて人脈を作り、そこで仕事を得るのも一つの方法です。文学部の人が志望しがちな出版業界などは、大学生アルバイトの中で見込みのあるやつを社員として雇ったりするところも少なくないと思います。(あまり詳しくないですが。)まあそんな行動力のあるやつは文学部に来ませんよね・・・
世間体などをすべて捨てて、フリーターとして生きていくのも一つの選択肢です。現にそうなって好きなことをし続けている人がいて、それなりに楽しそうです。ただ40を越えた後に生きていける保証はなく、女性に食わせてもらえるイケメンか、物乞いに身を落とす覚悟のある人以外にはおすすめできません。
就活中は文学部に来たことを本当に呪いましたが、文学部には良くも悪くも変なやつが多く、そういうやつらに出会えて良かったと今では思います。
> けれど、大学院ってところは、この二つの選択のうち一つの選択についてしか、
> つまり博士号をとってアカポスに就くということについてしかトレーニングの機会を提供しない。
分野によるんじゃないの? 情報系ならかなりツブシが効くでしょう。
私は情報系博士→企業開発職で、経験者枠での採用。就職にあたって大学は経由してない。
実は「単位取得退学」になるかどうか紙一重だったんだけど、博士取ってなくても就職にあたってはあまり関係無かったと思う。
論文より開発力を買われた感じ。
学生が自覚的に戦略を立てることは大前提として、大学院側からも企業人を招いてのセミナーなどサポートはできそうだな。
(というか、自覚的な学生が主体になってやろうと思えばやれることだと思うが)
博士の壁ね。
確かにその通り。
博士号をとるには乗り越えるべき壁があるし、そこを自分としては乗り越えられなかった。
つまり博士論文を仕上げられなかったわけだが、その点では能力が及ばなかったのだろうな。
だが、博士課程に進学した当初は当然博士論文を仕上げるつもりでいた。
そこんとこを「逃げ」の一言で片付けてほしくはないな。
査読論文一本を仕上げるのだって大変なことなのだから、博士論文を仕上げるなんてことはとんでもない能力と努力を必要とする。
博士号っていうのは、そういう研究者の唯一の誇りみたいなもんだし、博士はやっぱり尊敬に値するよ。
しかし、現状、博士号を取ったからといって就職口が待っているわけじゃない、というのも事実なわけで、博士号をとりながら万年非常勤講師な人も、文系分野ではざらにいる。なので、世間的にはあまり意味のない博士号をとるために大学院に残って、あくまで博士論文を仕上げることに熱意を注ぐか、それかある程度のところで見切りをつけて就職するか、という選択も、大学院に残っていると現実的な問題として立ち上がってくる。
けれど、大学院ってところは、この二つの選択のうち一つの選択についてしか、つまり博士号をとってアカポスに就くということについてしかトレーニングの機会を提供しない。でも、少子化による大学数の減少は続いていて、それにともなって学部学科の減少とアカポスそのものの減少が続いている。そうなると、大学院が抱えてる院生がすべてアカポスに就けることなんてことはなくなる。いわゆる「ポスドク」問題ってやつだ(それでも、6年くらい前なら、我慢して40代まで研究を続ければ、いずれどこかに就職できる、なんてことが言われてた)。
大学のアカポスが減っているのに、研究者志望の学生数というのは一定数いるわけなので、ここにはどうしたってミスマッチが生じてくることになる。ところが、一部の大学の研究職の人間が考えているのは、どうやったらアカポスへの就職に有利なように制度を変えるか、とか、自分たちの学問分野の有用性を社会に分からせるか、という点になってしまって、研究室の孤島に住んでたせいで世間から切り離されたしまった院生の意識をまともな方向に持ってく、だとか、「一般的な」就職に有利なスキルや意識を持たせるとか、そんな方向にはほとんど関心を寄せていないわけだ。
「ポスドク」問題が現に生じている中、大学院の教員としてはアカポスにありつけないのは本人の責任で、アカポスに就けないで別の道に行くのも本人の問題なんだから、と言いたいのだろうけど、それはいかんだろう、と思うわけだ。アカポスに就けないのは、能力の問題同様に構造的な問題でもあるのに、そこに目を瞑って「アカポスに就けないみたいだね、ハイサヨウナラ」はないだろうよ。そんなこと言われたら、一般常識を知らない院生は絶望するしかなくなってしまい、鬱病になったり自殺したりするんだよ。だから、大学院にいるうちに、研究室に引き籠もってる院生に対してまともな自己評価と自己意識を持たせてあげる必要があるよ、というわけ。
確実に個人バレするので詳しくは書かないけど、
旦那はその分野ではかなり名が通っていて、隣接分野でも知ってる人はかなり多い。
ちなみに私は隣接分野の大学院生。あんまりぱっとしない。
平日の昼間は講義やゼミ、読書会、学生指導、講義、会議、事務、自分の研究をやって、
帰宅してからは自分の研究や大学でやり残した仕事、ゼミや読書会の予習を片付ける。
寝るのは明け方になることも。
自分の研究以外に、翻訳や依頼原稿、インタビューなんかもある。
常にいくつか締め切り間近、すでに少し締め切りを過ぎた状態の仕事を抱えている。
出張もかなり多い。学会シーズンはまず土日がないし(わたしもそうなのでまず休みが重ならない)、
他大学での集中講義や海外の学会参加になったら1週間は家を空ける。ひと月に半分家にいないこともある。
で、いろいろ文句を言いたくなることもある。
だけど、好きで始めた仕事だしアカポスに就くことの大変さも私自身が身にしみてわかっているので、
思う存分仕事させてあげたい。
旦那が自分の夢だとか、旦那を支えるのが自分の仕事だとはまったく思わないし、
そんなことするつもりは一切ない。
ただ、この人は「私の旦那」という以上の責務があるのだとは強く感じる。
だから、私は旦那を一生「ひとりじめ」できない。
そこはもう諦めて自分の研究に打ち込むことにした。
これはどうでもいい愚痴なんだけど、
私だって努力しているのに自分の研究分野でも「この人の旦那さんは…」って話になるのもうんざりだし、
旦那の才能に嫉妬して、たぶん16年後に私はこんなふうになれないだろうなって勝手に絶望したりするのもつらいよ。
旦那はこんなにぱっとしない私でもリスペクトしてくれている。
だから、あんまりお互い干渉しない。
言いたいことを我慢しているようなところもあるのではないかと思う。
リスペクトできないのも困るけど、
お互いリスペクトし合いすぎても、たぶん上手くいかないんだと思う。
研究者同士のカップルが上手く行かないとよく言われるのは、
研究を生活に持ち込んでどうこう…というのも原因かもしれないけど、
リベラルすぎてお互いを誤った方向へ「尊重」しているからじゃないかなあ、と思う今日この頃。
格好つけて言いたいことも言えなくて、爆発した時にはもう手遅れ、みたいな。
うちは上手くいくのかな。
ちょっとすっきりしたし、勉強がんばろ。
元増田です。
残念ながら、文系です。
分野を言ってしまうと心理学です。
一応、やってることは実験とかなので理系に近いは近いでしょうが。。。
D以降の研究職はアカポス以外はほぼないと言って間違いありません。
たまに、研究所はたまーーーに脳系であったりするくらいです。
なので、周りは非常に優秀な方が多いです。
(Dは全員、学振もち)
こういう人が研究者になるんだろう。という人ばかりなので
その人たちと自分を比較すると、全然自分はダメだと思います。
マジレスすると、迷うんだったらやめた方がいい。どうしても結論が出ないのなら、とりあえず早めに就活をしてみて、それでも民間よりも大学に魅力があるかどうかを考えてから決めた方がいいと思う。最近は就活市場が早すぎるから酷なことだとは承知しているんだが。
これは俺自身が悔やんでいることでもあるんだが、M1の10月とか11月ぐらいの段階で、「民間に就職することのメリットとデメリット」を、具体的な例を通して自分なりに見極められてないんだったら、博士に進んでもその後がないと思うよ。
正直、博士出て就職(アカポスでもそれ以外でも)しようと思ったら、ある程度目先が利かなきゃだめ。よっぽどマイナーな分野でアカポスが実質的に保証されてるとかなら別だけども。
つまり、ある程度計画的に研究を進めて、それをアピールすべき相手にアピールして、そこから将来の飯の種に繋げていくという戦略的なしたたかさがないと厳しい。
そういう意味で、普通に就職するよりも、博士にいった方がしたたかさが求められる。だって、修士での就職市場は売り手市場だけど、博士だったら買い手市場だからね。民間でもアカポスでも。
だから、博士に行っても好きなことができるというわけではない。「やりたいこと」とその損得を見極めて戦略と妥協を積み重ねる努力は、生半可なサラリーマンよりもよっぽど厳しいよ。
そこに飛び込む覚悟ってある?
学問って金にならない事が殆どだよ。特にファンダメンタルな研究分野だと特に金にならない。
工学ならまだしも、理学や文系分野は全滅に近い。人文系なんかはビジネスから本当に程遠い。
社会が受け皿を作るって、金にならないようなことに投資してくれる所なんてありゃしない。
卑屈な話になって申し訳ないが、受け皿の実現可能性は限りなくゼロに近いと思う。
結局、研究者が住み良いところは大学以外には無いんだよ。大学なら金にならないような好きな研究を好きなだけしても文句は言われないから。
そんな大学も今は独立法人化し、国は研究者を増やす目的でポスドク1万人計画などを挙げて勝手に盛り上がっているが、
独立法人化した結果、大学にビジネス色が強くなって色々と純粋に研究に没頭しづらい環境になってきている。
ポスドク1万人計画なんてのも、入り口だけ用意して出口は崖っぷちで、さあ飛び降り自殺しなさいと言っているようなものだよ。
学者としての素質を持っている人間に対して、大学院を卒業した時点で2つの選択肢がある。
1つは、院卒でそのまま一般企業に就職する方法。もう1つは、研究職を夢見て博士課程に行く方法。
後者の場合、一生その畑で暮らしていかないといけないので、特に覚悟が要る。
博士課程の期間は、周囲が就職して社会人を謳歌している中、独り研究に没頭して博士号が取れる3年間を学生の身分で耐えなくてはならない。
博士号が取れても任期付き研究職しか無く、アカポスの奪い合いに負ければ高学歴ニートを生み出している。
この現状があるからこそ、優秀な若者は前者の選択肢を取るんだと思う。
これだけのリスクを背負って覚悟して学者の道を目指している人たちは、、
「自分のやりたい研究がずっと出来れば、多少の給与でも十分満足です」
となってしまうんです。
博士課程で行き詰まり、博士号を得られるか否かも明らかではない。いわんやアカポスをや。
進退窮まったかに見えたその時に、生活のためにと始めたバイト先で、正社員にならないかとの誘いをいただく。
しかし、渡りに船とは行かないのは、心の片隅に「だったら大卒で就職すればよかったのに。それならこの年で貯金がないなんてことはなかった」、「今まで院でやってきたことを生かせないなら、全てが無駄になるのか」との思いが去来するから。
これまで積み重ねてきた経験がなければ、今回の誘いという巡り合せもなかった。それを考えれば無駄なことなんてなかった、と自分に言い聞かせることもできる。
これまた典型的なのが釣れちゃったなー。
まずいまどき真っ当な分野なら、それこそ数理みたいな世間イメージでは女性の少なさそうな分野であっても、第一線‐大御所の女性研究者はそこそこいるものだし、それは国際誌の評価システムによっても担保されている(念のためだが、ここで国際誌を持ち出した理由は、国内の学会の身内評価合戦だと客観性が担保されない可能性を想定したため)。
という世界観を持ってるのはあまりにも実態を知らなさ過ぎて、あまりにも単純化された(ある特定の志向の男性の)耳に心地よい理想のストーリー風なので、逆にモグリじゃないかという疑いを持った。どんなに男のプライドに凝り固まった老教授であっても、この点を否定する人は今日日いないと思うけど。
タイミング次第で採用される。教授の門下生のうち上位にそのとき動かすに適当な人がいなければ、たとえ在学中であっても採用されるもの。そんな人事は珍しくない。こんなん、それこそアカポスのはるか昔からの常識では。モグリじゃないのかという印象がますます強くなった。
この業界にはとんでもなく非常識な事態があっても不思議はないので、この世のどこかにそういう関係がある可能性までは否定しないけど、それが「多い」という主張になると、そりゃ増田の認識の方を疑わざるを得ない。つまりこの増田は「女が俺より優秀なわけはない。俺より早くポストを得た女は教授と寝たに違いない。」という妄想を持つタイプだと見た。これは滅多にいない大物。きっと周囲の人間に「あちゃー」と思われてるよ。
アファーマティブアクションに関しては、たしかに不当であることは認めるし、自分自身無くす方向で努力している。今の状況下においては既に役割を終えた制度であって、当初の目的を超えて、所属機関のイメージ戦略としての使われ方をしているように思う。
やっぱりモグリじゃないの?集団として性差があることまでは否定しないが、性差より個体差が大きいことを経験から学んでいないとしたら、根本的な認識がおかしいと思うのだが。まともな知性を持った人間の意見とは思えない。まあ増田だから極端な意見をあえて言ってみた釣りなんでしょう。礼儀としてそのまま乗ってみましたよ。
アカポスには女性枠がどこも作られていて、国立大学は女学生優遇制度を設置しようとしてる。
国立大学でそんなことが実施されても大丈夫なの?
教えてえろいひと!
いつも思うんだけど、男の学問の世界で女が頑張っても成果挙げられる例なんて稀有だよ。
女っていう立場を卑怯に利用してのし上がってきた人ばかり。
彼女たちは
理系女子は一般女子を見下していて、大したことないのにちやほやされてて、都合のいいときだけ女を武器にして、エトセトラエトセトラ。
まったくこの通りの人種で、なおかつ無能。
査読どころか学会発表の経験もない大学教員が、何を指導できるんだ?
こうした人の多くは有力な教授のコネクションを持ってる。つまり愛人関係だ。
母校の旧帝大では、多くの女性ドクターが教授とこうした関係を持っていた。
アカポスには女性枠がどこも作られていて、国立大学は女学生優遇制度を設置しようとしてる。
ウソじゃない。俺が務めてる国立大学で実際に進められてる話だ。
研究員の採用枠が10名あったとして、そのうち1-2名が女性枠だ。
残りの枠9名に対して1000人の有能な男ドクターが応募する。
そして、落ちた9名の無能な女ドクターからは自分が落ちたことが女性蔑視に由来するという内容証明を送りつけられる。
10名の枠をすべて女性で埋めろって言うのか?
マタ開いて学位取ったくせに、なお権利を主張するのか?
脳の構造が男と女で違うんだから、理系なら張り合っても無理なことくらいわかるよね?
でも、好きだから趣味で続けたい?
女の理系は居るだけ迷惑なんだよ。
君たちのわがままで、君たちの好きなこの国の理工系分野はドンドン衰退していくんだ。
それでも理系にこだわるの?
さいきん先輩のすがたが見えないんで、心配してるんだ。
そこには、こんこんと清浄な水が湧き、
ある者は、スッポンポンでのんびりと暮らし、
アカポスをひとつ持ってくるのを、今か今かと待っているという、、
早いうちに博士をあきらめたほうがいいのだろうか?
流石に厳しく、ひょっとしたら博士とれずに蹴られるような不安すらある。
日本の学部のときは勉強しているやつなんてのはろくにいなかったのかトップランクの成績で卒業し、
何を勘違いしたのか研究者になる!とアメリカの大学院(けっこう上位)に来てしまった。
来たらきたで周りのやつらの頭のよさ、勉強量が半端なく、
学部の時の勉強量なんてカスと思うほどに勉強しているのに、上位半分にすら入れていないと思う。
上位半分にすら入れていないということはアカポスを得る時に学校に推してもらえないということで、
なんとか博士をとれたとしても、結局研究者にはならずに企業で働くことになりそうな気がしている。
日本に帰ることも視野に入れるともう帰ってしまったほうが良いのだろうか?
それどころか、このままもう何年か頑張って博士がとれなかった日には本当にどうなるだろうか?