■「自分事として考えろ」という人は生まれつきの疾患を持った人間が死んでもいいと思っている差別主義者
自分は2000人に1人の生まれつきの疾患がある。生まれつきの奇形みたいなものなので他人に感染はしない。まぁ、普通に健常者と同様に生活はできるけど、普通に生活できるからこそ障碍者資格は取れない。そのくせ、生命保険会社はそういうところ見るから、生命保険には入れないし住宅ローンは借りられない。新型コロナウイルスで重症化するリスクも健常者より高いし、早死にするリスクも健常者より高い。幸い、特に副作用はないが薬を毎日飲まなければならず、それを一生続けなければならない。(厳密にいえば薬を飲まなくても即座に死にはしないが、早死にするリスクが高まる)普通の人より医療費がかかる。一生これを続けなければならない。
さて、世の中、会社も新聞も、問題があれば何かにつけて「自分事として考えろ」であふれている。良い企画やアイデアが生まれないのは「自分事として考えていないからだ」という論調にあふれている。会社で利益出す方法、ITの有効活用、電力不足の問題に、少子化問題に至るまで、「自分事として考えろ」に溢れていて、一人一人が「自分事として考える」ことが実現されれば問題解決されるかのような言説であふれている。
それっておかしくね?俺の生まれつきの疾患は、この疾患を持って生まれなかった人間-これを読んでいる大多数、2000人中1999人-は、「自分事」として考えなくていいことが医学的に証明されているわけだ。どんなに俺に同情的な人間も、2000人中1999人の側に生まれていれば、俺と同じ側には立てない。俺と同じ薬を飲む必要はない。俺の2000人に1人の問題は、お前ら2000人中1999人は「自分事」として考えなくていいことが保証されている。なのに、なぜ、お前ら2000人中1999人の誰かが起こしている問題を「自分事」として俺が考えなければならんのだ?俺の2000人に1人の問題は自分事として考えなくていい癖に、不公平じゃないのか?俺の問題については「自分事として考えなくてよい」免罪符を持って生まれているのに、なんで自分の問題だけ俺に「自分事として考える」ことを要求するんだ?卑怯だと思わないのか?
まぁ、疑問形で書いているが、答えは簡単だ。要するに「自分事として考えろ!」などとまわりにすすめる人間が考えている「人間」の中に、俺みたいな例外ケースは入っていないんだよ。俺が死んでも生きても、所詮、2000人に1人の例外ケースが死ぬだけだ。「自分事として考えろ」という人間は、俺みたいな稀な疾患で生まれた人間を最初から人間だとみなしていない、社会の構成員だとみなしていないのだよ。そういう人間はいてもいなくても同じで、生きてる価値がないと信じているのさ。社会の中にゴミが混じっている、その程度に思われているのだろう。
全員が「自分事として考える」が実現されたとき、その「全員」の中に、多分、俺と同じ疾患で生まれた人間、俺みたいな例外的な人間はいないのだろうと思っている。「自分事として考える」ことを他人に要求する人間は、要するに、生まれつきの疾患を持った人間がそのまま消えていなくなって欲しいという、大量虐殺もいとわない悪魔的な思想の持ち主-少なくとも、自分はそう思うようにしている。