私はマクロ経済問題、貿易、国際金融、産業政策、独禁政策、公共部門のスト権の問題等々、応用経済学の様々な分野に関心を持ってきた。器用貧乏と揶揄された事もある。
金融政策も私が長年にわたって関心を持ち続けた問題のひとつである。私は日銀のエコノミストたちと真っ向から対立して論争した事が何回かあった。
1回目は1960年代前半の吉野俊彦氏との論争である。当時の私はマクロ経済と国際金融関係は万事ケインズ的に考えていた。他方、吉野氏は金本位制主義だった。J・M・ケインズにとって、金本位制は「大嫌いなもの(bête norie)」だったが、吉野氏にとりケインズとケインズ経済学は”bête norie”だった。生意気な若造であった私を相手に議論に応じてくれた吉野氏に、私は深く感謝している。しかし、基本的な経済哲学が違っていた。
2回目は「73-74年の大インフレーションは日銀が起こした」と言う趣旨の76年の論文で金融政策を厳しく批判した。当時の日銀幹部が田中角栄首相の「日本列島改造論」に遠慮して金融引き締めが遅れ、マネーサプライが膨張して石油危機以前に大インフレが始まったと私は論じた。
3回目は77年以降の私に対する外山茂理事(当時)の厳しい批判と、私の反論である。「日銀派」を代表する外山氏は欧米の標準的な金融理論以前の古い考え方で、手品のように恒等式から様々な結論を導くが、私にはその論理がわからなかった。
80年代後半から90年代初めにかけての「バブル」現象についても、日米経済摩擦の下で日本の黒字をさらに増やす恐れのある金融引き締めを日銀がためらった事が一因であると私は考えた。
しかし政治・行政からの独立性を大幅に強化した新日銀法が98年に施行された後の日銀の金融政策は、「100点満点に近い」と私は述べた。
これに対し、今度はかなりの人数の経済学者が反発した。要するに「もっと早くゼロ金利にしろ」とか「為替介入の効果を『不胎化政策』で減殺するな」という主張だ。私が大学院で指導し共著もある岩田規久男さんや、かつての東大の同僚の浜田宏一さんが一番厳しかった。ゼミOBの山本幸三衆議院議員も日銀叩きで名を馳せてきた。
私はあまりにも「日銀バッシング」がひどいと感じ、白川方明さん(当時日銀企画室審議役)と相談して八代尚弘さん(同日本経済研究センター理事長)にお願いして、討論の場を設定してもらった。論争は「金融政策論議の争点」という本になった。同書には小宮ゼミ仲間が日銀批判と反論の両方に何人も登場した。
日銀の政策委員会や支店長会議の写真で、小宮OBの白川総裁と大学院で教え「現代国際金融論」の共著者でもある須田美矢子委員の二人のお姿並んでいるのを見ると、私は不思議な気持ちになる。
私はいつも始まりは「少数派」であり、今もその気持ちは変わらない。しかし、しばらく前にマル経の若い人に「小宮さんこそ多数派でしょう」と言われて驚いた。「多数派」と言われるという事は、もうあまり斬新な意見を述べる舞台には登場しないと言う事で、現役ではなくなったわけであろう。(日本学士院会員)
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/a66f95a179f2ecd32030aa8e51a401ac
金利というのはお金の値段だから、金利がゼロということは、通貨供給が需要を絶対的に超過していることを示す。(中略)日銀が「通貨を拡張」しても、もはや供給が制約条件ではないので、民間に流通する資金量は変わらず、供給された通貨は「ブタ積み」になるだけだ。
制約条件は民間の資金需要(投資需要)なので、それを増やすには投資機会を増やす必要がある。これは日銀の仕事ではなく、中川氏のような政治家の仕事だ。つまり金利が下がりきった現状ではもう日銀の出番はなく、「思い切った改革加速」によって将来の見通しを明るくするしかないのである。
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2009/01/post-d30b.html
前節で述べたように、量子力学が非決定論であるということの意味は、個々の選択機会における結果が予見できないという意味である。このような選択機会のアンサンブルを考えると、その結果の分布は、完全に決定論的な法則によって記述される。
このことから、たとえ、量子力学が、自由意志の起源にはなり得たとしても、その自由意志は、本当の意味では「自由」ではない。何故ならば、量子力学は、個々の選択機会の結果は確かに予想できないが、アンサンブルのレベルでは、完全に決定論的な法則だからだ。
このことについて、第6章で紹介した「中国語の部屋」(Chinese Room)の議論を提出したサール(Searle)はその著書「心、脳、科学」の中で、明確に述べている。
たとえ物理的粒子の振舞いの中に何らかの不確定性の要素があり、その予測は統計的なもののみによって可能であったとしても、粒子の振舞いの予測が統計的にのみ可能であるという事実からは、人間の心がその統計的にのみ決定された粒子に命じてその本来の経路から外れさせることが可能であるという事実が帰結するわけではありません。それゆえに、この統計的不確定性という事実のみから人間の意志の自由の可能性は生じ得ません。要するに、不確定性という事実は、人間的自由が持つ何らかの心的エネルギーが分子を動かし、それがなければ別の方向に行っていたはずであったその分子の運動の方向を変えるというようなことが可能である証拠にはならないのです。
よりあからさまに言えば、量子力学に基づく自由意志は、次の「アンサンブル限定」(ensemble restriction)の下にあることにある。
アンサンブル限定(ensemble restriction)
個々の選択機会において、その結果をあらかじめ予想することはできない。しかし、このような選択機会のアンサンブルを考えると、その全体としての振る舞いは、決定論的な法則で記述される。
アンサンブル限定の付いた自由意志においては、個々の選択機会については、あらかじめその結果を完全には予測できないという意味でそこには「自由意志」が存在するように見える。だが、同じ様な選択機会の集合(アンサンブル)を考えると、そこには決定論的な法則が存在し、選択結果は完全に予測できるのである。
あなたが、ある瞬間に意志決定を行うとしよう。その選択肢は、AかBかという簡単なものでも、あるいはもっと複雑なものでも良い。あなたの意志決定が量子力学的なプロセスに基づくものであるとすると、その瞬間の意志決定の結果が、どのようなものになるかは、あらかじめ予想することはできない。現在のあなたの脳の状態をいくら精密に測定したとしても、予想することは不可能なのだ。これが、量子力学の非決定性である。
さて、そのような意志決定を行うあなたの「コピー」を沢山用意したとする。これが、すなわちあなたのコピーからなるアンサンブルだ。このアンサンブルの中の、ある特定の「あなた」の選択は、上に述べたような理由で予想することはできない。しかし、全く同じような「あなた」のコピーからなるアンサンブル全体としての振る舞いは、完全に決定論的な法則で予測することができるのだ。
必ずしも正確とは言えない比喩だが、一人一人が何歳で結婚するかという問題を考えて見よう。私たち一人一人は、何歳で結婚するかを、自由意志に基づいて決定していると思っている。確かに、ある人が何歳で結婚するかは、完全に予想することは不可能である。だが、社会の中のこのような人々のアンサンブルをとってくると、人々が確率的に何歳で結婚するかということについては、厳密な社会科学的な法則が成立するように思われる。アンサンブル限定のついた自由意志は、たとえて言えばこのようなものだ。つまり、個々の選択機会においては、自由があるように見えるのに、そのような選択機会の集合をとってくると、その振る舞いは決定論的で、自由はないのである。
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/87c9f18f491b31cc06e697cba4d87073
デフレの状態で中央銀行がインフレ目標を掲げて「インフレにするぞ」と宣言し、通貨を過剰に供給すればデフレを脱却できるというクルーグマンの提案は、日本の経験では効果がなかった。クルーグマンも明示的に撤回し、バーナンキも実施しない。かつて人為的インフレを「世界標準だ」と称して日銀を罵倒した岩田規久男氏の一派は、過去の言説に責任をとれ。
付録:「あと0.1下げろ」などという批判は、金融実務を理解していない。政策金利は、かつての公定歩合と違って誘導目標なので、実際の金利は0.1%以下になっています。これはFRBが「0??0.25%」としたのと同じことで、要するに「存在する金利の最低限」です。金利が存在するのとしないのでは大きな違いがあり、ゼロ金利の期間にインターバンク市場が消滅したことが、日本の金融システムの機能をそこなった、と山口副総裁は総括しています。
付録:「金利は下がったが通貨供給は増やせる」などという批判も、金融理論を知らない。金利は通貨の価格だから、それがゼロに近づいたということは通貨供給が絶対的に需要を上回ったということであり、それ以上増やしても銀行の日銀口座に「ブタ積み」になるだけ。こういう政策は、金融政策の効果に疑問をもたせて弊害が大きかったというのが、白川総裁の反省です。
白川 方明 (著) ¥ 6,300
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/6ee8453127a32a36c7722e79bcc294f1
「リフレ派の立場は、世界の学界レベルではすでに十分すぎるほどの合意を得られたものなのであって、完全に決着済みなのである」(野口旭)などと称して日銀総裁を罵倒するのは、目に余りました。経済学に「決着済み」の真理なんてない。そんなものがあると思っているのは、昔の学説を受け売りする学説史屋だけです。
補足:念のためいうと、インフレ(抑制)目標は正統的な金融政策です。しかし、これについても資産価格など他の政策目標も見るべきだという批判があり、「完全に決着済み」どころか、日銀もFRBもECBも採用していない。採用しているのは、変動相場制の中でペッグを守りたい小国が多い。
しかしクルーグマンのいうように人為的にインフレを起すのは非正統的な政策で、これは彼自身が認めたように、理論的にも経験的にも破綻した。こんなナンセンスな話をかつぎまわった自称エコノミスト、翻訳家、『経済セミナー』を初めとするB級経済誌は反省してほしいものです。
外人が日本人を特別視してるってのは、自分の国の歴史少しでも知ってたら誰でも分かるだろ。
まず、資源が全くないってことはすごいこと。もう両手両足もがれたぐらいのハンデ。
しかもすごいのは、米国の3分の1の人口、わずか25分の1の領土で、
その上ただでさえ極小の国土の7割が山、山、山。なーんにもない、山・・・。
だから農業で輸出して食べていくことすらできない。条件からして最貧国でもおかしくない国。
そんな国が、100年ほど前で当時世界最強クラスだった露助とか清をあっさり倒して、
非白人国家で普通に白人常任倶楽部仲間入りしちゃってて、おまけに米国敵に回して
ガチで戦争して、世界で唯一米国本土爆撃して、英国の無敵艦隊フルボッコにして、
オランダ倒して、世界で唯一原爆落とさせるほどてこずらせて。しかも二発だよ。二発。考えられない。
敗戦とか言ってるけど日本のせいでアジアから白人の植民地全部消されたし。
しかも信じられないのは、戦争に負けてただでさえ何にもない国がさらにインフラまで全部叩き潰されて、
多額の賠償金まで背負わせて100%再起不能にしといた極貧衰弱国家で、
今度こそ生意気なイエローモンキーが消えて数百年はウザイ顔見ないで済むと思ってたら、
直ちに再び白人社会に経済で参戦して来くさって、参戦どころかごぼう抜きでたった2,30年であっという間に米国さえ抜いて世界第一位。
東京の土地だけで米国全土が買えるほどの呆れた価値になっちゃう程の超絶経済力で世界中( ゜Д゜)ポカーン・・・状態。
その後もずーっと二位維持。頭一本でそれ。
金融とかでまだ全然進出してないし車や家電、工業製品ももまだまだ進出しきってなくてそれ。
もうキチガイの域。伸びしろありすぎワロタ。戦後60年一発も打たずに侵略せずにこれ。
何気に世界最長寿国とかなってる。んで今度は漫画・アニメ・ゲーム。気がつけばハリウッドの規模とっくに超えてる。
アメリカの検索で一位になってるのが日本のアニメとか。世界中で一番人気の映像作品が日本のアニメとか。
極めつけは世界一長い国号、2000年のどの白人より長い王室ならぬ、その上の皇室保有。エンペラーに代表される歴史。
普通の神経してたらこんな国怖くて関わりたくない。
「テイラー展開」があれば、例えばの話、「f(x)=-1/5+(1+x2)log[5-x]Tan[x]/(5-x2)」
こんなムズカシイ関数でも、只の「f(x)=ピーx^5+ピーx^4+ピーx^3+ピーx^2+ピー」という
xのゴリ押し乗に変換でき、電卓で容易に「数値計算」できてしまうのです。
そうです、あなたが高校数学3年間で習った「logの足し算かけ算割り算の公式」
「指数関数の足し算かけ算割り算の公式」「sinやcosの入った微分積分」
「ルートの入った計算」などなど、世の中に存在する95%の関数が「Xのゴリ乗」という
単純式に還元できるのが超数学「テイラー展開」の威力なのです。
そうなんです、あなたの習った受験数学という名の荘厳な体系を暗記する日々は、
A「異常気象が人間の活動によって引き起こされたという確証はないよ。だけど、自制して損したという後悔より、もう少し自制しときゃこんなことにならなかったのにという後悔のほうがきつい。だから、やっぱり良識として自制しとくべきなんだ。」
B「ロンボルグの本が説明したのは、いまから二酸化炭素をカットしたって、地球が冷えたりしない、温暖化はどんどん続くということですね」
A「そこに異議はない。ただ、私は、二酸化炭素カットしたが温暖化継続、でもやるだけやったし、まいっかという考えではない。いま規制してみても、後で効果がないとわかるかもしれないので、今経済的にマイナスの効果を被ってまで規制する必要はないという立場より、後で無駄な規制のために損をしたとわかるかもしれないけれど、地球全体にかかわる重大な問題であるだけに、取り返しがつかないことになって後悔しないよう、とりあえず規制しておこうというという立場だ。」
A「地球上には解決すべき問題が山ほどあり、温暖化が最優先だという根拠はないですね。毎年1000万人以上が感染症や水汚染で死亡しています。」
追い詰められたときにパッと画期的な方法が閃いた事が何回かある
今までの自分の数少ない経験の中から良くこんな凄い方法が生まれるなと驚くくらい画期的な方法だ
数少ない経験が奇蹟的にうまく組み合わさって、とんでもない力を生む、そんな感じだ
ただ追い詰められるのはもう勘弁と思う
追い詰められれば閃くのなら喜んで自分を追い詰めるがそんな保証はどこにもないので嫌なのだ
しかし追い詰められて、もう駄目だ、と諦めかけた時に閃くのはとても興奮する
あの感覚をまた体験したい
でも追い詰められるのはもう勘弁、とだらだらと過ごすいつもの駄目な俺がいる
ドルを印刷するだけでインフレになるのなら、アメリカのデフレはとっくに終わっているだろう。シニョレッジについては、たとえば高橋洋一氏はこう書く
貨幣部門の超過供給は、広義の政府部門(政府と日銀)の通貨発行益(シニョレッジ)を生み、それが非貨幣部門の超過需要となっています。
これが普通の理解だ。シニョレッジは別に基軸通貨に固有のものではなく、すべての通貨に発生する。したがって、この誤解をもとに展開される「ドル覇権の終焉」についてのありがちな話も、すべてナンセンスである。ドルの価値と「覇権」には何の関係もない。むしろドルが下がれば、アメリカ企業の国際競争力が強まって成長率は上がるのだ。
「エントロピーは放っておくと増大する。」と言うが、これの具体的な例は次のようなものがある。
水の中にインクを1滴落とす。
すると、広がって均一になる。
1滴のインクが均一になる現象は自然と起こるが、しかし、
広がっているインクが自然と1点に集まる現象は自然には起こらない。
また、次のような例もある。
これは、ボールの運動のエネルギーが摩擦によって熱に変化したからである。
しかし、止まっているボールが自然と周りから熱を吸収して動き出すことはない。
似ている事柄としては、次のようなことがある。
あなたは部屋を持っているとしよう。
この本は再三、進化とはありあわせで行き当たりばったりだ、
ということが書いてあって面白い。
また小飼弾の本でもそういう話題が出てくる。
弾:じゃあ,ハードでもソフトでもないものは? ウェットウェア,つまり生物です。
DHH:それこそ,インクリメンタルな開発の最高の成功例。進化の世界にロードマップってないよね。
弾:確かに,進化ってありあわせのものを使うよね。
DHH:そう。生物はConfiguration(設定)をいじりまくるのではなく,Convention(規約)をそのまま援用している。いろいろ設定を変えてうまくいくものだけ拾い出すより,きちんと動く設定を少しずつ変えるほうがうまくいくんだ。