「インクルーシブ」「インクルージョン」という言葉を知っていますか? 障害や多様性を排除するのではなく、「共生していく」という意味です。
「共生」という語はやまゆり園事件のときに政治的に悪用されていた印象を私は覚える。
障害者の家族や施設職員の声を、「差別」「ヘイト」と封じるための対になる言葉だったと思う。
残念ながら、たいていの障害者は不利益な存在であり損失だ。支配者側の公正さのアピールのために政治的に生かされているに過ぎない。
言いづらいのだけど、しかしこの関係性を忘れると再び障害者を排除することになる矛盾に陥る。
かつて障害者の世話を「産んだ責任」として母親に押し付け、それが不可能ならば「腹を痛めて産んだ子に手を掛けた」として断罪されていた。
のちに福祉施設というものができても責任は施設職員に押し付けられ、しかし必ず不可能なので「自分で選んだ仕事なのに」「努力して勉強しなかったのが悪い」と。
障害者の隔離施設であり殺処分装置として機能してしまっている。
これのどこが共生だろう。
じゃあ海の向こうの人権感覚とやらに合わせて街中に施設作りますかと言われると それはそれで地価が下がる治安が悪化すると不満垂れるわけだからな