土方の愚痴。
近隣住民の方から信じられないクレームをいただいて心が折れてしまった。
おそらく,その方は我々を人間扱いしていない。
ただ,社会の大多数の人も,心の奥底では我々を人間扱いしていない。
建設業従事者は残業がつかない―正確には定時に出勤し定時で帰っていることになっている―上に,給料が安い。
楽そうに見える仕事にもその仕事なりの苦労はあるかもしれないが,建設業は肉体的にも精神的にもつらい仕事だ。
靴や手袋など衣類の消耗が激しいため,金がかかる。夏場は飲み物を準備するのに,金と手間がかかる。
にもかかわらず,20代の後半で月の手取りが16万円,ボーナスは1.5か月分,定期昇給はない。残業もつかない。
正直なところ,みじめだと思う。工業大学を卒業したが,土木・建築系の学科を選んだのが間違いだった。
そういった人たちの給料が高いと,まともに道路が作れないし家も建たない。食料の値段は高騰し,税金はさらに高額になるだろう。
ただ,その犠牲の上でのうのうとくつろいでいる人が「〇〇って必要不可欠な職業だから尊敬している」とかいうたびに吐き気がする。
だから,自分の利益と我々の仕事が衝突するとき,例えば食料品の値段が高いとき,インフラを維持するための税金が高いとき,近隣の工事の音がうるさいとき,
信じられないほど残酷なことを口にできる。
食料品の値段が高い,というのはよくわかる。しかし,その矛先がなぜか農家に向かい,農家が利益を出すために価格に転嫁することを認めない。
私の体験で言うと,作業の合間の休憩中,施主に「そうやって日陰で休んでないで働け,金払ってやってるんだから」と言われたことがある。
「そうやって日陰で休んでないで働け,金払ってやってるんだから」 「わかります、そのお気持ちはめちゃくちゃわかるんですが、実のところ、休憩もせずにぶっ通しで働く非効率よ...
ここで勘違いしてはならないのは、需要≠必要とされている、供給≠実際にその作業をする人の数、という2点。 需要とはあくまでそこにお金を出していいという、金銭的裏付けを伴っ...