2023-05-16

大人になったら何でも好きなものが買えると思っていた

働き始めて、大体税金給料20%を持っていかれることを知った。

週5労働のうち、週1回分の労働税金となり、自分の手元に入ってこない構造だ。

学校市役所図書館道路保全など、幅広い公共サービスにそれらが利用されているのは必要なことだとわかるし、利用してきた立場として税金負担することに抵抗はない。

ただ毎月の給料から控除される額を見て、多いなぁと思うことはある。

今は会社の寮に住んでおり住宅費は小さいが、いつかは出なければならず住宅費がのしかかることを考えると、ゾッとする。たぶん生活水準を見直すことになるだろう。

大人になったら何でも好きなものが買えると思っていた。」

からそれはある種、大人庇護下にあった子供幻想なのかもしれない。

自分で働いてお金が手に入りだすと、常にお金のことがちらついてしまって、値段の多寡価値を置いてしま自分がいることに驚いた。

何でも買えるわけではないと気付くと、お金を使うことに変なブレーキがかかるようになってしまった。

本を読んだりラジオを聴いたりといったほぼお金のかからない趣味は続けている。

大きなお金を使う趣味が続かない。趣味ボルダリングを始めたがずっと道具をレンタルしていて、買った方がそろそろトータルで安かったかもなと思っている。

研究室時代助教は、同期がボーナスで毎年海外旅行に行ってると言っていたが、そんなにでかい額を使うことに恐怖心はないのだろうか。多分同じ業界にいて大体同じようなボーナスのはずなのだが。

貯金手段であって、目的ではないんだなということに思い至った。

何でも好きなものを買っていては、確かに生活が立ちいかなくなる。

お金持ちや倹約家を除いて、基本的大人でも何でも好きなものを買うことはできないのだ。

ただ、欲しいものや得たい経験優先順位をつけて見極めること、モノの値段にばかり価値を置かず自分の中の欲求ちゃんと向き合うことはできるはずだ。

何でも買えるわけではないが、何かはちゃんと買える人間ではありたい。

例えばそうだね、オーロラ死ぬまでには生で見たい。

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