人の不幸が楽しくて仕方がない。病気だと思う。
同僚が仕事で失敗しているのを見ると気持ちが良いし、それで叱責でもされようものならその後一週間くらい思い出しては飯のおかずにしている。東日本のはすごくワクワクした。津波の映像は何度も見たし、どこそこの街が壊滅とかいうニュースはずっと追っていた。原発が爆発したときにはニヤニヤが止まらなかった。最近だとコロちゃんやウクライナ戦争で不幸になっている人を見て気持ちよくなっている。
こういうと、現実の満たされない低学歴無職童貞の無敵の人予備軍のような印象を抱かれるかもしれないが、実際は真逆で偏差値65以上の国立院卒、OpenWork評価4以上の優良企業に務め20代で金融資産4桁万円超えのエリートだ。もちろん結婚して子供もおり家族仲良好で非の打ち所がないと言っても過言ではないと思う。
原因を考えてみたが思えば物心ついた頃からこうだったので天性のものなのだろう。幼い頃から例えばニュースなどで殺人事件について流れると、嬉しくて仕方がなかった。今日は誰か○んでいないか、どんな事件が起きているのかと楽しみにしていた。一度母親に、「殺人事件面白いな」と言ったところえらく怒られたのを覚えている。この感情は表に出してはいけないものなのだと学んで、それ以降人に話したことはない。
こんなことを他人には言えないし自分で何かしら大きな事を起こさない程度の常識は持ち合わせているつもり。でもそれは法的にめんどうなことになるからであって、道徳観みたいなものに裏打ちされたものではない。最近、住友商事のチチモミ太郎やGoogleのクレカ不正利用ネキが話題だが、わりと同種族なのかなとも思う。他人にバレない範囲で小狡いことは沢山やってきたし、これからも間違いなくやるだろう。
今後、歳を重ねて人並みの道徳観が醸成されるのだろうか。されたらされたでその変化が楽しみだし、別にされなくてもいいかとも思う。
単純に疑問なんだけど、共感みたいなことってないの? 人が殺されたとか聞いたら、自分が殺されたら怖いなとか、家族が殺されたらやだなとか だからかわいそうだなとか サイコパス...
自分や家族が殺されたら怖いし嫌だと思うよ。 かわいそうだなとは思うが、それよりも楽しい気持ちが勝つイメージ。 お涙頂戴のドラマやドキュメンタリーで普通に感情移入して泣ける...
あー、なるほど、それはそれとしてなのか そしてエピソードを聞く感じ確かにサイコパスではなさそう 共感はあるけど、それと別に一般的には楽しまれないものを楽しんでしまう気持ち...
「一般的に楽しまれないものも楽しんでしまう」っての腑に落ちたよ。こちらこそありがとう。 自分が楽しいと思うものを近しい他人と共有したいなと思うけれど叶わない願いなんだろ...