2022-11-13

払う払うも奢られのうち

昔は常識みたいに語られていたが、今ではまったく的外れになってしまったという扱いの言葉に「いやよいやよも好きのうち」というのがあるけど、この言葉は、男女両側の事情を考えると、(これ自体差別的というのは置いておいて)貞淑性の要求しかった時代においては、お見合いだなんだといった重いおつきあいでない関係の男女が最初に肉体関係を持つ段階で、女性の側に積極性を求めるのは酷なので男性側が察してやれ、という気遣い義務みたいな話だったんだと思う。

ただ、時代が進んで女性の側が貞淑一辺倒の教育を受けるでもなくなり、また性交渉に関する意思表明を昔よりははっきりするようになってからは、上記のような「気遣い」は余計なお世話しかなくなり、昔の色男アドバイスを真に受けた(もちろん都合よく解釈しただけという可能性も残る)若い男性レイパー呼ばわりされる流れができてしまたことは男女双方にとって悲劇しかない。

翻って平成以降の日本社会において、上記の代わりに新たに必要になった「気遣い義務」はないのだろうか。

その候補として思い浮かぶのが、デート時のディナーの支払いにおける男性による「奢り」の要不要の話だ。女性男性パートナーに(パートナー候補でもない男性にまで求めるのは論外だが)いくばくかの経済的頼りがいを求めるのは、古今東西変わることがないし、出産前後事情を考えれば別に恥ずることでもないと思う。

しかし「男女平等参画社会」のお題目を気化されて育った女性の中に「奢りを期待してしまうけど自分からは言い出せない」人が一定割合存在していることは致し方ないことであると考えると、女性の側から奢ってほしいと言わせるのは酷なので男性側が察してやれ、という気遣い義務存在するという言説には一定説得力がある。・・・少なくとも90年代前半生まれぐらいまではそうだったのではないかと思っているのだが、そのあとの事情がよく分からない。最新事情に通じている諸賢にはぜひ解説をお願いしたい。

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