タイトル通りです。わざと硬貨を飲み込むことを推奨している訳ではありません。
もうかなり前の話ですがある日テレビでこんな情報を見かけました。
「トローチにはなぜ穴が空いているのか?→子供が誤飲しても完全に気道を塞がないようにするため!」
未就学児だった私はなるほどすごい工夫だと思ったと同時にこう思いました。
これめちゃくちゃ試してみたいな。
でも我が家にはトローチなんて常備しているものでもなく、まだ1人で買い物にすら行ったことがありませんでした。行けたとしても未就学児の少ないお小遣いではトローチなんか買えません。
…じゃあ真ん中に穴空いてる五円玉とか五十円玉でもいけんじゃね?
最悪な方向に好奇心旺盛だった私は早速試してみよう!と家族が見ていない場所で1人で「わざと」ひっかかるように五十円玉を飲み込みました。
一回目はぐっ、と縦に詰まってしまい喉より下の部分にめり込むような痛みと息苦しさがありました。慌ててすぐに吐き出そうとしましたがなかなか出てきません。親を呼ぶと死ぬほど叱られるのはわかっているから呼ぶならギリギリまで粘ってどうしようも無かったら呼ぼう、くらいの気持ちで指を突っ込みながら苦しさに涙を流して何度もえづいているとポロッと取れて口からあっけなく出てきました。吐きそうになりながら痛かったなぁ、という不快感と同時にちゃんと取れた、という安心感や喉につかえていたものがなくなったスッキリ感、縦に詰まってしまったから結局よくわからなかったという不満など様々な感情が残りました。
それでやめておけばいいものをすぐさま私は再チャレンジしました。
せっかくあんなに大変な思いをしたんだから正しい結果が知りたい!喉の奥でどう詰まってるか見たい!と次は鏡の前に立って喉の奥を懐中電灯で照らしながら飲み込みました。やはりうまく横に詰まらず必死になって吐き出し、また飲み込んで吐き出してを繰り返して何度も検証していました。その情熱を別のものにぶつければいいものを、私は「絶対に五十円玉を飲んでも大丈夫なのか確かめてやる!」と躍起になっていました。
数日にわたり何度もチャレンジしますがどうもうまく詰まらないことに不満を感じ、ある日喉に詰まらせてから指で押して力技で横にしてやろうという作戦に出ました。指でグイグイと押すと喉がえぐられるような痛みが走り、吐き気が襲ってきましたがそれでも私は必死に五十円玉を喉の中で横にしました。
ようやくだいたい横になった、と思った時には指も口の周りも涎でベタベタになっており、涙と鼻水で顔はビシャビシャでした。
結果を話すとテレビで話していたように(テレビでは五十円玉を飲めなんて言っていないが)五十円玉が喉を塞ぐように横向きになってもきちんと呼吸ができていて私はその時ようやく心の底から満足することが出来ました。
しかしそこで五十円玉を飲むことがなくなったかというとそういうわけでもなく、その後も完全な趣味として五十円玉を飲み込んでは吐き出して遊びました。もはや五十円玉を飲み込んで吐き出すのは私にとって特技と変わらなかったのです。あの息苦しさと取れた時の快感は何事にも変え難い最高の遊びだったのだと思います。
現在はもうとっくの昔に成人し、気づけば硬貨を飲み込んで遊ぶようなことは(当然ですが)年長さんになったあたりでしなくなりました。
なぜこんな話を今更書いたかと言うと、創作の一環で様々な自傷方法を調べていた時にそういやあれも自傷の一種に入るのかな、とふと思い出したからです。
インターネットは広いから硬貨をわざと喉に詰まらせて遊ぶ猛者もそれなりにいるだろう、と思ったらひとつもヒットせず謎の孤独感に襲われました。