相手に迷惑が掛かってしまっては悪いので、念には念をということでかなりぼかして書こうと思う。
昔Twitterで関わりのあった人間が、動画共有サイトに自主制作映像をアップロードしていた。別にトラブルがあって関わりが無くなった訳ではない。自然消滅というやつである。
知らなかったのだが、彼は私と同い年だった。
彼も私も映像表現というものが好きだった。でも彼は私とは違った。圧倒的に感性が鋭く、創作に真摯だった。ビジュアルが好きな、言わばミーハーな私とは大違いだった。
これも私の貧弱な知性からひねり出される言葉でしかないのだが、きっと彼の創作への原動力は、きっと私の物よりずっと内発的で、ピュアなんじゃないかと思った。
彼は映像が好きなのだろうし、彼の映像は芯を捉えている。彼が何を考えているか、何を思ってそこへ至ったのか、すべてが詰まっている気がする。
私は、映像を作るのが好きだなどと言うにはあまりにも文化的バックグラウンドが脆すぎる。私は何も知らない。過去の名作を知らない。現代の隠れた才能ある人物を知らない。何も知らないから何も見えない。
彼が思いの丈を込めた文を紡ぐとき、私は最悪に冗長な文章で中身の無いことを喋っている。彼がスマホのカメラを駆使してDaVinciで映像を作るとき、私は名前だけ偉そうなDCCツールでポリゴンを捏ねて、クソのリアリズムみたいな物しか作っていない。
芸術って何?何を考えて生きたらいいの? 答えが欲しくて芸術とされるものにたくさん触れようとした。何本も映画を見た。何冊も本を読んだ。美術館に通い、個人的に好みでもあったテーマの企画展の中で必死に考えた。いずれも出てきたのは「すごい」。 最低。
何を観ても、作家が何を考えて、何を思ってその表現に至ったのか、少しも分からない。間違いなく彼らはその作品に心血を注いで、情熱をそれにぶつけたはずなのに、私は何一つ読み取ることができない。
何を書けば良いのか分からなくなってしまった。何も読み取れない自分に対して、確かに思うところがあるはずなのにそれを何と呼べば良いのか分からない。