2022-07-13

anond:20220713135528

米倉さんが「ジャン」のCMに出たのは1979年だ。当時、「朝鮮」を正面に掲げた食品CMに出ることが巻き起こす嵐は、「話題となった」とか「お茶の間に親しまれた」などという言葉で表せるようなものではなかった。

辛淑玉さんの文章[1]から引用する。

 焼肉のタレといえば「モランボンのジャン」がすぐ思い浮かぶスーパーの肉コーナーには欠かせない一品だろう。

 そのジャンのコマーシャルには、今では想像もできないほどの産みの苦しみがあった。

 今から、30年ほど前だと思う。

 当時、キムチ朝鮮人だけが食べるもので、ニンニク臭いとされ、一般スーパーでは見かけることもなかった。なにしろチョーセン」という言葉を口にすることさえはばかれた時代だ。まして放送の中ではタブーを超えていたと言ってもいい。

 そんな中、「朝鮮の味、ジャン!!」というナレーションと共に、美しい映像テレビ画面いっぱいに流されたのだ。

 私は、その映像に釘付けになった。

(略)

 モランボンコマーシャルは、何度となく放送から拒否された。また、「朝鮮」を掲げた企業コマーシャルに出演してくれる俳優を探すのも困難を極めた。それこそ、俳優生命の終りを意味するほどの差別感情社会蔓延していたからだ。

 抜擢されたのは、CMには決して出ることのなかった名優、米倉斉加年さんだった。

(略)

 その彼が、30年前、全鎮植氏(注:モランボン創業者)の求めに応じて、朝鮮風のパジチョゴリを着てコマーシャルに出演したのだ。

 そのせいで米倉さんが受けた仕打ちは凄まじいものだった。まず、すべての役から下ろされ、メディアへの出演も断られた。仕事がまったくなくなったのだ。朝鮮人の味方をする者への兵糧攻めである

 もちろん米倉さんの子もも無事ではいられなかった。学校で「チョーセンジン」といじめられて帰ってきて、「ねぇ、お父さん、私の家は朝鮮人なの?」と尋ねたそうだ。

 その時、米倉さんは微動だにせず「そうだ、朝鮮人だ。朝鮮人で何が悪い?」という趣旨言葉子どもたちにかけた。

 米倉さんは、1934年福岡で生まれ日本人であるしかし彼は、自分日本人だとは決して口にしなかった。それは、このコマーシャルを引き受けるときの彼の覚悟でもあったのだろう。

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