自分のことで相談機関を今まで使ってきたけど逆に傷つくことばかりだった、公的機関のカウンセラーなのに怒鳴ってくるなんて当たり前だったから自分のことで使うのはもうやめている
だけど他人のことで被害者が暴力沙汰の虐待を受けてる挙げ句に警察に駆け込んだら家に戻されたことがトラウマの子がいて今も暴力を受けてるらしいから初めて警察に相談してみた
困っているので話を聞いてほしいって言っても別に貴方が被害者じゃないんだから雑に扱っていいでしょって言われた、本人が雑にされた後だから第三者が話すしかないのに、相談窓口のはずなのにまったく話を聞いてもらえなかった、#9110は全く役に立たないんだなとわかった
悪名高い県なのが悪いのか、自分が事件に巻き込まれても他県に移動してから110番しなきゃいけないのかもしれない
あまりのショックで半日ずっと頭痛がして鎮痛剤を飲んだ今も痛くて寝れない、虐待を受けたら死ぬか殺すかっていうのが今の日本で、性犯罪であればセカンドレイプは必ず起こるのだろうと思った
相談しようとか助けを求めようとか、一体誰が言い出したことなんだろう、暴力を受けた人さえ助けを求めても無駄だし、精神的な暴力を受ける回数が増えただけだ
こんな加害者ばかりの世界で私はずっと親から人を好きになり好かれる努力をして人に迷惑をかけない他人を許す人間になれって言われながら育てられてきた
だけど現実は迷惑をかけて許される加害者と、被害を訴えて迷惑がられたり自己責任論を押し付けて憂さ晴らしに使われたり許しや我慢という名の泣き寝入りを第三者から押し付けられ再び傷つけられる被害者がいるだけだ
私も結局は助けられない第三者になることしかできなかった、相談窓口は機能していない、言葉では傷つけるものがあっても救えるものは何もない
相談せず抑圧することが後々大きな障害になると学んだものの、相談しなかった人のほうが正しいと思えるくらい危険しかないのが現実だった
日本では自死が多いし周りの人が自死を選んで何もできなかった無力を抱く人もいるが、国のシステムそのものが本人が死にたければ死んでほしいし、第三者も面倒だから見殺しにしてねって形なんだとわかったし、警察が動くのは本当に死んでからなのがわかった
親子間で殺人事件がおきるたびに相談していればとか助けを求めてさえいればなんて言葉があるが、そんなことをしても現実にはただますます自分の首を絞める結果になるだけだ