2021-10-26

眞子結婚について考えたこ

 そもそも結婚というのは他人がどうこういう問題じゃない。今の時代を考えれば皇室から眞子のような人が現れるのは当然の流れであって、たとえ眞子が表れなくても別の人が同じようなことをしていただろう。それは女かもしれないし男かもしれない。遅かれ早かれ、皇室が直面しなければならない問題だったわけだ。

 ここで問われるのは、その時代における皇室のありかただと思う。

 もちろん、皇族というのは節制を強いられる。生まれときから公人としてカメラを向けられるというのは一般にはありえないことで、ストレスが溜まるというのも事実だろう。では、己に利する特権を与えられていないのかというと、そうではない。贅沢な暮らしができるし、周囲から丁重に扱われどんなときにも敬称がつけられる。

 皇族としてふさわしい立ち振舞い、節制した生活が嫌なのであれば、抜けるのは個人自由だし、それを許さないというのは現代においては人道的であるとさえ言える。

 なので、僕は眞子結婚は何の問題もないと考えている。

(僕が眞子眞子呼び捨てにするのは、皇族としてふさわしい立ち振舞いを放棄たからだ。放棄した以上、彼女皇族として敬意を受けるに値しない存在である。悪い意味でなく)

 そして、恐らくだけれど、日本人の中で僕と同じ感覚を抱いている人はかなり多いのではないだろうか? その感覚の中で、わずかにしこり」として感じられるのは、「碌でもない男と結婚した元皇族を、今後皇室はどのように扱うのか」という点だと思う。

 皇室権力を使ってあの男が失職しないよう手助けする、あるいは生活費に困れば援助してやる。そういった行為を重ねるのであれば皇室費を使って皇室を維持するのは馬鹿らしい。そして、おそらくは日本人的な「ナァナァで問題を少なくする」行為によって実際そうなるだろう。例えば家庭が立ち行かずに生活していけなくなれば、スラムに落として眞子売春婦になることなど認められないか皇室から援助をする、あるいは官房機密費あたりから金を出す。

 まあそうなるだろうから、「結婚自体はどうでもいいけれども、祝福するような気分にはなれない」「勝手にどっかに行けばいいのに」という気分になっている。少なくとも僕はそう。

 識者の中には、皇族が強いられている生まれながらに自由でない生活と比べれば、生活保証というのは些細すぎる特権だと言う人もいるだろう。だから眞子のような自由勝手な振る舞いは個人として当然に赦されるべき範疇であり、その後に国家から支援があったところで問題にするところではないと。

 だが、少なくとも僕は眞子のような人が小室と一緒に皇室に居座るようであれば皇室を維持してほしいとは思わないし、壊してしまえばいいと思う。

 尊敬に値しない皇室尊重として冠したところで、日本国になんの名誉があるだろうか? 名が汚れるだけである

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