いい大人が漢籍などの古典や名作文学とかを読み出して、「深い」とか「教養が身に付く」とか「年をとって初めて意味が理解できた」とか言ってるの、見たことありますよね。
はっきり言って、こういう人たちの知的レベルは高くありません。そういうことは、高校生か、遅くとも大学2年生くらいまでに済ませておくことであって、社会人がやることではありません。
彼らの知的レベルは、中学〜高校生くらいのレベルです。彼らが本を読んで理解するのはせいぜい、
といったことです。つまり、文章の表面だけをなぞったり、どうとでも取れるような記述から妄想を膨らませるだけで、本当の意味で書物を読解できていません。「孫子はビジネスに役に立つ」とか「夏目漱石のこころは人生の教科書」とか言ってるのが、その典型です。
彼らがやってることは、ラノベや漫画を読んで伏線とか異能力を「考察」してるのと大差ありません。そういうことは、正確な読解ができていなくても、勝手な解釈や言葉遊びでいくらでも話を膨らめることができます。古典とかにハマる連中は、「格式の高い」書物を読んでいる気になっている分、そういうオタクよりもタチが悪いです。
本来、成熟した社会人が獲得していなければいけない思考形式は、上記の逆です。つまり
といったことができるようにならなければいけません。こういったことは、高度な知識労働には必ず求められる能力です。
いい年こいて古典などにハマって、「深い」とか言っている連中というのは、大人になってもこういう思考過程に達することのできなかった人たちです。
古典って「もっと早く知っておきたかったなー」ってことが書いてあるから、大人になってから読んでも微妙だよね
君のこと?