2021-07-22

一人の障害者として思うこと

差別をした人間に対して、以前よりも厳しく批判がなされるようになって、思うこと。

 

自分障害について、あまり公にしていない。

公といっても、直接会うことのない人たち、友人、すこし遠い親戚、あとまあせいぜいSNS上くらいなものか。

知っているのは同居の家族と、友人2人。

 

以前は健常者だったが、数年前に障害認定を受けて、年金いただきながら暮らしている。

これを、なんてことない風には言えない。

ずっと隠している。

たまに誰かから仕事の話を聞かれたら、ほんの僅かな収入しかない内職のほうを、さも本職のように話している。

 

差別されたことがあるか?

表立ってされたことはない。

なのになぜ隠すか?

まだうまく言語化できていない。

恥ずかしいのか、怖いのか、惨めだと知られたくないのか、わざわざ表面する意味ナニ?ってイラつかせるかもしれないし、色々ごちゃ混ぜ。

 

いや、実は障害認定を受けたころ、笑い話のてい…みたいな感じで、何人かに打ち明けていた。

なんてことない、自分大丈夫だと思いたかったら、

そして、その結果、もう誰にも言わないようにしよう、と決めた。

そりゃ本人がへらへら障害ネタにしていたら、周りだってイジっても良いんだなと思うよ。

それか、やべーめんどくせーって距離を取る。

そらそうだ。自分が悪い。

それで、だんだんと人と関わらなくなっていった。

 

必然的ネットする時間が多かった。

匿名の場ではとくに障害者へのイジリは多い。

気がする。

ひとつひとつにグサーッと傷つく訳じゃないが、蓄積して毒が回るようなしんどさがある。

見なきゃいいんだろうけどザーッとスクロールするだけで目に入るもんはどうしようもない。

身体を使わず横たわったままで出来ることは少ない。

手元で色んなことが出来るスマホ依存しないのなんて、無理だ。

 

ガイジ。

割とカジュアルに使われてた言葉は、この1週間でどれだけ増減したんだろうか、と思う。

差別への指摘。

これも、どれくらい増えたんだろう。

 

どこかで差別が指摘されればされるほど、なぜどんどん苦しい気持ちになるのかわからない。

妙な話だ。

こんなに大勢の人が「障害差別したやつはクズ!」って言っている、いいこと…なのだろう。

少なくとも悪いことじゃないはず。

でも、取り残されている感覚がある。

透明になるというか、アッじゃああのスミマセンでした…と言って、誰も聞いていないのを確認して、そっとドアを閉じて去るときのような。

 

こうなって、では自分障害者と他人に打ち明けやすくなったか

いいや。

前よりずっと固くなっている。

なぜだかわからない。

差別が無くなるってどういうことなんだろう。

そもそも差別が無くなると、カミングアウトやすくなるものなのか?

そう、自分は隠し事をしながら、ところどころ辻褄の合わない会話を誰かとするのが、嫌なんだ。

でも話すと相手迷惑になる。

差別じゃないな、偏見に無くなってほしいのか。

どうだろ。

からない。

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