差別をした人間に対して、以前よりも厳しく批判がなされるようになって、思うこと。
公といっても、直接会うことのない人たち、友人、すこし遠い親戚、あとまあせいぜいSNS上くらいなものか。
知っているのは同居の家族と、友人2人。
以前は健常者だったが、数年前に障害の認定を受けて、年金をいただきながら暮らしている。
これを、なんてことない風には言えない。
ずっと隠している。
たまに誰かから仕事の話を聞かれたら、ほんの僅かな収入しかない内職のほうを、さも本職のように話している。
表立ってされたことはない。
なのになぜ隠すか?
まだうまく言語化できていない。
恥ずかしいのか、怖いのか、惨めだと知られたくないのか、わざわざ表面する意味ナニ?ってイラつかせるかもしれないし、色々ごちゃ混ぜ。
いや、実は障害の認定を受けたころ、笑い話のてい…みたいな感じで、何人かに打ち明けていた。
そして、その結果、もう誰にも言わないようにしよう、と決めた。
そりゃ本人がへらへら障害をネタにしていたら、周りだってイジっても良いんだなと思うよ。
それか、やべーめんどくせーって距離を取る。
そらそうだ。自分が悪い。
それで、だんだんと人と関わらなくなっていった。
気がする。
ひとつひとつにグサーッと傷つく訳じゃないが、蓄積して毒が回るようなしんどさがある。
見なきゃいいんだろうけどザーッとスクロールするだけで目に入るもんはどうしようもない。
手元で色んなことが出来るスマホに依存しないのなんて、無理だ。
ガイジ。
割とカジュアルに使われてた言葉は、この1週間でどれだけ増減したんだろうか、と思う。
差別への指摘。
これも、どれくらい増えたんだろう。
どこかで差別が指摘されればされるほど、なぜどんどん苦しい気持ちになるのかわからない。
妙な話だ。
こんなに大勢の人が「障害を差別したやつはクズ!」って言っている、いいこと…なのだろう。
少なくとも悪いことじゃないはず。
でも、取り残されている感覚がある。
透明になるというか、アッじゃああのスミマセンでした…と言って、誰も聞いていないのを確認して、そっとドアを閉じて去るときのような。
こうなって、では自分が障害者と他人に打ち明けやすくなったか?
いいや。
前よりずっと固くなっている。
なぜだかわからない。
そもそも差別が無くなると、カミングアウトしやすくなるものなのか?
そう、自分は隠し事をしながら、ところどころ辻褄の合わない会話を誰かとするのが、嫌なんだ。
どうだろ。
わからない。