2021-06-01

反出生主義について思うこと

私も自分に関しては反出生主義的な気持ちを抱いている

人生楽しいこともあるし、今の生活には比較的満足しているが、それでも今からかのぼって生まれるか生まれいか選択できるなら、生まれない方を選択したい

自分の子供についても生み出すことがどうにも良いことと思えないので作る予定はない(と考えているうちにそろそろタイムリミットなので、予定は完遂できるだろう)

他人に関してはそこまで干渉する権利が無いと思うから何も言わない

 

という前提で、ここ数日ちらほら見かけた反出生主義の話題で気になっていた部分がいくつかある

 

① 安楽死と絡めるのは違うと思う

  生きる苦しさには、死への恐怖や他者との死別、どこかで誰かが死んでいるのに自分が生きていることの後ろめたさなども含まれ

  少なくとも私はそうだ

  死とは生の一部であって、生を始めないというのは死を避ける唯一絶対手段でもあるのだ

  従って生まれた後で人生忌避して死ぬことと最初からまれないことは全く比較にならず、同じ流れで取り扱うのはおかしいと思う

  安楽死に関する話題は反出生とは別に行うべきだ(必ずしも安楽死に反対というわけではない)

 

② 受精後の堕胎もあまり望ましくないと感じる

  反出生主義者なら、そもそも避妊して胎児が発生しないようにするのが筋だろうと思う

  反出生主義でない人の堕胎については分からない

 

③ 生まれから幸せになる人と不幸になる人がいること自体が、悲劇だと思う

  生まれてみなきゃ幸せになるか分からない、という意見に対する感想がこれ

  その通り、ある人は人生に満足するだろうし、ある人は人生辛いことばかりだと思うだろう

  ある人は欲しいものを得て人生を終え、ある人は得られないまま終わるだろう

  幼いうちに亡くなって、欲しいものが何だったのかを見つけ出すこともできないまま終わる人もいるだろう

  その差をどうにかすることが人類には未だできていないし、将来もできるとは思えない

  そして私はその差の存在社会全体としてとても悲しいことに思われる(個人の感想

  だからあくま個人の御伽噺的、実現不能な夢として、誰も生まれてこなければそんなことはなくなるのに、と思うのである

 

④ 結局は人生に満足してないお前個人愚痴だろ、みたいなの

  これはその通りですとしか言いようがない

  とりあえず、個人的な埒もない夢物語のほんの小さな表現として、子を作らない選択ができる環境に生まれたことは幸運だったなと思っている

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