自業自得なんだけど、自分はある時期から自分に起因するいくつかの理由が重なり、かなり孤独な生活を送っている。
そのある時期ぐらいから飼い始めた猫が昨日逝ってしまった。多分15歳、もしかしたらちょうど16歳ぐらいだったかもしれない。雄のアメショーだ。
すごく苦しくてこのことを誰かに伝えたいんだけど、15年も飼っているのにうちの猫を知っている人はほんの一握りで、しかもほとんど没交渉。だから、仕方ない、ずっと胸にしまっておこうかなあと思ったけど、そうだ、増田があったと書いている。
初秋ぐらいに急に猫の息づかいが荒くなり、横になって寝ることができなくなってしまい、獣医さんへ連れて行った。レントゲンを撮って「肺に水が溜まっている」と言われた。高齢だし、状態もかなり悪く、麻酔をして肺から水を抜く処置をしたらそのまま目覚めない可能性もあるということで、利尿剤を注射してもらい、薬をもらった。
つい先日まで大好きなササミの缶詰をものすごい勢いで完食していて、満足してごろんと横になり爆睡していたのに、なぜ急にこうなる? でも、思えば半年ぐらい前から予兆はあった。自分が「多分、老化のせいだろう」ぐらいに考えて、放置してしまっていた。
利尿剤は効果があって、もしかしたら病気の状態で何年も生き続けてくれるんじゃないかと思ったりしたけど、一カ月が過ぎて薬の効果は少なくなっていき、食事はほとんど取れなくなり、水もあまり飲まなくなり、数日前、大好きなササミをちょっと口にしたと思ったら、大きな声を上げてバタンと横に倒れてしまった。そのときはなんとか起きてくれたんだけど、もうすぐお別れなんだと悟った。
昨日は様子としてはいつもと同じで、なんとか命をつないでくれるかなと思ったけど、夕方にトイレで倒れてしまって、そのまま亡くなるんじゃないかと思った。でもうちの猫はまだやりたいことがあったみたい。
自力で立ち上がり、まず自分の膝の上に乗ってきてくれた。10分ほど過ごすと、やおら膝から降りてよたよた歩き出したので、てっきり、浴室に行くんだと思い、後をついて行った。病気になったあと、起きている時間のほとんどは浴室で過ごしていたから。
でも、猫の行き先はもう一人の家族である、父がいるリビングだった。猫はもともと自分にべったりで、病気になってからはほとんど行かなかった場所なのに、なぜこのタイミングで行ったんだろう。多分、科学的には別の説明になるんだろけど、自分には父とお別れをしに行ったとしか思えなかった。もう涙が止まらなくなって、父に「お別れを言ってあげてくれ」と頼んだ。
猫はしばらく父を見ていて、それから元気な頃、たまに丸くなって寝ていた座布団の上で力尽き、逝った。リビングに行ってから逝くまで、三分もなかった。最後は父と一緒に体をさすりながら声をかけることができた。
やさしい性格だなとは思っていたけど、律儀でもあったんだな。
自分のような人間の飼い猫としては、もったいないような奴だった。その事実がつらいんだけど、最後にあんな行動を取ってくれたっていうことは、うちでの暮らしはまんざらでもなかったのかな。
49日までは家の中にいるから風呂場とか座布団の周りで話かけてやんなよ。お盆の時も帰ってくる。形は変わってもなくなりはせん。寂しくなったら増田で吐き出していきなよ。
ねこしんじゃった
騙されてる騙されてる🐈ニャニャニャ