2020-10-27

anond:20201027210623

母はもう認知症になり10年以上たち、もう何もわからない赤子のようになりました。治療を拒んでいた、すなわちまだ小学生くらいの自意識がありプライドがあった頃を懐かしく思い出します。病院に連れ出す名目必要で、父は苦労していました。不可解な言動が多くなり、理由を考え求める関係に、私も母も疲れていたころでした。

ひとつお伝えできるのは、お父様はもう中学生には戻らない、それどころかやがて幼児になり何も知らない赤ん坊に戻ります。お伝えしたいことは、今までは立派な大人であったお父様とあなた、ご家族関係は終わりを迎えたことを早めに受け入れ、これから子供に帰っていくお父様を改めて好きでいられるような関係を目指すと、双方の気持ちが救われるのではないかということです。

認知症では、人が違ったような粗野な言動被害妄想があらわれることもあります。お父様の性格が変わったわけではなく、病気により、世界認識する力が変わってしまい、混乱の只中でなんとか自分を保とうと苦しむゆえの表現です。今なら私もそう思えますが、かつて同じようであった母を思い返すと、時として理解不能で憎らしく、好きだった母の姿がすっかり変わってやるせなく、苦しいタイミングがありました。しかしまだ母は笑うこともあり、頷くこともでき、花が美しいことや朝起きると息が白いことなどに心が沸き立つ様子も見られました。

この先、寂しいことですが、お父様からはそういった「らしさ」がみるみる失われて行くかもしれません。それでも共に居るための力となったのは、どんな母でも好きだという気持ち家族の中に流れ続けたからです。逆を言うと、それを途絶えさせてしまった患者家族も見かけました。人が変わっていくことに耐えきれず、喧嘩別れをしたり、疲れ果てて遠い施設に入れて離れたり、それぞれの選択は悪いことではないですが、もしお父様と最後まで幸せ家族でいたいと願う気持ちがあるようでしたら、子供に帰っていくお父様の中に、好きなところ・可愛いところ・見続けていたいようなところを積極的発見してあげて欲しいです。

私の母はもう何も言いません。今の母も彼女の大切な人生の一部過ごしている最中だとして敬いたいですが、記憶の中の母が懐かしくなり泣きたくなる時もあります。母が小学生のうちにもっと色々一緒に遊べばよかったなと後悔したり、いやいやあのときは精一杯だったと自分を認めてみたり、気持ちは常に揺れています。ただ、この先母とどう別れることになっても、母を愛しています

あなたのご家族とお父様にも良い暮らしが恵まれますようにお祈りします。

記事への反応 -
  • 人は歳をとると子供に戻るという。 父はトイレが不自由になったため介護用オムツをつけている。履き替えることは自分でするが。 認知症らしい行動も増えてきた。同じことを何度も繰...

    • 母はもう認知症になり10年以上たち、もう何もわからない赤子のようになりました。治療を拒んでいた、すなわちまだ小学生くらいの自意識がありプライドがあった頃を懐かしく思い出し...

      • ありがとうございます。気づかず返信遅れました、すみません。 読んでいて涙が出そうになりました。 同じような苦しさ・悲しさを先に経験してこられた方の言葉、染み入ります。お母...

        • お互いに家族と、家族とともにいる自身を、労っていきましょうね。名前も所在も分からないままですが、仲間がいると心に留めて日々暮らします。お元気で。

    • 赤ちゃんのと、老衰で死亡間近の老人の頭髪って、生え方が似てるよねー

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