2020-10-13

何も決まってないが、ただただ限界会社を辞めた

大好きでずっとやりたいと考えていた仕事だった。

よく言えば、寝る間も惜しんでスキル経験を積むために10数年過ごした。

少なくない犠牲のかわりに、そこそこの経験と実績を積んだ。数は少ないが、いくつかアワードも獲ることができた。

好きなことを仕事にした。のだと思う。

 

ただもう疲れてしまった。ただただ疲れてしまった。

実際は、自ら寝る間を惜しまずともやらなければいけないだけだった。

業界的に残業代など夢物語裁量労働という名の元、「クオリティ」と「納期」のため、できることはしたと思う。

 

受け持ち業務を捌き切る前にどこからか舞い込む仕事、到底捌けない業務量を力技でねじ込む毎日

ある日は、深夜3時の時点で翌日午後イチ提案検討すらできておらず、

半ば記憶が無くなりながら資料を仕上げたこともあった。

 

勝手に決まる無謀なスケジュール、何度も依頼するが一向に改善されないスタッフ増員、

残業代が出ないか残業はしないと言いプロジェクトの核となるヘビーな業務放置するメンバー

レビュー指摘でオフィス号泣する新人、拾い続ける仕事仕事仕事

本当にもう限界ですとマネージャーに何度伝えても、何も変わらない。

 

こんなにも必死で伝えているのに、なぜ変わらないのかと思ったとき

私自身は限界だと思ってるけど、周囲からは「全然まだまだ頑張れよ」ということなのかなと考えた。

 

月の過労死ラインが当時の残業時間の半分程度だと気づいたときには、体も心もおかしくなっていた。

深夜のオフィスで、手の震えと涙が止まらなくなったときもあった。

寝てるとき寝言自分自身罵声を浴びせて、泣きながら起きることも続いた。

朝方の蕁麻疹、腹痛、生理も止まった。

体調を崩して仕事を休むと、当たり前だがその分仕事が溜まっている。

心底限界だった。

 

担当案件を無事見送った後、退職した。

 

 

今は「疲れたから休む」というふざけた理由で、毎日のんびり過ごしている。

ただ、のんびりし続けるわけにはいかない、働かなければいけない。

  • 俺は過労死して一年ほど布団の中にいる生活して一切動けない引きこもりでいて復帰できたけどその一年は無駄じゃ無いと思える 退職したのなら仕事は忘れるこったな

    • 迷わず成仏してくだされや、南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華教、南無大師遍照金剛

  • こういう人何人かいたけど、40歳過ぎたあたりで死ぬ人多いような気がする。

  • 長かった

  • 逆に今の貯金ならいつまで働かなくていいか(失業保険の給付も加味して)計算して、そこまでしっかり休みなよ。

  • その極限状態で価値のあるアウトプットを出す方法が知りたい。 自分の場合この状態になると意思決定力消失→言語力消失と推移していって職場だろうが速やかに廃人になってしまう。 ...

  • 残業代が出ないから残業はしないと言いプロジェクトの核となるヘビーな業務を放置するメンバー このメンバーの行動が正解。残業代が出ないときは絶対残業してはいけない。 本...

  • お疲れ様

  • 残業代出ないのにスタッフ増員依頼するのが謎過ぎるやで 増員する人件費あるならまず残業代払わせろよ

  • お疲れさま あきるまで好きなだけ休んで良いと思うの

  • とりあえず残業代請求したらのんびりくらせる時間増えるぞ

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