2020-09-28

しぬのを踏みとどまったこと。

最近よく、有名人のじさつの話が出ていますね。

有名人から大々的に知らされるという部分もありますね。

きっと私たちが知らないだけで、昨日通りすがった女の人、レジ対応してくれた男の人、一緒に信号待ちをしたサラリーマンスーパーお菓子を選んでいた女の子、そういうちょっとだけ自分に関わったともいえない誰かが、今日この時にしぬことを選んでるかもしれないですね。

私も、一度しのうとおもっていました。

理由は伏せますが、とにかくもう現状が自力ではどうにもならないと思い込んで、今思えばそれ以外の道はあるのに、「しぬしかないなぁ」と思っていました。

明日ごはん、何を食べようかな?」と「明日の夜、どこでしのうかな?」が同じくらいの悩みになっていました。

そういう時に、とある有名人の方の訃報が入ってきました。

正直に言えば、私はその有名人の方はあまり知らないし、出ていた番組もあまり見ていなかったのですが、

ただその人が出ていた舞台作品ひとつだけ、いつか見たいなぁ、と思っていたものがあって、今後機会があれば……と考えていました。

人気があった舞台から、再演もあるだろうなぁ、という考えです。

ももうその「いつか」は絶対来ないんだと知った時に、とてつもない喪失感がありました。

「たったひとつ作品をもう見ることは叶わなくなった」

という一点だけで、です。

ファンというのもおこがましい、そんな私がです。

SNSテレビニュースで、その人がいなくなった事を嘆いている人たちがたくさんいました。

ツイッターでは私の知り合いも落ち込んでいました。

もちろんその有名人の方と交流のあった方々はもっと悲痛なお顔をしていました。

それを見て唐突に、「私がしんだら、もしかしてこの人たちに、同じくらいの苦しみを与えてしまうんじゃないだろうか」と思いました。

その有名人より私が価値があるとか、私の方が悲しんでもらえるとか、そういう事ではなく、

単純に、一緒に学校に行ったり、映画に行ったり、旅行に行ったりした友人を喪ったら、こんな苦しみを与えるんじゃないか?と思ったのです。

この文章で誰かのじさつを思い止まらせたいだとか、有名人のじさつの報道の是非を議論したい訳ではありません。

ただ自分のために書いておきたかったのです。

しかしたら今後また視野が狭まって「しぬ」という道しか見えなくなるかもしれないので、その時に「でも私は踏みとどまれたよ」と思い出すために。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん