(主に人間の)好き嫌いが激しい上に、一度無理と思うと何が起ころうとその対象の評価が上げられないタイプの人っているけど、ああいう人たちってある一定までいくとそういう闘いから卒業できるもんなの?
今まさにそういうタイプの人に絶賛嫌われ中なんだけども、やることなすこと全部気に入らないらしくて、もう坊主憎けりゃ袈裟まで憎いみたいで私の好きなものまで嫌うレベルになってきてるんだけど、ここまでいかなくてもこういう「一度嫌いと思うともう評価を覆すことができないタイプの人」ってのは強弱はあれど割と珍しいタイプの人間ではないと思う。
こういう好み不可逆…でも好きが一点、嫌いにもバーンと落ちる事があるから「好み」が不可逆って訳ではないけど、この嫌悪の感情激しめの人間って、どっかで無理出てこない?どんどん選択の余地なくなってくと思うんだけど。その辺は色々と「例外」を作って生きていくのかな。
「生理的に無理」とかいう超絶主観の世界の話だもんなぁ…絶対的に自分がルールブックだからどうにかなるのか……?
今、私のことをひたすらに嫌い続けてる人は私が好きな音楽、作家等のコンテンツまで嫌っていってるんだが、私はめちゃくちゃに雑食なので私がライトに愛好してるコンテンツまで含めると相当な制限がかかると思うのだがどうなるのだろうか。
幸いなことにその人とは年内いっぱいの付き合いで終われそうなので、色々なコンテンツについて好きを公表していこうと思う。
嫌うって適当に好きでいるより体力要りそうなのに「生理的に無理」でよく自縄自縛にならないんだなぁ(なるのか?そこが知りたくもあるんだが)と不思議だ。
本人は毎日私を嫌悪して楽しいんだろうか?当たり前だが言いがかり的な理由、もしくはほぼ理由なしで毎日ヘイトを向けられるのは精神削られるし、同じ空間にいるひとたちにも緊張を強いているようで居心地が悪い。
これで本人が楽しく嫌ってなければもうlow-low(何だったら変な空気毎日見せられる周りもlow)な訳だが……
やりきれない。
どうなの?果てはあるの?嫌いの基準はどこまでも自分軸なのに好きなものを捨てるのは嫌いな他人軸ってめちゃくちゃ面白くなくね?
私がスヌーピー好きだからって使うの辞められた定期入れ、どうなったんだろう。
疑問形式をとったが、本当はつらくて書いた。ほんと不毛な消耗戦キツい。自分の敏感さ、感覚の鋭さみたいなので私で勝手にダメージ受けてそれをアンプみてぇに増幅すんじゃねぇよ。
個人的にあんたに何の感情もなかったけどここまで嫌われて嫌うなって方が無理で、でも人を嫌うのってやっぱエネルギー使うから毎日疲労が半端ねぇ。
ヘイト撒き散らすな。かったりぃ~!!