今までの何十年の人生、常に苦しんできた。
私は九九が出来て、それを自慢する気なんてないが、出来ない人も世の中には潜んでいて、そういう人に対してどう接すればいいのか私には分からない。
九九なんてよっぽど小学校のときに怠けてなければ身につくはずだし、身につけずに今までどう生きてきたのか想像もつかない。
しかし、そういう人は世の中にいる。
私も同じように、普通の人が小学校や幼稚園で身につけていくことが身につかないままここまで来た。
普通の人からすれば、どう生きてきたのか理解もできないだろう。
端的に言えば、理解を得られないまま影で泣きながら生きてきた。
こんなことを言っても多くの人は「誰しも人に全てを理解なんてしてもらえない」と答える。つまり、理解されていないのだ。全く。
まさにこれは「足の骨が折れているときに、走れば足がむくんで痛むのは当たり前だみんな我慢している」と叱責されながらマラソンに参加させられ続けているのと同じだ。
もう無理だ。このレースから降りたい。早く死にたい。いっそ殺せ。なぜ誰もが私を死ぬしぐらいしか答えの出しようがない問いかけをしては何事もなかったように横を走り抜けていく?勝手に死ねということか?お前たちはなぜそんなに簡単に人を全否定できる?なぜだ?その自覚がないのだろうな。死んでくれ。おまえたちが死んでくれ。いいやお前たちも今すぐ脚の骨を折ったまま走り続けろ。そのときになってお互いに助け合おうなんて言い出さず私にやったようにお互いに罵倒しあって死ねと言い合い走り続けろ。
そんな恨み言でいつも頭が一杯だった。
アスペルガー症候群は遺伝する。最新の研究成果によればであるが。
そして、治療はまだまだ難しい。
西洋医学の力で症状を緩和するのも、傾いた天秤の片側に重りを載せるようなものであり、それは最初から平衡の天秤を管理するのとは全く別物として扱う必要がある。
私の子供、いや、誰の子供であってもアスペルガー症候群として生まれ、死を超えるほどの生の苦しみを味わう人間がこの世に生まれるのは一人でいいから少ない方がいい。
同時に、私の子供がアスペルガー症候群等の心配がない健常な脳(別の器官に原因があるとも最近は言われているがここでは取り合えす脳に問題があるとする)を持って生まれたとして、その子は私の事を理解してくれないだろう。
こういった話をすると、「子供を増やすのは国民の義務」と批判されることがある。
だが待ってくれ。
お前たちが私の存在を心から歓迎していたことなど一度もないことを私は知っているぞ、と。