2020-07-29

習慣を身につけるコツは「やる。そこに理由はない」という認識

筋トレ継続日数が3ヶ月を超えた。

今では腕立て伏せ100回ぐらいなら普通にできるようになってきている。

プロテインも2袋目がなくなり3袋目に突入

筋トレ継続した理由が何かと聞かれれば、「理由をもとめなかった」からだと思う。

ぶっちゃけ理由はある。

いい加減腹回りの肉が気になってきたしBMIが25前後で少し減らす必要があった事とか、最近肩こりがひどくなってきたとか、筋肉が衰えすぎて階段からの踏み外しであっさり骨折した人が近くに居たとか、そういうことの積み重ねだ。

筋トレを続ける理由は実際にはある。

しかし、日々筋トレに向かうとき自分にこう言い聞かせている

筋トレをする。そこに理由はない」

と。

これが実に効果がある。

理由がないのだから、やるしかない。

体重が気になるならダイエットをすればいいし、健康が気になるならサプリを飲めばいい。

だが、筋トレをするのに理由がないのだから体調不良以外の理由では辞めることはできない。

筋肉をつけるために筋トレをすると言うなら今日は休んだほうが超回復が……なんて言い訳が出来るがそれすら無理だ。

理由はない。筋トレはやるからやる」

虫歯になるから歯を磨こうとか、寝むいから寝ようとかそういうのすら凌駕した絶対的指向性

「やる。そこに理由はない」

絶対だ。

そうして筋トレが始まる。

腹筋、スクワットプランク腕立てバイシクル腹筋、握力グリッパー……そしてプロテイン摂取

淡々筋トレをし、淡々と終わる。

やっている最中は秒数を数えるだけで回数は数えない。

効いてる感を意識し、限界を感じたらやめる。

痛みに対しては、筋肉を育てる痛みなのか、筋肉を育てない痛みなのかを区別することに神経を削りきりそれ以外は感じようともしない。

適度な痛みとカウントの中で精神瞑想状態となっていく。

普通瞑想であれば、寝ていたほうがいいのではという迷いが生まれるが、筋トレ最中にそんな迷いはない。

瞑想を超えたマインドフルネス体験

筋トレはいしか日課になり、趣味になり、だがそこに今でも変わらないものがある。

「やる。そこに理由はない」

その概念だ。

齢XXにして、増田太郎継続手法を遂に身につける。

人生の宝をようやくひとつ見つけたように思ふ。

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