昔から、貧乏であるとか、家庭が悲惨な状態であるとか、物凄い難病を患っているとか、そんな人に憧れた。
比較的恵まれた家庭環境だったし、親も別に普通だったと思うし、自分自身も標準的な健康体で、いわゆる何不自由ないって奴だ。
それがたまらなく嫌だった。
例えば、逆境が人を強くすると言われるけど、その逆境が自分にはない。
家庭環境に恵まれない人は、自立心が強いと言われるけど、恵まれていたら自立心は育まれない。
貧乏な子供時代を送ると、必死で稼ごうとするようになると言われるけど、貧乏でなかったら稼ぐ力も身につかない。
いつのまにか、ある意味、そんな屈折した被害者意識を持つようになった。
でもそれは、自分の求めた被害者意識ではない。なぜなら、そんな屈折した自分が恵まれているという意味での被害者意識など、世間の誰が認めようか。
何不自由のない、いわゆる健常者であり、社会的強者である自分は、一切弱音を吐くことは出来ない。
弱者・被害者はあんなに、「弱者であり被害者だから社会は私達を助けろ!」と言っているのに、それは絶対に自分には出来ないのである。
こんな不公平なことがあろうか。
それどころか、厳しい競争の世界に放たれて、必ず敗者が生まれる世界に生きなけれればならない。
なのに社会的弱者・被害者はそうした世界からある意味、社会的に守られ・助けてもらって生きていける。
これは余りに不公平すぎる。
だからと言って、自分の意志で、偽りの社会的弱者や被害者になることは、倫理観がそれを許さない。
知ってるよ、例えば生活保護を不正に受給してる人とかはいっぱいいるわけだけどさ。そういう事を言っているのではない。
極端な話、健常者でどんな意味でも被害者でもなければ社会的弱者でもない人間は、全て自己責任になってしまう。
必死で働いて、会社、家族、あるいは社会に対して精一杯貢献したとしても、最悪の場合、たった一つのミスでさえも、人生を棒に振ることすらある。
だけど、一度鬱病にでもなれば、上手くいかないのを全て鬱病のせいにして、仕事だってしなくて良くなるこのクソみたいな世界。
一体何なのこれ? と被害者に憧れる自分はどうしてもそう思ってしまうんだよね。
社会的弱者・被害者は救ってもらえるけど、そうでない人は誰も救ってくれない。
酷くないか?
2分の1で弱者になるんだけど 君はどっち?
元増田と同じように自立心が育たなかったんだが、そのために優柔不断だとか色んな悪癖を身につけて、ダメになった。 まあがんばれ。