2019-03-19

Daydream1-格差社会幸福への思索

闇のない世界存在しない。

理想郷存在しない。

長所の裏側には短所があるし、

楽しそうな人々の裏側では我慢している人々がいる。

贅、快、愉、愛、そうしたものは恵まれた人々の特権なんだろうか....

競争社会相手を蹴落として、優位に立ち、自分の周りのコミュニティにだけ還元し、その恩恵享受する....

持たざるものを、自己努力不足だと切り捨てる....

競争社会で優劣をつければ、上下関係が出来、負のエネルギーは下に下に淀んで溜まっていく。

社会への憎悪を膨らませた人間がそれを爆発させた時、その責任個人にあるのだろうか。。。異常者として、その人の生きてきた世界を僅かも想像できない恵まれ立場人間断罪できるものだろうか。

憎しみや復讐は何も生まない。

傷つけ合うことはやめよう。

暴力はいけない。

数々の戦争を経て平和を尊ぶ社会になりつつある現代でも、やはり我々はまた資本主義という新しいベクトル競争社会を生み出した。そこでも、勝者と敗者がどうにも存在するようだ。

足るを知ること。

少しでも多くの人が幸せにいきられること。

助け合うこと。

違いを認め合い尊重すること。

この考えは生物本能に背くものだろうか...?? 個の追求ではなく、全体幸福を考えることは、綺麗事のようでしっくりこないのは、生物学的なシステムによるものだろうか。動物本能の未熟さによるものだろうか。仮に人がそれを行動規範にしたとしたら、幸せを感じられるのか?競争をやめたら、人類は衰退していくのか?

人はなんのために成長したいのだろう....

食物が充分にあり、さまざまな娯楽を享受出来、住む場所があり、病気ケアも受けられる状態で、これ以上何を望むのだろう...???

なぜ、格差が生まれるのだろう。。。

優秀な人間とそうじゃない人の違いは何だろう。。。資本主義の全てを手に入れたように見えて、幸せを感じられないのは何故だろう...。幸福とは、なんだろうか。

人類は何処を目指しているのだろうか。

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自分はどちらかというと恵まれた側の立場です。だからこそこんな無益に思える思索に耽ることができるんだろう。

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