率直に言って、死にたいです。
こう言うと深刻だろうとお思いになるでしょうが、
これを読んでいるみなさんも程度の差はあれど死にたみを抱えて生きていると思います。
私は数ヶ月前に仕事を辞めました。会社のお偉方は取引先への背信行為を平気で行い、内部告発をした私を追い詰めました。
上司はもれなく全員保身を選び、人としての正しさよりもヒラメ社員であることを選びました。近くで一緒に頑張ってきた係長のあの人も。(私は一般社員でした)
何年も勤めた会社は、自分から「ごめんなさい」が言えない集団だったんです。ひどい話です。
自分も見て見ぬふりをしていれば仕事を続けられたでしょうが、そんなふうに鈍感な人間に成り下がるなんて御免こうむる!
そう思い、急いで会社を離れました。
そんなふうに絶望しながら無職になった結果、社会への不信感が確固たるものとして私の心をえぐりました。
生活を立て直そうと就職活動をしてみますが、前職での経験を振り返らざるをえず、その度に体を流れる水が濁るイメージでいっぱいになります。
(また就職しても、他人が傷つくことを何とも思わない人間のための労働力になるだけなのでは…)
(また働いても、そういった輩の思惑にはまらなければ権力を振りかざした人間に一方的に排除されるのではないか…)
そんなことばかり考え、思い悩み、就職活動は捗りません。アルバイトを始めることすらできません。
そうして時間ばかりが過ぎてゆき、少ない貯金がジリジリとなくなってゆく現実を前に心が憔悴しているのです。
また就職をして前の会社で私のことをおとしめたやつらのような人間に奉仕して日銭を稼ぐことが生活を続けるということであるのなら、死んで誰の助けにもならない結末を選んだ方がいいのではないかと考えるようになりました。
努めて客観的に見れば極端な考え方だというのは分かっています。でも、そういった考えを払拭できないほど「死んだ方がいい=死にたい」という気持ちが脳みそに強く根づいてしまっています。
これが、私の「死にたい」です。
はじめに述べたように、誰でもある程度の死にたみを抱えていると思います。
だから問いたい。
ひどく落ち込んでいる人に「頑張れ」が基本NGワードなのは広く浸透したように感じます。
学校でいじめを受けた人に「逃げてもいい」「無理して学校に行かなくてもいい」という価値観を持って接することについても同様だと感じます。
そういうふうに、死んでしまいたいと思うほど病んでしまった人に、どう接してあげたらいいんでしょうか。
私は、私にどう接してあげたらいいのか分かりません。
深夜に↑の書き込みをしたけど、「君は分かっていないだろうが、自分は分かっている(気付いている)」というスタンスで私のことを変に分析したコメントを投げる人が多くて反吐が出て消してしまった。心からの好意でコメントした人もいたかもしれないのにごめんなさい、という気持ちで再掲です
薬学的対処が必要だと思います。あなたは、誰かが解決策を持っていると思っているし、人に話を聞いてもらって楽になる部分もあるのだと思うけれど、他人が感じている痛みは誰にも...
サヨクガーでしょ
まーた3分間パヨッキングがはじまってしまったのか