2018-10-30

「あたしおかあさんだから」という言い訳

子持ちでツイッターなんかやってると、未だにのぶみ氏の「あたしおかあさんだから」に関する意見が流れてくる。

私もあの歌詞気持ち悪いと感じるのだが、一定数の支持も得ているらしい。なぜなのだろう?

思うに、本音ではヒールを履いて、流行の服を着て、仕事をしたい。けど、子供のために我慢している。私はこんなに貴方のために我慢して、お母さんしてるの。偉いよね…。そう思っている人なら共感できる歌詞なのだろう。しかし、これは古い価値観に縛られて、自分自分を抑圧してしまっているお母さんの、自分自身の問題子供転嫁してしまっているに過ぎない。

今の世の中、子供がいながら正社員として働く人はいくらでもいる。子供比較的おとなしい子ならばヒールを履くのも、オシャレするのもありだ。時には人に預けて美容院へ行き、カフェお茶をすることだって出来るし、子連れ対象にしている店だってある。ライブだって年に数回なら誰かに預けて行けばいい。それこそお金さえ払えば預かってくれる人はいるし、そもそも配偶者がその程度も出来ないのならば、それは子供ではなく、そのお母さんの配偶者問題だ。

今は昔とは違う。

お母さん=ボロボロの格好をした専業主婦でなければならない時代は去った。もちろん年配の人はあれこれ言うが、それさえ世代交代が進んで声は小さくなっている。子供になんでもかんでも合わせる必要はない。新幹線に興味がなければ聞き流したって別に構わない。好きはおかずは子供に対して「お母さんもこれ好きなの」と言って一口分わけてやるだけでいい。カレーだって辛い方がいいなら、ルーを入れる前に取り分けて自分の分だけ辛口を入れればいい。母親子供の隷属物ではない。昔は違った。嫁は後継を産むための装置であり、産んだら育てるための存在しかなかった。

何度も言うが、今は昔とは違う。

母親であっても一人の人間であり、女であるべきだ。子供のためにも

結局、この歌詞共感を覚える人は、自ら望んで、時代錯誤で古風な「良いお母さん」像を理想として目指し、そのくせ内心では不満を抱き、挫折してしまっているのではないか?もちろん、オシャレを捨てて、太るに任せ、週何回かパートに出るだけというお母さんはいくらでもるが、それが楽だからそうしてるという人は、こんな歌詞共感しないだろう。

我慢と苦労を重ねて、自分の信じる理想のお母さん像を演じ、貴方のためなのよ…と言われてしま子供はどうなのだろう。

私ならこんな重い母親は嫌だ。

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