2017-07-11

サントリーCM炎上ENEOSでんきCM炎上と似ていると思った

今回の炎上については、かなり強い拒否感を示す人たちと、理解しにくいという態度を示す人たちがいる。

前者と後者が単純に女性男性という風に分かれるわけではないが、もし逆の立場描写される側が男性)だったらどのようなCMとなるだろうとずっと考えていた。

それを考える上で、まずサントリーCM違和感は一体どこから来るのだろうかと考えると、違和感を覚えるポイントは、

1.性別についての一面的認知のみをもって特定の性を描写した

2.そうした認知公的空間に持ち込んだ

この2点(特に後者)じゃないかと思う

1.性別についての一面的認知のみをもって特定の性を表現した

これは今回のサントリーCMについては「AVかと思った」など、AV的な要素を感じさせる表現があると指摘されているポイントである

男性性的欲求を満たすための都合の良い存在として描かれているという批判だが、実際にCMを見てもそうした描写は多く、妥当批判であるように感じる。

しかし同時に、(AV存在の是非というよりは、現状として社会の中で「炎上」はしていないという意味で)AV存在社会的に暗黙の内に許されているのに

なぜAVに比べればおとなしい表現サントリーCM炎上したのかという点は、これだけでは説明できない。

そこで2点目である

2.性別についての一面的認知公的空間に持ち込んだ

表現のものについても問題があるものの、より過激表現が世の中に存在する中で今回のCMがなぜここまで拒否感を示されるのかというと、

自分は、本来極めて私的空間において、ある種隠されるべきそうした性別への認識CMという媒体を通して公的空間に持ち込んだためではないかと思う。

今回のCMについて男の妄想を上手く表現しているという声があるというが、妄想程度で収まっていることと、企業CMを用いて大衆に対して妄想を垂れ流すのは話が異なる。

もし今回のCMが大ウケしていたら、女性を都合の良い存在(であって欲しい)と捉える認識社会的に認めるということになる。

それは(特に女性にとっては)脅威である


ここまで考えて、最近ENEOSでんきのCMの(小さな?)炎上サントリーCM性別的な対照となるような気がした。

サントリーCMにおいて女性性的存在としての側面を過剰に強調されているように、男性が、その社会経済的立場のみをもって価値があるかのように扱われたこと、

そしてそうした認識CMの形で社会の中に流布されたこと。

もしあれが何も批判されずに受け入れられたら、男性経済力だけをもってその価値判断されることが世の中で認められてしまうのではないか

そういう憤りや恐怖がENEOSでんきCMでも炎上引き起こしたのではないだろうか。

今回のサントリーCMがなぜ炎上しているのか、自分なりに、出来るだけ感情的にならずに理解しようとしたらこうなりました。

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