今回の炎上については、かなり強い拒否感を示す人たちと、理解しにくいという態度を示す人たちがいる。
前者と後者が単純に女性と男性という風に分かれるわけではないが、もし逆の立場(描写される側が男性)だったらどのようなCMとなるだろうとずっと考えていた。
それを考える上で、まずサントリーCMの違和感は一体どこから来るのだろうかと考えると、違和感を覚えるポイントは、
1.性別についての一面的な認知のみをもって特定の性を描写した
1.性別についての一面的な認知のみをもって特定の性を表現した
これは今回のサントリーのCMについては「AVかと思った」など、AV的な要素を感じさせる表現があると指摘されているポイントである。
男性の性的欲求を満たすための都合の良い存在として描かれているという批判だが、実際にCMを見てもそうした描写は多く、妥当な批判であるように感じる。
しかし同時に、(AVの存在の是非というよりは、現状として社会の中で「炎上」はしていないという意味で)AVの存在は社会的に暗黙の内に許されているのに
なぜAVに比べればおとなしい表現のサントリーCMが炎上したのかという点は、これだけでは説明できない。
そこで2点目である。
表現そのものについても問題があるものの、より過激な表現が世の中に存在する中で今回のCMがなぜここまで拒否感を示されるのかというと、
自分は、本来極めて私的な空間において、ある種隠されるべきそうした性別への認識をCMという媒体を通して公的空間に持ち込んだためではないかと思う。
今回のCMについて男の妄想を上手く表現しているという声があるというが、妄想程度で収まっていることと、企業がCMを用いて大衆に対して妄想を垂れ流すのは話が異なる。
もし今回のCMが大ウケしていたら、女性を都合の良い存在(であって欲しい)と捉える認識を社会的に認めるということになる。
ここまで考えて、最近のENEOSでんきのCMの(小さな?)炎上がサントリーCMの性別的な対照となるような気がした。
サントリーCMにおいて女性が性的存在としての側面を過剰に強調されているように、男性が、その社会・経済的立場のみをもって価値があるかのように扱われたこと、
もしあれが何も批判されずに受け入れられたら、男性が経済力だけをもってその価値を判断されることが世の中で認められてしまうのではないか、