うちは共働き夫婦なのだけど、家事は原則分担している。長い間家事をやっていると、個々人で得意な家事とそうでない家事がわかってくる。例えば、私は料理と床掃除が得意で妻は洗濯と水回りの掃除が得意といったように。
そうなると、自然と得意な家事をやるようになるのだけど、日常で自分がやらない家事は自然とサービス化してしまう。サービス化というのは、自分が子どもの時に母親がやってくれていたのと同様で、「誰かがその家事をやってくれて当然」という感覚である。もちろん、どんなに得意な家事にも労力はかかっているのでそんなことはない。
家事がサービス化すると、サービスが遂行されていない時やサービスの品質が低下したときに問題になる。やってはいけないが、サービスの品質が悪いことを糾弾したり、サービスを継続するように要求したり。サービス化している状態はその家事を行う本人も薄々と自覚しているので、やるべきなのはわかっている。だが、体調や他の事情によって完全にできないことは当然ある。そこで糾弾をしてしまうと、相手のストレスになったり喧嘩になったりする。
解決策としては、サービス化した家事に労力がかかっていることを意識することだろう。労力は体調や気分によって変化するものなので、相手の状態も加味する必要がある。また、労力がどれくらいのものであるかは体験しないとわからないので、その家事をやったことがないというのは論外である。さらに、得意不得意の問題もあるので、自分にとって得意な家事が相手にとって低い労力で遂行できるものとは限らない。
その時々の家事の労力を見積った上で、労力が可能な限り公平になるように取り計らうのが健全な関係を維持するのに必要だと思う。また、労力に対して労力で返す必要はなく、褒めるとかでも良い。共働きでない家庭ではそれがお金だったりするかもしれない。
どうしても労力リソースが足りないときは双方の合意のうえでサービスレベルを下げるのもひとつの手で、例えば流しに洗い物が溜まっていることを許容したり。日本では専業主婦が多かった時代があるせいか、家事に過剰なクオリティを求めすぎているような気はする。日常生活に支障が無ければどんどんサボって良い。