■国会ではよく、
「(国民の)信を問う」
とよく言うが、
まったく言葉に見合うことが出来ていないことについて、異議を唱える。
自分一人が言ったところで変わるはずもない・
昔からこういうもの・やり方がお粗末なのは最初から」といった、
あきらめの境地に至ってしまっている。
高い金を払ってうぐいす嬢を雇い、
「(誰々)をお願いします」と言うだけの選挙カーを走らせるのは勝手だが、
それと「信を問う」ことに、一体何の関係があるのであろうか。
それと「信を問う」ことに、一体何の関係があるのであろうか。
「~党からの推薦(~党所属)です」、という、組織的な裏付けを
集団になると、集団心理が入り込む余地が出てきて、急に思考力が落ちる。
立候補した人間個人の影は薄れ、「党」単位の戦いに完全にすり替えられてしまう。
時代錯誤も甚だしい。
正直言って、「信を問う」のであれば、
担保金や、上記のような馬鹿げた方法に大金をかけるのではなく、、
有権者にマニフェストをきちんと配布し、判断してもらうべきである。
(街頭演説や政権放送は良いが、タイミングが合わず見られない有権者もいる為)
基本的には、確実に有権者が受け取れるような、事前の情報提供が一切無い。
有権者が積極的に動き、新聞から出身大学がどうだとか、僅かな情報を得たり、
それでどうやって信任すればよいのか。
「(国民の)信を問う」という言葉を、軽々しく言って欲しくない。
意味のない旧態依然な方法や卑劣な方法を止めて、情報弱者の高齢者でも受け取れる、
日本人は馬鹿ではない。確実な情報提供があり、集団心理や利害関係を排除すれば、
高い思考力を発揮できるのだから。
まさにこれ。本質をついていますね。 選挙カー走らせるより、マニフェストを配るのが先なんだけど。 新聞をとっていない家庭。テレビの無い家庭もあるしね…。