2014-09-07

「信を問う」と方法について

国会ではよく、

「(国民の)信を問う」

とよく言うが、

その「信を問う方法」があまりにお粗末で、

まったく言葉に見合うことが出来ていないことについて、異議を唱える。

多くの国民は、具体的な選挙方法や信任方法について、

「頭では方法問題があることは分かるが、

自分一人が言ったところで変わるはずもない・

からこういうもの・やり方がお粗末なのは最初から」といった、

あきらめの境地に至ってしまっている。

高い金を払ってうぐいす嬢を雇い、

「(誰々)をお願いします」と言うだけの選挙カーを走らせるのは勝手だが、

それと「信を問う」ことに、一体何の関係があるのであろうか。

「(誰々)です、お願いします」と握手をするのは勝手だが、

それと「信を問う」ことに、一体何の関係があるのであろうか。

「~党からの推薦(~党所属)です」、という、組織的裏付け

前面に押し出すやり方も、正直卑劣方法である

高い教育水準日本では、一個人であれば高い思考力を持つが、 

集団になると、集団心理が入り込む余地が出てきて、急に思考力が落ちる。

立候補した人間個人の影は薄れ、「党」単位の戦いに完全にすり替えられてしまう。

時代錯誤も甚だしい。

正直言って、「信を問う」のであれば、

担保金や、上記のような馬鹿げた方法大金をかけるのではなく、、

有権者マニフェストをきちんと配布し、判断してもらうべきである

街頭演説政権放送は良いが、タイミングが合わず見られない有権者もいる為)

また、最高裁判所裁判官の信任にあたっても、

基本的には、確実に有権者が受け取れるような、事前の情報提供が一切無い。

有権者積極的に動き、新聞から出身大学がどうだとか、僅かな情報を得たり、

ネット判例を調べたりするしか判断に至る情報がなく、

それでどうやって信任すればよいのか。

「(国民の)信を問う」という言葉を、軽々しく言って欲しくない。

意味のない旧態依然方法卑劣方法を止めて、情報弱者高齢者でも受け取れる、

有権者が確実に受け取れる判断材料情報提供すべきである

日本人馬鹿ではない。確実な情報提供があり、集団心理や利害関係排除すれば、

高い思考力を発揮できるのだから

  • まさにこれ。本質をついていますね。 選挙カー走らせるより、マニフェストを配るのが先なんだけど。 新聞をとっていない家庭。テレビの無い家庭もあるしね…。

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