エリック・バーンが提唱する交流分析において、人間関係の親密さは「引きこもり→挨拶→雑談→共同作業→ゲーム→親密な関係」の順とされている。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/basic/transactional004.html
ゲームというのは、上記リンクのような「相手を自分の都合の良いように操作したり利用しようとしたりすることで始まるコミュニケーション」を指す。
企業で求められるのは「共同作業」である。しかし人からの反応に飢えた状態の者が紛れていて「ゲーム」を始めると、吹っ掛けられた側が「うんざりしたり無力感にとらわれたり感情的に怒ってしまったり」する。ゲームを開始したり、参加してしまう人は、なかなか「共同作業」に戻ることが出来ない。「共同作業」より「ゲーム」で得られる反応の方が濃いからだ。
恋愛・結婚に求められるのは「共同作業」であったり「親密な関係」であったりする。双方が「共同作業」を望んでいれば安定するが、片方がもっと濃い関係を求めると「ゲーム」が開始され、相手がそれに参加してしまうと関係は破綻する。双方が「ゲーム」を求めている場合は、喧嘩を繰り返しながらも別れない、傍迷惑なカップルとなる。
恋愛できる人は「ゲーム」を理解している。熟練したゲームプレイヤーはモテるし、「ゲーム」が理解できない人は恋愛の土俵にのぼれない。
安定した結婚生活に必要なものは、関係への期待を「共同作業」にとどめる(お互いをATM・産む機械と認識し合う)か、「親密な関係」を築くことだ。付き合うまでは上手く行くのに長続きさせられないのは、ゲームしか上手く出来ないということだ。ゲームしか出来ない自覚があるから結婚には踏み切らない人間も居る。
「親密な関係」に進めず「ゲーム」に留まってしまうのは、相手を信頼出来ないからである。では、なぜ信頼できないのか。自己評価を承認に依存しており、得られる承認が減ると自分の価値が下がったと感じてしまう、思考の癖があるからである。思考の癖は、親の叱責や無視の経験、友達・恋人になりたい相手から嫌われたり無視された経験によって癖付けられる。「親密な関係」を築くには、自己評価を承認に依存することをやめ、思考の癖を取ればよい(簡単に言ったが、一生癖が取れないまま死ぬ人間もそこそこ多いはずだ)。
「親密な関係に進めず、共同作業に戻れず、ゲームに留まる人間」を「自業自得」「性悪」「メンヘラ」などと非難・侮蔑している人間は、ゲームプレイヤーである。そうした人間を英雄や聖母の如く救済しようとして、そうした人間の思考の癖の原因になったものを非難する人間も、またゲームプレイヤーである。
しかし人からの反応に飢えた状態の者が紛れていて「ゲーム」を始めると、吹っ掛けられた側が「うんざりしたり無力感にとらわれたり感情的に怒ってしまったり」する。