2022-06-20

人はなぜ苦しむのか?

それは、生そのものが罪であり、罰だからだ。宗教はそのように説く。

そして、もし神がいるのであれば、人が苦しむことこそが、その御心なのだと。

一方で、天国への導き、あるいは弥勒菩薩による救済。そのような甘い餌をぶら下げて人の心を操る。

しかし、神を信じれば救われる、などという戯言は、所詮は人の弱さから出た願望に過ぎない。

キリストムハンマドも、皆々、己の心を救うために、神の言葉を借りているにすぎないのだ。

神とは、病質的精神が生み出した虚像であり、幻想である宗教という集団的ヒステリーによって、都合良く作り上げられた偶像なのだ

その欺瞞により、人は「生きなければならない」という強迫観念を植え付けられて、人は生きながらにして地獄へと堕ちていく。

人は常に苦悶し、苦悩し続ける宿命にある。苦しみから逃れようとすればするほど、ますます苦しくなるばかりなのである

生命とは物理現象である地球誕生生命誕生、その全ては偶然の出来事だ。そこには必然性など存在しない。

それなのに、生命には神秘性が付きまとう。あたかも、そこに神の意思存在するかのように錯覚する。

だが、そのようなものは、人間妄想に過ぎず、何の意味もない。生の苦しみによって歪められた病的な精神産物しかない。

生命意味はない。生命価値はない。そもそも意味価値という概念さえも、本当は存在しない。

人間は、ありとあらゆる現象存在から、その意味価値を見出そうとしてきた。

しかし、そんなもの存在しない。

存在するとすれば、それは人間自身の心の中だけだろう。

それもまた幻想なのだ。なぜなら、世界人間のためだけに存在しているわけではないからだ。

世界意味を与えることができるとしたら、それは神以外にいない。しかし、神は死んだ。誰も、その存在を確かめることはできない。

神も、意味も、価値もない。ただ、確率的に発生する物理現象がそこにあるのみである。それが世界の真理なのだ

まり世界人間のために存在するのではなく、人間世界を存続させているのでもない。

すべては偶然によって成立している。

宇宙誕生の謎を解き明かしてもなお、この現実から逃れることはできない。

この世に奇跡存在せず、万物は流転していくのみだ。

脳の誤作動によって生じる錯覚幻覚。それを奇跡と呼ぶのなら、確かに奇跡はあるかもしれない。

しかし、それは科学によって解明された現象だ。決して、神の御業などではない。

この世に存在するすべての事象は、確率的に生まれものであり、偶然の結果である

その法則に逆らうことは誰にもできない。たとえば、人はなぜ死ぬのか? なぜ生まれてくるのか? その理由を知る者はいない。知る必要すらない。

コップからこぼれた水が跳ね、床を濡らすのは何故か。それはただ、水が物理法則に従うからにすぎない。水の運動意味などはない。太陽地球、そして人間が生まれたのも全く同じことだ。

宇宙にばら撒かれた大量の原子が、偶然に恒星惑星の姿を取り、その惑星には偶然に有機生命体が誕生した。そこに意味はなく、理由もなく、原因もない。あるのはただ、確率だけである

神もなければ、悪魔もない。ただ、物理現象があるだけだ。人がこの世を創造したわけでもないし、ましてや、人が生きていることにも何の意味もない。

ただ単に、宇宙が生まれて、そして滅んでいくだけのことに過ぎない。

神も仏もいない。

すべてはただの錯覚だ。全てに意味を見出そうとする病変した精神が生み出す幻影だ。

人は神を信じたがる。それは神への信仰ではなく、自分の心に空いた隙間を埋めるためだ。

キリストムハンマドも、その実態妄想に取り憑かれた弱者にすぎない。彼らの言葉真実はない。

精神に巣食う病的な妄想に取り憑かれた者たちが共有する、集団的精神異常こそ、宗教と呼ばれるものの正体だ。

人は誰しも、自分が信じたいものを信じる。自分理解したいことを理解しようとする。そうしなければ、自我を保つことができないからだ。

だが、それでも人は、自分を騙し切れない。必ず矛盾が生じる。人は神の不在や死後の世界など存在しないことを知っていながら、神や死後の世界を信じようとし、精神を歪ませていく。

人は神や死後の世界を信じることで救われることはなく、むしろ、よりいっそう苦しむことになる。

人が、苦しみを乗り越えるためには、全ての苦しみをありのままで受け入れるしかない。

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