2022-05-24

体育は教え方

こんなブクマが賑わっている。

はてな民のために球技意味について政治的かつ実効的に語りたい - メロンダウト

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/plagmaticjam.hatenablog.com/entry/2022/05/23/222507

 

いくつものコメントが指摘している通り、これは徹頭徹尾〈できる側〉の理屈であり〈できる側〉の見ている景色であり〈できる側〉の自己弁護であり〈できる側〉の正当化しかない。

体育の授業でさせられる球技屈辱と惨めさの思い出しかない人間だって実際には山ほどいるのだが、まるでそんなやつは存在しないはずだと言わんばかりの口ぶりである。もはや呑気なのか傲慢なのかわからん

そもそも球技必要性理解できたところで、〈できない側〉の屈辱や惨めさは何も変わらない。

筆者さんはこれを書いて何がしたかったの? 〈できない側〉の僕たちに何をわからたかったの? 何を変えたかったの?

球技くらいしか選択肢がないという部分には百歩譲ってうなずけても、「だって楽しいじゃんほら球技って!だろ?」と言わんばかりの中盤以降は死んだ目で読んだ。俺には球技が楽しかったためしはない。

ポンコツぶりを見せて冗談関係を築くって? そのポンコツ理論冗談だろ? しらんけど

女子が放ったスパイク顔面レシーブしたあの日、俺の人生が1mmでもいい方向に転がったと思うか? 最悪だった人生さらに最悪になっただけだ。壊れた俺のメガネは地面に転がったがな。

こういうのをね、屈辱って言うの。惨めって言うの。辛酸って言うの。

この鬱屈した感情を知らねーなら黙っててほしい。この件については一生口をつぐんでいてほしい。

運動神経はほぼ天賦の才能だ。生まれながらにそれを持ってるやつに、生まれながらにそれを持っていない俺たちの苦しみ悲しみがわかるもんか。

そういう奴らに俺たちの苦しみ悲しみに口を突っ込む資格はこれっぽっちもないの。君には私に救いを与えることはできない。

最後のノンバーバルのくだりに至っては噴飯ものだ。

いかよく聞けよ、運動音痴ってのはな、「ノンバーバルコミュニケーションの語彙すら乏しい者たち」なんだよ! なにしろ運動ができないんだからな!

君たちは君たちの言葉意思を通じ合ってればいいさ。だが俺たちはヘブライ語が話せないのにユダヤ人討論会に放り込まれ日本人なんだよ!

 

と、ひとしきり呪詛怨嗟をぶちまけたところで話題を変える。

どんな体育の授業も業火煉獄しかなかった自分だが、まあまあ楽しかったなという経験も少しはある。

まず柔道剣道。ほぼ全員がド素人からスタートだったし一歩間違えば大怪我をするので、本当に基本中の基本からゆっくりと駒を進めていく授業だった。

基本的には個人種目で気楽だったし、団体戦でも先鋒あたりで出してもらえば自分が負けても気が楽だった。

全員がド素人からスタートという意味ではラグビーもそうだった。もちろん能力差はあるものの、教師指導がどちらかというと基本技術戦術戦略に振ったものだったおかげで、運動神経だけで明暗がくっきり決まってしまうようなつまらない授業内容にはならずに済んでいたように思う。少なくとも、ウォーミングアップしたらすぐにガチ勢天国試合が始まってしまサッカーバスケとは気分がぜんぜん違った。

そういうこともある

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