2022-04-04

人生が致命的に上手くいかない

というよりも、残り時間の少なさにいよいよ危機感を覚えるべきときに来ている。

正直言って、このまま死んでもいいぐらいにどうしようもない人生だ。しかし折角だから最後創作活動を多少なりともやっておきたい。

やはり俺には何の才能もなかったのだ!と叫んでから死ぬのだ。

逆になんということだ俺は天才だったのか!と人生が突然に開けだすのも悪くない。

どちらにしろこのままある日突然死んでからなんということだ俺は何者だったのだろう?と悩んで消えていくというのはどうにもしっくりこない。

しっくりくるかどうかというのは人間にとっては最重要だ。

そもそもをして我々の人格なるものは全身の神経の電気刺激の集合が、しっくりくる状態を求めて相互作用を繰り返した結果なのだ

まりはしっくりくることを求めることが本能なのである

よく言う食欲や性欲についても腹が満たされればしっくりくるし適度に股間勤労意欲を満たしてやるのがしっくりくるということだ。

さてさて、そうは言っても何をすればいいのか。

子供の頃はゲームなんぞを作りたいと思っていたが、私が今までに遊んだ俄作りの素人ゲームなんぞは100を超えようが、それらについて言えるのは本当の天才不断努力の果てに作り出したもの以外はクソであるということだ。

私は過去に一度や二度ゲーム作りに挑んだが天才でないのも努力家でないのも明らかであった。

よってゲーム作りは却下である

次に絵や漫画却下である。これもまた天才不断努力かの賜なれど、私には到底そのどちらもないことを人生証明してきている。

音楽芸能の類も同じく運動も駄目でそもそも手先が不器用であり物を作るのには向いてないし、感覚器官が全体をして曖昧模糊としているので料理やら目利きやらも不得手である

となればもう残ったものは文筆のみである

悲しいことにこれはもう事実なのだ

文筆とは時として天才たちがその天才性を抜き身のままに振り回すための土俵であるとも扱われがちだが、実際にはどちらかといえばあらゆる才能の土俵から追い出されたハグレモノの集まる無能無才が暮らす創作界のスラムである

持って生まれ能力努力も足らぬ私は当然のようにこのスラムにふらりとやってきて、そこで海の物とも山の物ともつかぬ某方をどうにかこうにかして有象無象をあれやこれやするのがお似合いなのである

全くもって文筆とは素晴らしいもので、たとえば「それはそれは見事な紅葉の山」という言葉だけで「それはそれは見事な紅葉の山」を表現できる。

もしもこれを絵で描こうとすればどれほどの能力時間を有することか。

背景画像の集合からピッと貼り付ければいいではないかと思う横着者のもおろうが、それを探してくる手間さえなくただ「山」と書けばそこに「山」が現れるが筆しらべの秘術である

全くもって人生において遊ぶことと無能なりに食っていくことに大忙しの貧乏暇なし無学慌ただしというものだ。

才能がなければただ遊ぶということにおいても無用時間をもって大したことも出来ぬままにいくら時間を使っても付きぬものから創作に使っていられる時間など人生のうちの極々一部となる。

そうなるともういよいよペンを持って事を為す以外の道などないのだ。

たとえば俳句など読んで見ればわずか17文字おきに一作品が出来上がる。

全100作の俳句をつなげた一世一代詩集を認めんと心に決めれば原稿用紙にして4と1/4で済むわけだ。

これは実に無能に優しいというもの

掌編小説などは原稿用紙に5枚でいいし、短編で10枚、長編でも50枚も描けば十二分に両足を突っ込めるというものだ。

原稿用紙50枚!と聞くとなんとも驚きだがなんのことはないツイッター3回で原稿用紙1枚なのだからツイッターを150回だ。

ナンセンス小説であれば「イヤー!アイヤー!チョイヤー!ドッカーン!」なんて引き伸ばしの擬音を次々に入れれば簡単に稼げるものだ。

官能小説であれば喘ぎ声や擦れ音で半分埋めるのが実にシズル感があると推奨されている。

こうなればもう簡単だ。

3作も書きあげれば(なんとツイッター500回程度でいいのだ!)もう十分、「やあやあ我こそ物書きなるぞ!我の才能が偶然この時代に噛み合わぬゆえもう諦めて余生はくだらん仕事をして糊口を凌いで残った時間はひたすら遊んで過ごそうと思ふ」と言い張れるのだ。

3作のアイディアだって簡単だ。

まずは自分主人公ノンフィクション半生伝記を人知れずかきあげて、手塚治虫なりヘンリー・ダーガーなりを気取ってこっそりとHDDの奥に仕舞い込んでしまうのだ。

次に脳内で連載されている作品から手頃なのを1作書き上げる。

最後自分理想とする社会についての妄言をあれやこれやと書き連ねたらもう3作だ。

あっという間である

後半の2作を適当ライトノベルなりハヤカワなりの賞に応募して、一次予選で落とされて帰ってくればもう残りの生涯は自由である

「俺は自分に秘められた才能を試し終わったのだぞ。誰が文句をつけるものか。天より預かった才能は地に返してから死ぬべきだが、それが元より無いなら自由に生きるのが当然だろう」と堂々とぐうたらぐうたら暮らせるのだ。

さあ自由になるために筆を取ろう。

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